前々回、漢字の音訳に古代の五十音図の痕跡が残っていたことをお伝えしました。
そこで、他にも同様の痕跡が残っていないか『大日本国語辞典』を調べたところ、次のような音訳例がありました。
1.「すゐ」と音訳された漢字
前々回、「すゐ」と音訳された漢字として、水、推、錐、帥、錘、翠をご紹介しましたが、それ以外にも、睡、吹、炊、垂、酔、粋、遂などがありました。
2.「ずゐ」と音訳された漢字
「ずゐ」と音訳された漢字には、隋、瑞、髄、随などがありました。
3.「つゐ」と音訳された漢字
「つゐ」と音訳された漢字には、對(対の旧字体)、追、墜などがありました。
これらは、漢字の音訳がなされた時代に、あ行の「い」が存在しなかった証拠になるのではないかと思われます。
なお、前々回ご紹介した「るゐ」も含めて、これらがう列の言葉である理由は、う列の音は口をすぼめて発音するため、当時の日本人には、続く「い」が「wi」に聞こえたからでしょう。
4.「いう」と音訳された漢字
遊、憂、優、幽、誘、郵、由、悠、猶などは「いう」と音訳されていましたが、現在これらを「ゆう」と発音するのは、「いう」の「い」がや行の「い」だったからだと推測できます。
つまり、最初はや行の「い」と音訳されたものが、その後「い」があ行に移動したため、「yiu」が「yuu」になったと考えられるのです。
5.「えう」と音訳された漢字
曜、妖、要、腰、夭、揺、謡などは「えう」と音訳されていましたが、現在これらを「よう」と発音するのは、「いう」の場合と同様に、「えう」の「え」がや行の「え」だったからでしょう。
6.「えふ」と音訳された漢字
葉は「えふ」と音訳されていましたが、現在これを「よう」と発音するのは、やはり、「えふ」の「え」がや行の「え」だったからでしょう。
7.「いん」と音訳された漢字
「いん」と音訳された漢字の現代中国音を『実用支那語発音辞典』(石山福治:編、大学書林:1937年刊)で調べてみると、次の図に示すように「yin」となっているものが多くありますから、「いん」の「い」はや行の「い」だったと考えてよさそうです。
【「いん」と音訳された漢字の現代中国音】(石山福治:編『実用支那語発音辞典』より)
8.「えん」と音訳された漢字
「えん」と音訳された漢字の現代中国音を『実用支那語発音辞典』で調べてみると、次の図に示すように「yen」となっているものが多くありますから、「えん」の「え」はや行の「え」だったと考えてよさそうです。
【「えん」と音訳された漢字の現代中国音】(石山福治:編『実用支那語発音辞典』より)
9.温病(うんびゃう)を「をんびゃう」と読むこと。これは、「う」が「wu」だったことの証拠でしょう。
【温病】(上田万年・松井簡治:著『大日本国語辞典』より)
このように、漢字の音訳に際して、あ行の「い、う、え」が使われていなかった証拠が多数存在しますから、漢字が音訳された時代(五世紀初頭)には、あ行の「い、う、え」が存在しなかったことは明白なのではないでしょうか?
次回からは古代歌謡の分析です。
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【記事の訂正】 2023年9月24日
「すゐ・ずゐ・つゐ」の音訳については、その後の研究で「すい・ずい・つい」であったことが明らかになったそうなので、この部分の記述を削除させていただきます。
参考:「漢字の音訳に関する訂正」