主に寺社彫刻を生業とした彫工(宮彫師)ですが、彼らの仕事の需要は施主に左右されました。
・施主の変遷
●第1期 施主は武士主体
江戸時代の前半期は、権力者である武士が施主となり、彼らから依頼された建造物を作ってきました。
代表建築物としては、日光東照宮になるかと思います。有力な彫工も「公儀彫物師」と名乗ったりしています。
・日光東照宮の旧社殿-世良田東照宮(群馬県太田市)
参 . . . 本文を読む
諏訪で有名な立川流も、元は大隅流になります。この大隅流ですがはっきりとした経歴がわかっておりません。
妻沼の聖天山の棟梁を務めた林兵庫正清が、最初に名乗ったのではないかと松本十徳氏は指摘しております。
●平ノ内大隅家と林兵庫家
(林兵庫、四代の正逢と正尊ですが同一人物の可能性があります。)
林兵庫は、平ノ内応勝の二男として延宝三年(1675)に生れました。父の応勝は将軍家光、家綱の霊廟を手掛 . . . 本文を読む
日光東照宮、世良田東照宮と紹介してきまして、次に紹介すべきは「妻沼の聖天山」です。国宝にも指定されている名建築物です。特に奥殿(本殿)は、三面に素晴らしい彫刻が施されています。
寛文10年(1670)に大火で焼失。享保5年(1720)に地元の大隅流大工・林兵庫頭藤原正清によって再建が計画され、享保20年(1735)に着工。途中工事が中断(寛保2年(1742)の洪水:信濃では『戌の満水』)されま . . . 本文を読む
群馬県太田市の世良田には、東照宮があります。ここには本殿と社殿があり、彫物は少ないため、現在の日光東照宮よりも見劣りするかもしれません。しかし、徳川家光により全面的に改修された日光東照宮ですが、改修前の旧社殿を、徳川氏の発祥とされるこの世良田の地に移築しました。すぐ近くには「新田家累代墓」、「徳川義孝公累代墓」があります。宮彫師の仕事の変遷を理解するには重要な場所になります。(当ブログ「上州の宮彫 . . . 本文を読む
当ブログの副題に「日光東照宮」が入っていますので、ベタですが紹介させて頂きます。
日光東照宮の宮彫(彩色)等の技術が、時代を経るにつれて一般に広がっていきます。
素晴らしい彫刻が盛りだくさんですが、創建当初はなかったとされています。
江戸時代には、東照宮内の設備に対する小修繕はほとんど毎年行われ、大きな修繕は何回かやっています。
歴史的には日光は昔から霊地で、満願寺(現 輪王寺)と二荒山神社があ . . . 本文を読む
Gooブログ「北信濃寺社彫刻と宮彫師」(2018年05月13日)の内容をこちらに引っ越ししました。上州彫工集団の概論を理解するのにお使いください。
埼玉妻沼の郷土史家で、妻沼聖天山歓喜院のガイド団体(あうんの会)の阿部修治氏から了解を得て、北関東で寺社彫刻文化を広げた上州彫工集団についての講演資料(平成25年7月)を、一部改変して掲載させて頂きます。上州彫工集団の入門編としてご利用ください。 . . . 本文を読む