(目次)
1.26年越しの宿題
2.相棒のこと
3.アンコール遺跡群
3-1.アンコール・トム
3-2.アンコール・ワット
3-3.タ・プロム
3-4.パンテアスレイ
3-5.サンボール・プレイ・クック
3-6.ジャヤヴァルマン7世の石橋
3-7.トンレサップ湖
4.旅のエピソード
4-1.カンボジア編
・ガソリンのビン売り
・ビールとガイドさん
・とっけーの話し
・慈母観音の微笑み
・ホテルのこと ╴ シャワールームの惨劇
・沙羅双樹の花のいろ
・学校・田植え・スカーフ・ガイド君の恋
4-2.ベトナム編
・恐るべし、ベトナムコーヒー
・食べ物のはなし
・バスのなか、1コマ
5.メコン・デルタの舟旅
6.禁断の5時間エステ
4-2.ベトナム編
・恐るべし、ベトナムコーヒー
この国は高地でコーヒーの収穫があります。町にはコーヒーショップがよくあり、ホットコーヒーは金属製のドリップ、アイスコーヒーは決まって25cm程のやけに細長いコップに入ってくるので、飲みにくいったらありゃしない。おまけに底の5cmくらいは濃い砂糖の溶液になっていて、なんぼなんでも甘すぎ。
ベトナムの缶コーヒーをスーパーで買いました。一缶30円ほどでした。朝起きた時に飲もうと思い、冷蔵庫で冷やしておいたのですが、一口飲んでいっぺんに目が覚めた。恐るべし、ベトナム缶コーヒー。砂糖が飽和状態にまで溶かし込んである。もうコーヒーなんてもんじゃない。「なんだ、こりゃ!」残りは捨てようかと思ったが、生来の貧乏性が待ったをかけ、我慢して全部飲んだ。口の中の虫歯菌共が歓喜の雄たけびをあげ、歯ぐきはうずき、胃は朝から砂糖汁で満たされた。
・食べ物のはなし
外国を旅するとよく「食べ物はどうだった」、と聞かれるのですが、この旅では実際のところどうだったんだろう。ホテルの朝食はどこもバイキング方式で、カンボジアで食べたものは中華が多かった。野菜はニンジンもカリフラワーも、空芯草も歯ごたえがあって味が濃くうまかったし、特にチキンが肉のうま味が出ていて好かった。卵は意外と日本と変わらなかった、ように思う。
カンボジアでもベトナムでも他のアジア諸国と違って、あまり辛いものは食べない。日本人には親しみやすいと思う。最も自分は辛いもの好きですが。
ベトナム料理はいろいろ食べましたよ。メコン川で取れた大きなドジョウ、バイ貝くらいある、でかタニシ、象の耳の形をしたエレファントフィッシュは、から揚げの身をほぐして香草と併せて生春巻にし、ニョクマムのたれにつけて食べました。メコンの魚は淡白でした。ベトナム名物フォー(米粉ウドン)は、それだけでは味がなく、一緒に入れる調味料で味つけする。その加減が分からず、ウドンをお湯で食べているような感じで残念でした。
果物は、この時期スイカがおいしかった。大きな丸型で黒いのですが、薄く緑のスイカ模様が入っているような外見です。龍眼が旬でしたが、これは小さい実の方が甘くておいしい。直径15cmくらいのザボンを買って、ホテルの部屋で一人で食ったのですが、ナイフが無かったため、指で皮をむくのにザボンと格闘しました。これはおいしかった。
最後にカンボジア名物、カボチャプリン。これは絶品。写真の通り、本物のカボチャの中にプディングが挟まれているのですが、中身より周りのカボチャの実がホクホクと甘くて、皮まで食べちゃいたい代物でした。カンボジアのカボチャはうまいぜ。
・バスのなか、1コマ
ベトナム航空の帰国便は、東京も大阪も真夜中発、朝一に日本到着です。帰りは現地の旅行会社が、大きなバスでホテルを次々に回り、日本人客をピックアップして空港に送り届けます。ホーチミン市の日本人旅行者は、学生のような若い人達が多かった。その中の一組の、女の子とガイドのやり取り。
「みなさん、お疲れさまでした。忘れ物はありませんね。」
「ハーイ、今ではないのですが、来た時に飛行機の中にマフラーを忘れてしまいました。」
「来たときというと4日、5日前ですネ。難しいですネ。」
「でも空港なんだから、お忘れ物センターとかあるでしょう。そこに問い合わせてもらえば。」
「お忘れ物、何?お忘れ物を集めるところ、お忘れ物センター、あー、ベトナムにはありません。」
「えー、そうなの。」
「来たときのガイドに言ってもらえれば、見つけられたかもしれませんが、今はねー、ベトナムではありませんヨ。」
「––––––––」
5.メコン・デルタの舟旅
メコン川はヒマラヤの雪どけ水を水源とし、中国、ラオス、カンボジアを経てベトナムでたくさんの支流に分かれ、南シナ海に流れ出ます。そのため、ここでは九龍川と呼ばれています。
メコン・デルタは豊穣の大地でした。植物の量も種類も、人も車も家も、カンボジアよりはるかに多く、牛までが肥えていた。自転車をこぐ女学生のアオザイの白さが目にしみる。太陽の光もふんだんで、女の人は何もそこまで、という程に日除け(長手袋、大きな帽子、目だけ出したギャングスタイル)をしていた。
このデルタの中の町、カントーに行きました。車でホーチミン市から6時間くらい、途中橋のない川はフェリー(乗っているのはバイクの大群)で渡ります。カントーに泊まった翌日は、夜明け前から半日舟に乗っていました。川の水は、お汁粉を薄めたような感じで、透明度は全くない。乾季でも水量は実に豊かで、ゴミとかは全然浮いていないが、机くらいの大きな金魚藻がプカプカ漂っています。水上マーケットに行きました。川の上に大きな船が2-30艘と、それを取り囲んで小さな舟が行ったり来たりしています。大きな船はたいてい家族で暮らしていて、果物や野菜の倉庫のようになっています。小舟はそれらを仕入れて小売に行くわけですが、売り物が何であるかを知らせるために、竹ざおを立てて、そこに本日の売り物を縛りつけています。川舟はどれも同じ形をしていて、先端に赤く、魚の眼の図柄が描かれています。動力は車の中古エンジンを積み、長い木の棒の先端にスクリューを取り付けた大変やかましい代物です。回転したスクリューを水に突っ込み、けたたましく暴走します。
カントーの水上マーケットには観光客がいず、川べりの家も含めてむき出しの生活が舟に座って見えます。物干し竿にさした、となりの奥さんの下着まで丸見え、といった生の舞台が川沿いに続きます。本流からそれて支流に入ると、流れもゆるやかになり、草木が生い茂り、水浴びをする子供たちが手を振り、ちょっとしたジャングル・クルーズといった趣きになって楽しいものです。無数の島々(中州)があり、教会があったり、市場や学校、田んぼや、あぜ道を通る人々を舟の中で、ちょっと低い位置から見上げる格好になります。動いているので、川面を渡る風も涼しい。その島の中の一つに果樹園があり、ジャックフルーツやパパイヤが実っていました。
ここで会ったホー・チ・ミンひげをはやした78歳の老人は、至って元気で片言の日本語を話します。ベトナムの三菱重工に数年勤めていたそうです。78歳なら、日本軍の仏印侵攻のときは何をしていたのかというと、ベトコン(抗日ゲリラ)だったそうです。タフネス。
6.禁断の5時間エステ
ベトナム航空の帰国便は、関空も成田も深夜0時ごろ出発です。ホテルをチェックアウトした後、21時まで部屋を借りた場合は、交渉したのですが1日分の料金が掛かってしまう。まあ無理もないか。ホーチミン市は町中バイクだらけで、歩道は駐輪場となり、ロッテリアに入ったらバイク屋か、お前は、と思うぐらい店内一杯にとまっていて、カウンターにたどりつくのにバイクをかき分けかき分け。市場へも行ったし、博物館も見たし、国営デパートは2時間で飽きた。ブランドショップは向こうからお呼びでないよ。甘いコーヒーを飲んでも9時間はつぶれない。以前なら映画でも見たところですが、今はDVDの普及で映画館がすっかり寂れていて、国産の化け物映画くらいしかやっていません。
そこで思いついたのがエステ、それも思いっきり時間の長いコースで、出発までの午後を楽に過ごそう、と考えたのですが、いったいエステって何するの?男でもいいの? ガイドブックを見て日本人のあまり行かなそうなところに、ドキドキしながら電話しました。おじさんは禁断の道に踏み出した。
「あのー、そちらはスパ&エステ?」「ハイ、ソーデス」「あの、そちらはやっぱり、Lady Onlyとか?」「そんな事はありません。」とSusanはやけに明るい声でキッパリ。コースとか料金とかをテキパキと説明してくれ、あっという間に明日の予約とお迎えを約束させられました。「あの、でも本当に男でもOKなんでしょうか?」「ノープロブレム」翌日、相棒も二つ返事でOKしたので、おじさん達はエステの受付でSusan(結構年いってました。)から日本語のパンフを受け取り、まさかネイルケア、マニキュアは外してもらって、後はお任せの5時間、130ドル、禁断コースにいきなり突入しました。
この殴りこみの前に、相棒と愚息に、「いいな、これはエステなんだからな。感違いするなよ。絶~対に勃つなよ。」と言い聞かせたのは言うまでもありません。
白衣のお嬢さんに案内され、こぎれいな個室に入り、パンツ一丁になった。体にタオルケットを乗せられ、頭をタオルできつく縛るのですが、生来のでか頭のせいで、最後にぎゅっと折りこむところで、タオルがパッと開いてします。お嬢さんあわてず、もう一回縛りなおし、ぎゅっと折りこみパッと開く。4回やり直したところで、お嬢さんもさすがに意地になり、思いっきり締め付けて頭の皮がよじれてギューギュー言い出したところで、やっととまった。おじさん心底ホッとした。一時はどうなることかと、身も心も細る思いで、体を一寸法師のように縮めたのに、頭蓋骨がいうことを聞かず、こら、こら、もちろんその後は、頭をそよとも動かしませんでした。
最初はざらざらするものを、顔を除く全身にゆっくりゆっくり塗りこめられ、顔にはパックをされました。部屋は薄暗くヒーリングミュージックがゆったりと流れ、何やらよい香りがします。半分まどろみながらもう終わっちゃうの、と思っている内に2時間近くたっているじゃあ、ありませんか。アラー不思議、お風呂につかって甘いレモンティーを飲み、今度は全身オイルマッサージです。気色えーなー。温かい小石を2つ、背中でゆっくりと滑らし、それが曲線を描いて触れ合う度に、カチッ、カチッと鳴ります。
そこまで終わって服を着て休憩。硬いフランスパンにはさんだチキンのサンドイッチを食べました。チキンは香草を入れニョクマムをまぶしてあり、ベトナムの味がしました。最後は首から肩にかけてのマッサージと、髪の毛のケアでした。最初のマッサージをやってくれたお嬢さん達は、私服になって帰宅していきました。チップを要求することもなく。
相棒は、クリリン、天津飯系統の髪型なので、ここはアッという間に終わってしまって手持ち無沙汰。自分も首のマッサージがかなり痛かったので、最後はもういいや、という感じで5時間のエステは終わったのですが、やれやれと言って首を撫でたらビックリ、つるつるしているじゃあありませんか。手の甲もつるつる。スネ毛も無くなっちゃってる。最初のザラザラは脱毛だったんですね。まっ、脱毛はともかく、2人ともおじさん大満足の5時間でした。
1.26年越しの宿題
2.相棒のこと
3.アンコール遺跡群
3-1.アンコール・トム
3-2.アンコール・ワット
3-3.タ・プロム
3-4.パンテアスレイ
3-5.サンボール・プレイ・クック
3-6.ジャヤヴァルマン7世の石橋
3-7.トンレサップ湖
4.旅のエピソード
4-1.カンボジア編
・ガソリンのビン売り
・ビールとガイドさん
・とっけーの話し
・慈母観音の微笑み
・ホテルのこと ╴ シャワールームの惨劇
・沙羅双樹の花のいろ
・学校・田植え・スカーフ・ガイド君の恋
4-2.ベトナム編
・恐るべし、ベトナムコーヒー
・食べ物のはなし
・バスのなか、1コマ
5.メコン・デルタの舟旅
6.禁断の5時間エステ
4-2.ベトナム編
・恐るべし、ベトナムコーヒー
この国は高地でコーヒーの収穫があります。町にはコーヒーショップがよくあり、ホットコーヒーは金属製のドリップ、アイスコーヒーは決まって25cm程のやけに細長いコップに入ってくるので、飲みにくいったらありゃしない。おまけに底の5cmくらいは濃い砂糖の溶液になっていて、なんぼなんでも甘すぎ。
ベトナムの缶コーヒーをスーパーで買いました。一缶30円ほどでした。朝起きた時に飲もうと思い、冷蔵庫で冷やしておいたのですが、一口飲んでいっぺんに目が覚めた。恐るべし、ベトナム缶コーヒー。砂糖が飽和状態にまで溶かし込んである。もうコーヒーなんてもんじゃない。「なんだ、こりゃ!」残りは捨てようかと思ったが、生来の貧乏性が待ったをかけ、我慢して全部飲んだ。口の中の虫歯菌共が歓喜の雄たけびをあげ、歯ぐきはうずき、胃は朝から砂糖汁で満たされた。
・食べ物のはなし
外国を旅するとよく「食べ物はどうだった」、と聞かれるのですが、この旅では実際のところどうだったんだろう。ホテルの朝食はどこもバイキング方式で、カンボジアで食べたものは中華が多かった。野菜はニンジンもカリフラワーも、空芯草も歯ごたえがあって味が濃くうまかったし、特にチキンが肉のうま味が出ていて好かった。卵は意外と日本と変わらなかった、ように思う。
カンボジアでもベトナムでも他のアジア諸国と違って、あまり辛いものは食べない。日本人には親しみやすいと思う。最も自分は辛いもの好きですが。
ベトナム料理はいろいろ食べましたよ。メコン川で取れた大きなドジョウ、バイ貝くらいある、でかタニシ、象の耳の形をしたエレファントフィッシュは、から揚げの身をほぐして香草と併せて生春巻にし、ニョクマムのたれにつけて食べました。メコンの魚は淡白でした。ベトナム名物フォー(米粉ウドン)は、それだけでは味がなく、一緒に入れる調味料で味つけする。その加減が分からず、ウドンをお湯で食べているような感じで残念でした。
果物は、この時期スイカがおいしかった。大きな丸型で黒いのですが、薄く緑のスイカ模様が入っているような外見です。龍眼が旬でしたが、これは小さい実の方が甘くておいしい。直径15cmくらいのザボンを買って、ホテルの部屋で一人で食ったのですが、ナイフが無かったため、指で皮をむくのにザボンと格闘しました。これはおいしかった。
最後にカンボジア名物、カボチャプリン。これは絶品。写真の通り、本物のカボチャの中にプディングが挟まれているのですが、中身より周りのカボチャの実がホクホクと甘くて、皮まで食べちゃいたい代物でした。カンボジアのカボチャはうまいぜ。
・バスのなか、1コマ
ベトナム航空の帰国便は、東京も大阪も真夜中発、朝一に日本到着です。帰りは現地の旅行会社が、大きなバスでホテルを次々に回り、日本人客をピックアップして空港に送り届けます。ホーチミン市の日本人旅行者は、学生のような若い人達が多かった。その中の一組の、女の子とガイドのやり取り。
「みなさん、お疲れさまでした。忘れ物はありませんね。」
「ハーイ、今ではないのですが、来た時に飛行機の中にマフラーを忘れてしまいました。」
「来たときというと4日、5日前ですネ。難しいですネ。」
「でも空港なんだから、お忘れ物センターとかあるでしょう。そこに問い合わせてもらえば。」
「お忘れ物、何?お忘れ物を集めるところ、お忘れ物センター、あー、ベトナムにはありません。」
「えー、そうなの。」
「来たときのガイドに言ってもらえれば、見つけられたかもしれませんが、今はねー、ベトナムではありませんヨ。」
「––––––––」
5.メコン・デルタの舟旅
メコン川はヒマラヤの雪どけ水を水源とし、中国、ラオス、カンボジアを経てベトナムでたくさんの支流に分かれ、南シナ海に流れ出ます。そのため、ここでは九龍川と呼ばれています。
メコン・デルタは豊穣の大地でした。植物の量も種類も、人も車も家も、カンボジアよりはるかに多く、牛までが肥えていた。自転車をこぐ女学生のアオザイの白さが目にしみる。太陽の光もふんだんで、女の人は何もそこまで、という程に日除け(長手袋、大きな帽子、目だけ出したギャングスタイル)をしていた。
このデルタの中の町、カントーに行きました。車でホーチミン市から6時間くらい、途中橋のない川はフェリー(乗っているのはバイクの大群)で渡ります。カントーに泊まった翌日は、夜明け前から半日舟に乗っていました。川の水は、お汁粉を薄めたような感じで、透明度は全くない。乾季でも水量は実に豊かで、ゴミとかは全然浮いていないが、机くらいの大きな金魚藻がプカプカ漂っています。水上マーケットに行きました。川の上に大きな船が2-30艘と、それを取り囲んで小さな舟が行ったり来たりしています。大きな船はたいてい家族で暮らしていて、果物や野菜の倉庫のようになっています。小舟はそれらを仕入れて小売に行くわけですが、売り物が何であるかを知らせるために、竹ざおを立てて、そこに本日の売り物を縛りつけています。川舟はどれも同じ形をしていて、先端に赤く、魚の眼の図柄が描かれています。動力は車の中古エンジンを積み、長い木の棒の先端にスクリューを取り付けた大変やかましい代物です。回転したスクリューを水に突っ込み、けたたましく暴走します。
カントーの水上マーケットには観光客がいず、川べりの家も含めてむき出しの生活が舟に座って見えます。物干し竿にさした、となりの奥さんの下着まで丸見え、といった生の舞台が川沿いに続きます。本流からそれて支流に入ると、流れもゆるやかになり、草木が生い茂り、水浴びをする子供たちが手を振り、ちょっとしたジャングル・クルーズといった趣きになって楽しいものです。無数の島々(中州)があり、教会があったり、市場や学校、田んぼや、あぜ道を通る人々を舟の中で、ちょっと低い位置から見上げる格好になります。動いているので、川面を渡る風も涼しい。その島の中の一つに果樹園があり、ジャックフルーツやパパイヤが実っていました。
ここで会ったホー・チ・ミンひげをはやした78歳の老人は、至って元気で片言の日本語を話します。ベトナムの三菱重工に数年勤めていたそうです。78歳なら、日本軍の仏印侵攻のときは何をしていたのかというと、ベトコン(抗日ゲリラ)だったそうです。タフネス。
6.禁断の5時間エステ
ベトナム航空の帰国便は、関空も成田も深夜0時ごろ出発です。ホテルをチェックアウトした後、21時まで部屋を借りた場合は、交渉したのですが1日分の料金が掛かってしまう。まあ無理もないか。ホーチミン市は町中バイクだらけで、歩道は駐輪場となり、ロッテリアに入ったらバイク屋か、お前は、と思うぐらい店内一杯にとまっていて、カウンターにたどりつくのにバイクをかき分けかき分け。市場へも行ったし、博物館も見たし、国営デパートは2時間で飽きた。ブランドショップは向こうからお呼びでないよ。甘いコーヒーを飲んでも9時間はつぶれない。以前なら映画でも見たところですが、今はDVDの普及で映画館がすっかり寂れていて、国産の化け物映画くらいしかやっていません。
そこで思いついたのがエステ、それも思いっきり時間の長いコースで、出発までの午後を楽に過ごそう、と考えたのですが、いったいエステって何するの?男でもいいの? ガイドブックを見て日本人のあまり行かなそうなところに、ドキドキしながら電話しました。おじさんは禁断の道に踏み出した。
「あのー、そちらはスパ&エステ?」「ハイ、ソーデス」「あの、そちらはやっぱり、Lady Onlyとか?」「そんな事はありません。」とSusanはやけに明るい声でキッパリ。コースとか料金とかをテキパキと説明してくれ、あっという間に明日の予約とお迎えを約束させられました。「あの、でも本当に男でもOKなんでしょうか?」「ノープロブレム」翌日、相棒も二つ返事でOKしたので、おじさん達はエステの受付でSusan(結構年いってました。)から日本語のパンフを受け取り、まさかネイルケア、マニキュアは外してもらって、後はお任せの5時間、130ドル、禁断コースにいきなり突入しました。
この殴りこみの前に、相棒と愚息に、「いいな、これはエステなんだからな。感違いするなよ。絶~対に勃つなよ。」と言い聞かせたのは言うまでもありません。
白衣のお嬢さんに案内され、こぎれいな個室に入り、パンツ一丁になった。体にタオルケットを乗せられ、頭をタオルできつく縛るのですが、生来のでか頭のせいで、最後にぎゅっと折りこむところで、タオルがパッと開いてします。お嬢さんあわてず、もう一回縛りなおし、ぎゅっと折りこみパッと開く。4回やり直したところで、お嬢さんもさすがに意地になり、思いっきり締め付けて頭の皮がよじれてギューギュー言い出したところで、やっととまった。おじさん心底ホッとした。一時はどうなることかと、身も心も細る思いで、体を一寸法師のように縮めたのに、頭蓋骨がいうことを聞かず、こら、こら、もちろんその後は、頭をそよとも動かしませんでした。
最初はざらざらするものを、顔を除く全身にゆっくりゆっくり塗りこめられ、顔にはパックをされました。部屋は薄暗くヒーリングミュージックがゆったりと流れ、何やらよい香りがします。半分まどろみながらもう終わっちゃうの、と思っている内に2時間近くたっているじゃあ、ありませんか。アラー不思議、お風呂につかって甘いレモンティーを飲み、今度は全身オイルマッサージです。気色えーなー。温かい小石を2つ、背中でゆっくりと滑らし、それが曲線を描いて触れ合う度に、カチッ、カチッと鳴ります。
そこまで終わって服を着て休憩。硬いフランスパンにはさんだチキンのサンドイッチを食べました。チキンは香草を入れニョクマムをまぶしてあり、ベトナムの味がしました。最後は首から肩にかけてのマッサージと、髪の毛のケアでした。最初のマッサージをやってくれたお嬢さん達は、私服になって帰宅していきました。チップを要求することもなく。
相棒は、クリリン、天津飯系統の髪型なので、ここはアッという間に終わってしまって手持ち無沙汰。自分も首のマッサージがかなり痛かったので、最後はもういいや、という感じで5時間のエステは終わったのですが、やれやれと言って首を撫でたらビックリ、つるつるしているじゃあありませんか。手の甲もつるつる。スネ毛も無くなっちゃってる。最初のザラザラは脱毛だったんですね。まっ、脱毛はともかく、2人ともおじさん大満足の5時間でした。