在りし日のバンコク
昔のバンコクは面白かった。街を歩いているだけでワクワクしたもんだ。王宮の隣で土・日にやっているサンデーマーケットも楽しかったな。ぐるっと一周、優に1時間はかかる。夏の初めに日本を出て冬の最中に帰国したから、バンコク最後の週末に防寒用のジャンパーを探した。なかなか大きなサイズが無いのよ。あそこでは何でも売っていたが、食いもので魂消たのは、甲羅が縦40cmほどもあるカブトガニが、引っ繰り返してフライパンのようにして焼かれていた。日本じゃ小っちゃいのが天然記念物だぞ。
カブトガニは何匹も火にかけられ、手足(もじゃもじゃのやつ)を動かし尻尾を左右に振っている。食いたい。でも金が残り少ない(100ドルは切っていた)。海老・カニの仲間なら美味しいんだろうな。あとボランティアの宿舎(アランヤ・プラテート)にもいたトッケー(大ヤモリ)が丸焼きにされていた。尻尾まで入れると80cmくらいある大物だ。何でも食うのね。鶏肉に似た味がするんだろうな。恐竜と鳥の祖先が同じなら、肉の味も似ていて当然。
市場に行くとゲンゴロウを乾したのが、ザルにきれいに並べられて売っているが、あれはどうやって料理するのか。最初に見た時は乾燥ゴキブリ、と思ってギョっとした。
結局ジャンパーを買い、パイナップルの丸カジリを食ったが、あれは美味かった。小さめのパイナップルの皮を、ナタのような包丁でザックザックと切り、ぶっとい棒に突き刺す。岩塩をバッバッと振りかけて、ハイ60円。綿菓子のように齧り付くと、ジューシーで滅法甘い。パイナップルの食い方の中であれは最高だったが、手がビショビショ、ベタベタになっちゃう。芯に近くなると固いから、最後は棒と一緒に捨てる。
食事は一杯7~80円の緬か、100~150円の定食。定食のおかずは作り置きを見て選ぶ、ビュッフェ方式だ。魚は大ていがナマズだ。あの数カ月で一生分のナマズを食った。まあ何を食っても山ほどのパクチ(コリアンダー)がかかっているから、パクチの味しか残らない。緬は太いの細いの、太くて平たいのとワンタンの皮のようなの4種類あって選ぶ。当時はタイ語で4種類の緬を言えたが、忘れてしまった。いずれも米粉を練ったものだ。
具は野菜や肉や肉ダンゴ、豚の血を固めた血豆腐(意外としつこくない。レバーに似てる)、最後にたっぷりのパクチ。調味料が4種類ほどテーブルに置かれ、好みによって入れる。タイ人はここに拘りを持っていて、びっくりするほど投入する奴がいる。輪切りの緑唐辛子が浮いたナンプラー(魚醤)、舌がひん曲がる唐辛子、醤油のようなの、そして何故か砂糖。お酢のようなのもあったかな。日本でうどんに砂糖を入れる人はいないよな。いても変に思われるから、隠れてやってる。ここではザラメのような砂糖を大匙にすくってバババと3杯くらい入れちまう。
一度ラーメンそっくりの緬屋台を見つけて狂喜したが、その屋台は二度と見つからなかった。アランヤ・プラテート(カンボジアとの国境の町)で、豚の角煮が入った小ぶりの中華饅頭を食ったら抜群に美味かった。その饅頭屋にも二度と出くわさなかった。小ぶりのバナナのテンプラは美味いが、冷めると油が鼻につく。包んである新聞紙のインクがバナナにつくのも御愛嬌。
そうそう、お粥も美味いぞ。人気の屋台は朝早くから夜遅くまでやっている。1mは優に超える深鍋にお粥がグツグツ煮えている。大きなおたまで掬って一杯50円。テイクアウトでビニール袋に入れて、クルクルと輪ゴムで閉じて持ち帰る連中も多い。飛ぶように売れるが、深鍋のお粥は一向に減らない。客足が途切れると、米や肉や水を投入している。肉は何かの動物の内臓片だ。食べると臭みは全くないが、らせん状や柔らかいタワシ片状の小片で噛みごたえがある。お米はとろとろ味が染みていてしみじみと美味い。人気があるのもうなずける。
今思うと、金が無いのも悪くない。ホテルは中華街(ヤワラと云う)の安ホテルで一泊500円。個室だがシャワーは共同、結構広い。夜は友達と不味いメコンウィスキーを飲んで、旅の経験談や街の面白スポットを情報交換。やっぱ次はアフリカだな。500円の隣は1泊800円のホテルで、ここはトイレ・シャワーが部屋の中にある。大きな扇風機が高い天井でゆっくりと廻る。電球の周りを小さなヤモリが動き廻り、蚊を追いかけまわす。たまに勢い余って落ちてくる。800円の方が静かで気にいったが、300円の差額は大きい。
あといいのか悪いのか、800円ホテルのオーナー(中国系)の小娘がマセていて部屋に入って来る。英語教えてーとか言ってきて、キスまではさせるのに、それ以上は実に巧みに拒否する。こっちも23くらいだが、あの娘は17-8か。くそー、マセガキ、小ブス、やりてー。
退屈して街に出て、中華風のボロ劇場を見つけて入ると、奥から甲高い声がする。舞台にはくまどりをした役者が黄色い衣装を着てポーズを取っている。これは京劇かな。客席は半分ほど埋まっていて、観客はジジババばかりだ。筋が分かんねー。でもセリフが分からないのは自分だけではないようだ。舞台の脇に大きな立ち行燈のようなのが廻っていて、漢字が一杯、劇の進行に合わせてゆっくりと動く。それを見たって、漢字を追ったってよくは分からないが、どうやら宮廷内の恋愛ものらしい。あちゃー、武闘ものだったら良かったのに。
当時のバンコクはバイク中心で、交通渋滞は今ほどひどくはなかった。高架鉄道も地下鉄もなく、移動は何といっても路線バス。路線バスの経路を記入したカラーのバンコク地図を手に入れたら、いっぱしのバンコク通だ。②番のバスはラマⅥへ行くんだ。帰りは⑤番に乗ればよい。ただで移動手段を手にしたようなものだ。路線バスは確か20円だった。50円のエアコンバスもあったが、俺らは乗らない。バス料金を値上げしようとした政府は、市民の暴動の責任を取って解散した。バス料金に触れてはいけない。
幹線を外れると幌付き小型トラックの荷台に木のベンチを2列、混んでくると風呂屋の洗い椅子のようなのを出して真ん中に縦に座る。これはバス停などは無くて、手を上げれば止まるし、声をかければ下ろしてくれる。一回10円。料金徴収係の姉ちゃんか子供は、器用に鉄枠につかまって立っている。これは便利だが、降りる時に気を付けようね。完全に停まっていなくて、着地した途端にくるっと地面で一回転、なんてのを2度はやった。
当時のタイは、今では考えられないほど貧しかった。隣国マレーシアの国境を超えると、人々の服装まで変わるほどの格差があった。雨季になると下町は川に氾濫で水浸しになり、深い所は膝くらいまで水に浸かっている。排水ポンプはあるのだが、金がないので動かせない。ゴムゾウリで汚水の中を何時間も歩くと、足の指が白くふやけた。驚いたことに超床上浸水の中、平気で暮らしている。食堂も足は水浸しで普通に営業している。イスはプラスチックだから横になってプカプカと浮いているのを捕まえて座る。ちょっと高い所に行って、水の無い歩道になると、ゴムゾーリが踵から離れてはピタッ、離れてはピタッ、汚水がズボンに跳ねて白いズボンはまだらになる。
陸橋の下にはよく占い屋が店を出していた。英語で呼びこむから、物は試しと座ってみたら、実はオッサン全然しゃべれない。何年生まれかと聞くので西暦で答えたら、しばらくしてお前はxx歳だろ、とドヤ顔。オイおっさん、そりゃ占いじゃなくて、引き算だろよ。
歩き疲れても、喫茶店とかはない。今ならコーヒーshopやケンタッキーとかいくらでもあるんだろうが。おっ、あった、「冷氣大茶室」。入口が何か変だが、中に入って驚いた。こりゃ売春屋(相当下等クラスの)&賭けマージャン等の賭博屋、そしてたぶん麻薬(アヘン等)屋じゃないか。これだからこの街は面白くて気が抜けない。
まだまだ、ストリップ劇場のやる気のない踊り子、タイ版あべ定、映画館とタイ映画の話、タイ人気質・ベトナム人気質、子育て編、書いてゆけばキリがない。これ以上は内容が濃いーくなるので、ここらでお仕舞い。直接話すのなら良いよ。
昔のバンコクは面白かった。街を歩いているだけでワクワクしたもんだ。王宮の隣で土・日にやっているサンデーマーケットも楽しかったな。ぐるっと一周、優に1時間はかかる。夏の初めに日本を出て冬の最中に帰国したから、バンコク最後の週末に防寒用のジャンパーを探した。なかなか大きなサイズが無いのよ。あそこでは何でも売っていたが、食いもので魂消たのは、甲羅が縦40cmほどもあるカブトガニが、引っ繰り返してフライパンのようにして焼かれていた。日本じゃ小っちゃいのが天然記念物だぞ。
カブトガニは何匹も火にかけられ、手足(もじゃもじゃのやつ)を動かし尻尾を左右に振っている。食いたい。でも金が残り少ない(100ドルは切っていた)。海老・カニの仲間なら美味しいんだろうな。あとボランティアの宿舎(アランヤ・プラテート)にもいたトッケー(大ヤモリ)が丸焼きにされていた。尻尾まで入れると80cmくらいある大物だ。何でも食うのね。鶏肉に似た味がするんだろうな。恐竜と鳥の祖先が同じなら、肉の味も似ていて当然。
市場に行くとゲンゴロウを乾したのが、ザルにきれいに並べられて売っているが、あれはどうやって料理するのか。最初に見た時は乾燥ゴキブリ、と思ってギョっとした。
結局ジャンパーを買い、パイナップルの丸カジリを食ったが、あれは美味かった。小さめのパイナップルの皮を、ナタのような包丁でザックザックと切り、ぶっとい棒に突き刺す。岩塩をバッバッと振りかけて、ハイ60円。綿菓子のように齧り付くと、ジューシーで滅法甘い。パイナップルの食い方の中であれは最高だったが、手がビショビショ、ベタベタになっちゃう。芯に近くなると固いから、最後は棒と一緒に捨てる。
食事は一杯7~80円の緬か、100~150円の定食。定食のおかずは作り置きを見て選ぶ、ビュッフェ方式だ。魚は大ていがナマズだ。あの数カ月で一生分のナマズを食った。まあ何を食っても山ほどのパクチ(コリアンダー)がかかっているから、パクチの味しか残らない。緬は太いの細いの、太くて平たいのとワンタンの皮のようなの4種類あって選ぶ。当時はタイ語で4種類の緬を言えたが、忘れてしまった。いずれも米粉を練ったものだ。
具は野菜や肉や肉ダンゴ、豚の血を固めた血豆腐(意外としつこくない。レバーに似てる)、最後にたっぷりのパクチ。調味料が4種類ほどテーブルに置かれ、好みによって入れる。タイ人はここに拘りを持っていて、びっくりするほど投入する奴がいる。輪切りの緑唐辛子が浮いたナンプラー(魚醤)、舌がひん曲がる唐辛子、醤油のようなの、そして何故か砂糖。お酢のようなのもあったかな。日本でうどんに砂糖を入れる人はいないよな。いても変に思われるから、隠れてやってる。ここではザラメのような砂糖を大匙にすくってバババと3杯くらい入れちまう。
一度ラーメンそっくりの緬屋台を見つけて狂喜したが、その屋台は二度と見つからなかった。アランヤ・プラテート(カンボジアとの国境の町)で、豚の角煮が入った小ぶりの中華饅頭を食ったら抜群に美味かった。その饅頭屋にも二度と出くわさなかった。小ぶりのバナナのテンプラは美味いが、冷めると油が鼻につく。包んである新聞紙のインクがバナナにつくのも御愛嬌。
そうそう、お粥も美味いぞ。人気の屋台は朝早くから夜遅くまでやっている。1mは優に超える深鍋にお粥がグツグツ煮えている。大きなおたまで掬って一杯50円。テイクアウトでビニール袋に入れて、クルクルと輪ゴムで閉じて持ち帰る連中も多い。飛ぶように売れるが、深鍋のお粥は一向に減らない。客足が途切れると、米や肉や水を投入している。肉は何かの動物の内臓片だ。食べると臭みは全くないが、らせん状や柔らかいタワシ片状の小片で噛みごたえがある。お米はとろとろ味が染みていてしみじみと美味い。人気があるのもうなずける。
今思うと、金が無いのも悪くない。ホテルは中華街(ヤワラと云う)の安ホテルで一泊500円。個室だがシャワーは共同、結構広い。夜は友達と不味いメコンウィスキーを飲んで、旅の経験談や街の面白スポットを情報交換。やっぱ次はアフリカだな。500円の隣は1泊800円のホテルで、ここはトイレ・シャワーが部屋の中にある。大きな扇風機が高い天井でゆっくりと廻る。電球の周りを小さなヤモリが動き廻り、蚊を追いかけまわす。たまに勢い余って落ちてくる。800円の方が静かで気にいったが、300円の差額は大きい。
あといいのか悪いのか、800円ホテルのオーナー(中国系)の小娘がマセていて部屋に入って来る。英語教えてーとか言ってきて、キスまではさせるのに、それ以上は実に巧みに拒否する。こっちも23くらいだが、あの娘は17-8か。くそー、マセガキ、小ブス、やりてー。
退屈して街に出て、中華風のボロ劇場を見つけて入ると、奥から甲高い声がする。舞台にはくまどりをした役者が黄色い衣装を着てポーズを取っている。これは京劇かな。客席は半分ほど埋まっていて、観客はジジババばかりだ。筋が分かんねー。でもセリフが分からないのは自分だけではないようだ。舞台の脇に大きな立ち行燈のようなのが廻っていて、漢字が一杯、劇の進行に合わせてゆっくりと動く。それを見たって、漢字を追ったってよくは分からないが、どうやら宮廷内の恋愛ものらしい。あちゃー、武闘ものだったら良かったのに。
当時のバンコクはバイク中心で、交通渋滞は今ほどひどくはなかった。高架鉄道も地下鉄もなく、移動は何といっても路線バス。路線バスの経路を記入したカラーのバンコク地図を手に入れたら、いっぱしのバンコク通だ。②番のバスはラマⅥへ行くんだ。帰りは⑤番に乗ればよい。ただで移動手段を手にしたようなものだ。路線バスは確か20円だった。50円のエアコンバスもあったが、俺らは乗らない。バス料金を値上げしようとした政府は、市民の暴動の責任を取って解散した。バス料金に触れてはいけない。
幹線を外れると幌付き小型トラックの荷台に木のベンチを2列、混んでくると風呂屋の洗い椅子のようなのを出して真ん中に縦に座る。これはバス停などは無くて、手を上げれば止まるし、声をかければ下ろしてくれる。一回10円。料金徴収係の姉ちゃんか子供は、器用に鉄枠につかまって立っている。これは便利だが、降りる時に気を付けようね。完全に停まっていなくて、着地した途端にくるっと地面で一回転、なんてのを2度はやった。
当時のタイは、今では考えられないほど貧しかった。隣国マレーシアの国境を超えると、人々の服装まで変わるほどの格差があった。雨季になると下町は川に氾濫で水浸しになり、深い所は膝くらいまで水に浸かっている。排水ポンプはあるのだが、金がないので動かせない。ゴムゾウリで汚水の中を何時間も歩くと、足の指が白くふやけた。驚いたことに超床上浸水の中、平気で暮らしている。食堂も足は水浸しで普通に営業している。イスはプラスチックだから横になってプカプカと浮いているのを捕まえて座る。ちょっと高い所に行って、水の無い歩道になると、ゴムゾーリが踵から離れてはピタッ、離れてはピタッ、汚水がズボンに跳ねて白いズボンはまだらになる。
陸橋の下にはよく占い屋が店を出していた。英語で呼びこむから、物は試しと座ってみたら、実はオッサン全然しゃべれない。何年生まれかと聞くので西暦で答えたら、しばらくしてお前はxx歳だろ、とドヤ顔。オイおっさん、そりゃ占いじゃなくて、引き算だろよ。
歩き疲れても、喫茶店とかはない。今ならコーヒーshopやケンタッキーとかいくらでもあるんだろうが。おっ、あった、「冷氣大茶室」。入口が何か変だが、中に入って驚いた。こりゃ売春屋(相当下等クラスの)&賭けマージャン等の賭博屋、そしてたぶん麻薬(アヘン等)屋じゃないか。これだからこの街は面白くて気が抜けない。
まだまだ、ストリップ劇場のやる気のない踊り子、タイ版あべ定、映画館とタイ映画の話、タイ人気質・ベトナム人気質、子育て編、書いてゆけばキリがない。これ以上は内容が濃いーくなるので、ここらでお仕舞い。直接話すのなら良いよ。