ウクライナ紛争プロパガンダもそろそろ一巡してきた時期かもしれない。ポロポロっと真実に近い情報が散見されつつつあるようだ。デイリー新潮がこんなタイトルの記事をリリースするようにもなっている。⇒「財政破綻、人口減少だけではない 破綻国家となりつつあるウクライナの窮状」(7月12日)。ゼレンスキーさんも英米中心の欧米が本当にどこまでやってくれるのか疑心暗鬼になってきているのかもしれない。頼みのジョンソンさんも辞めちゃうし・・・・。バイデンさん、けっこう口だけか?・・・なんて思っているのかも。という間に中ロサイドがインド、アフリカ、その他周辺諸国を巻き込んでどちらがマジョリティーかわからなくなってきちゃったのではないか‥。サンクション効果って、要はきつ――い両刃の刃だったのかもしれない。EUも全く一丸ではないし…。プロパガンダって、実はそんなものなのだろう。遠からず真実が露呈する。日本も昭和20年8月には露呈してしまった。
「爆弾三勇士」って第一次上海事変中、昭和7年2月22日に蔡廷鍇率いる国民革命軍19路軍の敵陣を突破するために、独立工兵第18大隊(久留米)の江下武二、北川丞、作江伊之助の3名が爆弾を抱いて突っ込んて爆死したという話のようである。突破口を開いた3人の勇士、英雄とされる。肉弾三勇士とも言われる。
この「爆弾三勇士」と命名したのはあの荒木貞夫(陸軍大臣)といわれ、各紙も美談として報道した。映画になったり、歌にもなったり、かなりの弔慰金も集まったという。日本中を挙げて大宣伝され、軍国熱は上がりっぱなし・・・・というそんな時代の空気であったようだ。・・・・けれど、事実はただただ悲しいお話のようである。「死」を美化するということがどんな結果に結びついていくのか。常に冷徹な目を持って見つめていた白朗の目には、もしこれを知っていたとしたら、どんなふうに映っていただろうか。(文責:吉田)