ラオス紀行 ~ 仏陀のいとし子の住まう国
目次
①旅の始まり
②カンボジア編
2.の1.カンプチア・アゲイン
2.の2.クバール・スピアン(『川の源流』の意)
2.の3.ベン・メリア(『花束の池』の意)
2.の4.トンレサップ湖
2.の5.ガイド列伝
③南ラオス編
3.の1.ラオスへ、ワット・プー
3.の2.大メコンの滝、四千もの川中島
3.の3.いかだみたいなフェリーボート
3.の4.ラオスのファランたち
3.の5.南ラオスのガイド君、自然体の猫
3.の6.モン族の悲劇
④北ラオス編
4.の1.ルアンパバーン
4.の2.ムアンゴイのニンニンハウス
4.の3.ムアンゴイ村散策
4.の4.パラボラアンテナ
4.の5.ボーペンニャン
4.の6.オー・マイ・ブッダ、だまされた!
4.の7.野菜、ステーキ、そしてカオ・ニャオ
⑤番外編
番外編~ハノイの足うらマッサージ
④北ラオス編
④ の1.ルアンパバーン
ルアンパバーン(旧名、ルアンプラバーン)は1995年、ユネスコによって町全体が世界遺産に登録されました。この町は、ビエンチャンに移るまでこの国の首都でした。小さな町には八十もの寺があります。一六世紀に建てられたワット・シェントーン(美しい屋根が特長)、ワット・イスナラット、ワット・マエ等には大勢のお坊さんが住んでいて、修行をしています。町の中心にルアンパバーンを一望できる高さ150m(海抜700m、階段328段)の小山(プーシーと呼ばれる。)があり、頂上にはお寺があります。そこから見ると、この町がメコン川とナムカーン川が合流する所に作られているのがよく分かる。夕暮れ時、町の家々は長い影を落とし、遠くの丘にある黄金色のパゴタが夕陽に輝くころ、夕食の支度をする白い煙があちらこちらから上がり、子供たちが遊び疲れて家路につく。そんなたそがれ時の、華やいだ人の声が風に乗って丘の上へフッと上がってきます。小山の上の狭いスペースは夕陽見物の観光客で一杯です。
さて陽も落ちて丘から降りると、あらら、街が一変しています。静かな通りだった所が、一面縁日のような路上店舗街に変わっている。このにわか市場は車道、歩道を全てふさいで2列、売り手はほとんど全員が女性で、モン族、カム族、アカ族等の山岳民族。売っている商品は衣料品、布地、バック、土産の小物類。デザインの優れた美しい布がランプの光に照らされて美しい。大胆な色使い、部族固有の伝統ある文様。売り手のモン族の少女(店長)はラーオ人と違って照れたりせず、逆にこっちが照れちゃうほどまっすぐ見つめてきて、値引きの駆け引きもなかなかに手厳しい。ラーオよりモンの方が日本人的な顔立ちで頭良さそう。で、どちらもかわいい。
夜市には、ファランがたくさん来ていてワクワクするような活気があります。僕らも土産品と防寒用の上着を買いました。さらに横丁の路地には焼き鳥、焼き魚等の屋台が並んでいた。四十センチくらいの魚は臭みがなく、タイのような味でした。焼き鳥はウメー、これは絶品。日本の鶏肉が食えなくなる。ラオスの国産ビールは2つ。ビアラオとタイガービールですが、ほとんどがビアラオ。これがまた良い。タイ、カンボジアのビールより数段上等でしかも安い。大ビンで8,000キープ(約九十円)、缶と小ビンもあります。小ビンでは、普通のビールの他に黒ビール(アルコール度6.5度)もある。なんで輸出しないんだろ。
④の2.ニンニンハウス
ルアンパバーンからノーンキャウを経てムアンゴイ村へ行き一泊しました。ノーンキャウまでは車で3時間半、ノーンキャウからムアンゴイへは乗り合い舟で1時間。ガイドのテッさん(この人の日本語は会社の若い衆より立派)が、『山紫水明』と形容していた通り、ナムウー川(メコンの支流)の両岸は水際から木の茂った緑の山また山。ナムウー川の澄んだ水は、山と山の狭間を静かに流れています。両岸は太古からの自然がありのままに残っていて美しい。水は深い緑色で所々急流になっている。川の中に砂州や小島があり水の流れに変化を与えている。山の形は舟が進むにつれ次々にその姿を変え、空は深く蒼く澄み、様々な形をした白雲が宙に浮き、刻々とまたその形を変える。水牛が川辺で憩い、岸近くに魚を取る網が仕掛けられ、川沿いの斜面に細竹で囲われた小さな畑が見えるが、岸には人の姿が見えない。舟の中はひざを互い違いに立ててやっと腰を下ろすほど狭いが、大半はフランス人の若者で途中からギターを爪弾いて歌い始めた。
僕らの前には姉妹なのでしょう。よく似たこの土地に住む2人の女性と赤ちゃんがいて、この赤ちゃんがまた人なつっこい。でも途中でぐずり出したら、お母さんが服をまくっておっぱいをやり始めた。お母さんでない方の娘さんにとっては、この赤ちゃんは姪なのでしょう。もうかわいくてしょうがない、といった風情でチューして抱っこして、最後まで離しませんでした。
ムアンゴイの住民は山岳民族の人たちで、ニンニンハウスのニンニンはゲストハウスの長女の名前でした。最初ミンミンハウスと間違え、誰に聞いても場所が分からず困った。ちなみに次女はトーニャ。小学校4年と2年くらいの元気な姉妹で、僕らの食事時の給仕は彼女達が実に楽しそうにやるので、すっかり仲良くなりました。お母さんは美人だがきつい感じで、お父さんはやさしそう。村の舟着き場に長い石の階段があり、水際ではいつも誰かが洗濯をしている。川にひざまでつかって前かがみになり、髪を洗っている女の子もいます。石鹸はどしどし使っていますが、大きな川の流れはその程度の汚れ、ものともしません。
④ の3.ムアンゴイ村散策
ムアンゴイ村にはかなり立派なお寺があり、ここにレース用の細長いボートが格納されていました。このボート三十四人乗りで村対抗のボートレースで使われます。ルアンパバーンのワット・シェントーンにもありました。これは興奮するだろうな。村の名誉、男たちの意地が懸かっているんだから。ボートレースは祭りのメインイベント。娘たちも着飾るのかな。ごちそうもたくさん出るんだろう。
ムアンゴイで漁師を雇い、釣りに行ったのですが、川の中の真っ白い砂州に上陸した。川が大きく蛇行して流れがよどんでいる。水面に岸の木々の影が差していて、いかにも釣れそうな雰囲気はあったのですが、ルアーを投げても投げても、全くアタリが無い。一時間で止めました。エンジンのない小舟で、漁師の青年は上流を目指して櫂を漕ぎ、岸近くでは長竹を川底に差して小舟を押し出し、流れの速い所ではついにパンツ一丁になり、胸まで川の中につかって歩いて舟を押す。水は割りと冷たいので、これは大変です。行く時には三十分はかかったのですが、帰りは流れに乗って十分もかかりませんでした。現在のエンジン付きのボートが出来る前は大変だったことでしょう。増水期はさかのぼれなかったと思う。
ムアンゴイには自動車道路が通じていません。川からしかこの村へは行けない。十九世紀にこの地方を探検し、アンコール・ワットを欧州に紹介したフランスの博物学者、アンリ・ムオの墓はラオスにあるのですが、象とボートを乗り継いだその旅は、さぞ苦労したことでしょう。しかしムアンゴイ村には見たことのないきれいな蝶が舞っていたから、学者にとっては宝の山なんだろうな。彼は熱病にかかりこの地で果てるのですが、案外その最期は、土地の人たちに親切に看病されたのではないでしょうか。そう思いたいですね。彼の本を読んでその人柄が好きになりました。この村には電気が来ていないので、夜だけ自家発電をしていましたが、村の明かりはほとんど無いに等しいため満天の星を期待したのですが、山霧か薄雲かに覆われて見えなかったのが残念です。
④ の4. パラボラアンテナ
この国を車で走ると、2つの事に気がつきます。空がきれい。雲がきれい。ではなく、人工的なものですが、相当な奥地でも、山の中でも電線が通じていること。またメコン川でも他の川でも長い電線を川の上に渡しています。電線は、通過する舟にその存在を知らせるゴムボールのような目印をつけています。
それと家々の庭にあるパラボラアンテナです。風が吹けば吹っ飛びそうなボロ家でも庭には立派なアンテナが置いてある。これは中国製で一万円ほどするそうです。これを一度買えばタイのホームドラマやムエタイが楽しめる。ケーブルTV もありますが、こちらは毎月お金がかかるから、お金持ちでないと入れない。ラオスで一番人気のある仕事は公務員で、月給は最初の3年間は六十ドル、その後百ドルになり、民間の会社に勤めるガイドさんの月給は六十ドル位です。けれども百ドルはするパラボラアンテナが無数に売れている。中国人が最初にこの国で売り始めた時は、宝の山を掘り当てた気分だった事でしょう。
ちなみに外国人が始めて日本に来て驚くことは、自分の経験では二つ。最初は、空港を出て直ぐの道路沿いに立ち並ぶ異様な建物群について。エッフェル塔に自由の女神、「なんじゃい、あれは」あれはラブホというもので、と説明すると、涙を流して大笑い。日本人好きねー。さてもう一つは自動販売機の数の異常な多さ。まあそれだけ治安が良いのでしょう。ラオスも治安が良いせいか、お巡りさんと軍人を空港以外では、全く見なかった。
TVの話しですが、ラオス語とタイ語は方言くらいの差なんです。特に東北タイとラオスではさほど違わない。ラオスの放送局はドラマを作るほどの予算と実力はないので、ラオスではみんなタイのドラマを見ます。従ってタイ人はラオス語が分からなくても、ラオス人はタイ語が分かる。バーベキュー屋の娘達もドラマに夢中で注文を聞いていない。
④.の5 ボーペンニャン
ケ・セラ・セラって知っていますか?タイ語でマイ・ペン・ライは?まあ、南国の言葉で、意味は「成るようになるさ」とか、「あせってみたってしょーがないでしょ。気楽にいこーよ。」「Take it easy! Let it be!」「明日は明日の風が吹く、ドンマイ」なんてところでしょうか。スペイン等ラテン系の国でよくマニャーナ(明日)とやられますが、マニャーナが怠惰な空気を持っているのに対し、ボーペンニャンには突き抜けた明るさがあります。許容、寛容の精神です。あと執着しない心ですね。同じ意味の言葉がカンボジアでは、「アンパニアン」ラオスでは「ボーペンニャン」です。僕らも旅行中、小さなトラブルに会う度にボーペンニャン。パクセーからルアンパバーンに行く飛行機が、理由も知らされずにビエンチャン空港に降り、飛行機を乗り換えて2時間遅れてもボーペンニャン。ホテルでお湯が出ず、仕方なく水でシャワーを浴びてもボーペンニャン。この言葉、仕事で取引先に聞かされたら腹が立つかもしれないが、自分で口癖にすると毎日が楽しくなってくる。日本語には無いね。およそ正反対の社会だもんね。二十四時間戦う競争社会では、このような言葉は害毒になる。ボーペンニャンには仏教の諦観、無常観、輪廻転生の教え、しょせんこの世は仮の宿、といった意識があるような気がする。でもそんな事、どうでもボーペンニャンかも。
④ の6.オー・マイ・ブッダ、だまされた!
ルアンパバーンで僕らは見事にだまされた。この町の名物は八十もある寺からあふれ出るお坊さんの朝の托鉢。これは見過ごせないぜ、というわけで早起きし、5:20にホテルを出て、通りかかったトュクトュクに乗ってワット・シェントーンへ行った。ガイドブックに、この寺の近くが一番行列が多いと書いてあった。ところが到着すると真っ暗で誰もいやしない。トュクトュクの運転手も、いいのこんな時間に、ここで、という風情でした。たくさん着込んでいたので寒くはないが寂しいこと。お寺だってまだ寝てるじゃん。コーヒー飲みてー。けど自販機があるでなし。二十分ほど待っていたら、町の中心の方で人がチラホラしだしたので、そちらへ移動を開始。途中で親切なおばさんに会い話しをする。
そのおばさん、なんと自分たちが用意した薄敷(ゴザ)に僕らを座らせてくれた。そんな敷物一枚でも石畳の冷たさを遮断してくれる。おばさんは僕らに大きなざるを持たせ、通常よりずっと大きなもち米のバスケット、モンキーバナナ、ビスケットを山のように盛り上げ、ハスの花を持たせた。お坊さんが来たら、もち米を小さくちぎり、バナナかビスケット(小袋入り)をセットで渡すんだよ、と言っている(言葉は分からないが、大きなジェスチャーで分かる。)おばさん何て親切なんだ。自分たちが用意したお供えを外国人の僕らに渡しちゃっていいの。でもそれはとんでもない誤解だった事が、坊さんの列が動き始めた時に分かった。「ファイブダラー」「ファイブダラー」ここが勝負と、おばさん形相が変わっている。声も2オクターブ低くなりドスが入った。『金取るんかい!』托鉢の列は延々と続き、僕らは食物の供給作業に熱中した。『手洗ってないんだけど。』それどころじゃあない。しばらくして面倒くさくなり、もち米だけ、バナナだけを鉢に入れていたら、「それじゃ駄目。両方入れろ。」とうるさい。早く終えて写真を撮ろうとしたら、別の太ったおばちゃんがタタタとやってきて、ほとんど空になったザルにバナナをドサドサ入れる。止めろ。止めろ。もう終わるんじゃい。この2人のおばちゃんに金をむしり取られ(ラオスの紙幣でゴソっと根こそぎ、それこそ一枚残らず取られた。但し総額三百円ちょっとだったのを知っている。)あと1ドル札を数枚渡してやっとこさ開放。相棒は、『こいつのほうがガードが甘い。』とすかさず見て取ったオバン2人に左右から詰め寄られアップアップになっている。回りを見れば他のオバン軍団に取り込まれたファランが憮然として座っていた。うかつだった。ラオスでなかったらもっと用心していたに違いない。
「1ドル札以外あげちゃ駄目だよ。」と言い捨て、あっさり相棒を置き去りにして走った。ガイドブックには書いてあったけど、ここははずれじゃん。お坊さんのオレンジ軍団の行進は、町の中心の方が多い。やってる。やってる。こちらでは真面目に寄進をする町の人がたくさんいて、お坊さんは鉢がもち米で一杯になっている。逆にお坊さんの列の前に大きな鉢を置いて手を合わせている子供たちがいる。するとお坊さんが自分の鉢からもち米をちぎって子供たちの鉢に次々に入れていく。かわいらしい女の子の鉢に、一番小さな小坊主がトトトっと走っていって、自分の鉢からソフトボール大のもち米をゴソッと入れた。珍念さんみたいな小坊主はあの子が好きなんだろうな。この制度はいいな。貧しい子供たちはこれを家に持ち帰って家族みんなで食べるんだな。もち米おいしいもんね。
朝の托鉢は、ムアンゴイ村でも見ましたが、この村のお坊さんは総勢でも十五名程度。差し上げている村人も七~八人で素朴なものでした。
④ の7. 野菜、ステーキ、そしてカオ・ニャオ
ラオスの食事はおいしかった。ニンジン、じゃが芋、ブロッコリー、青菜に蓮根といった野菜に歯ごたえがあって味が濃く、しみじみうまい。小さなダイコン、竹の子もあります。あと鶏肉、卵がまたおいしい。こっちのニワトリはえらそうに胸を張って夜でも鳴いているだけのことはある。ステーキを食いました。何せ牛、ブタ、チキンが同じ値段なので、僕らとしてはどうしてもステーキをたのんでしまうんですね。うまかったし量もでかいし、突き出しのポテトフライもおいしい。でもその後、今日は牛肉が無い、というケースが多かった。あの草の上で休んでいる年寄り牛もそうそう殺される訳にはいかないのでしょう。
ラオスの主食はもち米です。こちらの言葉でカオ・ニャオといいます。縦長、円筒状の竹で編んだフタ付きのバスケットに入れて蒸します。お赤飯のプレーンバージョンで、手でちぎって食べる。もち米の田んぼはたくさんありましたが、時期的に収穫を終えたばかりで、脱穀作業をしていました。普通の白いお米はカオ・チャーオ、パン(フランスパン中心)はカオ・チーといいます。パンもいけますよ。
旅行中毎日よく歩いたし、朝はたいてい食べ放題、くだものも一杯(スイカ、マンゴー、ジャックフルーツ、パパイヤ、マンゴースチン等等)あっておいしい、おいしいと食べ続けた結果、帰国して銭湯に行ったら三キロも太っていた。これはまずい。カミさんには黙っていよ。変わったところでは、ドライバーが頼んだオカズのネズミを食べてみたが、味付けが濃くてネズミの肉の味がよく分からなかった。ラオスコーヒーは、うーん今いち。
⑤番外編~ハノイの足うらマッサージ
楽しい旅行も最終日。この日は象さんツアーを申し込み、照葉樹林の中の小道や浅い川の中を象に乗って1時間半ほど散歩し、夕方ベトナム航空に乗ってハノイへたちました。ガイドさんに、急に飛行機がタイ航空に代わったりしますよ。と言われていたが何事もなく、ルアンパバーンを出てほぼ定刻十八時ごろハノイに着いた。さすがにこの空港はでかくて、土産物もラオスの百倍はあります。ですがここで日本へ出発する便(00:05)を6時間待たなければならない。ベトナム航空がくれた夕食券で食べたミートソースはひどい代物でした。ゆですぎた麺がトマトスープに浮いていた。時間つぶしをする所はフットマッサージくらいしかない。映画館でもあれば良いのに。この店朝8時から深夜2時までやっているそうです。料金は20分8ドル、30分12ドル、60分16ドルだったかな。三十分コースを申し込みました。なかなかにかわいいベトナム娘がそろっています。
自分についた女性は(指名制ではない。)ちょいと年増のお姉さん。お湯に岩塩を入れた器に、足を入れて清めた後、お姉さんがマッサージを始めました。彼女に限らず、ここで働くお姉さん達は英語があんまりしゃべれない。そういう人と勘を働かせてコミュニケートするのは割りと得意なので、彼女と意気投合して楽しい時間が持てたけれども、いかんせん片言会話で三十分は長い。
それよりもなーんて気持ちいいんだろう。足うらマッサージは日本で1、2回受けただけだが、その時の経験ではかなり痛いものだった。ここでは痛みはちょっとだけで、オイルを塗ってふくらはぎにまでするマッサージが実に心地よい。半分ほど時間が過ぎた頃、日本人の親父が入ってきた。五十代後半位でメガネをかけ長身痩せ型。
濃紺色のスーツにアタッシュケース。現地合弁工場に視察と打ち合わせにでも来たんだろうか。店長のような男性がシステムを説明するが、よく解っていないもよう。やおらスーツを脱ぐと、あららワイシャツまで脱いじゃった。フットマッサージだよ。さらにズボンを脱いだ(普通はめくるだけ)。この暑い国でステテコをはき、前でボタンを留めるテキ屋のおっさんみたいなシャツを着ている。店長が足を入れる器をセッティングしていると、唐突に「レディー、レディー」と叫びだした。店長がマッサージをすると思ったらしい。子供っぽい女の子がおそるおそるステテコ親父のマッサージを始めた。すると親父「Can you speak English?」を連発。女の子がビビッて小さな声で、pain?(痛くありませんか?)とか、How do you feel?(いかがですか?)とか言っているのに親父には全く通ぜず、「English English」と吠える。
自分のところの姉御肌が助け舟を出し、「後十分したら自分が代わります。」と話しかけても全く聞いていない。どうやら親父は英語が全く聞き取れないらしい。いやーこの先どうなるのかな、と思ったが自分はステテコを残してタイムアップ。本当に丁寧で気持ちのよいマッサージでした。
さて、この一文を読んでちょっとラオスに興味を持った諸君。ラオスに関連する本を3冊紹介するから、よかったら読んでみて下さい。
一、集英社文庫、椎名誠 『メコン・黄金水道をゆく』
二、幻冬舎文庫、たかのゆりこ 『モンキームーンの輝く夜に』
三、KKベストセラーズ 高野秀行 『極楽タイ暮らし』
(これはタイ人気質に関する本だが、ラオス人もほぼ同じ)
アジアの仏教徒が静かに暮らす国、ラオスは資本主義の基準からすれば最貧国なのだろうが、大らかで純粋な心を持つ人々が住まう自然の豊かな国でした。また訪れたいと思います。この国に惚れました。
目次
①旅の始まり
②カンボジア編
2.の1.カンプチア・アゲイン
2.の2.クバール・スピアン(『川の源流』の意)
2.の3.ベン・メリア(『花束の池』の意)
2.の4.トンレサップ湖
2.の5.ガイド列伝
③南ラオス編
3.の1.ラオスへ、ワット・プー
3.の2.大メコンの滝、四千もの川中島
3.の3.いかだみたいなフェリーボート
3.の4.ラオスのファランたち
3.の5.南ラオスのガイド君、自然体の猫
3.の6.モン族の悲劇
④北ラオス編
4.の1.ルアンパバーン
4.の2.ムアンゴイのニンニンハウス
4.の3.ムアンゴイ村散策
4.の4.パラボラアンテナ
4.の5.ボーペンニャン
4.の6.オー・マイ・ブッダ、だまされた!
4.の7.野菜、ステーキ、そしてカオ・ニャオ
⑤番外編
番外編~ハノイの足うらマッサージ
④北ラオス編
④ の1.ルアンパバーン
ルアンパバーン(旧名、ルアンプラバーン)は1995年、ユネスコによって町全体が世界遺産に登録されました。この町は、ビエンチャンに移るまでこの国の首都でした。小さな町には八十もの寺があります。一六世紀に建てられたワット・シェントーン(美しい屋根が特長)、ワット・イスナラット、ワット・マエ等には大勢のお坊さんが住んでいて、修行をしています。町の中心にルアンパバーンを一望できる高さ150m(海抜700m、階段328段)の小山(プーシーと呼ばれる。)があり、頂上にはお寺があります。そこから見ると、この町がメコン川とナムカーン川が合流する所に作られているのがよく分かる。夕暮れ時、町の家々は長い影を落とし、遠くの丘にある黄金色のパゴタが夕陽に輝くころ、夕食の支度をする白い煙があちらこちらから上がり、子供たちが遊び疲れて家路につく。そんなたそがれ時の、華やいだ人の声が風に乗って丘の上へフッと上がってきます。小山の上の狭いスペースは夕陽見物の観光客で一杯です。
さて陽も落ちて丘から降りると、あらら、街が一変しています。静かな通りだった所が、一面縁日のような路上店舗街に変わっている。このにわか市場は車道、歩道を全てふさいで2列、売り手はほとんど全員が女性で、モン族、カム族、アカ族等の山岳民族。売っている商品は衣料品、布地、バック、土産の小物類。デザインの優れた美しい布がランプの光に照らされて美しい。大胆な色使い、部族固有の伝統ある文様。売り手のモン族の少女(店長)はラーオ人と違って照れたりせず、逆にこっちが照れちゃうほどまっすぐ見つめてきて、値引きの駆け引きもなかなかに手厳しい。ラーオよりモンの方が日本人的な顔立ちで頭良さそう。で、どちらもかわいい。
夜市には、ファランがたくさん来ていてワクワクするような活気があります。僕らも土産品と防寒用の上着を買いました。さらに横丁の路地には焼き鳥、焼き魚等の屋台が並んでいた。四十センチくらいの魚は臭みがなく、タイのような味でした。焼き鳥はウメー、これは絶品。日本の鶏肉が食えなくなる。ラオスの国産ビールは2つ。ビアラオとタイガービールですが、ほとんどがビアラオ。これがまた良い。タイ、カンボジアのビールより数段上等でしかも安い。大ビンで8,000キープ(約九十円)、缶と小ビンもあります。小ビンでは、普通のビールの他に黒ビール(アルコール度6.5度)もある。なんで輸出しないんだろ。
④の2.ニンニンハウス
ルアンパバーンからノーンキャウを経てムアンゴイ村へ行き一泊しました。ノーンキャウまでは車で3時間半、ノーンキャウからムアンゴイへは乗り合い舟で1時間。ガイドのテッさん(この人の日本語は会社の若い衆より立派)が、『山紫水明』と形容していた通り、ナムウー川(メコンの支流)の両岸は水際から木の茂った緑の山また山。ナムウー川の澄んだ水は、山と山の狭間を静かに流れています。両岸は太古からの自然がありのままに残っていて美しい。水は深い緑色で所々急流になっている。川の中に砂州や小島があり水の流れに変化を与えている。山の形は舟が進むにつれ次々にその姿を変え、空は深く蒼く澄み、様々な形をした白雲が宙に浮き、刻々とまたその形を変える。水牛が川辺で憩い、岸近くに魚を取る網が仕掛けられ、川沿いの斜面に細竹で囲われた小さな畑が見えるが、岸には人の姿が見えない。舟の中はひざを互い違いに立ててやっと腰を下ろすほど狭いが、大半はフランス人の若者で途中からギターを爪弾いて歌い始めた。
僕らの前には姉妹なのでしょう。よく似たこの土地に住む2人の女性と赤ちゃんがいて、この赤ちゃんがまた人なつっこい。でも途中でぐずり出したら、お母さんが服をまくっておっぱいをやり始めた。お母さんでない方の娘さんにとっては、この赤ちゃんは姪なのでしょう。もうかわいくてしょうがない、といった風情でチューして抱っこして、最後まで離しませんでした。
ムアンゴイの住民は山岳民族の人たちで、ニンニンハウスのニンニンはゲストハウスの長女の名前でした。最初ミンミンハウスと間違え、誰に聞いても場所が分からず困った。ちなみに次女はトーニャ。小学校4年と2年くらいの元気な姉妹で、僕らの食事時の給仕は彼女達が実に楽しそうにやるので、すっかり仲良くなりました。お母さんは美人だがきつい感じで、お父さんはやさしそう。村の舟着き場に長い石の階段があり、水際ではいつも誰かが洗濯をしている。川にひざまでつかって前かがみになり、髪を洗っている女の子もいます。石鹸はどしどし使っていますが、大きな川の流れはその程度の汚れ、ものともしません。
④ の3.ムアンゴイ村散策
ムアンゴイ村にはかなり立派なお寺があり、ここにレース用の細長いボートが格納されていました。このボート三十四人乗りで村対抗のボートレースで使われます。ルアンパバーンのワット・シェントーンにもありました。これは興奮するだろうな。村の名誉、男たちの意地が懸かっているんだから。ボートレースは祭りのメインイベント。娘たちも着飾るのかな。ごちそうもたくさん出るんだろう。
ムアンゴイで漁師を雇い、釣りに行ったのですが、川の中の真っ白い砂州に上陸した。川が大きく蛇行して流れがよどんでいる。水面に岸の木々の影が差していて、いかにも釣れそうな雰囲気はあったのですが、ルアーを投げても投げても、全くアタリが無い。一時間で止めました。エンジンのない小舟で、漁師の青年は上流を目指して櫂を漕ぎ、岸近くでは長竹を川底に差して小舟を押し出し、流れの速い所ではついにパンツ一丁になり、胸まで川の中につかって歩いて舟を押す。水は割りと冷たいので、これは大変です。行く時には三十分はかかったのですが、帰りは流れに乗って十分もかかりませんでした。現在のエンジン付きのボートが出来る前は大変だったことでしょう。増水期はさかのぼれなかったと思う。
ムアンゴイには自動車道路が通じていません。川からしかこの村へは行けない。十九世紀にこの地方を探検し、アンコール・ワットを欧州に紹介したフランスの博物学者、アンリ・ムオの墓はラオスにあるのですが、象とボートを乗り継いだその旅は、さぞ苦労したことでしょう。しかしムアンゴイ村には見たことのないきれいな蝶が舞っていたから、学者にとっては宝の山なんだろうな。彼は熱病にかかりこの地で果てるのですが、案外その最期は、土地の人たちに親切に看病されたのではないでしょうか。そう思いたいですね。彼の本を読んでその人柄が好きになりました。この村には電気が来ていないので、夜だけ自家発電をしていましたが、村の明かりはほとんど無いに等しいため満天の星を期待したのですが、山霧か薄雲かに覆われて見えなかったのが残念です。
④ の4. パラボラアンテナ
この国を車で走ると、2つの事に気がつきます。空がきれい。雲がきれい。ではなく、人工的なものですが、相当な奥地でも、山の中でも電線が通じていること。またメコン川でも他の川でも長い電線を川の上に渡しています。電線は、通過する舟にその存在を知らせるゴムボールのような目印をつけています。
それと家々の庭にあるパラボラアンテナです。風が吹けば吹っ飛びそうなボロ家でも庭には立派なアンテナが置いてある。これは中国製で一万円ほどするそうです。これを一度買えばタイのホームドラマやムエタイが楽しめる。ケーブルTV もありますが、こちらは毎月お金がかかるから、お金持ちでないと入れない。ラオスで一番人気のある仕事は公務員で、月給は最初の3年間は六十ドル、その後百ドルになり、民間の会社に勤めるガイドさんの月給は六十ドル位です。けれども百ドルはするパラボラアンテナが無数に売れている。中国人が最初にこの国で売り始めた時は、宝の山を掘り当てた気分だった事でしょう。
ちなみに外国人が始めて日本に来て驚くことは、自分の経験では二つ。最初は、空港を出て直ぐの道路沿いに立ち並ぶ異様な建物群について。エッフェル塔に自由の女神、「なんじゃい、あれは」あれはラブホというもので、と説明すると、涙を流して大笑い。日本人好きねー。さてもう一つは自動販売機の数の異常な多さ。まあそれだけ治安が良いのでしょう。ラオスも治安が良いせいか、お巡りさんと軍人を空港以外では、全く見なかった。
TVの話しですが、ラオス語とタイ語は方言くらいの差なんです。特に東北タイとラオスではさほど違わない。ラオスの放送局はドラマを作るほどの予算と実力はないので、ラオスではみんなタイのドラマを見ます。従ってタイ人はラオス語が分からなくても、ラオス人はタイ語が分かる。バーベキュー屋の娘達もドラマに夢中で注文を聞いていない。
④.の5 ボーペンニャン
ケ・セラ・セラって知っていますか?タイ語でマイ・ペン・ライは?まあ、南国の言葉で、意味は「成るようになるさ」とか、「あせってみたってしょーがないでしょ。気楽にいこーよ。」「Take it easy! Let it be!」「明日は明日の風が吹く、ドンマイ」なんてところでしょうか。スペイン等ラテン系の国でよくマニャーナ(明日)とやられますが、マニャーナが怠惰な空気を持っているのに対し、ボーペンニャンには突き抜けた明るさがあります。許容、寛容の精神です。あと執着しない心ですね。同じ意味の言葉がカンボジアでは、「アンパニアン」ラオスでは「ボーペンニャン」です。僕らも旅行中、小さなトラブルに会う度にボーペンニャン。パクセーからルアンパバーンに行く飛行機が、理由も知らされずにビエンチャン空港に降り、飛行機を乗り換えて2時間遅れてもボーペンニャン。ホテルでお湯が出ず、仕方なく水でシャワーを浴びてもボーペンニャン。この言葉、仕事で取引先に聞かされたら腹が立つかもしれないが、自分で口癖にすると毎日が楽しくなってくる。日本語には無いね。およそ正反対の社会だもんね。二十四時間戦う競争社会では、このような言葉は害毒になる。ボーペンニャンには仏教の諦観、無常観、輪廻転生の教え、しょせんこの世は仮の宿、といった意識があるような気がする。でもそんな事、どうでもボーペンニャンかも。
④ の6.オー・マイ・ブッダ、だまされた!
ルアンパバーンで僕らは見事にだまされた。この町の名物は八十もある寺からあふれ出るお坊さんの朝の托鉢。これは見過ごせないぜ、というわけで早起きし、5:20にホテルを出て、通りかかったトュクトュクに乗ってワット・シェントーンへ行った。ガイドブックに、この寺の近くが一番行列が多いと書いてあった。ところが到着すると真っ暗で誰もいやしない。トュクトュクの運転手も、いいのこんな時間に、ここで、という風情でした。たくさん着込んでいたので寒くはないが寂しいこと。お寺だってまだ寝てるじゃん。コーヒー飲みてー。けど自販機があるでなし。二十分ほど待っていたら、町の中心の方で人がチラホラしだしたので、そちらへ移動を開始。途中で親切なおばさんに会い話しをする。
そのおばさん、なんと自分たちが用意した薄敷(ゴザ)に僕らを座らせてくれた。そんな敷物一枚でも石畳の冷たさを遮断してくれる。おばさんは僕らに大きなざるを持たせ、通常よりずっと大きなもち米のバスケット、モンキーバナナ、ビスケットを山のように盛り上げ、ハスの花を持たせた。お坊さんが来たら、もち米を小さくちぎり、バナナかビスケット(小袋入り)をセットで渡すんだよ、と言っている(言葉は分からないが、大きなジェスチャーで分かる。)おばさん何て親切なんだ。自分たちが用意したお供えを外国人の僕らに渡しちゃっていいの。でもそれはとんでもない誤解だった事が、坊さんの列が動き始めた時に分かった。「ファイブダラー」「ファイブダラー」ここが勝負と、おばさん形相が変わっている。声も2オクターブ低くなりドスが入った。『金取るんかい!』托鉢の列は延々と続き、僕らは食物の供給作業に熱中した。『手洗ってないんだけど。』それどころじゃあない。しばらくして面倒くさくなり、もち米だけ、バナナだけを鉢に入れていたら、「それじゃ駄目。両方入れろ。」とうるさい。早く終えて写真を撮ろうとしたら、別の太ったおばちゃんがタタタとやってきて、ほとんど空になったザルにバナナをドサドサ入れる。止めろ。止めろ。もう終わるんじゃい。この2人のおばちゃんに金をむしり取られ(ラオスの紙幣でゴソっと根こそぎ、それこそ一枚残らず取られた。但し総額三百円ちょっとだったのを知っている。)あと1ドル札を数枚渡してやっとこさ開放。相棒は、『こいつのほうがガードが甘い。』とすかさず見て取ったオバン2人に左右から詰め寄られアップアップになっている。回りを見れば他のオバン軍団に取り込まれたファランが憮然として座っていた。うかつだった。ラオスでなかったらもっと用心していたに違いない。
「1ドル札以外あげちゃ駄目だよ。」と言い捨て、あっさり相棒を置き去りにして走った。ガイドブックには書いてあったけど、ここははずれじゃん。お坊さんのオレンジ軍団の行進は、町の中心の方が多い。やってる。やってる。こちらでは真面目に寄進をする町の人がたくさんいて、お坊さんは鉢がもち米で一杯になっている。逆にお坊さんの列の前に大きな鉢を置いて手を合わせている子供たちがいる。するとお坊さんが自分の鉢からもち米をちぎって子供たちの鉢に次々に入れていく。かわいらしい女の子の鉢に、一番小さな小坊主がトトトっと走っていって、自分の鉢からソフトボール大のもち米をゴソッと入れた。珍念さんみたいな小坊主はあの子が好きなんだろうな。この制度はいいな。貧しい子供たちはこれを家に持ち帰って家族みんなで食べるんだな。もち米おいしいもんね。
朝の托鉢は、ムアンゴイ村でも見ましたが、この村のお坊さんは総勢でも十五名程度。差し上げている村人も七~八人で素朴なものでした。
④ の7. 野菜、ステーキ、そしてカオ・ニャオ
ラオスの食事はおいしかった。ニンジン、じゃが芋、ブロッコリー、青菜に蓮根といった野菜に歯ごたえがあって味が濃く、しみじみうまい。小さなダイコン、竹の子もあります。あと鶏肉、卵がまたおいしい。こっちのニワトリはえらそうに胸を張って夜でも鳴いているだけのことはある。ステーキを食いました。何せ牛、ブタ、チキンが同じ値段なので、僕らとしてはどうしてもステーキをたのんでしまうんですね。うまかったし量もでかいし、突き出しのポテトフライもおいしい。でもその後、今日は牛肉が無い、というケースが多かった。あの草の上で休んでいる年寄り牛もそうそう殺される訳にはいかないのでしょう。
ラオスの主食はもち米です。こちらの言葉でカオ・ニャオといいます。縦長、円筒状の竹で編んだフタ付きのバスケットに入れて蒸します。お赤飯のプレーンバージョンで、手でちぎって食べる。もち米の田んぼはたくさんありましたが、時期的に収穫を終えたばかりで、脱穀作業をしていました。普通の白いお米はカオ・チャーオ、パン(フランスパン中心)はカオ・チーといいます。パンもいけますよ。
旅行中毎日よく歩いたし、朝はたいてい食べ放題、くだものも一杯(スイカ、マンゴー、ジャックフルーツ、パパイヤ、マンゴースチン等等)あっておいしい、おいしいと食べ続けた結果、帰国して銭湯に行ったら三キロも太っていた。これはまずい。カミさんには黙っていよ。変わったところでは、ドライバーが頼んだオカズのネズミを食べてみたが、味付けが濃くてネズミの肉の味がよく分からなかった。ラオスコーヒーは、うーん今いち。
⑤番外編~ハノイの足うらマッサージ
楽しい旅行も最終日。この日は象さんツアーを申し込み、照葉樹林の中の小道や浅い川の中を象に乗って1時間半ほど散歩し、夕方ベトナム航空に乗ってハノイへたちました。ガイドさんに、急に飛行機がタイ航空に代わったりしますよ。と言われていたが何事もなく、ルアンパバーンを出てほぼ定刻十八時ごろハノイに着いた。さすがにこの空港はでかくて、土産物もラオスの百倍はあります。ですがここで日本へ出発する便(00:05)を6時間待たなければならない。ベトナム航空がくれた夕食券で食べたミートソースはひどい代物でした。ゆですぎた麺がトマトスープに浮いていた。時間つぶしをする所はフットマッサージくらいしかない。映画館でもあれば良いのに。この店朝8時から深夜2時までやっているそうです。料金は20分8ドル、30分12ドル、60分16ドルだったかな。三十分コースを申し込みました。なかなかにかわいいベトナム娘がそろっています。
自分についた女性は(指名制ではない。)ちょいと年増のお姉さん。お湯に岩塩を入れた器に、足を入れて清めた後、お姉さんがマッサージを始めました。彼女に限らず、ここで働くお姉さん達は英語があんまりしゃべれない。そういう人と勘を働かせてコミュニケートするのは割りと得意なので、彼女と意気投合して楽しい時間が持てたけれども、いかんせん片言会話で三十分は長い。
それよりもなーんて気持ちいいんだろう。足うらマッサージは日本で1、2回受けただけだが、その時の経験ではかなり痛いものだった。ここでは痛みはちょっとだけで、オイルを塗ってふくらはぎにまでするマッサージが実に心地よい。半分ほど時間が過ぎた頃、日本人の親父が入ってきた。五十代後半位でメガネをかけ長身痩せ型。
濃紺色のスーツにアタッシュケース。現地合弁工場に視察と打ち合わせにでも来たんだろうか。店長のような男性がシステムを説明するが、よく解っていないもよう。やおらスーツを脱ぐと、あららワイシャツまで脱いじゃった。フットマッサージだよ。さらにズボンを脱いだ(普通はめくるだけ)。この暑い国でステテコをはき、前でボタンを留めるテキ屋のおっさんみたいなシャツを着ている。店長が足を入れる器をセッティングしていると、唐突に「レディー、レディー」と叫びだした。店長がマッサージをすると思ったらしい。子供っぽい女の子がおそるおそるステテコ親父のマッサージを始めた。すると親父「Can you speak English?」を連発。女の子がビビッて小さな声で、pain?(痛くありませんか?)とか、How do you feel?(いかがですか?)とか言っているのに親父には全く通ぜず、「English English」と吠える。
自分のところの姉御肌が助け舟を出し、「後十分したら自分が代わります。」と話しかけても全く聞いていない。どうやら親父は英語が全く聞き取れないらしい。いやーこの先どうなるのかな、と思ったが自分はステテコを残してタイムアップ。本当に丁寧で気持ちのよいマッサージでした。
さて、この一文を読んでちょっとラオスに興味を持った諸君。ラオスに関連する本を3冊紹介するから、よかったら読んでみて下さい。
一、集英社文庫、椎名誠 『メコン・黄金水道をゆく』
二、幻冬舎文庫、たかのゆりこ 『モンキームーンの輝く夜に』
三、KKベストセラーズ 高野秀行 『極楽タイ暮らし』
(これはタイ人気質に関する本だが、ラオス人もほぼ同じ)
アジアの仏教徒が静かに暮らす国、ラオスは資本主義の基準からすれば最貧国なのだろうが、大らかで純粋な心を持つ人々が住まう自然の豊かな国でした。また訪れたいと思います。この国に惚れました。