小さな友達、小さな裏切り
小学校の時の親友はカンジ君と王君。王君はお父さんが中国人のハーフで、その後田中君と名前を変えた。「カーンジ君、遊びましょ。」昭和30年代後半から40年代前半に小学生だった僕らは、友達の家を訪ねる時に節をつけて呼びかけた。
小学校高学年になってから、この呼びかけはちょっとおかしいんじゃないか、と思い始めたけれど、「ごめんください。」とか言ったら、もっと変だろ。カンジ君は一人っ子で、船乗りで普段はいない年取ったお父さん(一度だけ会った)と、僕らにおやつをくれるやさしいお母さんと暮らしていた。小さな家だが変な間取りで、子供にはちょうど良い4畳半位の箱船のような子供部屋が、土間・玄関・台所兼用スペースを挟んで母屋から独立していた。その部屋の壁には棚が作ってあり、そこは何年分もの『少年マガジン』で埋めつくされていた。その棚はお父さんが作ったのか、ちょうど合う大きさの板で何段にも壁を取り巻くようにして設置されていて、ずらっと『少年マガジン』が立て並べられていた。
昭和30年代の『少年マガジン』、保管状態は良好で何年分も継続して、今残っていたらいったいいくらになるんだろ。カンジ君の部屋は『少年マガジン』で埋めつくされ、お母さんは古いものを捨てるようにいつも言っていたから、捨てられんだろうね、きっと。そして捨ててしまったことを大人になってから悔やんでいるだろうな。
カンジ君は親友だった。毎日一緒に帰ったし毎日のように遊びに行った。不良にからまれて、僕だけやられた時もいっしょだったし、当時はいくつもあった空き地で、しょっちゅうゴムボール、三角ベースの野球もどきをした。ドキドキしながら川縁の朝鮮を覗いたり、『オバケダンダン』を探検したり、牛ガエルをつかまえて家で飼ったりもした。学校から帰る途中、寺の参道でカンジ君が自生しているクコの木を発見して、クコの葉や実をもいだこともあったな。
カンジ君とはよく空想ゴッコをした記憶がある。たわいもないが、子供らしく残酷な空想も多かった。内容までは覚えていないが、何やら後ろめたい気分は残っている。そんなこともあって、あの日、僕が除け者にされたことはショックだったんだ。小学校5年生か、放課後いつものようにカンジ君の家に遊びに行った。そのときはもう、あの「カーンジ君」という呼びかけを外からするのは止めていた。「今日は」とか言って玄関を開けると、同級生が2-3人いてみんなでカンジ君の持っている大きな本をのぞき込んでいる。お母さんは留守のようだ。
「何、それ」と言って僕も見ようとしたら、みんなは微妙に目をそらし、カンジ君はそそくさと本を隠してしまった。「何でもないよ。」「xxにはまだ早い。」でも僕は一瞬見たんだ、女のハダカ。友達のウスラ笑いに腹がたったが、みんなもてれくさいし後ろめたかったんだろうな、今思うと。それに実際僕が女の裸に猛烈に反応するには、後一年位かかったものね。今ではそう思えるけれど、あの日少年だった僕の心はズキンと傷ついた。
小学校の時の親友はカンジ君と王君。王君はお父さんが中国人のハーフで、その後田中君と名前を変えた。「カーンジ君、遊びましょ。」昭和30年代後半から40年代前半に小学生だった僕らは、友達の家を訪ねる時に節をつけて呼びかけた。
小学校高学年になってから、この呼びかけはちょっとおかしいんじゃないか、と思い始めたけれど、「ごめんください。」とか言ったら、もっと変だろ。カンジ君は一人っ子で、船乗りで普段はいない年取ったお父さん(一度だけ会った)と、僕らにおやつをくれるやさしいお母さんと暮らしていた。小さな家だが変な間取りで、子供にはちょうど良い4畳半位の箱船のような子供部屋が、土間・玄関・台所兼用スペースを挟んで母屋から独立していた。その部屋の壁には棚が作ってあり、そこは何年分もの『少年マガジン』で埋めつくされていた。その棚はお父さんが作ったのか、ちょうど合う大きさの板で何段にも壁を取り巻くようにして設置されていて、ずらっと『少年マガジン』が立て並べられていた。
昭和30年代の『少年マガジン』、保管状態は良好で何年分も継続して、今残っていたらいったいいくらになるんだろ。カンジ君の部屋は『少年マガジン』で埋めつくされ、お母さんは古いものを捨てるようにいつも言っていたから、捨てられんだろうね、きっと。そして捨ててしまったことを大人になってから悔やんでいるだろうな。
カンジ君は親友だった。毎日一緒に帰ったし毎日のように遊びに行った。不良にからまれて、僕だけやられた時もいっしょだったし、当時はいくつもあった空き地で、しょっちゅうゴムボール、三角ベースの野球もどきをした。ドキドキしながら川縁の朝鮮を覗いたり、『オバケダンダン』を探検したり、牛ガエルをつかまえて家で飼ったりもした。学校から帰る途中、寺の参道でカンジ君が自生しているクコの木を発見して、クコの葉や実をもいだこともあったな。
カンジ君とはよく空想ゴッコをした記憶がある。たわいもないが、子供らしく残酷な空想も多かった。内容までは覚えていないが、何やら後ろめたい気分は残っている。そんなこともあって、あの日、僕が除け者にされたことはショックだったんだ。小学校5年生か、放課後いつものようにカンジ君の家に遊びに行った。そのときはもう、あの「カーンジ君」という呼びかけを外からするのは止めていた。「今日は」とか言って玄関を開けると、同級生が2-3人いてみんなでカンジ君の持っている大きな本をのぞき込んでいる。お母さんは留守のようだ。
「何、それ」と言って僕も見ようとしたら、みんなは微妙に目をそらし、カンジ君はそそくさと本を隠してしまった。「何でもないよ。」「xxにはまだ早い。」でも僕は一瞬見たんだ、女のハダカ。友達のウスラ笑いに腹がたったが、みんなもてれくさいし後ろめたかったんだろうな、今思うと。それに実際僕が女の裸に猛烈に反応するには、後一年位かかったものね。今ではそう思えるけれど、あの日少年だった僕の心はズキンと傷ついた。