私は比較的、近代音楽好きである。
(近代音楽=ロマン派以後1890年頃から第一次大戦終了までの期間の、印象派や新古典主義などの音楽の総称)
歌曲で言えば、R・シュトラウスやヴォルフが特に好きだ。
まだロシア語なので、挑戦できていないが、ラフマニノフやプロコフィエフも歌ってみたい。
そんな私が特に好きな歌がある。
R・シュトラウスの絶筆(彼に人生において一番最後に作曲された)、
「4つの最後の歌」
である。
1.春
2.9月
3.眠りにつくとき
4.夕映えの中で
の4曲からなる、「死」をテーマにしたソプラノとオーケストラのための曲集である。
何と美しい詩であろう。
自然の美しさと、人生というものへのはかなさ。
そのほか本当に色々な感情や、人間として生きる事、死ぬ事をまた更に越えた何か。。。
そんなものを感じる。
実はこの曲、幼少の頃から家庭でよく流れていた。
その頃はもちろん、シュトラウスの作品だ、と言う事以外には何も知らなかった。
ただ、美しい曲だと思っていた。
そしてこの曲の詩を読み、すっかりとりこになったのがもう5,6年前の事か。
まず、幼い頃から耳に残っていた美しい曲との「再会」
そして、ソプラノ歌手としての私と、この曲の「出会い」である。
テクニック的にも、音楽的にも、非常に難しい曲だ。
当然「まだ早い」と先生に反対される。
ましてや、私のような声の細い歌手の歌う曲ではない。
説得。
若いから、「死」をテーマにした曲を歌えないと言うのは正しくない。
「死」とは「生」に常に相対するものであり、抱き合わせのものだ。
若いときには、若いなりの「死」に対する想いがあって良い。
私は、ライフワークとして、大好きなこの曲に歌手人生をなぞらえていきたい。
先生は理解してくれた。
一度リサイタルで全曲演奏した。
以来、プログラムに入れていなくても、コンサートの前になるとむしょうに歌いたくなって必ず歌っている。
そして私なりの「4つの最後の歌」が生まれた。
5月に久々に「春」をリサイタルで歌うことになった。
もうこれで、歌手を辞めよう、と決心した時、オーケストラと一緒にこの曲を歌いたい。
(近代音楽=ロマン派以後1890年頃から第一次大戦終了までの期間の、印象派や新古典主義などの音楽の総称)
歌曲で言えば、R・シュトラウスやヴォルフが特に好きだ。
まだロシア語なので、挑戦できていないが、ラフマニノフやプロコフィエフも歌ってみたい。
そんな私が特に好きな歌がある。
R・シュトラウスの絶筆(彼に人生において一番最後に作曲された)、
「4つの最後の歌」
である。
1.春
2.9月
3.眠りにつくとき
4.夕映えの中で
の4曲からなる、「死」をテーマにしたソプラノとオーケストラのための曲集である。
何と美しい詩であろう。
自然の美しさと、人生というものへのはかなさ。
そのほか本当に色々な感情や、人間として生きる事、死ぬ事をまた更に越えた何か。。。
そんなものを感じる。
実はこの曲、幼少の頃から家庭でよく流れていた。
その頃はもちろん、シュトラウスの作品だ、と言う事以外には何も知らなかった。
ただ、美しい曲だと思っていた。
そしてこの曲の詩を読み、すっかりとりこになったのがもう5,6年前の事か。
まず、幼い頃から耳に残っていた美しい曲との「再会」
そして、ソプラノ歌手としての私と、この曲の「出会い」である。
テクニック的にも、音楽的にも、非常に難しい曲だ。
当然「まだ早い」と先生に反対される。
ましてや、私のような声の細い歌手の歌う曲ではない。
説得。
若いから、「死」をテーマにした曲を歌えないと言うのは正しくない。
「死」とは「生」に常に相対するものであり、抱き合わせのものだ。
若いときには、若いなりの「死」に対する想いがあって良い。
私は、ライフワークとして、大好きなこの曲に歌手人生をなぞらえていきたい。
先生は理解してくれた。
一度リサイタルで全曲演奏した。
以来、プログラムに入れていなくても、コンサートの前になるとむしょうに歌いたくなって必ず歌っている。
そして私なりの「4つの最後の歌」が生まれた。
5月に久々に「春」をリサイタルで歌うことになった。
もうこれで、歌手を辞めよう、と決心した時、オーケストラと一緒にこの曲を歌いたい。