先週、お世話になっているカウンセリングルームで行なわれたFAITH.の
イベントで「かわりゆくもの かわらないもの」のトークセッションが行なわれた。
そこで、私もこれまでの自分について、変わったことを振り返ってみた。
私は外見上、子どもの頃からあまり変わってないらしい。
中学生くらいから会ってない友達のお母さんでも、私の事が分かる。
「変わらないわねぇ」と言われると、ちょっとムッとしてしまうのだけれど、
たぶん、変わったのは自分の「心」なんだよね。
変わってないって言われるのも無理ないね。
私は、小学校から短大まで自分の意見を言わない、いわゆる「いい子ちゃん」だった。
いろんな人の意見に合わせるため、八方美人と言われることはあったけれど、
嫌われることはなかったと思う。
その代わり、腹を割っていろんな事を話せる「親友」もいなかった。
なぜ、自分の意見を言わなかったのか?
「言わなかった」のではなく、「言えなかった」という方が正しいかな。
答えは簡単。
自分に「自信」がなかったから。
当時、自分の意見は間違っていると思い込んでいた。
それに、自分が意見したことを、批判されることをひどく恐れていた。
それには、自分の内にある「インナーチャイルド」がそれはそれは見事に絡んでいたのだけれど、
それを癒した今は、ずいぶん軽くなったと思う。
まだ、いろいろあるけれど。
他の人の意見に合わせていたけれど、本当は自分の胸の中にはいろいろと意見や思うことがある。
自分の胸の内と行動とがまるで違っていて、それがすごい葛藤となり、ストレスだった。
そのバランスをとるべく、私はノートに自分の本当の心を綴っていた。
最後にいつも「変わりたい」「強くなりたい」を書いていたような気がする。
とにかく、鳥かごのような窮屈な家から出たかった。
その一心で、高校を卒業したら県外に行きたかった。
進学でも就職でも何でも良かった。
でも、父の猛反対にあい、結局地元の短大を受けることになった。
今考えると、この時親元を離れなくて良かったと思っている。
しかし、変わるきっかけは訪れた。
それは、忘れもしない短大1年の秋。
たまたま受けていた「人間関係論」という授業で、「心理学」という学問があることを知った。
遅すぎって言う気もするけれど・・・
その時、就職するつもりで、今で言う「就活」も始めていたのに、
私はそれから「心理学」がある大学を必死で探した。
仙台にそれがあることが分かり、編入することを決意。
東京は無理でも、仙台なら家から出ることを許してもらえるのではないかと思った。
恐る恐る親に頼んでみたら、元々、両親は4年制の大学に進んで欲しいと言ってたので、
すんなり許可が出た。
それからは、単位を数えなおし、授業を慌てて編入クラスに変更。
そして、夏休み返上で勉強。
入った大学で、大きな変化が訪れた。
残念ながら、「心理学科」ではなかったが、「心理学」は勉強できたし、
編入した人たちをまとめたゼミを担当してくれた先生が、
子どものカウンセリングを行なっている人だったので、ゼミ以外でもいろいろ相談にのってもらうことができた。
その時、無意識をいろいろ刺激されたのか、大きく変化した。
親への反発。怒り。
体調不良。
両親はとても心配していたが、「私を信じて欲しい」とだけ伝えた。
大きかったのが、自分に「感情がある」ことを思い出したこと。
自分には浮き沈みする感情がないと思っていた。(←ないわけないよね)
いかに感情を抑圧していたことか。愕然とした。
そして、「全ての人に受け入れられなくても良い」ということ。
私は私。それでいいんだ。と思えた。
自分が変わったことが嬉しくて、足取りが軽くなった。
嬉しくて幼なじみに手紙を出した。
「え~そうだったんだ~~」と返事が来た。
友達にしてみると、そんなに大きなことではなかったらしい。
「なこちゃんはなこちゃんだよ」の言葉が嬉しかった。
大学での2年間を終え、ようやく社会に出る自信がついた。
就職は運よくすぐ決まり、就職したら地元に帰ることになった。
イベントで「かわりゆくもの かわらないもの」のトークセッションが行なわれた。
そこで、私もこれまでの自分について、変わったことを振り返ってみた。
私は外見上、子どもの頃からあまり変わってないらしい。
中学生くらいから会ってない友達のお母さんでも、私の事が分かる。
「変わらないわねぇ」と言われると、ちょっとムッとしてしまうのだけれど、
たぶん、変わったのは自分の「心」なんだよね。
変わってないって言われるのも無理ないね。
私は、小学校から短大まで自分の意見を言わない、いわゆる「いい子ちゃん」だった。
いろんな人の意見に合わせるため、八方美人と言われることはあったけれど、
嫌われることはなかったと思う。
その代わり、腹を割っていろんな事を話せる「親友」もいなかった。
なぜ、自分の意見を言わなかったのか?
「言わなかった」のではなく、「言えなかった」という方が正しいかな。
答えは簡単。
自分に「自信」がなかったから。
当時、自分の意見は間違っていると思い込んでいた。
それに、自分が意見したことを、批判されることをひどく恐れていた。
それには、自分の内にある「インナーチャイルド」がそれはそれは見事に絡んでいたのだけれど、
それを癒した今は、ずいぶん軽くなったと思う。
まだ、いろいろあるけれど。
他の人の意見に合わせていたけれど、本当は自分の胸の中にはいろいろと意見や思うことがある。
自分の胸の内と行動とがまるで違っていて、それがすごい葛藤となり、ストレスだった。
そのバランスをとるべく、私はノートに自分の本当の心を綴っていた。
最後にいつも「変わりたい」「強くなりたい」を書いていたような気がする。
とにかく、鳥かごのような窮屈な家から出たかった。
その一心で、高校を卒業したら県外に行きたかった。
進学でも就職でも何でも良かった。
でも、父の猛反対にあい、結局地元の短大を受けることになった。
今考えると、この時親元を離れなくて良かったと思っている。
しかし、変わるきっかけは訪れた。
それは、忘れもしない短大1年の秋。
たまたま受けていた「人間関係論」という授業で、「心理学」という学問があることを知った。
遅すぎって言う気もするけれど・・・
その時、就職するつもりで、今で言う「就活」も始めていたのに、
私はそれから「心理学」がある大学を必死で探した。
仙台にそれがあることが分かり、編入することを決意。
東京は無理でも、仙台なら家から出ることを許してもらえるのではないかと思った。
恐る恐る親に頼んでみたら、元々、両親は4年制の大学に進んで欲しいと言ってたので、
すんなり許可が出た。
それからは、単位を数えなおし、授業を慌てて編入クラスに変更。
そして、夏休み返上で勉強。
入った大学で、大きな変化が訪れた。
残念ながら、「心理学科」ではなかったが、「心理学」は勉強できたし、
編入した人たちをまとめたゼミを担当してくれた先生が、
子どものカウンセリングを行なっている人だったので、ゼミ以外でもいろいろ相談にのってもらうことができた。
その時、無意識をいろいろ刺激されたのか、大きく変化した。
親への反発。怒り。
体調不良。
両親はとても心配していたが、「私を信じて欲しい」とだけ伝えた。
大きかったのが、自分に「感情がある」ことを思い出したこと。
自分には浮き沈みする感情がないと思っていた。(←ないわけないよね)
いかに感情を抑圧していたことか。愕然とした。
そして、「全ての人に受け入れられなくても良い」ということ。
私は私。それでいいんだ。と思えた。
自分が変わったことが嬉しくて、足取りが軽くなった。
嬉しくて幼なじみに手紙を出した。
「え~そうだったんだ~~」と返事が来た。
友達にしてみると、そんなに大きなことではなかったらしい。
「なこちゃんはなこちゃんだよ」の言葉が嬉しかった。
大学での2年間を終え、ようやく社会に出る自信がついた。
就職は運よくすぐ決まり、就職したら地元に帰ることになった。