SIDEWALK TALK

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「New Age」考

2014-07-26 13:02:41 | 佐野元春
Visitorsきのう苗場のロックフェスで、
佐野元春がアルバム『VISITORS』の再現ライヴをおこなった。
早いもので、今年がリリース30周年の節目にあたるらしい。
リリース直後は「戸惑い」と「称賛」に評価が二分されていたが、
僕はどちらかといえば「戸惑い」派だった。


戸惑っていた僕だけど、すんなり受け入れられた曲もあった。
「Visitors」「Sunday Morning Blue」
そして、今回考察してみる「New Age」だ。


この楽曲のテーマ(or モチーフ)は、何なのだろう?
僕はずっと疑問に思ってきた。
1980年代の米国で制作されたことから察して、
New Age Movement(ニューエイジ運動)の影響があるんじゃないだろうか?
と、ずっと独り合点していた。


この運動がいうところの「ニューエイジ」には、「新しい時代」の他に、
「新しい世界」「新しい思想」が含意されている。
「ヨハネの黙示録」にこの表現があり、
キリスト教徒の一部の宗派が採用している「千年思想」が背景にあると言われている。


教科書(神学)ふうにいうと、
神と悪魔の戦いが千年続き、最後に神が勝利して、
新しい世界(New Age)がやってくるというものだ。
基本的には、伝統的な教えの中から、古くて役に立たない教えを廃し、
真の意味での教えを明らかにしようという運動である。


New Age Movement について述べるとキリがないんだけど、
以下のように、功罪が相半ばしている。
ニューエイジは、ラディカルな社会運動と結びつきやすく、
環境運動やフェミニズムの進化に好影響を及ぼしたが、
反面、カルト宗教を生み出す素地になりやすいといったマイナス面がある。


僕は、佐野さんが New Age Movement について
コメントをしているのを聞いたことはない。
けど「New Age」は、この運動の影響を受けてつくられたような気がしていた。
New Age Movement は、60年代のカウンターカルチャーをその直接の起源とする。
当時のカウンターカルチャーだったヒップホップ・カルチャーの渦の中で、
佐野さんがこの運動を表現したのだと確信めいたものもあった。


けれど、この考察は僕の思い違いだった、
ファン誌「Café Bohemia」2014 夏 Vol.134 に、
「New Age」について佐野さん自身の言葉で述べられている記事が載っていた。


憂鬱か甘美か一言では言えない複雑な未来に思いを馳せて作った曲


詳細はここでは触れないが、僕のひねくれた考察とは真逆の
もっとロマンティックな衝動で書かれた曲だということがわかった。
長年の澱が落ちたような感覚があって、
僕は今まで以上に「New Age」という曲が好きになった。

筆短情長

2014-07-16 10:51:09 | ブログ
Letter作家、とりわけ文豪と呼ばれる人は、
例え私信であっても、
後に世間で公開されることを前提に手紙を書く。
まことに窮屈な話だが、
それが作家の宿命というものなんだろう。


生来の筆無精の僕は、手紙を書いたことなど数回しかないし、
もちろん後世(世間)の目など気に病むこともなかった。
しかし最近は、このブログも含めて、
SNS等で人前に悪筆乱文を晒す機会が図らずも増えた。


手紙の技倆のひとつに『筆短情長』というのがあるらしい。
読んで字の如く、「言葉は短く、情は深く」という作法だ。
島崎藤村は、手紙を書く際、
この『筆短情長』を大事にしていたという。
藤村の手紙など読んだことはないけど、
文豪と呼ばれる人のそれは余事を交えず、
読後に余情が残るものだったろう。


酔狂でSNSで遊んでる身としては、
藤村には遠く及ばないものの、
『筆短情長』を意識して文章を綴ることを心がけたい。
そういう意味では、
Twitterは『筆短情長』の最たるものなのかもしれない?
センスのいいツイートしてる人、結構いるもんな。

We were just looking for America

2014-07-07 11:04:12 | コスメ・ファッション
Nighthawks『Nighthawks』
シルヴェスター・スタローン主演の1981年の作品。
このころの、つまり『ランボー』以前のスタローンは、
『ロッキー』シリーズ以外は
興行的に成功することがほとんどない状態だった。
いわば苦闘時代だったといえる。


当時、僕は高校生で、
リアルタイムではこの映画の存在すら知らなかった。
オッサンになってから観ることになるのだけど、
何の変哲もないプロットにもかかわらず、
そこはかとないシンパシーを感じた。
ティーンエイジャーのころ、僕は闇雲に米国を信奉していたからだ。


10代の多感なころ、
J.D.サリンジャーの小説を読みふけったり、
映画『ロッキー』シリーズを残らず観たり、
ジャック・ケルアックのペーパーバックを持ち歩いたり、
マックやKFCのジャンクフードに舌鼓を打ったり、
ブルース・スプリングスティーンのR&Rを聴いたりして過ごしていた。
アメリカの放つ光を、何の疑問ももたずに無邪気に信じていた。


この作品のスタローンのファッションや髪型は当時お気に入りだった
ビリー・ジョエルやスティーヴ・ヴァン・ザントのようであり、
NYの街並みは『52nd Street』や『Glass Houses』の世界観を彷彿とさせる。
10代の僕が好きだったアメリカそのものだ。
僕の若い時期のメンタリティと確実に呼応して、
心のどこかが動かされた。


最近の映画は、猥雑な作品が多いように思う。
また多弁でもある。
その点、このころのハリウッド作品はシンプルでわかりやすい。
オープニングとエンディングがスタローンの女装という、
笑えないジョークも何とも愛おしかった。
あのころ探し求めていたアメリカを見つけたような気がして、
僕は頬杖をつきながら眼を細めた。