北関東の宮彫・寺社彫刻(東照宮から派生した宮彫師集団の活躍)

『日光東照宮のスピリッツ』を受けついだ宮彫師たち

「大隅流の祖」棟梁・林兵庫正清 周辺

2018年11月20日 | 総論 
諏訪で有名な立川流も、元は大隅流になります。この大隅流ですがはっきりとした経歴がわかっておりません。
妻沼の聖天山の棟梁を務めた林兵庫正清が、最初に名乗ったのではないかと松本十徳氏は指摘しております。

●平ノ内大隅家と林兵庫家
(林兵庫、四代の正逢と正尊ですが同一人物の可能性があります。)


林兵庫は、平ノ内応勝の二男として延宝三年(1675)に生れました。父の応勝は将軍家光、家綱の霊廟を手掛け、兄の政治は東照宮の改修をしています。
平ノ内(大隅守)家は、四天王寺流(太子流)と名乗っています。正清は、妻沼の名門・林家に養子に入り、林兵庫正清と名乗り、出自(父:平内大隅守)から「大隅流」と名乗ったと推定されます。

●正清の挑戦、創意工夫
 林正清から始まった「大隅流」ですが、彼なりに新しい意匠に挑戦しています。松本十徳氏は、虹梁(水引、海老)の端の鯖尻の「跳ねかえり」(図)が特徴としています(松本氏は「鯖尻虹梁」と呼んでいますが、正確には鯖尻では表現が違うと思われます。)

図)上が鯖尻の「跳ねかえり」、下が通常の鯖尻(曲線)です。


 正清が始めたとされる鯖尻の「跳ねかえり」ですが、他の虹梁と一緒に紹介します。

・父 平ノ内大隅守応勝の大猷院(家光の霊廟)の虹梁-直線的


・林兵庫正清の妻沼聖天山奥殿-「跳ねかえり」があります。


・諏訪大隅流(柴宮長左衛門) の建造物の虹梁-通常の鯖尻


・諏訪立川流(立川冨棟)の虹梁-通常の鯖尻


・林兵庫正清の子、正信の妻沼聖天山の拝殿の虹梁--「跳ねかえり」があります。


この鯖尻の「跳ねかえり」は、「大隅流」の林兵庫の許可無しは使用はできなかったと、松本十徳氏は考えています。諏訪大隅流も、名前は大隅流ですが、虹梁に「跳ねかえり」が無い点を考慮しますと、本家の林兵庫家からは暖簾分けのような立場ではなかった可能性があります。

諏訪大隅流、諏訪立川流といわれますが、「大隅」、「立川」姓は宮彫ではなく大工の姓であり、この時代には格の高い大工の流派を名乗った方が都合が良かったかと思います。実際に、立川(初代)冨棟は、宮彫は小沢五右衛門から教わり、諏訪大隅流の祖・柴宮長左衛門も別の宮彫師(不明)から習ったと思われます。


●北関東の有力大工棟梁家-林家と三村家
・林兵庫家と三村家の系譜
林兵庫・五代正道は、三村家から養子に入っていて、両家の親密な関係が推定されます。


有力な大工棟梁には、宮彫師が従い、棟梁の指示の元、社寺建造物に装飾を加えました。
宮彫師の活躍を考える際に、彼らの上司であった大工棟梁の存在は無視できません。

・大工棟梁(林、三村家)と宮彫師(この時代には「彫工」ですが)
「青字」の名が宮彫師ですが、花輪の高松又八から始まり、その弟子が密接に関係を持っています。
石原常八・二代正信は数々の名彫刻を残していますが、高い技術も持ち、かつ林家、三村家と両方に関係していることが大きかったと思われます。
「明治の左甚五郎」高澤改之助(石原知信)ですが、林兵庫・六代正啓と尾島稲荷(群馬県太田市)を作っています。正啓の帝釈天設計に改之助も関与したと思います。実際には彼らの時代の次の世代で着工されます。






●林兵庫正清(初代) 
 妻沼聖天山をはじめ、宮彫師を重用し、装飾彫刻に富んだ「聖天造り」を広めた人物。北関東に装飾彫刻が多くあるのは正清の功績かもしれません。
・妻沼聖天山奥殿(詳細は、当ブログの以前の項、参照) 彫工:石原吟八郎 他




・三峯神社 旧護摩堂(国常立神社) 彫工:前原藤次郎 他




虹梁の鯖尻の「跳ねかえり」があります。


●林兵庫正信(二代)
・妻沼聖天山拝殿




・三峯神社拝殿   彫工:関口文治郎






●林兵庫正義(三代)
・三峯神社 随身門




●林兵庫正道(五代)
・妻沼聖天山 貴惣門   「虹梁の跳ねかえり」入れています。   








・光栄寺(大間々)本堂






●林兵庫正啓(六代)
・尾島稲荷神社(太田市)   虹梁には「跳ねかえり」が付いていて、初代の意匠を護っています。
 宮彫師は、高澤改之助(石原常八三代の長男)。


・柴又帝釈天の設計(工事は没後)



今回は、彫刻ではなく、本体構造物(虹梁)の鯖尻を中心に紹介しました。
恐らく、他にも「大隅流」の建造物は、この意匠というものがあると思います。他のものを比較して明らかになってくればと思います。


●参考文献
1.松本十徳:「利根川沿岸の造営文化」、群馬文化 207号、p51-58、昭和61年
2.松本十徳:「続・利根川沿岸の造営文化」、群馬文化 209号、p47-59、昭和62年
3、阿部修治:『甦る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡』、さきたま出版会、2011年

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