空手考
高校三年の時、ブルース・リーの『燃えよ!ドラゴン』を見て頭が沸騰した。アッチョー、アチャ、アチャ。もっとも映画館を出た観客のほとんどが興奮していたな。東洋人が白人より明らかにカッコいい小気味よさがある。
大学に入って最初は、歴史研究会とかに入ったがつまんねー。マージャンばっか、一年でそこを辞め防具空手同好会に入った。糸東流系統の空手で、技が伸び伸びと大きく型が美しかった。ちなみに大学には部と同好会併せて、格闘技で軽く十以上あったな。
しかし最初は基本の練習ばっかりだ。防具をつけて実戦形式の組み手をやったのは、一年近くたって茶帯になってからだった。その時は情けなくなるほど動けなかった。もっと組み手(試合)をやらせて下さい。これじゃあ強くなれない。空手にはブルース・リーのような後ろ廻し蹴りとか飛び蹴りなんぞは無い。突き、蹴り、受け、上段、中段、下段、型の反復練習、時々約束組み手、その繰り返しだった。
合宿は心底厳しくて逃げ出す奴もいた程だが、果たして本当に強くなったのか、ケンカで有効なのかは今ひとつ確信が持てない。ところが最初の大会で、組み手の最初の相手が外国人だった。開始の合図と同時に滅茶苦茶殴られた。空手の突きじゃあない。振り回すパンチで頭がガクガクする。剣道の面のような防具を頭部につけているので痛くはないが、最初の一発で両目のコンタクトレンズがずれて視力が0.2になった。コノヤロー、やっと前蹴りを出すと、手で払われて足にチクっと痛みが走った。後は構えたままサンドバック状態になった。パンチが入って頭がガクっと下がり、戻るとパンチ。ガックンガックン、何がなんだか分からない。試合は基本が出来ていないという事で、ただ立っていただけの自分が勝ったが、こんなのうれしくない。足が痛い。ジンジンと痛みが増す。
その日は自由組み手(試合)の他に型の試合がある。その時茶帯の自分は、30人位いた中で型の予選で一番の成績だった。運動音痴かと思っていた自分に一つの特技があった。体が柔らかいのだ。これは計り知れないメリットだ、股割りとかをやっていても、人並みに苦しそうな顔をしていればごまかせる。本当はまだ余裕があるのだ。体の硬い人は股割りが一番いやだと言っていた。脂汗を流して耐えている先輩がいた。彼はとりわけ体が硬い。自分にとって柔軟は息抜きだった。これナイショ。
だいたい中学、高校で空手部のある学校は珍しいでしょう。柔道、剣道に比べれば空手人口は1/30か1/50じゃあないだろうか。大学に入って空手を始める人は、運動音痴が多いんだ。
さて足というか、足の指が猛烈に痛かったけれど、型の第二試合に出ない訳にはいかない。何しろ予選一位なんだから、順当にいけば茶帯の型部門優勝なわけで、しかも決勝は自分の得意な型だ。一つ一つの技を思い切り大きく、指先にまで意識を集中し顔の回頭はビシっと。1/3位まで完璧に進めていたが、気がつくとコロンと体が回転した。何の前触れもなく静かにあっけなく転がった。何が起こったんだ?ん?見ていた審査員はもっとびっくりしたらしい。何やら話し合っていたが、そこで失格になった。足の踏ん張りが利かなかったんだ。全く今日は散々な目に遭った。
道着や防具で大きくふくらんだバックを担ぎ、電車に二時間以上乗りビッコを引きずって帰宅した。足の指がズキンズキンを半端なく痛むが、その晩は寝て次の日近所の医者に言った。レントゲンを撮ると先生は言った。「いやー、見事に折れているね、真っ二つ。これでよく歩けるもんだ。」ヒエー、小指の骨がきれいに折れて離れている。そのままギブスをして治療終了、自然に治癒するのを待った。ギブスが外れても直ぐには練習に復帰出来なかった。復帰して昇段審査を受け黒帯(初段)を取り、しばらくして辞めた。関心が空手から海外貧乏旅行に移っていたのだ。
思い出といえば、夏合宿で明け方三時半ごろに起こされ、浜辺で千本突き、千本蹴りと延々練習を続けても夜が明けず、やっと水平線が白み始めた時に心底ホっとしたこと。晩秋の合宿で相手の体から湯気が出ているので面白がっていたら、自分からも出ていた。そこにいた二十人ほどの頭から体からマンガのように水蒸気が柱になって立ち上っていた。
空手の突きは体側から拳を180度回転させ、腕が伸びきる直前に人指し指と中指の第三関節の二点を相手の顔面(細かく言えば人中=鼻の下)か、みぞおちにたたき込むもの。体の移動を伴えば長距離の長槍のような威力を持つが、間合い(相手との距離)の見極めが難しい。腕が伸びきっても伸びる前でも威力が半減する。これって相当不便なパンチなんじゃない。相手は必死で動いているのだから、完璧なタイミング、距離にこだわらなくてもパンチパンチ、キック、ブロックされようが腕が伸びきらなくても相手にダメージを与え続けるほうがよい。達人じゃあなくても使える道具でなくちゃ。
喧嘩は試合のように離れて構えた所から始まるとは限らない。接近戦、超接近戦もある。やはり場数を踏まないといかんな。喧嘩慣れしたチンピラに、経験のない空手二段は負ける。所詮空手は道具なんだから、使いこなすには慣れることだ。それにはもっと実戦形式の組手をやらなくては駄目だ。
受けもいかん。散々練習した受けは実戦には全く使えない。空手の直線でくる突きに対する受けなので、回り込むパンチには使えない。それに受けはどうしたってワンテンポ遅れるから、目に留まらない速度でくり出される突きに間に合うとはとても思えない。足の力は手の三倍だと言われている。中段前蹴りを下段払いで受けたらどうなるか。合宿で組手を行っていた時、このシチュエーションが出た。結果は見事に受けた主将の腕が骨折してしまった。蹴りを放った方は何ともない。やはり駄目だ。体をかわすか、ちょっと下がるのが現実的だ。
最後に蹴り。自分が習っていた空手では前蹴りが見事で、伸びきると道着のビシっという音が聞こえ、これが決まれば肋骨は折れ内臓破裂で即死だなと思わせる。ところが実際に格闘技(キックボクシング、K1、マーシャルアーツ)では前蹴り、横蹴り(これは滅多に出ない。威力不足か。)は相手との距離を取るためにしか使われない。おまけに足を取られて倒されたり、不利になることが多い。突きが関節の二点に集中するように、前蹴りは足の指を思い切り反らせて、親指の下の部分に集中する。力を集めてその部分を相手の体に当てる。しかし戦いの時に裸足になるバカはいないだろ。カンフーのような布靴なら良いが、革靴やスニーカーを履いていたらどこを当てればよいんだ。下手をするとくつの中で指を骨折しかねない。これなら出てくる相手にくるりと背を向け、思い切り足を後ろに伸ばしかかと(くつで一番硬いところ)を腹にめり込ませる方が良い。
回し蹴りも空手ではまずヒザを上げてから蹴るんだと散々ケイコしたが、型ならともかく実戦では三日月蹴りと言われる不完全な蹴りで良いから、相手より先に数多く当てた方が勝つ。あと小柄な人、体の小さな女性はいくら技が切れても、パンチキックが相手に届かない。相手からもナメられて飲んでかかられる。一度かわすなりして相手の懐に入り込む工夫がいるね。
空手の欠点ばかりあげたようだが、全てに有効、万能な武術はない。合気道は関節を責める事で、自分の力でなく相手を投げ飛ばすが、大男の丸太のような腕には通用しない。武術は道具に過ぎないから、実際の喧嘩では変化に応じて工夫、そして何より経験が必要だ。先手必勝とか、気で相手を呑む、パーフェクトな一撃でなくて良いから数を放ち、ダメージを与えること等が必要になるだろう。
まあ今さら喧嘩のプロにはなれないが、次回があるなら見苦しくないように戦おうと思う。身にかかる火の粉は振り払わねば。いくつになっても男はつらいよ。