小日向白朗学会 HP準備室BLOG

小日向白朗氏の功績が、未だ歴史上隠されている”真の事実”を広く知ってもらう為の小日向白朗学会公式HP開設準備室 情報など

再録・・富士ジャーナル1971年7月号から小日向白朗関連記事~ユダヤ資本・台湾解決・アメリカへの提言

2022-10-31 | 小日向白朗学会 情報



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統一教会シリーズ~第136回国会 衆議院 商工委員会 平成8年4月22日から

2022-10-28 | 小日向白朗学会 情報
  • 石井紘基

    ○石井(紘)委員 統一教会による霊感商法というのは大変被害件数も多くて、社会的な大きな問題になっております。たくさん事件、事例があるのですが、そのうちの一つ、二つを簡単に紹介してみたいと思います。  九五年一月十九日午後、統一教会の信者である中村朋子さんという人が、渋谷東急本店前の路上で通行人であるAさんにこういうふうに語りかけた。「最近、何かよいことがありましたか。額に心眼相が出ていますよ」と声をかけた。そこに鈴木麻理子さんという、偶然を装ってこの人が合流して、三軒茶屋にある、これは私の選挙区でありますが、そこのライオンズマンション二〇一号室に誘い込んで、同所で三時間にわたって、右両名でこのAさんという人にこのようなことを言った。「先祖の因縁のため、このままでは大変なことになります。転換期をよい方向に向けるため、善は急げです」というふうに執拗に迫って、ひすいの念珠、数珠ですね、これの代金名下に金四十一万二千円を支払わせた。この形式上の売り主は、これは会社なんだと思いますが、白寿堂であった。さらに右両名は、「もっと偉い、日本でも数少ない家系図鑑定の先生が特別に見てくれるそうですから」などと、再三右ライオンズマンション二〇一号室に誘い込んで、山田先生と称する信者において家系図をもとにAさんを畏怖せしめ、よって二月二十四日、先祖の霊界解放式をしてみせた上で写経・物資の行、心の行を迫り、よって献金名下に金七十万円を支払わせた。さらに二月二十四日から、心の行として世田谷フォーラムに通わせながら、再三印鑑の購入を迫り、右鈴木、中村に希いて右ライオンズマンション二〇一号室で印鑑三本セットの代金名下に金十二万五千円を支払わせた一日寿堂というのが形式上の売り主であるというのが一つの例。  あるいは、たくさんの中からもう一つだけ申し上げますと、九五年十一月二十七日午後三時ごろ、統一教会信者前田みゆきは、表参道駅前路上で、通りかかったBさんという人に、「ちょっと済みません。転換期ですね。何かよいことがありましたか。はっきり心眼相が出ていますよ」と声をかけ、右前田の話を気にかけたBさんを、十一月二十九日、三軒茶屋のライオンズマンション二〇一に誘い込み、同所で約四時間にわたって、右前田が姓名判断の鑑定士、鈴木が助手役として同席し、前田においてBさんに対し、「絶家の家系ですね。色情因縁の相が出ています。そのためにあなたも兄弟を早く亡くし、御主人も兄弟に恵まれなかった。あなたが両家を支えていく使命がありますね。転換期をよい方向に向けるため、善は急げです」などと述べた上、「出家する気持ちで修行を積みましょう。お金がかかります。四十日間初水行をしてください。四十万、七十万、百二十万の念珠のどれか、授かるといいですね」などと告知して執拗に購入を迫り、よってひすいの念珠の代金名下に金七十二万一千円を支払わせた。これも、売り主は形式上白寿堂。さらに右前田は、「もっと偉い、日本でも数少ない家系図鑑定の先生が特別に見てくださるそうですから」などとして、右ライオンズマンション二〇一号室に誘い込み、山田先生と称する信者において家系図をもとにBさんを畏怖せしめ、よってさらにBさんに出捐を迫ったものである。こういうようなものは、これは何日かかっても挙げ足りないぐらい、膨大にこういう事件があるわけであります。  この手法を見てみますと、好意的に見ても、これは路上で布教といういわば宗教活動ですか、私はこれは宗教活動ではなくて商売だと思うのですが、そういうことでもって、「心眼相が出ている」とかなんとか言って誘い込む。それで、もちろんこれは布教ではないですから、そのときは宗教団体の名称も何にも告知しません。そしてあるところへ連れてくる。そこで正体を隠したまま、指輪を買いなさいとか、数珠を買いなさいとか、つぼを買いなさいとか、そういうようなことをやって買わせる。  これの一つの問題は、この路上で誘い込むのと、こっちの店だかマンションの部屋の中で、室内で売るのと、これは一つの行為、一体の販売行為なんですね。だからこそ、これは訪販法の範疇になるわけです。  そうすると、どうやって誘い込んだのか。これはちょっとしたうそとか誘いの言葉とかと違うのです。これは宗教的な勧誘の仕方で、しかもこれは宗教団体と言われるものがやっているわけですから、しかも同じような語り文句で誘い込んでいるわけですから、まあ商売用のマニュアルというようなものがあって、それに基づいて誘い込んで売っているわけですから。  先般も宗教法人法の改正がなされましたけれども、宗教活動と仮にしても、この宗教活動というものと商行為というものとは、これは帳簿も分けて、経理も別にするわけですね。祈祷料だとかお布施だとかそういうものは別として、営利を目的とする分野についてはそういうふうにしてちゃんと税金も納めなければいかぬ、こういうふうになっているわけです。  これを一体として、宗教的なものの布教活動めいたものと、物を売りつけるという行為とを一緒くたにしてしまって、しかも正体を明かさない。それで、ずっと何カ月か長いこと物を買わせたりなんかして、借金をさせたり、そうやっていくうちに、実は何々教会ですということをわからせる。そうすると、もう借金もできてしまっていますから、今度はまた、借金返済というよりも労務の提供というような形で、自分も同じような勧誘販売をするということになるわけです。  ここにはそういう不告知の問題と、それから宗教との問題、混然一体となった販売活動という問題と、それからまた連鎖商法という問題があるわけですが、まあ順次ひとつ、連鎖商法の部分はいいですから、その前に言った二つの点について見解を聞きたいと思います。
  • 038 大宮正

    ○大宮政府委員 それではお答えいたします。  今先生から御指摘がありましたのはいわゆる霊感商法というものでございますが、これについてはいろいろなパターンがございまして、必ずしも明確な定義がないわけでございます。例えば、先祖のたたりで不幸になりますよといったようなことを言いまして消費者の不安をあおって、高額な印鑑とか数珠等の販売を行うような商法を一般的に言うのではないかというふうに理解しておりますけれども、実は、こういったものにつきましても、国民生活センターに寄せられた相談件数は平成六年度において一千件を超えておるわけでございます。  このような販売活動のうち、いわゆる訪問販売法に規定されております訪問販売等の契約で行われる場合、今先生の御指摘あったケース、これは具体的なケースを詳細にお伺いしないと正確には言えないわけでございますけれども、例えば、いわゆる路上でアンケート調査をしてくださいと言ってお店へ連れ込んで物を売る、これをキャッチセールスと言っておりますけれども、それに類似するものでございまして、そういったものは形態が訪問販売法に該当すれば、しかも商品が訪問販売法の指定商品に該当するものについては、宗教法人であろうとそうでなかろうと、販売活動を行う場合は訪問販売法の規制対象として書面の交付、クーリングオフ等の消費者保護措置の適用があるところでございまして、当然そういった買わされた方は書面交付、クーリングオフの権利があるということでございます。  いずれにしましても、この布教活動と勧誘行為と非常に難しい問題でございますけれども、今後とも関係行政機関とも密接に連携をしながら訪問販売法の厳格な運用を行いまして、被害者救済に努めてまいりたい、こういうふうに考えております。
  • 039 石井紘基

    ○石井(紘)委員 いずれにしても、さっき言いましたように不実なのですから、実際誘うときには宗教のことをかたっているわけですから。そして連れてきて、そしてそこで売るわけですが、それはただ単なる、私の友達がちょっと印鑑を売っているんだけれども、いい物だから見に行って買わないかとか、あるいはちょっとお茶飲みに寄ってみないかとかいうのとは全然違うのでありまして、これ一体が一つの商行為なのですね。販売行為なのです。  ですから、そういう宗教めいたことでもって、何か心眼相があらわれているから、あるいは色情がどうだこうだとか言って、そして誘ってきて売るというのは、これは目的不告知であり、不実であるということではないのですか。
  • 040 大宮正

    ○大宮政府委員 まず、今先生から御指摘あった点でございますけれども、先ほど申し上げましたように、訪問販売法の対象商品、例えば先ほどお話ししました印鑑とか数珠とかつぼなどは、これは訪問販売法の指定商品になっておりまして、当然そういうものをいわゆるキャッチセールス的な方法で売れば、これは訪問販売法の規制の対象になるということでございます。  それから、宗教、布教と一体になって行った場合にそれが不実の告知に当たるかどうかということでございますけれども、一般的に事業者がキャッチセールスを行う場合でありましても、売買契約の締結について勧誘を行うため、路上において威迫困惑、不実の告知等を行えば取り締まりの対象となるものでございます。宗教活動に伴って行われる売買活動については、どの時点からが売買契約の締結についての勧誘であるのか、また何が不実であるのか、必ずしも明確でないわけでございます。したがって、取り締まりは非常に難しい現状にはございますけれども、法の目的等踏まえ、適切に対応していきたい、こういうふうに考えております。  それから、これは訪問販売法の問題ももちろんございますけれども、基本的に、例えば民法上の問題あるいは刑法上の問題もございます。例えば詐欺あるいは脅迫といったものであれば、民法では取り消しができますし、それから、今言ったようなことで、刑法上でも詐欺罪、脅迫罪の刑事的責任が問われることもあるのではないか、こういうふうに考えております。
  • 041 石井紘基

    ○石井(紘)委員 この印鑑はいい印鑑ですよと言って売るのではないのですよ。このつぼは何か秘伝のものですよとか、芸術的な価値の高いものですよとか言って売るのではないのですよ。あなたの相にはどんな相があらわれているとか、先祖がどうだからと言ってそれを買わせるのですよ。これは不実の告知ではないのですか。そういう、適切に対処したいとかいうのではだめですよ。
  • 042 大宮正

    ○大宮政府委員 ただいま御指摘のありましたように、いわゆる宗教活動とか布教活動というのは、今先生御指摘になったような要素を常に含んでいるケースがございまして、私どもも先ほど申し上げましたように、ケース・バイ・ケースで不実の告知になる場合もあるしそうでない場合もあり得るのではないかと。一般的には、おっしゃるようにそういう場合には不実の告知ではないかと思うのでございますけれども、これはやはり最終的には司法当局においていろいろな状況を判断して解釈されることになるのではないか、こういうふうに考えております。
  • 043 石井紘基

    ○石井(紘)委員 誘い込んだときには全然違うことを言っておいて、連れてきてその場でというと、そこは室内に連れてくる、オフィスに連れてくる、あるいは店舗に連れてくるわけですから、そうすると、そこでのやりとりだけだということになればこれは訪販法は関係ないのですよ。訪販法というのは外で客を引っ張ってきてやるから、だからここで何を言ったか、どういう約束で来たのか、どういう理解がそこで生じたのかというようなことが一つの、一体となった販売行為なのですよ。そのような答弁ではちょっとこれは、大分この法律というのはまだまだ問題が多いかなというような気がいたします。  以上です。ありがとうございました。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     石井紘基氏がテロに倒れられなかったら、日本の国会はもっと素晴らしい仕事を成し遂げることができていたであろう・・・・特別会計の闇、などというブラフでごまかしてはいけない。つまりは国富の簒奪以外の何物でもない。そんな大罪をどうどうと、あるいは文書改ざんしてまで、展開する国会議員を国賊、売国奴と呼ぶことは正当なのかもしれない。明かな≪簒奪≫があったにもかかわらずその真相を追求する議員はいないのが現状なのかな。つい最近の政権なのに。(文責:吉田)


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ウクライナの戦争やめて、ロシアとダイレクト談判して!! というアメリカ下院の声・・・???

2022-10-27 | 小日向白朗学会 情報
「・・・・・・・we urge you to make vigorous diplomatic efforts in support of a negotiated settlement and ceasefire, engage in direct talks with Russia, explore prospects for a new European security arrangement acceptable to all parties that will allow for a sovereign and independent Ukraine, and, in coordination with our Ukrainian partners, seek a rapid end to the conflict and reiterate this goal as America’s chief priority. Sincerely,」(Congress of the United States Washington DC,20515 October24 2022)(出所:2022.10.27櫻井ジャーナルから)
 バイデン大統領に宛てたアメリカ下院議員30名のレターが10月24日に提出されたという。ところが次ぐ日の25日は撤回だって。direct talks with Russia…それこそが大切なことなのに・・・ね。直接話しちゃダメだって云うのがアメリカ当局とその一派。一派というか西欧民主主義諸国、民主主義と自由を標榜する方々(残念ながらわが国の主導者もはいってる?)は戦争が大好きという証拠の一つとも言えよう。そういえばジョンソンさんもペロシさんも4月にわざわざウクライナまで出かけてゼレンスキーさんに「停戦なんかしちゃだめよ!  戦争がんばんな! やめるなんてこと考えちゃだめよ! 人なんか何人死んだって仕方ないでしょ!!」「武器なら好きなだけ送るからね!!」と発破をかけてましたね。たぶんだけれど…。でも、白朗をちょっとでもかじった方なら真実を見るのはたやすいこと。平和のために何が大切かということの具体的な方法論を知ること、それこそが白朗メソッドであると思う。(文責:吉田)
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衆議院ではこんな質問が出ていたのですね…「統一協会」=世界平和統一家庭連合に関する質問主意書 提出者  宮本 徹

2022-10-21 | 小日向白朗学会 情報
質問本文情報
令和四年八月三日提出
質問第一〇号
「統一協会」=世界平和統一家庭連合に関する質問主意書
                          提出者  宮本 徹

 安倍晋三元首相が殺害された事件で、容疑者は、世界平和統一家庭連合(旧名称世界基督教統一神霊協会。以下、「統一協会(家庭連合)」と略)の信者である母親が「多額の寄付をして破産させられ、家庭生活が滅茶苦茶にされ、統一協会に恨みがあった」と供述していると報じられている。
 また、容疑者は「去年九月、統一協会の代表らが設立した天宙平和連合(UPF)の集会に寄せられた安倍元首相のメッセージを見たころに殺害を決意した」と述べていると報じられている。
 (かつて、アメリカ下院の外交委員会国際機構小委員会(フレーザー委員会)の最終報告書では、「文鮮明が関係している多数の教会、企業、委員会、財団その他の集団は、文の中央集権的な指導と統制下にある実質上単一の世界的機関の一部分である」「これらの多数の組織のあいだには、主として諸組織間の人事異動や財政の混合の点で、あれこれの構成要素を一体であるかのように使用する点で、そしてもちろん、文という人物において、たえまない、緊密な交流がある」として、それらを総称して「文鮮明機関」と呼んでいる。
 「統一協会(家庭連合)」は、国際勝共連合、原理研究会、ハッピーワールド、世界日報、世界平和女性連合、天宙平和連合、世界戦略総合研究所、勝共UNITEなど様々な顔を持ち活動しているが、この質問主意書では、これらを「統一協会(家庭連合)」もしくは「統一協会系団体」と呼ぶ。)
 これを踏まえ、以下、質問する。

一 「統一協会(家庭連合)」は、組織的な活動として、先祖因縁や霊界の恐怖を煽る脅迫的行為によって、国民・信徒に対して社会的に不相当な高額な献金・物品購入を強いる(いわゆる霊感商法)など、大きな被害を広げてきた。全国霊感商法対策弁護士連絡会によると、把握されている被害は、一九八七年から二〇二一年までに、三万四千五百三十七件、被害額は、千二百三十七億円余にのぼる。「統一協会(家庭連合)」の「霊感商法」は、刑事裁判で断罪され、民事裁判でも違法性が繰り返し認定されてきた。
 また、「統一協会(家庭連合)」の伝導・教化活動そのものについても、被勧誘者に対する違法な行為であることを認めた一連の判決がでている(二〇一三年十月三十一日の札幌高裁判決など)。
 政府として、「統一協会(家庭連合)」の反社会的な行為を、どう把握しているのか。把握している内容を明らかにされたい。また、政府として、「統一協会(家庭連合)」をどう総体的に認識しているのか、示されたい。
二 一九八七年六月四日参院決算委員会で、佐藤昭夫議員が、「統一協会」(「統一協会系団体」含む)による組織的違法活動への対処を求めたのに対し、遠藤要法務大臣は「刑罰にかかわる問題のときには厳正な対応をしたいということは当然でございますが、さらにまたその根を絶やす方途もこれから検討していかなければならぬ問題だ」と答弁している。
 しかし、全国霊感商法対策弁護士連絡会によれば、今日なお、「統一協会(家庭連合)」(「統一協会系団体」含む)による被害が続いている。
 1 今日にいたるまで、「統一協会(家庭連合)」(「統一協会系団体」含む)の反社会的な行為の根を絶やす方途の検討は、どのようにおこなわれたのか、明らかにされたい。
 2 「統一協会(家庭連合)」(「統一協会系団体」含む)による霊感商法等について、政府は「違法行為があれば各種の法令を適用して、厳正な取り締まりを行っていく所存」(一九八七年七月二十八日衆院地方行政委員会)と答弁しているが、警察はどう取り締まってきたのか。警察が、「統一協会(家庭連合)」(「統一協会系団体」含む)による霊感商法等について、詐欺罪、恐喝罪、脅迫罪、特定商取引法(旧訪問販売等に関する法律)、薬機法(旧薬事法)、迷惑防止条例等を適用して、これまでに検挙した件数は何件か。うち有罪となったものは何件か。可能な限り答えられたい。
 3 消費者行政として、「統一協会(家庭連合)」(「統一協会系団体」含む)の霊感商法等(高額献金を含む)に対して、国民生活を守るためにどう取り組んできたのか。全国の消費生活センター、国民生活センターに寄せられている、「統一協会(家庭連合)」(「統一協会系団体」含む)の霊感商法等の相談件数、平均契約金額、手口、契約当事者の特徴などを国は把握しているか。「統一協会(家庭連合)」(「統一協会系団体」含む)の霊感商法等の被害件数、被害額は、行政処分に値すると思われるが、行政処分の検討はこれまでおこなってきているのか。
 4 人権擁護局や全国の法務局に「統一協会(家庭連合)」にマインドコントロールされた「入信者」の家族から、「入信者の家族の所在を知りたい」「入信者と連絡をとりたい」「入信者を救出したい」など「統一協会(家庭連合)」に関わる相談はこれまで何件寄せられているか、可能な限り答えられたい。「統一協会(家庭連合)」にかかわる多数の相談に、どのような対応をとってきているのか、可能な限り答えられたい。
三 深刻な被害が広がる中、警察が全国的に「統一協会(家庭連合)」の霊感商法等の違法行為の摘発をすすめ、二〇〇七年秋以降二〇一〇年にかけて、特定商取引法違反、薬事法違反、公選法違反などで、十三件、三十人以上の信者が逮捕された。いわゆる「新世事件」の二人は懲役刑(執行猶予つき)、それ以外は罰金刑に処せられた。これらの摘発の際、警察は、「統一協会(家庭連合)」系のダミー会社だけでなく、各地の教会についても強制捜査をおこなっている。
 新世事件の判決では、信者らの販売活動は、「統一協会(家庭連合)」の「相当高度な組織性が認められる継続的犯行の一環」とされた。
 一方、新世事件の摘発をうけて、二〇〇九年に「統一協会(家庭連合)」は、会長名で「教会指導者に対する注意と指導」と題する文書を二度にわたって公表したが、「統一協会(家庭連合)」の組織的責任を認めるものではなく、信者の個人的な活動だと誤魔化そうとするものであった。
 全国霊感商法対策弁護士連絡会によると、その後も、「統一協会(家庭連合)」の被害は続いている。政府は、二〇〇九年以降も、「統一協会(家庭連合)」がおこなう、先祖因縁や霊界の恐怖を煽る脅迫的行為によって、社会的に不相当な高額な献金を強いる等の被害が続いているとの認識があるか。被害の根絶に向けて、捜査姿勢を見直す必要があるのではないのか。
四 宗教法人法は、第八十一条において、「裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる」とし、一として、「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」、二として、「第二条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと」を挙げている。
 問三で述べたように、立件された「統一協会(家庭連合)」の信者らの霊感商法などの販売活動は、「統一協会(家庭連合)」の「相当高度な組織性が認められる継続的犯行の一環」とする判決が出ている。二〇〇九年以降にも違法な献金勧誘行為があったことが複数の判決で明らかになっている。「統一協会(家庭連合)」が、霊感商法や自己破産に追い込むほどの献金勧誘行為を繰り返していることは「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」にあたるのではないか。
 問一で述べたように、いわゆる「青春を返せ裁判」において、「統一協会(家庭連合)」の伝導・教化過程について、被勧誘者に対する違法な行為であることを認めた判決がでている(二〇一三年十月三十一日の札幌高裁判決など)。これは、「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」にあたるのではないか。
 これらの「統一協会(家庭連合)」の違法行為は、「一部の教会員の行き過ぎた活動」ではなく、長年にわたり、組織的な活動としておこなわれてきたとの認識はあるか。
 「統一協会(家庭連合)」の活動は、霊視商法詐欺事件の詐欺行為を理由に宗教法人の解散命令が出された「明覚寺」を大きく上回る被害額を出している。「統一協会(家庭連合)」による被害根絶のために、宗教法人法第八十一条に基づく、解散命令を視野に入れた検討をすべきではないのか。
五 フランスではカルトの被害の防止のための法律(「人権および基本的自由を侵害するセクト的団体の防止および取締を強化する二〇〇一年六月十二日の法律」)が作られている。同法では、カルト法人等やその幹部が、複数回、詐欺など法律の定める犯罪を複数回宣告された時は、解散が宣告されうるとしている。また、マインドコントロール等にかかわって、「重大または反復した圧力行為または判断を歪めうる技術の結果、心理的または身体的服従状態にある者に対して、その者に重大な損害を与えうる作為または不作為に導くために、その者の無知または脆弱状態を不法に利用することは、三年の拘禁刑および三十七万五千ユーロの罰金に処せられる」などとする無知・脆弱状態不法利用罪が設けられている。
 こうした事例も参考にしながら、カルトの被害の防止のための法的規制について検討をすすめるべきではないか。
六 「統一協会(家庭連合)」の「信者」の子どもたち(いわゆる統一協会二世)から、親の「献金」による困窮や信教の自由、結婚・恋愛の自由が認められないことへの悲痛な声が上がっている。
 フランスでは、「統一協会」被害者の運動から生まれた「UNADFI」(家族と個人を守る会全国連合)が、公益団体として国から補助を受けて、研究、対策、被害者の救済、情報提供、予防などの活動をおこなっている。
 「統一協会(家庭連合)」などのカルトの被害について、カルト問題にとりくむ民間団体へ財政的支援をおこなうなど民間団体と協力しながら、「二世」のみなさんの苦しみも含めて、被害者救済・支援に取り組む必要があるのではないか。
 また、「統一協会(家庭連合)」の「信者」が子等に、子等の意思にそむいて「信仰」を押しつけることは、児童虐待に当たると考えるか。親が子どもの奨学金を献金に回すなど、行き過ぎた献金により子どもが進学ができなくなるようなケースは児童虐待にあたるかと考えるか。カルト教団の信者である親の行動で、子どもの人権がふみにじられている場合は、児童相談所や自治体は積極的に行動すべきではないか。
七 全国霊感商法対策弁護士連絡会は、繰り返し、国会議員に対して、統一協会やそのダミー組織のイベントに参加したり、賛同メッセージをおこなわないこと、選挙で「統一協会(家庭連合)」信者らからの支援を受けないことを求めている。その理由として、「統一協会(家庭連合)」は反社会的団体であり、違法活動にお墨付きを与えかねないこと、政治家によるお墨付きは、「統一協会(家庭連合)」による反社会的な活動を容易にし、また、その反社会的活動の是正を困難にするものとして悪用されることをあげている。
 1 岸田内閣の、閣僚、副大臣、政務官で、「統一協会系団体」の催しに、参加したり、賛同メッセージを出した者がいれば、把握するところを明らかにされたい。
 2 岸田内閣の、閣僚、副大臣、政務官で、選挙にあたって、「統一協会(家庭連合)」信者らから支援を受けた者がいれば、把握するところを明らかにされたい。
 3 岸田内閣の、閣僚、副大臣、政務官で、自らが代表をつとめる政党支部や自らの資金管理団体、関係政治団体に対して、「統一協会系団体」、またはそれらの役員から、寄付を受けたり、パーティー券を購入してもらっている者がいれば、把握するところを明らかにされたい。また、逆に、「統一協会系団体」に会費を支払っている者がいれば、把握するところを明らかにされたい。
 4 岸田内閣の、閣僚、副大臣、政務官で、「統一協会系団体」から、秘書を受け入れている者がいれば、把握するところを明らかにされたい。
 5 政治家が「統一協会系団体」の催しに参加したり、賛同メッセージを送ること自体が、「統一協会(家庭連合)」の反社会的活動を容易にしているとの認識はあるか。今後、岸田内閣の閣僚、副大臣、政務官は、問七の1~4に挙げた行為は厳に慎むべきではないか。

 右質問する。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さすがわが日本国の国会はよい仕事をしておられます。(文責:吉田)
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文鮮明が決めた統一教会系国会議員となる条件(続き)

2022-10-21 | 小日向白朗学会 情報

 2020年10月17日に「文鮮明が決めた統一教会系国会議員となる条件」で、文鮮明が国会議員候補を選挙支援する際の条件として「誓約書」を提出させていたことを書いた。それから僅か3日後の2022年10月20日に時事通信から「誓約書」が「推薦確認書」と契約書名を変更しているものの何らかの契約書が実在することを、その写真を含め配信された。その全文は次の通りである。
 『旧統一教会、自民議員と「政策協定」 衆院選の支援条件、署名も』
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の友好団体が昨年の衆院選で、複数の自民党議員に憲法改正などへの賛同を求める「推薦確認書」を提示し、署名を求めていたことが分かった。一部議員は署名に応じた。教団側が選挙支援の条件を明示した事実上の「政策協定」。教団と自民党の関係の深さが浮き彫りになった。
 自民党の斎藤洋明衆院議員(新潟3区)が20日、取材に対し、昨年の衆院選前に推薦確認書に署名していたと認めた。「先方の関係者が私の事務所に持参し、秘書が受け取った。内容を自分の目で確認し、おおむね(政策の)方向性は合致しているということでサインした」と説明した。
 衆院選では、ボランティアによる電話かけの支援を受けたと明かし、「判断とその前提となる認識が間違っていたので大変反省している」と陳謝。今後は関係を持たないと明言した。
 これに関し、岸田文雄首相は20日の参院予算委員会で、実態把握に努める考えを示した。その上で「それぞれの議員が自らの行動について説明責任を果たしていくことが重要だ」と強調した。
 首相は、自民党議員には教団側と「関係を絶つことを徹底してもらう」と重ねて表明。「一議員に対するアプローチが党の政策決定全体に影響を与えるシステムにはなっていない」と述べ、政策決定への影響を否定した。
  推薦確認書は(1)憲法を改正し、安全保障体制を強化(2)家庭教育支援法・青少年健全育成基本法を制定(3)LGBT問題、同性婚合法化の慎重な扱い(4)「日韓トンネル」実現を推進(5)国内外の共産主義勢力の攻勢阻止―との政策を列挙。「以上の趣旨に賛同し、(友好団体の)平和大使協議会および世界平和議員連合に入会する」などの条件が記されていた。
 やはり文鮮明が昭和62(1987)年頃に始めた選挙支援方法は、幾ら宗教法人の名称を変えようとも法主は文鮮明であり、その指示で始めた支援方式は、現在も脈々と受け継がれていたのだ。文鮮明が求めた「誓約書」の条件は次の通りである[1]。
   第1条は「私は勝共連合勝共議員になることを宣誓する」
     第2条は「私は統一教会を絶対的に支持する」
     第3条は「統一思想は人類を解放することができる思想であることを受け入れる」
 現在の「推薦確認書」では「……平和大使協議会および世界平和議員連合に入会する……」とある。統一教会(世界平和統一家庭連合)と「平和大使協議会」及び「世界平和議員連合」の関係であるが、中央が統一教会で、統一教会「平和大使協議会」係と統一教会「世界平和議員連合」係という関係である。つまり、記事になる自民党斎藤洋明は統一教会に入信済ということになる。この斎藤を当選させるべく動いたのが、統一教会が準備した選挙支援システムを差配していた安倍晋三である。斎藤は、自分の政治信条を選挙民に問うて審判を受けた振りをしながら選挙民をだまし、統一教会の政治理念に賛同していた背徳者なのだ。このようないい加減な男が総務大臣政務官を務めていたのだ。日本の斎藤が署名したという「推薦確認書」でもう一つ気になることは、第一に憲法改正である。既に『国会議事録という動かぬ証拠』で指摘していることであるが、自民党憲法改正実現本部の改憲論理は「GHQによる憲法介入は排除するが、統一教会が介入する改憲は受け入れる」という馬鹿げたものなのである[2]。そして更に滑稽なのは新潟三区選出の斎藤が地域とは無関係の「日韓トンネル」に賛成していることである。要は、斎藤にとって当選できるのなら、どちらでも良かったのだ。この日韓海底トンネルであるが、自民党の中に「党中党」を作り、統一教会系国会議員数を増やすという名目の統一教会政治組織を全国に作るための運動なのだ。これで斎藤は否応なく「日韓トンネル推進新潟県民会議」運動に協力する以外に国会議員の椅子を守ることができなくなった。斎藤は、自民党村上誠一郎がいみじくも述べた「(安倍晋三は)財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊した。……」ことに自分の地位と名誉の為だけに協力していたのだ。国賊の頭目に協力する質の悪い輩としか言いようがないであろう。
 齋藤はここまで悪事がばれたならば、清く議員辞職を願い出てはいかがなものだろう。統一教会系国会衆議院議長細田博之は、斎藤の願いを、ここぞとばかりに許可するであろう。ただし、当の衆議院議長は、決しておやめにはならない。詰め腹を切らされるのは下っ端だけなのだ。

 統一教会の支援を受けて当選した国会議員は、必ず「誓約書」若しくは「推薦確認書」を提出済みで例外はない。文鮮明は無償で選挙支援をするほど「私はばかでない」と断言している。例外はあり得ない。その数は、自民党内には180名以上いるということになる。         以上  (寄稿:近藤雄三)
P.S.
 斎藤洋明と同じ新潟県出身で元国会議員である金子恵美とその夫宮崎謙介も「推薦確認書」を提出していたはずである。
 最も金子は、現職の国会議員ではないことから素直に統一教会の支援を受けたことを認めている。
 令和4年7月31日、金子と宮崎氏はTBS系「サンデー・ジャポン」にVTR出演し、旧統一教会との関係について言及している。金子曰く「うちの事務所も『世界平和連合』(の名前)で応援に来てたのが、旧統一教会とイコールにはなっていなかった」と無教養にもアッケラカンと説明していた。まさに馬鹿夫婦と云って過言ではなかろう。このような馬鹿者が、有権者に真顔で統一教会の政策を恰も自分の主張のように訴えていること自体が異常なのだ。
      

[1] 『国会議事録という動かぬ証拠(1)』小日向白朗学会(13頁)。

[2]  同上(19頁)。

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統一教会と同教会認定国会議員の巨大利権

2022-10-20 | 小日向白朗学会 情報

 2022年07月07日付読売新聞に「麻生副総裁の長男・将豊氏、JC会頭に内定…親子2代で会頭就任」とする記事が掲載されていた。
 日本青年会議所(JC)は6日、中島土会頭(40)の後任に、副会頭で麻生商事(福岡市)社長の麻生将豊氏(37)が内定したと発表した。10月の総会で正式決定する。任期は2023年1月1日から1年間。
 麻生太郎は、初当選の時から統一教会の支援を受けて当選してきた。その息子が、会頭就任の会見で「日本取り戻す」と発言したようである。父親が安倍晋三と組んで「財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊した。国賊だ」(村上誠一郎)が、今度はその息子が「日本を取り戻す」というのである。悪い冗談はやめてほしいと思わざるを得ない。麻生太郎は、2013年3月、ワシントンで「日本の水道は全て民営化する」つまり、売り渡すと宣言している。その息子が、父親が売り飛ばした日本の水道を買い戻すつもりなのであろうか。麻生太郎の水利権は、売ってキックバック、買ってキックバック。馬鹿を見るのは日本国民だけである。
 麻生太郎と息子の図式は、岸信介とその孫の安倍晋三にも同様の問題がある。それは尖閣列島問題である。そもそも尖閣列島問題は、統一教会の黒幕でもある岸信介が尖閣列島周辺に石油が発見されると、蒋介石に尖閣列島を領有するように薦めたことから始まっている。つまり岸信介が蒋介石に尖閣列島を売り飛ばしたのだ。その後、孫の安倍晋三が尖閣列島を守り抜くと愛国を前面に押し出して自衛隊の拡張に踏み出してしまった。これは岸一族による「マッチポンプ」なのである。安倍晋三は危機意識を煽れば煽るほど防衛利権を巨大化させてきたのである。その防衛利権を抑えていたのが、実弟で防衛大臣の岸信夫だった。兵器の輸出や輸入は政治家だけが行うことができる特別な商売であり利権なのだ。日本国民にとって愛すべき自衛隊をこれ以上、岸一族に食い物のされるのは絶対に止めなければならない。岸信夫の子供が自民党から出馬する可能性が取りざたされているが、それは防衛利権の維持の為であって、国民の為ではないことを自覚すべきである。
 ところで民間の水道を売却する準備を進めてきた麻生太郎であるが、その後、改正水道法が令和元(2019)年10月1日に施行なった。この改定を受けて動き出したのが宮城県である。同県は、令和3(2021)年6月に村井嘉浩知事は、水道事業の運営権を水処理大手「メタウォーター」(東京都)やフランスに本拠を置く水道業者「ヴェオリア」の関連会社等に運営権を与えることを決めてしまった。県民の安全安心のためには行政が、コストに関わらず提供するのが社会インフラであるはずである。それを安心安全よりもコストを優先するという典型的な新自由主義という保守主義とは何の関係もない売国奴としか考えられない。彼らの考えの基本は「レッセフェール」つまり「見えざる手」である。「見えざる」ということから神様と勘違いをしてしまいそうであるが、実は、後ろに隠れて姿を現さない腹黒い人間が市場操作をするというシステムが新自由主義で経済学とは無関係のカルトなのである。その代表が竹中平蔵であろう。ローマ法王ですら「レッセフェール」は信ずるなと忠告為されている。やはり村井は、カルトに親和性のある男と云わざるを得ないであろう。
その水道を売却した村井嘉浩であるが、2006年に統一教会の関連団体である『天宙平和連合』に、当時官房長官であった安倍晋三を筆頭に、長勢甚遠、鈴木政二両官房副長官、小坂憲次文部科学相、馳浩文科副大臣、江﨑鉄磨国土交通副大臣、高木毅防衛庁長官政務官、小林温経済産業大臣政務官、野上浩太郎財務大臣政務官等、自民党と民主党国会議員44人の他に上田清司埼玉県知事、村井嘉浩宮城県知事が祝電を送っている。
 2020年9月5日に、村井は定例記者会見で、『天宙平和連合』に祝電を送ったのは、ある国会議員の依頼があったからだと釈明している。加えて自身は無関係であり自分も被害者だと言い訳をしている。統一教会による選挙支援を差配していたのが安倍晋三であったことから、村井は安倍当人若しくはその関係者からの依頼だったと考えて間違いないであろう。つまり統一教会の支援で知事に当選してきたので県知事名義で祝電を送ったのだ。おそらく「選挙に協力してくれた支援者が、仙台で会合を開くので祝電をお願いします」、「はい、わかりました」位のやり取りであろうが、この時、村井はがっちりと文鮮明の国会乗っ取り運動に組込まれてしまったのだ。村井は、少なくとも自分の不明を県民に詫びるべきであろう。
 
 話を福岡青年会議所に戻す。同青年会議所は2010年に「アジア交流都市宣言 FUKUOKA未来へ提言」とする活動報告書に、福岡と釜山を結ぶ日韓海底トンネルを求める提言をまとめている。
この福岡青年会議所の活動が実ったのか、福岡、長崎、佐賀で2011年10月から11月にかけて一斉に「日韓トンネル推進△△県民会議」という設立総会が行われた。
  ・日韓トンネル推進福岡県民会議設立発会式(2011年10月9日)
  ・日韓トンネル推進長崎県民会議設立総会(2011年11月6日)
  ・日韓トンネル推進佐賀県民会議結成講演会(2011年11月6日)
  ・日韓トンネル推進熊本県民会議設立発会式(2011年11月13日)
これら県民会議の活動の例として、佐賀県選出国会議員で現在は国土交通政務官を務める古川康がいる。古川は、平成26(2014)年11月まで佐賀県知事を務めていたが辞職し、同年12月行われた第47回衆議院議員総選挙に出馬し当選している。当選後、古川は国会議員として2015から2019年にかけ日韓トンネル推進佐賀県会議などに関係していた。2022年08月11日、古川は、佐賀新聞にこの事実を認めるとともに「認識が甘かった」と説明している。しかし、ラ・サール高等学校、東京大学法学部出身で県知事まで務めた古川が、文鮮明の発案で日韓本ネル構想を運動してきたことを知らない訳はない。逃げ口上なのだ。
 国際ハイウエー財団のホームページには「佐賀県 「こちら知事室」です 現場からお伝えします」「平成22年5月10日(月曜日) 日韓トンネル構想に関する検討会」とする会が開催されていたことを示す痕跡が残っている。この検討会は古川が知事在任中のものである。古川の言う、認識が甘かったなどは冗談としか考えられない。
古川は、文鮮明が決めた国会議員を支援する条件にまさしく打って付けであった。統一教会の支援で当選できた古川は、その代償として日韓海底トンネル建設促進運動、つまり統一教会の地方政治運動に積極的に協力する以外に選択肢はなかったかと考えられる。古川は統一教会の支援を受けて当選した議員であり、その出自が暴かれることを恐れる国会議員の一人に違いない。

 続いて熊本県も見ておこう。正式名称は「日韓トンネル推進熊本県民会議」で、議長は中山峰男崇城大学学長である。そして岸田文雄首相の後援会「熊本岸田会」の会長も務めていた。中山は2022年8月24日、熊本市で記者会見をおこない「団体と旧統一教会に関係があると思っていなかった」と述べるとともに、県民会議議長を辞任している。お決まりの「知らなかった」である。中山は「日韓トンネル推進熊本県民会議」設立発会式から議長である。中山は、県民会議発足にあたり、設立趣意書に目を通さない訳はないし、世間の常識として統一教会が如何なる悪事を働いていたのか中山は知っていたはずである。いや、むしろ一般人よりも韓国の事情に精通していた人物なのである。
中山峰男は旧姓を佐々という。その祖父は、佐々正之である。その兄は、熊本国権党の佐々友房なのである。祖父の正之は、安達謙蔵が創刊した「漢城新聞」に兄友房と共に参画していた。その後、明治28年に閔妃暗殺事件に加わり投獄されている。しかし、日本と韓国との間に不平等条約があったことから関係者は全員無罪となった。その後、閔妃暗殺に加わった犯人達が進めた政策が日韓併合なのである。つまり佐々正之らは、朝鮮の情報や利権を終戦まで一手に手中にしていたのだ。その末裔である中山が「日韓トンネルは文鮮明の発案で、その資金を日本に拠出させて建設しようとしていた」ことを知らないことはあり得ない。中山峰男は、「熊本利権屋のドン」として悪名たかい存在であることから尚更である。
 ところで、中山の親戚には初代内閣官房安全保障室長を務めた佐々淳行がいる。佐々は幼少時にゾルゲ事件に関係したいたことや、イギリス諜報機関「MI6」と密接な関係があることを自書の『私を通りすぎたスパイたち』の中で告白している。その佐々が「第80回国会 衆議院 法務委員会 第8号 昭和52年4月6日」で統一教会の危険性及び統一教会製空気散弾銃「鋭和B3」が論議となった時に、警察庁刑事局参事官として会議に出席していた。つまり日本政府の中でも最も統一教会の危険性を熟知していたのが佐々淳行であったことを考えると、中山峰男が統一教会に関して「知らなかった」は更にあり得ない。岸田文雄首相は、中山峰男が佐々一族の関係者で韓国に強い情報網と利害関係があることを知っていたからこそ中山を後援会「熊本岸田会」会長に就任させていたとしか考えられない。       以上  (寄稿:近藤雄三)
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日蓮宗という名の共同幻想~カルヴァンの宗教性を法華経主義に置き換え~226は20世紀のピューリタン革命か

2022-10-18 | 小日向白朗学会 情報
 寺内大吉の化城の昭和史ではこんなことを示唆している。
 下巻の215ページに…「西田税が英国留学へ旅立つ秩父宮にクロンウェル研究を進言した狙いは何であったか。清教徒革命の宗教性を法華経主義に置き換え「改造法案」が構想する「国家改造議会」を清教徒の「長期議会」になぞらえて考えて欲しかったのではなかろうか。とすれば、「改造法案」が巻頭でうたいあげる「天皇の大権」が問題となってくる。いわんや西田が末松太平に語った「世界史の鉄則は普遍的で、日本もその例外ではあり得ないことを明察されたい」とする秩父宮への進言は、“天皇譲位”を考慮しておいて欲しいと言いたげでもある。・・・・・」
 クロムウェルは中学校あたりでも習うと思うが17世紀ピューリタン革命の英雄といったところか。1649年国王チャールズ1世を処刑して共和制を樹立したが、王政復古後には「王殺し」の汚名も着せられている。
 昭和天皇が「下剋上」と評した体制は昭和3年の張作霖爆殺を契機として昭和20年まで脈々と続いていた。単なる軍隊内部の権力闘争などではない。日本国自体を揺るがす下剋上なのだということを、天皇自身が肌身で感受していたと思われる下剋上の意味する肌感覚、それは生命を脅かす危機感ともいえるものと思う。西田が秩父宮に緩やかに使嗾した「天皇譲位」とは一体何だったのか。それこそが226の本質であった、と言えよう。(文責:吉田)
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文鮮明が決めた統一教会系国会議員となる条件

2022-10-17 | 小日向白朗学会 情報

 2022年9月30日朝日新聞デジタル版に「旧統一教会と接点議員、計180人に 自民追加報告、新たに4人公表」とする記事がある。
 自民党は30日、党所属国会議員に報告を求めた「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」や関連団体との関係点検について、計12人から追加の報告があったと発表した。8日の結果発表後、接点があった議員は新たに1人増えて、対象議員379人中計180人となった。このうち、自民が一定の基準を設けて氏名を公表している議員は4人増えて125人となった。
 点検項目の「旧統一教会関連団体の会合への出席」では、新たに6人から報告があった。このうち、今回新たに木原誠二官房副長官、石井拓衆院議員、今村雅弘元復興相、比嘉奈津実参院議員の氏名が公表された。
自民党が前回(同年9月8日発表)おこなった調査が不十分であることを考慮し「旧統一教会関連団体の会合への出席」という項目を追加して実施されたものである。
 ところで統一教会は自民党国会議員に無条件且つ万遍なく、支援を与えてきたわけではない。昭和62(1987)年頃の統一教会が国政選挙に出馬する候補者を支援する基準は、次に掲げる条件を呑んで統一教会に「誓約書」を提出した候補という条件がついていた[1]。
第1条は「私は勝共連合勝共議員になることを宣誓する」
 第2条は「私は統一教会を絶対的に支持する」
第3条は「統一思想は人類を解放することができる思想であることを受け入れる」
 要するに、統一教会に選挙運動を支援してもらった議員は誓約書を統一教会に提出済みだということが重要である。近年の国政選挙に於いて統一教会が設けた選挙支援の条件が、如何なるものかはわからない。しかしながら、統一教会が、自称他称の候補者を無条件に受け入れたわけではないことだけは間違いないところである。この点について昭和62(1987)年頃の文鮮明は「(無条件に候補者を支援するほど)私はそんなに馬鹿ではないのです」とはっきりと否定している。どう考えても統一教会の支援を受けて当選してきた国会議員は、何らかの一文を統一教会に入れていたことだけは間違いない。
そして文鮮明が「誓約書」を差し入れた候補者を支援するには訳があった[2]。
 『(一番目は)国会議員との関係強化です。そのようにして国会内に(統一)教会を作るのです。国会内の教会ですよ。衆議員教会・・・。国会議員たちを120人以上束ねことのできる名簿を作成するように言っただろう? 今からそのようにして、それ(日本の国会議員)が教会の組織になるようにするのです。そこで原理を教育するだとか・・・すべてのことが可能になるのです。
 二番目は、秘書です、秘書。(統一教会から)国会議員の秘書を排出するのです。
 三番目は、国会内の組織体制を形成するのです。
 四番目は、党の収拾と連合。
 五番目、行動結束と挙国。
それで自民党の安倍派などを中心にして、(勝共の)久保木を中心として、超党派的に、その議員を結成して、その(勝共議員の)数を徐々に増やして行かなければならないのです。わかりますか?』
この文鮮明が語った内容からもわかる通り、国会議事堂をチャーチ(教会)にしてお祈りをするのが目的だとはっきりと述べている。文鮮明の目的は、最初から憲法20条「政教分離」に違反しているのだ。
その後に、文鮮明は選挙支援をした政治家を公表している。それが「思想新聞」1990年3月25日号に掲載した『勝共推進議員名簿』である。現在、統一教会問題では必ず登場する安倍晋太郎、森喜朗、細田博之、麻生太郎、衛藤征士郎の名前を確認することができる。
 その後、統一教会と国会議員の関係が明らかになったのは『週刊現代』99.2.27号で「現職国会議員128人の「勝共連合・統一教会」関係度リスト」においてである。このリストから現在も国会議員で且つ勝共連合から送り込まれた統一教会員秘書を受け入れていた議員をあげると以下の三人が目を引くところである。。
細田博之  1名
麻生太郎  1名
衛藤征士郎 5名
 細田博之は、平成2年(1990)年の衆議院選挙に島根県全県区から立候補して初当選している。細田が、当選できたのは『勝共推進議員名簿』からもわかるように島根から立候補するにあたり統一教会に「誓約書」を提出していたから選挙支援を受けることができたと自ら告白していることと同義なのだ。その後の細田は、衆議院議長となった現在まで統一教会とは不可分の関係にあった。細田は、次回は選挙に出馬できないであろうからこの期限りで引退ということになる。畢竟、細田は、国会議員在任期間全てが統一教会系であった。これもすごい話である。
 憲法では、国会は「国権の最高機関」と定めている。その長である細田は、国民に政策の実現を約束しておきながら統一教会との約束を守ることを優先するという国民に対する裏切りなのである。細田は、衆議院本会議で野党党首から睨みつけられても仕方のない典型的な統一教会系国会議員だったのだ。

 週刊文春 2022年9月29日号に「統一教会・文鮮明“お言葉集”発掘「安倍晋太郎は私と契約書を書いた」「福田赳夫と中曽根は私が首相にした」」とする記事が掲載されている。この記事には文鮮明が自民党安倍派(安倍晋太郎)を積極的に支援していたことを示す文鮮明の『御言選集』の存在があることを紹介している。
以上
  ⇒当記事は10月21日投稿記事へと続く。
  

[1] 『国会議事録という動かぬ証拠(1)』小日向白郎学会(13頁)。

[2] 同上(15頁)。

                                           (寄稿:近藤雄三)

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再録:統一教会の黒幕岸信介  -キッシンジャー外交にみるアメリカの極東戦略-から

2022-10-17 | 小日向白朗学会 情報

   統一教会問題が騒がしい昨今であるが、同教会の背後にいた岸信介については、本格的な研究が少ない。そこで当学会では、岸信介が日本の防衛を危うくした張本人であることに触れていることと、小日向白朗が所蔵していた書類を引用し公表していることから「キッシャンジャーの極東戦略」を再録することにした。統一教会問題を考えるうえで、岸信介の行動を抑えておくうえで重要な手がかりとなると考えている。          小日向白朗学会事務局
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Ⅰ はじめに
1947年3月12日トルーマン(Harry S. Truman)大統領は議会への特別教書演説でギリシャ内戦を始めとする共産主義に抵抗する政府に対してアメリカが支援を行わなかった場合はヨーロッパ各地で共産主義のドミノ現象が起こるであろうと警告を発した。それに対応するようにアメリカ国務省政策企画本部長ジョージ・F・ケナン(George Frost Kennan)が著者名Xとして『フォーリン・アフェアーズ(Foreign Affairs)』(1947年7月号)に「ソビィエトの行動の源泉」[[1]]とする、いわゆるX論文を寄稿した。その論文には、ソ連の膨張傾向には長期にわたる辛抱強く、強固で注意深い封じ込めが必要と説いたのであった。その後、論文に沿った形で朝鮮戦争やベトナム内戦への介入が行われたが、ベトナム戦争は泥沼化しアメリカは抜き差しならぬ状況に追い込まれて行った。そのため1968年に行われたアメリカ大統領選でニクソン候補(Richard Milhous Nixon)は「ベトナム戦争から名誉ある撤退」を主張し当選する。大統領就任後、ニクソン・ドクトリン(The Nixon Doctrine)を発表し公約実施に向けて始動するが、その際の課題は、朝鮮戦争で鋭く対立し、その後はベトナムの後ろ盾と成っていた中国の取扱いであった。
その中国はといえば1969年3月2日と同月15日にアムール川の支流ウスリー川の中州にあるダマンスキー島の領有権を巡って大規模な軍事衝突が発生した。また同年8月にも新疆ウイグル自治区で軍事衝突が起こり、中ソの全面戦争や核戦争に発展する可能性も孕んでいた。そのためベトナム撤退を考えるアメリカは中国との関係改善を推し進める好機と考えた。しかし、ドクトリンを実施するあたりアメリカには中国の内政や人脈に精通した人材が不足していた。そこで、キッシンジャーとアメリカ国家安全保障会議(NSC:National Security Council)は、中国の政治事情に精通する人物を極秘裡に探すことになるが、日本に中国情報に精通した小日向白朗という人物の存在が判明した。そこで急遽、外交ルートを経ずに訪米要請を行ったが、当初は難色を示していたが説得に応じ訪米してNSCに協力した。
1972(昭和47)年2月21日、第37代アメリカ大統領リチャード・ニクソンは中華人民共和国の首都北京に大統領専用機で到着した。その夜、ニクソン大統領は同行のキッシンジャー大統領特別補佐官(Henry Alfred Kissinger)は中南海に向かい、毛沢東主席と歴史な会談が実現した。その会談は第2次世界大戦以降長らく対決を続けた中国とアメリカによる直接対話が実現した瞬間であった。そこに至るにはキッシンジャー及びそのスタッフが中国と秘密裏に交渉を重ねてきたことが結実したものであった。
米中直接対話は、関係改善を望む中国とアメリカは無論のことベトナム、台湾、日本、韓国そして何よりも戦後冷戦構造の相手側であるソ連も変化させることになった。すなわちアメリカが戦後の外交政策で採用してきた封じ込め理論は波状し、それに変わる新たな外交政策の開始を意味していた。以上のようなアメリカ外交方針を取り仕切ったキッシンジャーは1973(昭和48)年度の平和ノーベル賞が授与された。
本稿は1970年代初頭に小日向はニクソン大統領の特別補佐官となったキッシンジャー及びNSCに対してベトナム撤退、米中接近、沖縄返還、尖閣領有に関する助言を行ったとしていることを、小日向が所持していた資料とインタビュー記事から確認してみる。その後、小日向とNSC間で話題となった事柄をキッシンジャーと周恩来の会談録から米中の協議内容を検証する。

Ⅱ 小日向白朗の経歴と訪米まで
アメリカの国家安全保障会議NSCが強く訪米を希望した小日向白朗の経歴に付いて簡単に触れてみる。小日向は明治33(1900)年1月31日に新潟県三条市で生まれ、後に満洲に渡り馬賊となった人物である。その戦前の活躍は自叙伝『馬賊戦記』[[2]]に纏められている。戦後の小日向は、第2次と第3次の近衛内閣で内閣秘書官長を務めた富田健治氏の取計いで池田隼人首相の私設顧問に就任し日本政界と係るようになった。
池田首相の私設顧問が渡米することになった理由は『実業の世界』[[3]]に記述がある。その記事によれば、小日向の訪米には亀田候冶氏という日米協会会員が係わっていた。亀田は1960年にハーバート大学でインターナショナル・ゼミナールが開催された折に日本代表として出席したことからキッシンジャーと面識を持ち、何度か親しく食事をするようになった。そのゼミナールとは、ハーバート大学が主催しキッジャーが世界中の高名な学者やジャーナリスト及び政治家を集め世界情勢の報告と討論を行う会でエドウィン・O・ライシャワー(Edwin Oldfather Reischauer)元駐日大使や中曽根康弘氏も参加者していた。亀田は1970(昭和45)年7月3日に、満洲で馬賊として活躍した小日向という人物は中国や台湾に多くの人脈を持っていることから、アメリカが求める人材として最適であろうとキッシンジャー宛に手紙を出した。それに対してNSC極東担当のジョン・H・ホルドリッチ(John Herbert Holdridge)は亀田に1970(昭和45)年7月17日作成のエアメールで、キッシンジャーは紹介を受けた小日向を受け入れると伝えてきた。そのとき、ホルドリッチから亀田氏にあてた航空便の写しは「図1.NSCから亀田氏へのエアメール」として文末に添付しておいた。
当初、小日向はアメリカからの訪米要請に応ずる積もりはなく「アジアの平和と進歩のために(アメリカへの忠言)」(文末資料参照)とする論文を作成し提出することで済ませようとしたが、結局は招聘に応じ訪米した。小日向の論文を要約すると以下のようになる
小日向はベトナム和平の為にアメリカが南ベトナムから撤収するならば、和平後のベトナム復興とメコン開発の国際協力の道が開かれるとともに、アメリカに取っても長期的な利益が保証されることになるであろう。またアメリカは個別の民族闘争に介入した結果、その全てが膠着状態となっているが極東地区全域の包括的解決のためにはアメリカがアジアから撤退することで解決に向かうはずである。アメリカは、アジア共産主義の侵略を阻止するという名目で北ベトナムを攻撃してきたが、北ベトナムはその攻撃に耐え善戦するとともに、それを支援した中国はその政策に自信を持つこととなった。
その中国は国防思想として「抵抗主義は即ち戦争である」という毛沢東イデロロギーにより対米戦争準備を強調するものであったが、実際はソ連との境界戦争に翻弄されていた。しかし、問題は毛沢東の「人民戦争」理論により、ソ連の修正主義と対米姿勢を非難しているが、同時に、中国はベトナムに義勇軍を派遣する用意があることを示唆していた。中国は周辺諸国の人民武装闘争を激化させてアメリ力のベトナム作戦を包囲しようと呼びかけたことから、ベトナム戦争はその戦場を無限定に拡大する恐れが強まっていた。しかし、毛沢東の国防方針に中国の民衆は疲弊し生活向上と国内建設への方向転換を希求していることから、アメリカのベトナムからの撤退は中国国民の生活を向上させることができる。その際に重要なことは中国と日本とが提携し、アジア建設を行うというものであった。

Ⅲ 小日向とNSCとの打合せ内容
小日向が訪米した日付は残されたパスポートに出入国日の記載がなく不明である。また、滞在中にNSCと如何なる打合せが行われたのかは、いまだ米国国立公文書館でも見つけられないでいる。そこで、1971年発行の『富士ジャーナル』[[4]]に小日向白朗のインタビュー記事から、訪米前後の様子を仔細に確認してみる。
小日向が訪米の原因は1969(昭和44)年3月に中ソ国境紛争が激化しソ連の36個師団が中国に軍事侵攻を行ったことから始まる。ソ連の軍事行動は社会主義国同士が核兵器の使用も考慮する大規模なものとなった。小日向は、核大国であるソ連の前に中国は為す術もなく敗北する可能性があり、ひいてはアジア全体の危機を誘発し日本の危急存亡の秋と考え独自の行動を起こすことにした。小日向の考えは台湾の蒋介石と大陸の毛沢東が第3次国共合作を行い共闘してソ連に対峙しようというものであった。その計画を台湾政府に伝えると、蒋介石は小日向を台湾に招待し協議を行うべく使者を立てて連絡してきた。当時の蒋介石は本格的な大陸反攻を目指してはいたが状況の固定化が進むなかで手詰まり感もあり渡りに船の提案であったと思われる。そして同年3月27日に小日向は台湾に出発するが、その直後に川島正次郎副総裁と赤城宗徳衆議院議員の二人は中国の状況などを伝えるためソ連へ出かけた。しかし、同月29日にコスイギシと周恩来の間で国境侵犯の停止を含む休戦協定に同意したことで、台湾に到着したが国共合作の工作も不要となり蒋介石との会談も中止となった。
小日向が台湾から帰国早々の同年4月5日頃に、東京極東裁判のキーナン検事(Joseph Berry Keenan)の助手をしていたエドワード・モナハン氏と素性は不明のウイリアム氏の両名が小日向宅を訪問し1万ドルの提供と訪米を依頼してきた[[5]]。それに対して小日向はアメリカ政府からの訪米要請であるのならば断ろうとしたが招聘元いわゆるスポンサーはモルガン財閥系の特殊財団であることが判明したので応ずることになった。同年6月6日にアメリカから使者を派遣するとの手紙が届いた。その手紙にはキッシンジーからの伝言として、自分は多忙であるがスタッフと面談して欲しいというものであった。アメリカが予告した当日、複数の人物が小日向宅を訪れ再度訪米を要請した。アメリカが小日向を必要とした理由は、彼が満洲で行動していた時の配下は林彪の部隊に合流していることから、林彪を含む中国共産党指導部の人脈を欲していたと思われる。その関係は小日向自身が描いた図があるので「図2.馬賊組織の変遷と東北人民義勇軍」として文末に載せておいた。
小日向の訪米期間は前出の『実業に日本』では1970(昭和45)年9月15日から同年10月10日までとなっている。アメリカに到着後の小日向はNSCと行った会議の冒頭でアメリカ外交の基本であるニクソン・ドクトリンについて、その本心を確認することから始めている。小日向が作成した論文は予め配布されていたためか、対応したNSCスタッフは、小日向の持論であるドクトリンの完全実施、即ち、ベトナムからの撤退を断言した。ただし小日向は、アメリカの完全撤退は懐疑的であった。そのためアメリカがドクトリンを実施するにはアジア人の信頼を獲得することが重要であり、そのためには1969(昭和44)年11月から日米間で始めていた沖縄返還は当初の声明通り核抜きで実施することと、ベトナム戦争を放棄することの二点は完全に実施することを薦めている。ただし、アメリカが直ちにベトナム戦争を放棄した場合にアメリカの敗北宣言と見做されることから沖縄返還後に行うことを提言している。さらに小日向は念を押すように、アメリカはベトナムとの戦争に勝利できないため名誉ある撤退を行うのかと問い質したところNSCスタッフもその考えに同意した。これはアメリカがソ連封じ込め強化のために米中の国交正常化交渉を行ったものではない。アメリカはベトナム戦争が敗北であるとの認識のうえ、その終戦処理方法としてニクソン・ドクトリンを実施に移しベトナムから名誉ある撤退を行うことであった。その準備としてベトナムの後ろ盾となっている中国との関係改善を模索しているところに、中ソ紛争が起きたことで米中関係は急速に進展したのである。そして、その過程で沖縄返還があったのである。そのことを裏付けるものとして1972(昭和47)年2月23日に行われたニクソン大統領と周恩来首相との会談の中でニクソン大統領は、
「……アメリカが沖縄を返還したように、(ソ連も)日本に対して寛大になることを望みます。私は佐藤(栄作首相)にサクラメントであった時にいいました。沖縄は日本のものだから、時がたって、決断したことは正しかったと……」
と発言している[[6]]。このニクソン大統領の発言は、アメリカにとって沖縄返還は、アメリカの寛容さと誠実さを中国に示すためであるとともに、中国の意向に沿ったものでもあった。よって、沖縄返還は日本外交努力とはほど遠いものと思われる。そのことは、返還交渉中のアメリカは、中国との関係改善のために日本人顧問を招聘し準備していることについて微塵の情報も漏らしていないことからも明らかである。
小日向はアメリカがベトナムから撤退する意思があることが確認できたことから、積極的に自分の意見を述べるようになっている。その顕著な例としてドクトリン実施する際の抵抗勢力は台湾政府と日本国内の岸信介、賀屋興宣、佐藤栄作ら台湾ロビーであると名指しで示している。NSCは米中が協議を行う場合に台湾の帰属が重要となるが、台湾には蒋介石が存在することから反対勢力だということは当然としても、なぜ日本国内の勢力が含まれるのかは不可解であった。それに付いて小日向は、蒋介石が台湾に200万の軍隊を連れて逃げ込んだ時に、最初に確保したものは日本が台湾に投資した工場設備と日本政府の財産で国民党幹部が私的に接収してしまった。しかし国民党が工場等の設備を接収したが設傭資金や運転技術は日本の経済界と結ぶ以外に方法はなかった。そのため蒋介石は日本との関係改善という名目で米国の了解を取り付けて日華条約を結ぶこととなった。そのうえで日本の権力者を台湾に引き留めるために様々な利権を提供したことから日本に台湾ロビーが誕生することになった。その台湾ロビーは、アメリカが中国と台湾の改善を図ろうとしても、それに反発するように意図的に台湾に進出し、ソ連との結びつきを強めるなどして中国との関係を否定する行動を取ると見ていたのである。また、台湾人は国民党と台湾ロビーについて、国民党は接収した日本資産から利益を生み出して一部を台湾ロビーに提供する関係であり、蒋介石一派は個人的な利益を守るために武装した流民と見ていた。小日向の認識を少し補足するならば蒋介石が台湾を接収後、酒、たばこ、砂糖、塩などは全て専売となっていたことから住民の不平が募り1947(昭和22)年2月28日に台北市で民衆の暴動が発生する。いわゆる二二八事件である。国民党政府は混乱に乗じて台湾在住のジャーナリストや知識人を大量に殺害し遺棄して自主独立の芽を断つため知識人を組織的に抹殺したのである。そのため、台湾人の悲劇は、たとえ蒋介石と台湾ロビーとの癒着を知り得ても蒋介石がアメリカと結んでいる間はその権力の下に屈服させられていると述べている。
アメリカは小日向から、蒋介石の接収資産や台湾ロビーに付いての情報を仕入れたことから、岸ら自民党主流派と台湾との結びつきを徹底的に調べた。それによると蒋介石は海外に100億ドル近くの資産を保有し、その内の50億ドルはリオデジャネーロにあることが判明した。そのため、接収した日本資産と海外の隠匿資産を合わせ持つ蒋介石と、台湾に独占的な利権を有する台湾ロビーが揃って米中の接近に反対するのは当然だと判断したのである。
アメリカが小日向に訪米を持ちかけている頃の日本政府の動向についても述べている。小日向はニクソン・ドクトリンの妨害勢力と考えていた岸の動向を注視していたところ、小日向が訪米に旅たった3日後、その行動を訝った岸信介氏は後を追うようにワシントンに到着し反ニクソン派の巨頭と懇談した徴候があった。そして岸が帰国すると岸の顧問矢次一夫氏はすぐさま台湾に出発し、台湾政府は矢次が滞在中に尖閣列島領有を主張した。そのような台湾ロビーの動きに対して小日向は、佐藤内閣の閣僚などに台湾政府が尖閣の領有を主張するように勧める行動は売国行為のみならず亡国行為であると騒ぎ立てたことから、佐藤総理大臣は事態鎮静化のため急遽会見を開き尖閣列島が日本の領土であることを明言した。この辺の経緯は昭和45(1970)年9月7日開催の衆議院科学技術振興対策特別委員会[[7]]で石川次夫委員から「……最近新聞の報ずるところによりますと、国府の外交部長が立法院の秘密会で尖閣列島の五つの島を国府に帰属するとはっきり言っておる……」との発言からも符合する出来事といえる。
その頃、尖閣列島が注目を浴びるようになった理由は石油資源の存在が明らかになったからである。尖閣列島の石油資源とは1969(昭和44)年に国連のアジア極東経済委員会(ECAFE:Economic Commission for Asia and the Far East)が東シナ海で海底調査を行い、その結果を「東シナ海海底の地質構造と海水に見られるある種の特徴に就いて」の中で、尖閣列島周辺が石油有望地域であると評価したことから始まる。当時は1000億バレルを超す石油埋蔵量と騒がれたが、平成18(2006)年4月24日に行われた第164回参議院行政監視委員会で政府参考人細野哲弘氏は、「……東シナ海の中間線、日本側及び沖縄周辺海域における……賦存資源量というものは石油換算いたしまして約約5億キロリットル……」の埋蔵量と証言している。
ところで小日向は台湾ロビーが台湾政府に尖閣列島領有宣言を薦めた大きな理由も石油の存在があると考えていた。そのため、岸が反ニクソン派に接近したのはガルフ石油の存在であると考えテキサスまで出かけ確認したところ、既に尖閣列島周辺の石油開発はガルフ石油と岸が組んで事業化する算段となっていた。それを聞いた小日向はNSCに岸らの反ニクソン行動を取る勢力を放置していいのかと詰問したところ、一か月も経たないうちにガルフ石油は尖閣列島周辺での石油開発から撤退したと述べている。尖閣列島と石油に関しては、国会でも幾度か取り上げられているが、尖閣列島とガルフ石油の関連についての議事録が存在する。それは小日向が訪米直前の昭和45(1970)年8月10日「沖縄及び北方問題に関する特別委員会」[[8]]で川村清一氏が質問にたち、台湾政府がアメリカのガルフ・オイルの子会社であるパシフィック・ガルフ社に対し石油鉱区権を与えたことを質問している。これに対して外務大臣愛知揆一は、日本政府として国民政府に対し鉱区の一方的宣言は国際法上無効であると台湾政府に申し入れていると答弁している。この答弁から、小日向がいうように台湾政府はガルフ石油に採掘の許可を与えていたのである。また昭和45(1970)年9月7日開催の衆議院「科学技術振興対策特別委会」[[9]]で石川次夫氏は尖閣の帰属に関して質問を行った。それに対して外務省条約局外務参事官山崎敏夫氏は「……尖閣列島というものは琉球諸島の地理的境界を定めた米民政府布告二十七号によっても明らかになっておって……施政権返還のときにはこれを含めて返還する……」と答弁している。小日向の訪米直前の国内では尖閣列島の帰属に関してその問題点が論議されているなかで訪米することになったのである。それと、小日向はガルフ石油が尖閣列島での開発を中止したと述べているが、そのことは昭和45(1970)年12月7日開催衆議院内閣委員会[[10]]で伊藤惣助丸委員の質問に外務大臣愛知揆一は「……ガルフ会社としては……その海域の石油採掘の前提となるボーリングなどの作業というものは一切やることはいたしませんと、ガルフ会社は言明をしております……」と答えていることから確認できる。
 小日向とNSCと論議は、日本の中国に対する外交政策についても附言している。小日向は日本も中国と国交正常化できる内閣ができない限りアメリカのニクソン・ドクトリンの具体化は遅れてゆくだろうとの認識を示した。そして、日本の政界再編には、アメリカが日本の財界に特別な保証をした資金を貸し出しており、その資金の一部を使えば日本政府のコントロールは難しくないであろうと問いただした。しかし、アメリカは日本政界の再編については懐疑的で、小日向がワシントンを出発し帰国の途に就く前日に日本部長エリクソンが小日向を訪ね、日本政界の野党を総結集し日中の対話ができる体制にすることは難しい旨の私見を述べている。
ここで小日向は「日本の財界に特別な保証を付けた資金」についても説明をしている。それによれば、戦後吉田首相が訪米し、戦争で破壊された日本の工場、発電所、道路及び鉄道など、日本の産業を復活するため30億ドルの借入を申し出た。その内訳は、電源開発貸金として10億ドル、産業復興と国土開発資金に10債ドル、それと輸出入資金として10億ドルであった。しかし、アメリカ政府も吉田首相の申し入れに応ずるだけの資金はなかったことから、民間資金に政府保証を付けて日本政府に貸し付けることとなった。その民間資金とはサッスーン財閥が出したといわれており、その資金のおかげで日本の戦後復興は急速に進むことになるが、当初は30億ドルであったものが1970(昭和45)年頃には元利合計が88億ドルに達していたとしている。融資実施条件は、政府が融資を受けるときに往々にして塩税やたばこ税などを担保にすることが多いが、吉田首相が導入した資金もご多分にもれず国権の航空権、国防権、電波権を担保にしていた。その融資の方法は、例えば、ある会社が1000億円を借りる場合に、その借入は主力銀行が保証し更に日銀が保証したうえで実行される。その際に、政治調整金という名目で10%が天引きされる。すなわち1000億円の借入に対して100億円が天引きされるので実際に利用できる金額は900億円ということになる。その天引きされた10%の使途は3.5%すなわち35億円は金利分として元金の方に繰り入れられ日本銀行の口座にはいる。次の3.5%はアメリカ大統領名義で日銀口座にふり込まれると、神官外苑にあるキリスト教伝道事務所が伝道基金として使用していた。最後に、残りの3%は与党の政治貸金となっていた。そして1000億円をかりた会社は毎年6.5%の金利を払うことになるが、その中の3.5%は扱い銀行の利益となり、残りの3%は日本とアメリカとが共同で双方の利益となることに使用する取決めであった。ただし、その資金の使用前にアメリ力大使が内容を調べ、アメリカ政府に報告及び了解を得てから使う仕組みであった。小日向は日本政府とアメリカの間には自由にできる資金があることから、その資金を使ってニクソン・ドクトリンと共同歩調を合わせる政府を作ってはどうかと提案したのであった。融資の存在に関して昭和45(1970)年9月13日付の『毎日新聞』[[11]]では否定的に、昭和45(1970)年10月25日付の『正論新聞』[[12]]は肯定的に書いている。尚、小日向は後者の記事に登場していることから事件を知りうる立場にいたものと思われる。
訪米後の小日向とキッシンジャーの関係についてであるが、後日キッシンジャーが平和ノーベル賞を受賞した折に小日向は祝電を送っている。(「図3.小日向白朗からキッシンジャーへの祝電報」参照)。その小日向の祝電に対してNSCキャロル.ライス(Carol C. Laise)から感謝の手紙が届けられている。ことから小日向とキッシンジャーの関係は続いていた。 (「図4.キッシンジャーから届いた礼状」参照)。

Ⅳ 米中交渉の中に見る対日戦略
キッシンジャーとNSCは小日向を招聘するなど万端の準備を整えたうえで米中直接交渉を開始するが、その内容は公文書が公開されているのでアメリカの極東戦略を考えるうえで重要な日本に関する事柄を中心に確認してゆく。
キッシンジャーと周恩来との第1回目の会談は1971(昭和46)年7月9日に北京にある中国政府迎賓館で行われた。アメリカ側の出席者はキッシンジャー、ジョン・H・ホルドリッジ、ウイストン・ロード(Winston Lord)、W・リチャード・スマイザー(W. Richard Smyser)で、中国側は周恩来、葉剣英、黄華、章文晋であった。ジョン・H・ホルドリッジは小日向の招聘を亀田氏経由で依頼してきた当人である。初日は台湾、ベトナム、韓国に付いての討議が行われた。そして討議の後半は日本の軍備に付いて重要なやり取りがなされている。
周恩来はアメリカが撤退することに懐疑的であり、他に何らかの意図があるのではかと執拗にその真意を問いただしている。特に日本に関してはアメリカが撤退後の役割に付いて、アメリカの真意を測りかねていた。その背景には昭和29(1954)年5月1日に吉田茂内閣総理大臣は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定」(MSA協定)を締結し、日本は自国の防衛力だけでなく自由世界の防衛力の発展や維持に寄与するとともに自国の防衛能力の増強に必要な措置をとる義務を負うことを取決めていたことや、日米安保条約などがあったからと思われる。尚、MSA協定調印直後の同年6月に自衛隊法と防衛庁設置法が成立した。
そのため周恩来は、アメリカの真意は南朝鮮、日本、フィリピン、インドシナ、タイと軍隊を駐留させているが撤退後もアジア支配を続けるためには日本を極東の前衛として使えるように軍事強化することが目的ではないかと疑問を投げかけた [[13]]。そして、第二次大戦後の日本は僅かな軍事費の支出で済んだことから急速に経済力を付けたが、その経済力を基盤として膨張政策を取ることを懸念しての発言であった。それに対してキッシンジャーは、中国の歴史を引き合いに出して、強い中国と強い日本を比較した場合に、強い中国は伝統的に膨張主義者であると述べている[[14]]。これに対して周恩来は過去において中国はベトナム、ビルマ、朝鮮を侵略した膨張主義の伝統を持っていたが新しい中国ではそのようなことはなく、日本の膨張主義こそが問題なのだとの考えであった。その周恩来の懸念についてキッシンジャーは、日本が潜在的に強力な軍事機構を創設し、決断すれば膨張主義的な目的のために使える経済的社会的土台を持っている。そして、もし日本がアメリカから見捨てられたと感じた場合に、核兵器製造を決心したならば容易に製造することが可能で、その時は中国の心配が現実のものとなると説明したうえで、中国とアメリカの共通した利益は日本に再軍備させないことと核武装させないことこそが重要で、そのため在日アメリカ軍は日本の再軍備を先送りさせる機能があると主張している[[15]]。よってアメリカは日本を極東の前衛として利用することは無いと付け加えた[[16]]。
しかし、それでも納得しない周恩来は、レアード国防長官が中曽根康弘防衛長官と会談する為に日本に滞在中している理由を問いただした。それに付いてキッシンジャーは中曽根防衛庁長官の招待で訪問したが到着した時にはもはや大臣ではなかったと返答するにとどめたが、翌日即ち同年7月10日開催された第2回会談の中でレアード国防長官は、日本は防衛のために核武装を考えるべきであると提案したことを認めている [[17]]。しかし、レアード国防長官の発言はホワイトハウスの政策に反するため、そのような提案は取り消され二度と繰り返されることはないと断言している。この応答から核問題に関してキッシンジャーとNSCが問題の最終決定がきる立場にあることを周恩来に印象付けることとなった。また、アメリカ国内ではNSCと国防省間に意見の相違があったことが見て取れる。
その後も、日本の再軍備と核武装についての論議は同年10月22日の会談ではキッシンジャーは日本の軍事力について、日本の核武装に反対するとともに、通常兵器は日本の四島を防衛するのに十分な程度に限定することが好ましいとの対日論を述べている [[18]]。それに対して周恩来は、アメリカは日本が他国を脅かすために防衛的な傘を提供するのかと問いただしたところ、キッシンジャーは「……日本は核兵器を非常に迅速に作る能力を持っています……もし我々が撤退するとなると、原子力の平和利用計画によって日本は十分なプルトニウムを保有していますから、とても簡単に核兵器を作ることができます……」と日本の核製造能力明らかにしたうえで、現状の日米関係は日本の自衛隊を制限するのに有効だということを強調して説明している。すなわち、キッシンジャーはアメリカ軍のアジアから撤退という方針の中で例外的に日本に駐留するのは米中双方のために核武装阻止と自衛隊の軍備を制限することが重要だということを示した。このことに関連して平成2(1990)年3月、在沖縄米海兵隊司令官ヘンリー・スタックポール(Henry C. Stackpole、 III)少将はワシントン・ポスト紙に「米軍が日本から撤退すれば、既に強力な軍事力を日本はさらに増強するだろう。我々は『瓶のふた』だ」[[19]]という発言をおこなった。その発言は、キッシャンジャーと周恩来の会談内容からするならば当然の帰結ということになる。
ニクソン訪中から1年9か月ほどが経過し米中の協議も回を重ねている中で1973(昭和48)年11月12日に毛沢東とキッシンジャーの会談が行われた。その会談で毛沢東はキッシンジャーに対して、米中の共同認識を日本に悟られないようにするためと、日本をソ連に向かわさない方法を助言している[[20]]。それは、キッシンジャーがアメリカから中国入りする際に、必ず東京を経由することとし、日本に孤立感と疎外感を味わわせないようにするというものであった。それにいてはキッシンジャーも賛成し助言通りの行動をするようになった。すなわち、キッシャンジャーが示した日本の軍備拡張と核武装をおさえ、そのうえソ連に接近させないという対日戦略は周恩来だけでなく毛沢東も了承済みであると診ることができる。この日の会談内容から、毛沢東とキッシャンジャーが極めて親密な関係にあったと推察される。また、当日の会談は両者の親密さの背景を垣間見る会話がなされている。それは毛沢東がヘーゲルの言葉を引用し、ヘーゲル哲学の「正反対のものの統合」に付いて関心があるかと問いただしたところ、キッシャンジャーは哲学的に大きな影響を受けたと返答している[[21]]。双方とも理論の組み立て方が似ていることを本能的に嗅ぎ取っていたことから、このような会話になったものと思われる。また同様に周恩来もキッシャンジャーの論理思考を弁証法と評価している[[22]]。これらからキッシャンジャーが取り仕切った米中接近も、米中の対日戦略もキッシャンジャーの弁証法的な思考により構築されていたとみることができる。
 話は第1回目の会談に戻るがキッシンジャーと周恩来の間でVOAが話題となっている。当日、周恩来はキッシンジャーの説明する対日戦略に納得していないため、突然、「まだ聞いてないことである」と前置きし沖縄の復帰に関連してVOAの存続に付いて問いただした [[23]]。それに対してキッシンジャーは、返答はしばらく猶予が欲しいと即答を避けた。その後しばらく別の話題を話したのちに、官僚が決定したことで重要な問題とは考えていないとしている。その返答に対して周恩来も深くは追及せず、何か含みのある余韻を残し追及をやめている。その後、両者の間でVOAは話題となっていない。
実はVOAは小日向がNSCとの会議の中でも論議となっていたことが前出の『富士ジャーナル』に記載されている。小日向の説明によればソ連が発射したICBMを空中で要撃するためにはABM(Anti-ballistic missile)網が必要なるが、そのABM網の電波探知機の触角に当たるのがVOAだとしている。このころのABMは弾道ミサイルに対して迎撃ミサイルを正確に誘導して命中させることは不可能であった。そのため、空中で核爆発を行い発生するX線で相手の核弾頭を破壊する方法が採用されていた。その触角はアメリカ政府が運営し宣伝放送を行っているVOAで、その基地局は日本国内に11ケ所存在するとしている。そのVOAは当時アメリカが推し進めていた「VISIONS OF AMERICA」計画と密接につながっており、その実施にはマイクロウェーブ網の整備が不可欠であった。マイクロウェーブはラジオ電波とは比べ、届く範囲は限定されるが妨害電波には強いという特徴を有しテレビ、レーダー、航空管制、電話等の多重通信が可能となる。そしてマイクロウェーブ網はVOAと同じ敷地に建設することになっていた。このことに付いて昭和29(1954)年12月03日参議院「電気通信委員会」で山田節男委員が次の様な質問を行っている[[24]]。
「……正力君のテレビ免許申請の経過を殊更詳しく述べるかと申しますと、……ユニテル社の機関誌テレ・テツクの一九五二年二月号五十七頁を見ますと、この正力氏の計画し政府へ申請したテレビの東京放送局(NTV)は、ユニテル社が企画しているグロバール・マイクロウエーブ・システムのアジアの第一ステーシヨンであることか明記してあります。換言すれば、NTVは、テレビでもつて、自由諸国家をつなぐ、即ち前述のヴオイス・オブ・アメリカと並行してヴユー・オブ・アメリカ(VOA)の一環であると思われるのであります……」
すなわち、日本のマイクロウェーブ網はVOAと同様にアメリカの全世界的な軍事設備の一環ではないかとの質問であった。これに対して久保等理事は妄動と拒否している。
小日向がVOAを問題にした理由は、吉田首相が復旧資金導入のために「電波権」を担保としたことから、アメリカは日本国内にVOAを設置することが出来た。そのVOAはさらに進んだマイクロウェーブ網に置き換わりABM網への利用をNACが洩らしたからであった。また、周恩来が初めてキッシャンジャーと会談を行った当日にVOAについて触れているということは、ただ単にVOAがプロパガンダ放送局であるという以前に、軍事的側面の詳細を知っていたために出てきた発言と考えられる。

Ⅴ まとめ
1970年代初頭の中国と日本及びアメリカの関係、即ち、40年前の極東アジアの国際関係を、日米関係に付いては小日向白朗とキッシンジャーを中心とするNSCの打合せ内容から、アメリカと中国の関係に付いてはキッシンジャーと周恩来の会談録等からみてきた。そのなかで、当時の米中協議で取り扱われている対日本戦略は日本にとって決して芳しいものではないが、今後の極東戦略を考えるうえで重要な手がかりを与えてくれる。
例えば、日本と中国の間で尖閣列島問題が緊張しているが、近隣諸国に目を向けるとベトナム、フィリピンなどでも同様の問題を起きている。それらの問題が発生するに至った理由は、1972年以降米中が台湾問題を協議する過程でアメリカは「二つの中国」や「一つの中国、一つの台湾」という解決方法を明確に拒否し中国の内政問題扱いとすることで合意した。そのため台湾、チベット、南沙諸島、ウイグル、内モンゴルなど様々な問題を抱える地域は全て中国の国内問題となったのである。
しかし、当時周恩来はキッシンジャーに中国は膨張主義を取らないと言明していたが、それから約40年が経過し軍事的にも経済的に強い中国となったことから周恩来が拒否していた中国の伝統的な膨張主義が台頭してきたのである。また、中国はアメリカと領土問題については合意済みであることから、中国と周辺国との領土問題にたしてアメリカの介入はないと考えているものと思われる。
それにたいして、中国周辺国で中国包囲網構築をアメリカの極東戦略とすべきとの意見もあるが、そもそも米中接近はそれまでのアメリカの封じ込め政策が失敗したことから始まっており、その後、大きな変更は行われていない。したがって40年前に開始したアメリカのアジア戦略は継続しており包囲網構築を選択する可能性は低いと考えられる。
小日向はアジアからアメリカが撤退し日本と中国が連帯してアジアの建設に当たるべきであると提言したが、キッシンジャーはアメリカと中国が組んで日本を抑えたうえ米中でアジア建設を行うという弁証法的な極東戦略を取ったのである。よって今後の極東におけるアメリカの戦略を考える場合に、米中間には日本を抑えるという対日戦略が継続している可能性があることを考慮しておくことが重要である。


(資料)         「アジアの平和と進歩のために(アメリカへの忠言)」
一、ベトナム和平
われわれはアジア民族連帯の立場カら、アメリ力がさきに中国封じ込め政策を転換し、いままたアジアに対する過剰介入の是正に乗り出していることは、アシアの平和回復を志向するものとして素直に評価したいと思う。しかし現実をみると、ベトナムの戦斗は果在しなくつづけられ、それをめぐってアジアの分裂は深まり、アジア人同士の新たな戦争拡大の危機がもたらされている、このような事態の成り行きは、アジア諸国民の切実な平和への祈願をふみにじるものであつて、アメリ力が真にアジアの平和と進歩のために図ろうとするならば、いつそう思い切った政策の切りかえを必要としていることは明らカである。
その第一はベトナムの和平である。いまや武力によるベトナム問題の解決が不可能であることは明白である。アメリカが速カに戦斗を終結し、南ベトナムカらの撤収を実行すれば、和平後のベトナム復興とメコシ開発のための国際協力の道が開かれ、それはアジアはもとより、Qアメリカにとついても長期的な利益を保証するものになるであろう。
この実現は早ければ早いほど有効であり、いたずらに「行きがかり」や「目先き」にとらわれて戦斗を長びかせることは、前向き解決のための基盤をつぎつぎに破壌してゆくだけである。
また南ベトナムからのアメリカの撤収が、その国民の自主的選択により北ベトナムとの「連合国家」形の方向へ進ませることになったとしても、そのときはそれがQ南北朝鮮問題及びQ台湾問題の平和的解決を促進する作用をもつであろう。われわれはそのような方向においてのみ、アジアの恒久平和を語ることができる。

ニ、ポスト.ベトナム
Qベトナム和平は中国の対外姿勢にも大きな変化をもたらすであろう。第一それは中国を国際社会に引出すための有力な機縁になり、第二にベトナムの復興事業および東南アジアの経済建設に中国も真剣に協力せざるをえなくなる。そのことがQ中国自身を内部的にも変えてゆくであろう。
そのさい、われわれは北ベトナムの強靭な自立性および、その高度な政治的現実主義が中国に及ぼす影響を期待することができる。その点でアメリ力が「アジア共産主義」の侵略の名の下に、北ベトナムに対する攻撃をつづけていることは、間接的にアメリカ自身の対中国政策の不毛性を強めているといわねばならない。この誤りが早急にただされれば、Q北ベトナムはアメリカにとつても十分に信頼できる交渉相手となりうる。
ベトナム和平はアジアにおけるアメリカの立場をも大きく変えるであろう。そこでアメリカがさらに一歩をすすめて、消極的にアジア介入から後退する
のではなく、積極的に「アジア非戦」方針の宣明にふみきることが要望され
る。そのときはアメリ力を中心とする一連の集団防衛体制も、アジア反共軍事同盟の性格からアジア諸国の平和共存をめざすものに転ずることができ、米韓条約も米華条約もそうした意味で、南北朝鮮と台湾の問題の平和的解決を保証するものとして運用されることが可能になる。
このような方向においてアメリカがアジアで失うものは、Q少数の反共主義勢力の協力だけであり、かわつて大多数のアジア民衆の信頼と支持を得ることができる。彼らはアジアの平和的発展をめざす事業において、アメリカの積極的協力を求めてくるであろう。

三、中国問題
アジア問題の焦点は中国であり、なかでもその共産主義指導者の世界革命政策である。アメリカはそれをQ「アジア共産主義の侵略佳」の本源とみなして排撃してきた。しかし、中国の基本的動向はすぐれて民族主義的であって、そのため、Qソ連と鋭く対立し、両者はいまや「引き返しのできない」対決関係になつている。その点は米申関係の方がむしろ深刻でなく、中国の対米折衝も焦点を台湾問題だけにしぼつてきている。それは中国共産党の激越な反米帝国主義宣伝とは完全に噛み合っていない。
また中国の防衛思想は「帝国主義はすなわち戦争である」という毛沢東イデオロギーによって対米戦争準備を強調するものであるが、Q実際はソ連との越境戦争に備える方を急いでおり、その態勢も被攻撃的である。ただ問題は毛沢東の「人民戦争」理論の新展開であって、Q中共指導部は最近ベトナム問題に即して「革命戦争は人民がやるもので、国家がやるものではない。それをソ連修正主義者どもは国家がするものと思い込み、それで戦争を恐れているのだ」と評論し、ソ連の対米姿勢を非難すると同時に、中国自身は「義勇軍」をベトナムに派遣する用意があることを示唆している。そして、Q中国は現在周辺諸国の人民武装斗争を激化させてアメリ力のベトナム作戦を包囲しようとしており、五月二十日の毛沢東声明は、この方式を全世界に普遍化するよう呼びかけた。
こうしてベトナム戦争はその戦場を無限定に拡大する恐れを強めている。このような戦争は従来の数争観念ではもはや律することができず、その終結方法も従来のものでは通用しなくなりつつある。Qそこにアメリ力の新しい決断が必要なわけである。
われわれはQ中国の革命イデオロギーよりも、その実際の動向を重視しなければならない。それは国民から発するもので、必ずしも指導者の思いとおりにはならない。げんざい中国の国民は、革命カら備戦への苦難にあえぎながらも、ようやくQ経済再建の軌道を敷いたとみることができ、次の段階はQ国民の生活向上への押えがたい願望が、国内建設優先の方向をとらせる公算を強めている。
そのとき中国はいまのような閉鎖社会の状態にとどまっていることができなくなり、経済交流を通じて世界との結びつきを強めるであろう。ベトナム和平がこの進展に決定的な作用を及ぼすであろうことは明らかである。

四、アジアの建設
アジア大陸の東部から南部にかけて広大な農業社会が存在し、歴史的・文化的に一個独立の世界を形成してきた。そこではそれぞれに特殊性をもちながら、村落共同体の伝統的自治と、それらを結びつける道義的文化の普通性において共通し、社会生活は常に国家による法的統治よりも、民衆自治と道義文化により支えられてきた、だから多くの為政者は自治を尊重し、力によらず、民衆の信望に依拠して国を保つたわけである。この社会的・民族的伝統はげんざいも生きており、そのなかからインドのガンジー首相やセイロンのパンダラナイ首相のような特異な性格の指導者が生まれてきている。その政権は自治的道義に支えられた民衆生活の平和的進歩の要求を代表するものであつて、このような動向をとらえることが、アジアの建設をすすめるうえで必要不可欠の前提であるということができる。
 中国はそのなかでも最も統一された社会であり、そこにおける自治と道義の伝統はとくに強靭である。げんざいの毛沢東思想もそうした中国農業社会の伝統のうえに、その革命理論をイデオロギー化したものとみることができ、その政治的実験が高度の民族主義的傾向をもつことも当然といえよう。それはつまり中国社会の主人公は常に民衆であつて、その信望のうえにのみ中国の建設は成功するということである。現実の毛沢東体制がそれにそうとうするかは、むしろこれからの問題である。
それはともかく、われわれは台湾問題の平和的解決について、毛沢東と蒋介石、またその後継者の意思疎通ができると考えるのは、この両者が共に中国の民族的基盤にたって国家の独立と統一をたたかってきた間柄であることを根本前提としており、それはイデオロギーの相違を超えて道義と道義とが交感する場面になると見ることができる。
われわれは中国と東南アジアの建設において南方華僑の果たす役割を十分に評価することが必要である。中国自身においても周辺アジアの建設に真剣に取り組めば取り組むほど、華僑の協力を一層重要視しなければならなくなるであろう。さらに華僑勢力がポスト・ベトナムの段階で、中国と台湾との話し合いの窓口にもなり、またベトナム復興の経済活動を通じて北京に対する発言権を強化することも考えられる。
 そのような華僑資本を動員して中国周辺に大工業基地をつくることや、同じ中国周辺の海洋資源の開発事業を起こすことは、これからのアジア建設にとって極めて緊要な問題になるであろう。しかし、そうした華僑の役割を有効に建設するには彼らの信望を獲得するための具体的な手を今から打ってゆくことが必要であろう。
 アジアの建設のための重要課題は、中国民族と日本民族との提携であるが、げんざいの日本政府はこの問題についての確固たる方針がなく、いたずらにアメリカのアジア戦争政策に追随するのみで、現状のようなアジアにとってもアメリカにとっても不幸な事態を招いたことの責任の一班を負わねばならない。しかし、情勢は急転しており、アジアの平和回復とその繁栄のための日本の総力を傾注すべきだとする国民的自覚が高まってきている。
われわれはこうした国民の自覚にたって日本の姿勢をただし、アジア建設の国際協力の中心に日本をおくことを所期するものであるが、そのさい日本はアメリアに対する協力関係に即して、アメリカのアジア政策と中国政策が長期的観点になってアジアの平和と進歩を促進するものになるよう再検討をもとめなければならない。それはベトナム和平はもとより、全ての民族の自主独立を保証し、一切の干渉と介入を排除することを要求するものであると同時に、中国に対しても不合理な貿易制限を撤廃し、中国自身の経済建設と海外交流を助長し、相携えてアジアの平和建設に協力する場を作るべきである、
現情勢はアメリカの一大決断の時であるということができる。
一九七〇年七月五日 小日向白朗

引用文献
ウイリアム.バー.(1999年9月).キッシンジャー[最高機密]会話録.毎日新聞社.
毛利和子、増田弘.(2004年2月).周恩来キッシンジャー機密会談録.岩波書店.
毛利和子、毛利興三.(2001年7月).ニクソン訪中機密会談録.名古屋大学出版会.

 


 


[[1]]ジョージ・F・ケナン『アメリカ外交五〇年』岩波書店、2000年。

[[2]]朽木寒三『馬賊戦記』番町出版、1975年3月。

[[3]]「小日向白朗の知られざる威力」『実業の世界』1972年4月号、151頁。

[[4]]「台湾解決でアメリカに招かれた元馬賊王」『富士ジャーナル』1971年7月号、20頁。

[[5]]「米で要人と接触」『正論新聞』昭和45年10月25日。

[[6]]毛利和子・毛利興三郎『ニクソン訪中機密会談録』名古屋大学出版会、2001年7月、101ページ。

[[7]]「第六十三国会衆議院 科学技術振興対策特別委員会議録 第14号(閉会中審査)」6頁。

[[8]]「第六十三回参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会(第六十三回国会閉会後)会議議録三号」6頁。

[[9]]「第六十三国会衆議院 科学技術振興対策特別委員会議録 第14号(閉会中審査)」6頁。

[[10]]「第六十四回国会衆議院 内閣委員会議録」7頁。

[[11]]「五千億円融資デッチ上げ」『毎日新聞』昭和45年9月13日発行、14版、19頁。

[[12]]「米で要人と接触」『正論新聞』昭和45年10月25日発行。

[[13]]毛利和子・安田弘『周恩来 キッシンジャー機密会談録』岩波書店、2004年7月、34頁上段17行目。

[[14]]同上書38頁上段14行目。

[[15]]同上書38頁下段6行目。

[[16]]同上書39頁上段9行目。

[[17]]同上書67頁上段1行目。

[[18]]同上書198頁上段1行目。

[[19]]等雄一郎「専守防衛論議の現段階」『レファレンス』国立国会図書館、№.664,2006年5月、21頁。

[[20]]ウイリアム.バー『キッシンジャー[最高機密]会話録』1999年9月)、 毎日新聞社、232頁。

[[21]]同上書236頁上段17行目から同頁下段8行目。

[[22]]同上書235頁上段1行目。

[[23]]毛利和子・安田弘『周恩来 キッシンジャー機密会談録』40頁上段8行目。

[[24]]「第二十回国会 参議院電気通信委員会会議録二号」5頁。

                                   (名古屋貢)
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日蓮宗という名の共同幻想

2022-10-12 | 小日向白朗学会 情報
 
仏教、なかんずく日蓮宗は私には幼いころからの親しみがある。戦後、大陸満州から身一つで親子4人で引き揚げてきた私の家族。満州のころはゆとりのある暮らしであったらしいけれど、父の田舎に帰ってみれば財産は散り散りに散逸し、ほとんどゼロからの生活再建、少しずつ土地も買い戻して兼業農家として頑張ってきたらしい。引き上げてきて2~3年したころかな、私は生まれた。父も母も必死であったと思う。私を含めて小さな子供が3人だ。そんな家族はどこにでもいたのだと思うが、人はただでは頑張れない。心の隙間を埋めてくれる拠り所が大切なのだ。そうした隙間を埋めるように雨後の筍のごとく蠢き活動しだしたのが新興宗教だ。もちろん、神道もキリスト教もあった。けれど、仏教、特に日蓮宗は多くの派閥を形成していた。かの有名な創価学会も日蓮宗だ。私の家族は妙智会という日蓮宗の宗教団体に加盟して地域の支部的な存在であった。小学生のころになると私も両親と一緒にお経をあげていた。千葉の教会へも出かけた。つまり宗教二世という奴だ。高校のころには離れてしまったが、今でもお経を読むことぐらいはできる。お経といえば「南無妙法蓮華経」が当然であった。「南無阿弥陀仏」ときくと半世紀以上を経た今でも違和感を感じるのだ。
 私にとって日蓮宗とは妙智会という宗教団体であり、先祖供養に最大の価値を見出していた両親への思いを惹起するものである。ところが、どっこい、日蓮宗とはそんな甘いものではなかったらしい。奈良から平安、そして鎌倉と時代の流れの中で仏教は荒々しく成長したのであろうか。時の権力者と激突する日蓮を見ると、今の宗教団体などは可愛いものなのかもしれない。
 而して、戦前戦中の日蓮宗はどうだったのだろうか。それはそれは強烈な爆弾の大本といっても過言ではない。幅広い、かつ奥深い影響力を持続している。大河ドラマでやや有名となった比企能員を筆頭とする比企一族の菩提寺である鎌倉妙本寺に日蓮の木像があるが、その眼光を見てみるがいい。日蓮宗と言えば、宮沢賢治、高山樗牛、長谷川等伯、尾形光琳、葛飾北斎(押上・法性寺)など芸術家の名前が浮かぶが、実は井上日召、石原莞爾、北一輝、西田税等々の軍人、国士と言われる方たちもいる。私事で恐縮だがこの日召氏は私の高校の先輩にあたっている。いつのことだろうか紅顔の後輩学生が居並ぶ校庭で演説をしたという話も聞いているが、仏国土実現すべく扇動しておられたのかどうか。石原莞爾に至っては大正10年頃にはすでに田中智学にどぶっと深くのめりこんでしまい官費でのドイツ留学中には智学の息子里見岸雄にべったりと臣従していたという。この、田中智学というファナティックなまでの日蓮主義者は国柱会(旧立正安国会)を組織して八紘一宇の価値を作り出したという。つまり、日蓮を中心として世界を統一するというのである。ここまでくると、「宗教」と言ってよいのか、誇大妄想というべきか、私は今のところ判断がつかない。
 そうそう、昭和10年8月相沢中佐が永田鉄山を惨殺したという話は結構知られているが、この相沢さんも北の影響をもろに受けたらしく熱心な法華信徒であったという。北は順逆不二之法門という冊子で「革命は暗殺に始まり暗殺に終る」とテロ扇動を弄し「国家の革命は軍隊の革命を以って最大とし最終とす」としているらしいが、どこか226の匂いがしないだろうか。なぜに宗教・日蓮宗がテロの理論的支柱となりえるのか。不思議なお話ではある。
 そんなところに光を当てた人物がいた。寺内大吉。化城の昭和史にそのヒントが潜んでいるのだ。さーーーって、読もうかな・・・・。
                         (文責:吉田)
コメント (1)
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