イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

49.ピリポ・カイザリア B

2006年09月12日 | Weblog
【写真:バニアスで戯れる】聖書の世界(ミルトス社)より

「ああ、天のお父さま、私にも何かお言葉をください。イエス様は確かに救い主です。私はイエス様によって救われました。今、あなた様ご自身の教会で修行しております。イエス様をお慕いして遠い国から参りました。あなた様が生きておられることも知っております。どうぞ、この小さなはした女を哀れんで、何かお言葉をください」

 祈りの言葉が身体中を駆け巡って熱くなりました。誰もいなければ、あの木陰でひざまずくものを・・・。そんな思いを抱きながら、ヨルダン川源流の滝を眺め、水の流れを追っていますと、倉田さんがバスの中で読んでくださった、あの聖句が胸にこだましました。
「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(マタイ16:23)
 これが、この時、私に与えられた主のお言葉だったのです。

 さて、ここで20分の自由時間が与えられ、それぞれが思いのまま行動しています。太陽もだいぶ傾いて、そういえば「カナの婚礼の教会」に着いたのも、ちょうど昨日の今頃だったと思い出しました。ルームメイトの児玉さんと、夕日に向かって下流の方を散策しますと、木陰で休まれている人たちもいて、全体の雰囲気がゆったりと落着いています。群集から離れて、弟子たちに大切なお話をするには、確かにふさわしい場所だと、心から思いました。
・人々は人の子をだれと言っているか。
・ある人はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちはエリヤだと言い、またエレミヤあるいは予言者のひとりだと言っている者もあります。
・それでは、あなたがたは、わたしをだれと言うか。
そこでペテロが答えました。
・あなたこそ生ける神の子、キリストです。(マタイ16:13~16参照)
 ところが、イエスは、自分がキリストであることを、誰にも言ってはいけないと、弟子たちを戒めます。その時の真剣な、張りつめた空気を緩和したものは、あの滝の音、この水の流れ、そしてこの木陰ではなかったろうか。
 この後、イエスはペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて高い山(変貌の山)に登るわけですが、それがはたしてヘルモン山か、タボール山か・・・明日が楽しみです。

 さて、集合時間になりました。添乗員の泉さんが羊を数えるように、1.2.3.と私たちを数えています。一瞬、昨日の羊の群れを思い出しました。添乗員の鏡と言われている犬のことも・・・。そして無事に今日の日程を終えたことに感謝し、ここで与えられた特別な主の言葉を肝に命じました。
「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と。

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