コブリはカニカマの夢を見る…

手指の違和感から上肢局所性ジストニアとの診断 書字困難で余儀なく廃業 同居猫もいなくなった元小動物臨床獣医師の長い独り言

お終めぇよ 「下」 であります (お読み飛ばし下さい)

2017年05月09日 | 日記

余所ん家に起こった 悲しい話からのスピンオフです

お読み頂いても 不快なモノが残るかもしれません

どうぞ 読み飛ばしてくださいませ



さて

6年前に "それを" ・ "言っちゃぁ" ・ "お終めぇよ" っと

三部作を 並べた事がありまして

実は 「下(最終回)」 を アップせず 

意図的に そのままにしてありまして

変わりモン かつ 

ひつこい (関東圏では「シツコイ」が正しい発音?) 性格(たち)の 

ワタシ

ずっと どこかで 「下」 をアップさせにゃ・・・

っと 思っておりました

現役をひいて はや3年

そろそろ 良いかしら ってことで

完全に 自己満 でありますが

「下」をば・・・




最近の 動物病院業界 は

革新的な進化を遂げ

また 飼い主さん側にも 

ただ 高額をふんだくられる という悪い印象だけでなく

「金がかかるもの」 ということも 広く認知され

ちょっと前までは 診断不可能だった疾患も

(言葉としては不適切かも知れませんが)

サクサクと 「確定診断」 を得ることが可能になりました

それでも

今 手にしている検査結果では 診断に至る決定打がなく

経過観察してゆく中で 症状が変化して

その時が来るまで 診断できない

そんな疾患も まだまだ たくさんあるわけで・・・

(ワタシの ジストニア も 口周囲皮膚炎も 

 はじめの頃は そんな感じで 診断がつかなかった)




っで 例えば ウチの黒いヤツ

初期症状は



瞳孔径の左右不同 (瞳の大きさが 左右で異なること)と 

左眼の瞬膜突出 (目頭から 膜が出ていること)



そして 後からやって来た 進行性の後駆麻痺・・・



って やっぱり 専門用語を並べられても

多くの飼い主さんには 

わかったような わからないコトでありまして

ひとつひとつを しっかり説明する事が

施療者の義務であると 考えていました

もちろん ありきたりの病気では

説明半分で終わらせていましたけどね・・・

複雑 かつ 命取り っとなる疾患では

詳しく わかりやすい言葉で説明し

原因/結果 など

解明できていないことは 「わからない」 っとハッキリ申し上げ

その上で 飼い主さんに どうするか を

「決めて」頂いて 実際の治療に入るわけです

ウチの黒いヤツ の 場合は

ワタシは 獣医師として 次に 飼い主として

「積極的な検査と治療は しない」と決めて

「しない」 を 積極的に 「しました」



ところが それを 「決められない」 飼い主さんも

少なからず おられました

「決められない」 時はどうするか・・・

もう一度 最初から説明を尽くして 「決めて」 頂きました

それも 出来ないときはどうするか・・・

「決まるまで 動かない」 というのが

ワタシの考えでありました

もちろん 何もしないワケではありませんが

施療者サイドが 治療を勝手に進めてゆくことは しませんでした

すると

「先生の一番良いと思う治療をしてください」

っと 言い出してしまう飼い主さんも

少数ながら おられました

ココに関しては どんなに変わりモンと言われても
 
小動物臨床獣医師の矜恃として 

ワタシには 「飼い主としての責任放棄」 としか思えませんでした

なので ソレを言い出してしまった飼い主さんには

もう 説明も何も したくありませんでしたし

実際 本当に しませんでした



ソレを 言っちゃぁ お終めぇよ

っの 「下」 であります

お読み頂き ありがとうございます




ところが 不詳ワタシ 

実は 今までになく 怖かったのです

”ぐー””ぐーちゃん””ぐーちゃん ぐーちゃん” っと

娘と 娘の猫と 濃厚な時間を過ごしました

この際中に もし娘が 

「一番良いと思うコトをして下さい」 と言ってきたら っと

父である前に 獣医師として その次に 父として 

日々 強い恐怖を隠して 娘とグーちゃんとに 向き合っておりました

そして

父として そうであると信じたように

娘は それを言わず離日して

「本当に優しい人は なにも聞こうとはしない」

っと 

ワタシの恐怖など モノともせずに乗り越えてゆきました

もちろん 二人 (娘の母も入れ三人) とも

この哀しみが 癒えたわけではありません

また 獣医師であった ワタシは

正しく飼い主という立場からすれば

「しない」 を 積極的に 「する」 っという選択肢を

選んで頂いたということが

なんと 残酷なコトを要求していたんだとも・・・



紀伊國屋 新宿本店で

危うく 落涙するところでありました・・・




さて 西から天気は下り坂

夜には 東京でも 雨・・・

でも 降雨量は さほど多くない模様

ってぇと クルマには 黄砂の模様が べっとり・・・

洗車しよ! 



どうぞ みなさまにうれしいことがたくさんありますように!

そして 毎日笑顔がありますように!



本日のBGM



ライブ版のアレンジ も悪くない



































































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5 コメント

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ナニもしない (あんず)
2017-05-13 03:03:22
この選択肢を提案して下さった先生に感謝してます🙏
枯れて行く花にいくら水をあげても根っこが腐るだけだと説明して下さいましたね。(でも、コレ、植物を育ててる人にしか分からなかったかも…(´-`).。oO)
飼い主は何かが起こると出来る事を探す事に執着して、結局エゴの塊になってしまいがちです。
対動物だけではなく人間の家族に対しても。見送る事が怖いんですよね。
本人の負担になる事はナニもせず、美味しく食べて、安心できる場所でノンビリ過ごせる時間を持たせてあげる方が本人にとって一番楽だったのだと思います。
どの命にも限りがあるのだ!と言う事を自分が健康な状態でチャンと理解する事って難しいけど、してあげなきゃいけないんですよね。
返信する
あんず 様 (ワタシ)
2017-05-13 07:55:16
あくまでワタシの個人的なことで
誰かに聞かせるためのモノではありませんが・・・

娘の祖父は病院で亡くなりましたが
家族が揃うまで相当な時間の心臓マッサージをして頂いていたと娘の母から聞きました
この娘の祖父は相当な個性の持ち主でしたので
病院側もソレを配慮した(忖度した)のやも知れません
ただその話を聞いたときにワタシが思ったのは
そんなに長時間もドクターも大変だったろうなぁ、ということ
(心マは思うよりももっと大変な肉体的重労働なのです)
それと、重労働を受ける方もキツかったろうなぁということでした

今から思えば
「しない」を「する」っということ
ソレを選択肢のひとつとしてお話しするということは
小動物臨床獣医師の矜恃
つまりプロ意識を捨てることにつながっていったことかも知れないと考えています
体のよい「逃げ」でもあるから?
よくわかりません
考えても考えても結論はその度に違うトコロへ行ってしまいます
同じ事をお話ししてもその都度、違う気持ちでお話ししていたのかも知れません
ワタシに明日が来るならば
明日への宿題です
返信する
心マ (あんず)
2017-05-15 18:42:50
私は15年ほど前、99%安全な手術の誤算で術中に3度ほど心マをされちゃったのですが、余りに痛くて重くて麻酔が冷めて、先生によると「何すんのよ!痛いでしょ!」と怒ったそうです。
怒った記憶は無いのですが何か言った事はウッスラ覚えています。ヤッパリ痛いんですよ。アレ。
「しない」はプロ意識の放棄でも逃げでも無いと私は思います。
プロだから提案出来る「しない」なんだと。人間だとホスピス?
我が家の重病人。この2日間食べなくて…焦っていたのだけど、今日はジャンクなかつお缶をモリモリ食べちゃいました。が、目がランラン。💖。元気そうな顔つきになっちゃいました。(笑)
食べれる内は食べたい物食べて、辛い事されずに旅立ちたいな…私も。って。
返信する
あんず様 (ワタシ)
2017-05-16 09:52:24
あれま・・・
心マ被経験者様であらせられましたか・・・
そして「お言葉」まで発声されていたとは
さぞ、お辛かったかと拝察申し上げます
ワタシ史上初めての全身麻酔は
荻窪の衛生病院の、今はない天然光が入る手術室で
「ツヅキさんの手術が上手くゆきますように アーメン!」っと・・・
「おいおい神頼みか?」の2回目の「い」を思う前に注射でコテンとなってましたが・・・(アソコは教会もあるくらいだから文句ないです)
その頃からですかね
西洋医学は患者に多くを強いるんだなぁと実感し始めたのは・・・
点滴のための留置針から始まって
術注の気管チューブ挿管
術後の尿道カテーテル
うっかり同じ方向へ360度の寝返りをすると
ポコチンが引っ張られて・・・
今だから笑い話だけど
どれもこれも その時も その後も 痛みが残るでしょ?
そうういう経験がないからチューブくっつける事に抵抗感がない
なんだかねぇ って気持ちになったのでした
返信する
Unknown (もりた)
2017-06-17 12:40:14
ほぼオンタイムで拝読してから気づけばあっという間に日が流れていることに今驚愕しながら、今ごろながら失礼いたします。。

都筑先生のこういった文章に、本当に慰められ励まされるのです。

あんず様の言葉通り、どうしても『出来ることを探すことに執着』し、出来なかったこと出来なかった自分をいつまでもグルグルと悔やみ呪ってしまう…
けれどこうして先生の言葉を目にすると、『ああ、あの子もあの子も自分の生命を自分の思うように全うして逝ったに違いない』と納得する糧が出来、自身の呪縛から解放する糧となるのでありまする。

勢いで吐き出してしまいますが、「あれから」1年以上経ち、
留守中に前触れも私に悟らせずひとり勝手に逝ってしまったはるへの悔恨と懺悔は全く色褪せてくれず、思い馳せない日は何日あったか無かったか…というほど狂気に近く私の中に巣食っているのですが、

今にして思えばの、段階的に病状が進み体力が落ちながらの時間すら、やや病的に心配性な私に不思議に楽観視させる態度を取り続けていた彼女のこと、
その朝に掛かった獣医師すら欺き、獣医師と私の『次の段階の治療に進む』話も把握して、自分のイマワノキワに私がどれだけウザったくなるかも見透かして、
本当に完璧に絶妙なタイミングを作り出し旅立つ時を選び取った、、、

本当に見事なまでに自立した、一生を通して頼もしいはるの生き方だったのだと、今あらためて言葉にすることができます…。

「してほしくないこと」「したいこと」がハッキリしている彼女でした。
体力が落ち食欲が落ちても頑としてハッキリ私に示していた・・・


これは、本当に初めて心の中から吐き出すことなのですが、
はる は、
病状、ではなく、生命体としての寿命が個々に定められているのだとしたら、逝った日のとっくに前にそれを迎えていたと思うのです。2週間か、3週間か以前に。。
だけどまさに見送る怖さを断固受け入れず、何か出来ることに固執する私の為に、ギリギリ、ギリギリその時を引き延ばしてくれていた…
苦しい思いを背負ってくれていたのだと思います。
日々ばたついている私の稀有な三連休をしっかり傍で過ごしてくれて、そのラストに私を外出に送り出し、やれやれやっと時間が出来た、と全て彼女の思惑をやり尽くして一息ついたのだと、そんな風に 。。

長々申し訳ありません。
すっかり私用してしまいました。

1年半、模様替えも出来なかった部屋、自分から、ぼちぼちまた一歩踏み出したい今日この頃であります。

都筑先生のご健康、毎日祈っております。
いつか井の頭公園でバッタリ、なども期待してたりするのでありました(^.^)
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