【写真:エリヤの泉】
下山途中、遠くからでしたが、「エリヤの泉」を見ることができました。カルメル山でバアルの預言者と戦って、アハヴ王の妃イゼベルから逃げてきた、あのエリヤです。彼もまた追いつめられて、死にそうになってシナイ山まで導かれてきたのです。
「頂上までは無理だから、せめてエリヤの泉が見える所まで行きたいわ」
登る前、角田さんがそうおっしゃったのを思い出しました。希望が叶ったかどうか確認していませんが、岩山と岩山の間に少し平らなところがあって、5~6本の糸杉で囲まれています。
「モーセの山よ、エリヤの山よ、そして信仰の山よ」
叫びたい気持ちを押さえながら、もう二度と来るチャンスがないだろうと思うと、別れがたくて、何度も何度も振り返ります。(実際は数年後、頂上まで登りましたが・・・)、何度振り返っても、ずーっと見送ってくれるシナイの峰に、ちょっと子供の頃が浮かんできました。
学校へ行く時、角を曲がって見えなくなるまで、ずーっと家の前で見送っていてくれた母、病気で寝込んだ時、目を覚ますと、いつもそばにいてくれた父、このシナイの山々に、あの頃の父の面影、母の面影を感じて、とても「さよなら」なんて言えない心境です。
その両親を思わせる山と、目立たない場所で精一杯命を張って生きている、小さな花の精に守られて、無事にセントカテリーナ修道院まで戻って来たのは8時20分頃。みな元気です。石も12個拾いました。
その途中、第一休憩所で休んだまま、ずーっと私たちを待っていて下さった西さんと合流しました。ご高齢でも好奇心を失わない西さんが、そこから修道院までラクダに乗ると言い出して、5ドルで素敵な経験をなさったのでした。
下山途中、遠くからでしたが、「エリヤの泉」を見ることができました。カルメル山でバアルの預言者と戦って、アハヴ王の妃イゼベルから逃げてきた、あのエリヤです。彼もまた追いつめられて、死にそうになってシナイ山まで導かれてきたのです。
「頂上までは無理だから、せめてエリヤの泉が見える所まで行きたいわ」
登る前、角田さんがそうおっしゃったのを思い出しました。希望が叶ったかどうか確認していませんが、岩山と岩山の間に少し平らなところがあって、5~6本の糸杉で囲まれています。
「モーセの山よ、エリヤの山よ、そして信仰の山よ」
叫びたい気持ちを押さえながら、もう二度と来るチャンスがないだろうと思うと、別れがたくて、何度も何度も振り返ります。(実際は数年後、頂上まで登りましたが・・・)、何度振り返っても、ずーっと見送ってくれるシナイの峰に、ちょっと子供の頃が浮かんできました。
学校へ行く時、角を曲がって見えなくなるまで、ずーっと家の前で見送っていてくれた母、病気で寝込んだ時、目を覚ますと、いつもそばにいてくれた父、このシナイの山々に、あの頃の父の面影、母の面影を感じて、とても「さよなら」なんて言えない心境です。
その両親を思わせる山と、目立たない場所で精一杯命を張って生きている、小さな花の精に守られて、無事にセントカテリーナ修道院まで戻って来たのは8時20分頃。みな元気です。石も12個拾いました。
その途中、第一休憩所で休んだまま、ずーっと私たちを待っていて下さった西さんと合流しました。ご高齢でも好奇心を失わない西さんが、そこから修道院までラクダに乗ると言い出して、5ドルで素敵な経験をなさったのでした。
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