【写真:ガリラヤ湖】
文明という、ある意味では毒を飲まされている私たち、もう一度原点に戻って、自分を洗い流して見る必要があるのではないだろうか。自分はどこから来て、これからどこへ行こうとしているのか、もう一度それを見つめるために・・・。
恵まれて1991年の夏と冬、1992年の秋と続けてイスラエルに飛んだ私。3度目の旅を終えて思うことは、ある意味で信仰は染物のようなものだということ。一旦染めた布地は必ず川で洗い流すでしょう。そうすると、余分な色が落ちて本当の色が出てきますね。
信仰も同じように思いました。この辺にぶら下がっている自分の知識を、試練という川で洗い流さなければ、本当の信仰は見えて来ないような気がするのです。つまり、いっぱい学んだけれども、実践によって身についた本物の知識はどれだけか、またその知識によってどれだけ知恵を得たか、試練という川に入って初めて分かるのではないかと。
時々、何ともいえない優しさと同時に、どこか一本凛として、甘えない心を持っている人にお目にかかることがありますが、そういう人は老若男女を問わず、考え方、生き方、あるいは物事の受け止め方が違うのだろうと思っていました。今回の旅で、その謎が解けたような思いです。
主の導きを得て、試練という人生の荒野を越え、試練という人生の大河を渡り切った時、人は初めて神と共に住めるのかもしれません。今そのように新しい視野に立って考え、残りの人生を悔いのないものにしようと努力し始めました。
ユダの荒野を走り、チンの荒野にたたずみ、またガリラヤ湖を横断し、さらに死海で浮きながら、思うことはただ一つ、ここでは神無しには生きていけないということです。命に代えてもなお信じられる、絶対的な何かが必要なのです。それゆえ、戦いの根底にあるものは常に自分たちの神であり、それに基づいた、曖昧さを許さない民族の習慣や絆ではないかと痛感するのです。
しかしながら、アラブ民族とユダヤ民族の交錯する中で、「自分のルーツ、いや日本人のルーツはここにあり」、そんな気持ちを強くして帰国したのでした。
文明という、ある意味では毒を飲まされている私たち、もう一度原点に戻って、自分を洗い流して見る必要があるのではないだろうか。自分はどこから来て、これからどこへ行こうとしているのか、もう一度それを見つめるために・・・。
恵まれて1991年の夏と冬、1992年の秋と続けてイスラエルに飛んだ私。3度目の旅を終えて思うことは、ある意味で信仰は染物のようなものだということ。一旦染めた布地は必ず川で洗い流すでしょう。そうすると、余分な色が落ちて本当の色が出てきますね。
信仰も同じように思いました。この辺にぶら下がっている自分の知識を、試練という川で洗い流さなければ、本当の信仰は見えて来ないような気がするのです。つまり、いっぱい学んだけれども、実践によって身についた本物の知識はどれだけか、またその知識によってどれだけ知恵を得たか、試練という川に入って初めて分かるのではないかと。
時々、何ともいえない優しさと同時に、どこか一本凛として、甘えない心を持っている人にお目にかかることがありますが、そういう人は老若男女を問わず、考え方、生き方、あるいは物事の受け止め方が違うのだろうと思っていました。今回の旅で、その謎が解けたような思いです。
主の導きを得て、試練という人生の荒野を越え、試練という人生の大河を渡り切った時、人は初めて神と共に住めるのかもしれません。今そのように新しい視野に立って考え、残りの人生を悔いのないものにしようと努力し始めました。
ユダの荒野を走り、チンの荒野にたたずみ、またガリラヤ湖を横断し、さらに死海で浮きながら、思うことはただ一つ、ここでは神無しには生きていけないということです。命に代えてもなお信じられる、絶対的な何かが必要なのです。それゆえ、戦いの根底にあるものは常に自分たちの神であり、それに基づいた、曖昧さを許さない民族の習慣や絆ではないかと痛感するのです。
しかしながら、アラブ民族とユダヤ民族の交錯する中で、「自分のルーツ、いや日本人のルーツはここにあり」、そんな気持ちを強くして帰国したのでした。