70年間君臨したエリザベス女王の国葬がイギリスで行われた。日を置かずして日本では安倍晋三氏の国葬が昨日行われた。このお二方の死に限らず人の死は残された人にとっては一つの区切りになるものだと思う。私もここ10年あまりの間に親族、友人、あるいは尊敬する知人を含めて周囲で8人亡くなっている。私自身が死の適齢期に近づいていることの反映でもあるが、これはやや多すぎるのではないかと思っている。小中高からの親友S氏、高校からの親友H氏、仕事で知り合った友人(呑み友だち)A氏、義理の母に妻、それに姉、加えて数多くの著書を残した大物ノンフィクションライターO氏、それにコツコツと一つのテーマを追い続けて他が見つけ出すことのできなかった近現代史のある証拠を見つけ書物に表したK氏…の8人だ。残念ながらエリザベス女王も安倍氏も私の近しい人物ではないので含まれてはいない。
そういう訳でこの二つの国葬については「他人事」で済ましてしまうのが一番順当なことなのだろう。せいぜい「雑感」くらいのものというべきか。
エリザベス女王が亡くなったことで、Her Majesty(㊟) が消失した。すでに、His Majestyがスタートしているのだと思う。Her Majestyはもちろんビクトリア女王のときにも頻出していた必需ワードであるが、とりあえずは70年間君臨し続けたエリザベスそのものといってよいだろう。「法の支配」といった都合の良いキーワードをベースに50数か国にも及んでいるコモンウェルス、英連邦の淵源そのものといってもよい。一方、安倍晋三氏はどうだろう。自民党の大物議員である村上誠一郎氏が安倍氏について「財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊した。国賊だ」 (9月23日時事通信社)と“評価”していたが、簡潔にして要領を得た的確な評価だと感心したものである。その意味では“国葬”に値する大人物なのかもしれないと思ったりもした次第だ。私にはよくわからないが、少なくとも自由民主党の中では超大物だったのであろうか。
まあその程度のことしかわからないが、希望的観測を含めて感想を言うとすれば、エリザベスの国葬は植民地搾取を嚆矢として隆盛を謳歌した新自由主義の終焉を期待させるものであり、安倍氏の国葬は自由民主党自体の生前葬の様相を呈している、といったことであろうか。少なくとも“安倍政治”の終焉ではある。いわば“血の絆”とも言える文鮮明=岸=安倍の構図を慮ると統一教会と自民党の蜜月の行方も怪しくなってきたか。週刊現代では「岸田政権もうガタガタ」だって。ところで、ビジュアル的にいうと、エリザベスの国葬でやたらと違和感を際立させていた「軍服」、植民地支配の象徴とも見える景色をノブレスオブリージュと持ち上げていた論評もちらほら。能天気なことである。(文責:吉田)
㊟ Her Majestyってこんな風にも使うのです。ウィキペディアから「日英修好通商条約(Treaty of peace, friendship and commerce, between Her Majesty and His Majesty the Tycoon of Japan)、日本時間1858年8月26日(安政5年7月18日)イギリス代表のエルギン伯爵ジェイムズ・ブルースと江戸幕府の間に調印された日英両国の通商に関する不平等条約。 」つまり、当事者は「国家」ではなくてクィーンなのです。
お勧め「統一教会について・・・」など⇒「小日向白朗学会のホームページ」