今回はご葬儀のことについて記しますが、
時を置かずに書いてしまうのも良くないので、
ここ数ヶ月間のことから掻い摘んで記します。
お寺の近所のお檀家さんが亡くなりました。
昔のお寺のことを知っている年配の女性でした。
ご葬儀について相談したいと娘さんが来られました。
いつも奉仕会(お掃除の会)に参加して下さる方です。
お話では、今後の「施主(喪主)」は近県に住む兄が嗣ぐけれども、
お寺のことは全て故人と一緒に住んでいた娘がするとのことでした。
こちらからの郵便物は2カ所に送らせていただき、
先方からの連絡は娘さんが行っていくということでまとまりました。
今までには無かった形式ですが、
これからはこういうご相談事もあるかもしれません。
半月ほどして、息を引き取られた方が2日続きでお2人。
どちらの方とも90歳を超えるご長命で、
幼い頃からよく可愛がって下さった方でしたが、
この数年間はずっと介護を受けられていました。
どちらの訃報もすぐご自宅まで枕経に赴き、
最期の対面と読経をさせていただきました。
久しぶりにお会いしたのが枕経ということになってしまいました。
このお2人はお亡くなりになったのは1日違いでしたが
ご葬儀の日程としては間に前後2日ほどありました。
どちらのご葬儀とも火葬後の初七日法要までをお勤めさせていただき、
お寺に戻って、この約一週間のバタバタを振り返り、
やれやれと腰を落ち着かせようと思ったら訃報が…。
お話によると、既に病院から引き上げ、布団の中で休まれているとのこと。
車に乗って40分ほどで故人の元に着きました。
まるで普通にお休みになっているかのようなご様子でした。
いつも姿勢が正しく、会えば満面の笑顔で接して頂いたことが思い出され、
今一度、腰の帯を締め上げるような気持ちで枕経のお勤めをしました。
その後半月ほどは平穏に過ごしておりましたが、
安心しきっていたところにお檀家さん筋から訃報が。
事情によって、いわゆるご葬儀はできないけれど、
供養をしてもらえないかという相談がありました。
通常は「枕経」「通夜法要」「葬儀・告別式」というお勤めを経て
故人を送り、遺族には死を受容してもらうということになるのですが、
今回連絡を受けたときには、既に火葬の日時まで決まっているとのこと。
火葬前に確保できる時間は火葬炉に点火する直前の約15分だけ!
従来からの法式・葬送の段取りを15分で勤め上げることはどうにも難しく、
「葬送を15分で勤めるにはどうすれよいのか???」と思案しても、
納得できる答えは見つけることはできずませんでした。
そうはいっても炉前で頂ける時間を延ばしてもらうことはできず、
逆に「15分間で勤められることは何だろうか?」と考え直し、
「故人との繋がりを再認識し、誰もが故人の命を受け継いでいる」
という点にのみ焦点を充ててご供養させていただきました。
そして後日、ちょうど初七日という日にご自宅に伺い、
ご葬儀の法式作法とご遺族との語りの場を設けさせていただきました。
今回の形式が十分なご供養であったのか、その問いかけは今でも続いています。
十人十色と言いますように、これからのご葬儀のスタイルは、
「押し並べて同じ」ということでは収まらないのかもしれません。
その上では、葬儀が単なる固定形に堕さないための大きな学びとなりました。
亡き人を送る場に立ち会わせていただく立場の者として
生死の道理をわきまえてご供養させていただく姿勢は、
沙羅双樹の花の色がいつまでも真っ白であるように
これからも変わらずに、大切にしていきたいと思います。
時を置かずに書いてしまうのも良くないので、
ここ数ヶ月間のことから掻い摘んで記します。
お寺の近所のお檀家さんが亡くなりました。
昔のお寺のことを知っている年配の女性でした。
ご葬儀について相談したいと娘さんが来られました。
いつも奉仕会(お掃除の会)に参加して下さる方です。
お話では、今後の「施主(喪主)」は近県に住む兄が嗣ぐけれども、
お寺のことは全て故人と一緒に住んでいた娘がするとのことでした。
こちらからの郵便物は2カ所に送らせていただき、
先方からの連絡は娘さんが行っていくということでまとまりました。
今までには無かった形式ですが、
これからはこういうご相談事もあるかもしれません。
半月ほどして、息を引き取られた方が2日続きでお2人。
どちらの方とも90歳を超えるご長命で、
幼い頃からよく可愛がって下さった方でしたが、
この数年間はずっと介護を受けられていました。
どちらの訃報もすぐご自宅まで枕経に赴き、
最期の対面と読経をさせていただきました。
久しぶりにお会いしたのが枕経ということになってしまいました。
このお2人はお亡くなりになったのは1日違いでしたが
ご葬儀の日程としては間に前後2日ほどありました。
どちらのご葬儀とも火葬後の初七日法要までをお勤めさせていただき、
お寺に戻って、この約一週間のバタバタを振り返り、
やれやれと腰を落ち着かせようと思ったら訃報が…。
お話によると、既に病院から引き上げ、布団の中で休まれているとのこと。
車に乗って40分ほどで故人の元に着きました。
まるで普通にお休みになっているかのようなご様子でした。
いつも姿勢が正しく、会えば満面の笑顔で接して頂いたことが思い出され、
今一度、腰の帯を締め上げるような気持ちで枕経のお勤めをしました。
その後半月ほどは平穏に過ごしておりましたが、
安心しきっていたところにお檀家さん筋から訃報が。
事情によって、いわゆるご葬儀はできないけれど、
供養をしてもらえないかという相談がありました。
通常は「枕経」「通夜法要」「葬儀・告別式」というお勤めを経て
故人を送り、遺族には死を受容してもらうということになるのですが、
今回連絡を受けたときには、既に火葬の日時まで決まっているとのこと。
火葬前に確保できる時間は火葬炉に点火する直前の約15分だけ!
従来からの法式・葬送の段取りを15分で勤め上げることはどうにも難しく、
「葬送を15分で勤めるにはどうすれよいのか???」と思案しても、
納得できる答えは見つけることはできずませんでした。
そうはいっても炉前で頂ける時間を延ばしてもらうことはできず、
逆に「15分間で勤められることは何だろうか?」と考え直し、
「故人との繋がりを再認識し、誰もが故人の命を受け継いでいる」
という点にのみ焦点を充ててご供養させていただきました。
そして後日、ちょうど初七日という日にご自宅に伺い、
ご葬儀の法式作法とご遺族との語りの場を設けさせていただきました。
今回の形式が十分なご供養であったのか、その問いかけは今でも続いています。
十人十色と言いますように、これからのご葬儀のスタイルは、
「押し並べて同じ」ということでは収まらないのかもしれません。
その上では、葬儀が単なる固定形に堕さないための大きな学びとなりました。
亡き人を送る場に立ち会わせていただく立場の者として
生死の道理をわきまえてご供養させていただく姿勢は、
沙羅双樹の花の色がいつまでも真っ白であるように
これからも変わらずに、大切にしていきたいと思います。