Wikipediaによると・・・・≪地政学は国際政治を考察するにあたってその地理的条件を重視する学問である。19世紀から20世紀初期にかけて形成された伝統的地政学は国家有機体説と環境決定論を理論的基盤とし、ドイツ・イギリス・日本・アメリカ合衆国などにおいて、自国の利益を拡張するための方法論的道具として用いられてきた。・・・・・1980年代以降に勃興した批判地政学は地理に関する政治的言説そのものを研究対象とする学問であり、ある空間に対する政治的イメージがいかに構築されるかについて論ずる。≫などと説明されている。
もともと生物学者でダーウィンの影響を強く受けたドイツのフリードリッヒ・ラッツェル(1844-1904)が国家有機体説を言い出したらしい。まだ、この時は地政学(geopolitk)という言葉はなかったようだが、これを継承したスエーデンのルドルフ・チェレーン(1864-1922)が地政学と言い出したようである。この辺までは特に胡散臭さは感じないのだが、続いて出てくる学者たちにはいかがなものだろうか。
ドイツのカール・ハウスホッファー(1869-1946)はナチスのルドルフ・ヘスと親しくヒトラーに近い人物とも言われるようだが、地政学に生存権の概念を付加して覇権拡大のロジックをサポートした。同時代にイギリスのマッキンダー(1861-1947)がいる。例のハートランド論で著名だ。これが曲者であることは誰もが認めるところだろう。続いて癌で早死にしてしまったアメリカのニコラス・スパイクマン(1893-1943)がリムランド論を言い出してマッキンダー理論を補強してる。ランドパワーとシーパワーの確執などと言われるとマリックさんのマジックハンドパワーのことかいな??とでも言いたくなってくるのは私だけだろうか。
もともと地政学などというものは存在していなかったわけだが、地理と政治学という学問はあった。これを無理やりに一つの理論体系に仕上げたものが地政学だ。と言って、果たして地理学者や政治学者たちは納得するものなのだろうか。マッキンダーは、イギリスの王立地理学協会で地理を大学の正規の講座に昇格させる動きがあったのを背景に1899年にオックスフォード大学が地理学院を開設したときその初代の院長に迎えられている。確かに、イギリスという国家の威光を着ることができた、とも言えよう。さらに彼は1904年にロンドン大学に新設された政治経済学院の院長に就任し、その後20年に渡って同学院の経営に専念、経済地理の講義を続けた。そして、この学校の卒業生や留学生の中から英連邦諸国の政治家や外交官を輩出している、ということが問題なのではないだろうか。 「英連邦」ですよ。面積としては小さなイギリスという国家が「大英帝国」という大海洋帝国としての一大歴史イリュージョンを展開し続けた世紀の仕掛けの一つとして理解できないだろうか。そして今もなおその幻想を脱却できないイギリス国家。欧州の悲劇とも言えよう。
グレートゲームという言葉もある。人の生き死にを何とも思わないのか、と怒りが湧いてくるけれど「ゲーム」としてイギリスは一つの大きな敵対勢力という幻想を作り上げ、この勢力と対立し続けることによって「大イギリス」を創造し続けていると思えてしまうのである。イギリス対ロシア・・などという構図などは単なる幻想だ、と思う。誰が決めたのか、‥そう誰かが何らかの意図をもって決めている。そして、誰かが決めたその幻想からさらに新たな幻想を引き出して人の血を流し続けさせている。「戦争」は単なるゲームのワンシーンに過ぎないのだ。ウクライナはわかっているのだろうか。自分が国際社会という幻想体の呪縛に縛られていることを。この辺で幻想、詐欺的理論(詐学)から解放されなければならないだろう。
白朗が10代から飛び込んだ大陸での馬賊生活の中から学んだのは、日本陸軍のためでも蔣介石や毛沢東などのだめでもない、人と人との共生の方法だったに違いないと思う。「俺とお前は違う。でもそれでいいじゃないか」という価値観をもち、共に生きるということこそが白朗の望んだ21世紀に違いないと思っている。決して相手を殲滅することではないのだ。(文責:吉田)
私もずっと、そう思っていました。
ということはイギリス自慢の軍艦がいけるところがリムランドで、軍艦がいけないと場所がハートランドという理解でいいんですよね。
そうするとイギリスが今も昔も付け狙っているのは恐ロシアだということになりますが?
それならそれで、イギリスも正直に「陸に上がったらカッパです」といえばいいですよね~。
カッコつけて地政学だなどと大層なことをいうものです。
カッパ村元村長大野先生なら「恐ロシア」でなく「桑原桑原」と云ったと思います。