『ついに現われた幻の奉納文 伊勢神宮の古代文字』(丹代貞太郎・小島末喜:著、小島末喜:1977年刊)という本の内容をご紹介しています。
今回は前回の続きで、稗田阿礼の2枚目の奉納文をご紹介します。
【稗田阿礼の2枚目の奉納文】
番号
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読み
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古代文字の種類
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11
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うみかゆけはこしなつむおほかはらのうゑくさ | 阿比留文字 |
うみかはいさよふ | 阿比留文字 | |
はまつちとりはまよはゆかすいしつたふ | 阿比留文字 | |
やまとほこあまつみしろとよくむなりひめみこと | 肥人書 | |
つちのへさる和銅元(記号) 稗田阿礼(花押) | 肥人書+漢字 |
この奉納文の1行目から3行目は、前回の歌の続きですが、やはり古事記とは異なる部分があるので、『古事記』(藤村作:編、至文堂:1929年刊)の原文をご紹介します。なお、意味は『紀記論究外篇 古代歌謡 上巻』(松岡静雄:著、同文館:1932年刊)を参考にしました。
【上記奉納文に対応する古事記の原文と意味】
(后たちや御子たちが)海潮(うしほ)に入り、難渋しながら進んだときに詠んだ歌。
原文
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読み
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意味
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宇美賀由氣婆 | うみがゆけば | 海を行けば (「が」は場所を意味する) |
許斯那豆牟 | こしなづむ | (波が腰にまつわりついて)行きなやむ |
意富迦婆良能 | おほかはらの | 大河原の |
宇惠具佐 | うゑぐさ | 水辺の草(が波に漂うように) |
宇美賀波伊佐用布 | うみがはいさよふ | 海は進もうとしても進めない |
また、(八尋白智鳥が)飛んで、磯にいるときに詠んだ歌。
原文
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読み
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意味
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波麻都知登理 | はまつちとり | 浜千鳥 (八尋白智鳥にいいかけたか?) |
波麻用由迦受 | はまよゆかず | 浜を行かず (「よ」は「を」と相通じる) |
伊蘇豆多布 | いそづたふ | 磯づたいに行くよ |
両者の異なる部分を赤字で、奉納文だけに存在する部分を青字で示しましたが、前回と同様に、この奉納文は古事記より古いので、稗田阿礼の奉納文が間違っていて、その間違いを太安萬侶が古事記で校正したということだと思われます。
前回も言いましたが、これが偽造されたものであれば、わざわざ間違えることはしないでしょうから、こういった不一致は、古代文字の奉納文が本物である証拠だと思われます。
なお、「うゑぐさ」は、松岡静雄氏の見解によると、莞(おほゐ)という水辺に自生する草で、蓆(むしろ)を織るのに使われたそうです。
莞は、『大日本国語辞典』では「ふとゐ」という読みを採用していて(次図参照)、カヤツリグサ科アブラガヤ属の植物で、多くの別名があり、「おほゐ」もその一つです。
【莞(ふとゐ)】(上田万年・松井簡治:著『大日本国語辞典』より)
また、「いさよふ」は、進もうとしても進めないという意味です。(次図参照)
【いさよふ】(上田万年・松井簡治:著『大日本国語辞典』より)
以上の検討結果をまとめると、全体の意味は次のようになると思われます。
【前半の意味】海を行けば(波が腰にまつわりついて)行きなやむ。大河原の水辺の草が波に漂うように、海は進もうとしても進めない。
【後半の意味】浜千鳥が(その名にそむいて)浜を行かず、磯づたいに行くよ。
なお、4行目と5行目に関しては、1枚目の奉納文とまったく同一なので、前回の解説をご覧ください。
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