今年はヘンデル没後250周年で、
世界各地で多くのヘンデルの演奏が行われているのだろう。
イギリスに12年住んでいた私にとって、
イギリスに12年住んでいた私にとって、
ヘンデルはとても身近な作曲家である。
ドイツ生まれの作曲家なのに、イギリスに帰化したヘンデルは、
ドイツ生まれの作曲家なのに、イギリスに帰化したヘンデルは、
イギリスの作曲家であり、イギリスの誇り。
イギリス人のヘンデル好きぶりは大変なものだ。
イギリス人のヘンデル好きぶりは大変なものだ。
今年はさぞ盛り上がっているに違いない。
京自身も今年9月にヘンデルを歌わせていただくことになっている。
そのプログラムのひとつに「セメレ」の'極みなき喜び’がある。
この「セメレ」と言う作品、英語で書かれ、
京自身も今年9月にヘンデルを歌わせていただくことになっている。
そのプログラムのひとつに「セメレ」の'極みなき喜び’がある。
この「セメレ」と言う作品、英語で書かれ、
“オラトリオ”とされている。
が、
この「セメレ」、どこからどう見ても'オペラ’である。
編成から、ストーリーからテーマから、
が、
この「セメレ」、どこからどう見ても'オペラ’である。
編成から、ストーリーからテーマから、
宗教音楽である'オラトリオ’からはかけ離れている。
実際、私は2回ほど「セメレ」を劇場で見たが、
実際、私は2回ほど「セメレ」を劇場で見たが、
どちらもオペラ形式(衣装をつけ、演技をしながら歌う。)をとっていた。
ではなぜ'オラトリオ'「セメレ」なのか?
ここで私はモーツァルトを描いた映画
ではなぜ'オラトリオ'「セメレ」なのか?
ここで私はモーツァルトを描いた映画
「アマデウス」のある場面を思い出していた。
皇帝に、モーツァルトが自分の(また聴衆の)母国語である、
皇帝に、モーツァルトが自分の(また聴衆の)母国語である、
ドイツ語でオペラを書いてみたい、と掛け合い、
「オペラはイタリア語と決まっている」
などと言われてもめている場面。
ヘンデルが生きたのは1685~1759年。
モーツアルトは1756~1791年。
当然ヘンデルの時代のほうが、
「オペラはイタリア語と決まっている」
などと言われてもめている場面。
ヘンデルが生きたのは1685~1759年。
モーツアルトは1756~1791年。
当然ヘンデルの時代のほうが、
イタリア・ローマが音楽の本拠地と言う風潮は強かったに違いない。
そこへもってヨーロッパでは当時ど田舎だったイギリスで、
そこへもってヨーロッパでは当時ど田舎だったイギリスで、
ましてや英語で書かれたものをオペラと呼んでなるものか・・・
と、言う事でオラトリオになったのかな?
などと勝手な想像をしてみたが、
と、言う事でオラトリオになったのかな?
などと勝手な想像をしてみたが、
待てよ、だからってオラトリオって言うのも変だなと思い、
調べてみたらこう言うことらしい。
ヘンデルは明らかに、この作品を「オペラ」として書いた。
しかし作曲の後、
ヘンデルは明らかに、この作品を「オペラ」として書いた。
しかし作曲の後、
受難節(荒野のキリストを記念して断食や懺悔をする)
の祭典における楽曲が必要だったため、ヘンデル自身が報酬を得たいがために、
「オラトリオ」として演奏したと言うのだ!
ちなみに「セメレ」はギリシャ神話からのもので、
ちなみに「セメレ」はギリシャ神話からのもので、
天上の世界の神ゼウスが恋したセメレという人間の女性が
自分も天上の者になろうとたくらんで、結果的にゼウスの怒りをかい、
雷に打たれて死んでしまう話。
非常に人間くさいもので、「淫らなオペラ」と言う異名まで付いている作品だ。
これを「オラトリオのマナーで」
非常に人間くさいもので、「淫らなオペラ」と言う異名まで付いている作品だ。
これを「オラトリオのマナーで」
と言う説明つきで受難節に演奏してしまうヘンデルが、
私はとても好きだ、と思った。
当然この作品、ロンドン初演でうまく行かず4回公演で打ち切り。
観客のお怒りを受け、オペラファンのためにイタリア語のアリアを追加、
当然この作品、ロンドン初演でうまく行かず4回公演で打ち切り。
観客のお怒りを受け、オペラファンのためにイタリア語のアリアを追加、
敬虔な信者のためにセクシーな表現などを削除したとか・・・
それもちょっと違う気がするが・・・
やっぱり結構、ヘンデルが好き、である。
それもちょっと違う気がするが・・・
やっぱり結構、ヘンデルが好き、である。