前回は、奈良時代の初頭には、あ行の「え」が存在しなかったということをお伝えしました。
これは『日本古代語音組織考』という本に書かれているのですが、この本の著者の北里闌(たけし)氏は、明治30年にドイツに留学して哲学博士号を授与された秀才で、日本語の音韻や語源を深く研究した人物だそうです。
したがって、本の内容に間違いはないと思われますが、念のため、それが本当かどうか検証していきたいと思います。
奈良時代(西暦710年~784年)には、古事記(712年)と日本紀(720年)がつくられましたが、それらはすべて漢字で書かれており、和歌などの日本語の音韻も漢字で表記されていました。
そして、あ行の「え」を表わす漢字は、『大日本国語辞典』(上田万年・松井簡治:著、富山房:1941年刊)という本によると、「衣、依、愛、哀、埃、榎、得、荏」の八文字だったそうです。
そこで、これらの漢字が使われている部分を、まずは古事記について調べてみると、「衣、依、哀、埃、榎、得」の六文字は、日本語の音韻を記述している部分には使われていませんでした。
次に、「愛」ですが、これは、国生み神話で有名なイザナギ・イザナミ両神が、次のように互いに声を掛け合う際に出てきます。
「阿那迩夜志愛袁登古袁」(あなにやしえをとこを)
「阿那迩夜志愛袁登賣袁」(あなにやしえをとめを)
これは、「ほんにまあ善き男よ」、「ほんにまあ善き女よ」という意味だそうです。なお、漢字の表記と文章の意味については、『古事記』(藤村作:編、至文堂:1929年刊)という本を参照しました。
ところで、日本語の意味について詳しく論じた本に、『日本語原』(井口丑二:著、平凡社:1926年刊)、および、『日本語源』(賀茂百樹:著、興風館:1943年刊)の2冊があります。
このうち、『日本語原』には、あ行の「え」について、この音に従う語根語はないと書かれています。つまり、「え」が語根(ごこん=言葉の最小単位)になりうるとしたら、それはや行の「え」だということです。
そうであれば、上に述べたように、「愛袁登古」(えをとこ)の「愛」は、「善い」という意味で使われているので、語根語だと考えられますから、「愛」はや行の「え」だと思われるのです。
さらに、『日本語源』には、「愛袁登賣」(えをとめ)の「愛」がや行の「え」であると明記されています。
なお、「愛」はもう一か所、次のような国名を表記するのに使われています。
「伊豫國謂愛比賣」(いよのくにをえひめといひ)
これは、「伊予の国をえひめ(愛媛)といい」という意味で、「えひめ」=兄姫のことだと思われますが、『日本語原』によると、干支(えと)の「え」は兄という意味で、これもや行の「え」であると書かれています。
加えて、『日本古語大辞典』(松岡静雄:著、刀江書院:1937年刊)という本には、「吉、善」を意味する「え」は、転じて「愛、長、兄」等の意となり、形容語尾「し」を添付した「えし」は「よし」と転じて活用されることが書かれています。
したがって、『大日本国語辞典』の記述に反して、「愛」はや行の「え」に間違いないと思われるのです。
次回は、最後に残った「荏」という漢字について検証したいと思います。
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