小日向白朗学会 HP準備室BLOG

小日向白朗氏の功績が、未だ歴史上隠されている”真の事実”を広く知ってもらう為の小日向白朗学会公式HP開設準備室 情報など

昭和32年というと・・・

2019-04-29 | 小日向白朗学会 情報
西暦1957年。
1955年春に白朗が台湾から日本に帰って2年目。
まだ大牟田に潜伏中に発表したのでしょうか?
どのような記事か、すこぶる興味があります。


「奉天城事件」については、杉森久英著『荒野に骨を曝す』
の小日向白朗の章でも触れられていて、このように述べられて
いて面白い。
「もし軍事計画、あるいは軍事行動にもアイディアの権利を主張
できるものならば、石原莞爾は小白竜のアイディア権を侵害して
いると言っていえないこともないであろう」(同書:216P)
(文責・港)

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小日向白朗氏が話した雑誌人物往來社刊「特集 人物往來 「日本の黒幕」 昭和32年2月号

2019-04-13 | 小日向白朗 参考文献 書籍 WEB情報など

小日向白朗氏が話した雑誌 人物往來社刊
「特集 人物往來 日本の黒幕」 昭和32年2月号
   


ー秘められた満州事変の導火線ーというタイトルで話されています。
白朗氏は、奉天事件(張作霖爆殺事件)で張作霖が亡くなった三ヶ月後に息子張学良を訪問し、学良から”父の仇を蒋介石と共に、日本帝国主義を打倒する”強い意思を聞いた。

    

白朗は秘密裏に「天津占領」秘密計画をたて着々と準備をしていたが、決行直前で見つかり頓挫した・・・。その後、同じような計画があったようでその蓄積が、日本帝国主義軍隊の満州事変、そして第二次世界大戦への導火線となったと締めくくっています。
この白朗氏の話は、一見の歴史証言価値があります。

参考文献   文責:ゆざわ

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小日向ドキュメント映画企画意図

2019-04-03 | 小日向白朗学会 情報
長編ドキュメンタリー映画(90分)
 「緑林の人 ~満州馬賊王・小日向白朗~」

○中国国歌『義勇軍行進曲』のモデルが日本人であることは、あまり知られていない。
中国名『尚旭東』(シャオ・スイトン)。中国民衆からは、伝説の英雄『小白竜』(シャオ・パイロン)と呼ばれた馬賊王・小日向白朗(1900年~1982年)、その人である。新潟県三条市出身の白朗は戦前の満州を中心とする広大な荒野をかけめぐり、一時は、満州馬賊の頭領として7万とも8万ともいわれる配下を引きつれ何度もの修羅場をくぐりぬけてきた。
○そんな白朗のモットーは、「義気千秋」「除暴安良」。義侠心を大切にし、暴力を排して良民を助ける心。その思想的バックボーンは、日中の真の友好を願う『アジアは一つ』という大きな理想。日本軍と中国軍の間に立って、両者の融和に務め、日中戦争の前夜、蒋介石との和平工作に当たった事実は、ほとんど知られていない。その後、日本軍の裏切りにもめげず、上海に潜入した白朗は、日本軍系テロ組織『金家坊99号』の首領として国府系『軍統』、共産系テロ組織などとの凄惨なスパイ戦を戦い抜いた。
○終戦から5年、幾多の困難を潜り抜けた白朗は、1950年(昭和25年)日本に帰還。中国大陸での白朗の活躍は、自ら筆を執った『日本人馬賊王』や朽木寒三著『馬賊戦記』によって多くの人に知られていた。その反面、戦後の白朗については、多くの謎に包まれてきたが、最近の研究で白朗の戦後の活躍の全貌を明らかになりつつある。その白眉は、白朗の貴重なアドバイスが、あの歴史的な米中国交回復を前進させるために大きな役割を果たしという驚くべきものであった。
○この映画は、白朗の戦後の活動を明らかにする研究者の証言や資料、当時、行動を伴にした方の息子さんの証言などによって、『中国の赤い星』のエドガー・スノーから、「米中国交回復の扉を開けるのは、世界でただ一人」と指名され、秘密裡にキッシンジャーの元に招聘された白朗の活躍などを探る・・・白朗の根底にあったのは、中国大陸での人知を絶する壮絶な体験を経て培われた「自覚的民族主義者」「現実主義者」としての透徹した眼差し。今や、歴史の闇に消え去ろうとしている「小日向白朗」だが、混迷が深まる現代であるからこそ、我々は、そんな白朗の「思想と行動」に光を当て、深く捉え直すことを通じて、日本と中国との真の友好を切り拓く礎を築くとともに、アジアの一員として生きる我が国の明日を考える縁ともしたいと思う。
                              2019年秋、完成予定!!!

(文責 会員・港健二郎)
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ドキュメント映画製作にあたって.....

2019-04-03 | 小日向白朗学会 情報
先日、本ブログで小日向ドキュメント映画製作のための予告編をご紹介しましたが、
具体化のための以下のような今後のプランを立ててみました。

①遅くも来月5月連休明けから本格的な撮影を開始する。
 (関係者のインタビューや小日向の写真類は一部撮影済です)
②具体的には
   ・白朗の米中国交回復に果たした役割などについて政治評論家を取材。
   ・東京の日大教授M氏取材。小日向活躍の背景についてなど。
   ・父親が小日向の「秘書役」を果たしたFさんへのインタビューや蒋介石別荘予定の
    伊豆ロケ
   ・白朗の奥さんの出身地・大牟田ロケ、白朗の戦後帰国後5年の空白を探る。
   ・白朗の故郷・三条ロケ
     等を6月までに済ませれば大筋の撮影は終わります。
③それで、編集を始め前回予告編より長い10分程度のダイジェスト版を7月末までに作り、
 8月、9月でクラウドファンディングを実施。目標200万円を集めて本格的な編集や
 フイルムなど資料映像、スタッフなどの経費に充当。
④配給経費は、あらためて配給会社と相談しながら経費を調達して、来年春頃からの全国上映を目指したいものです。

以上のプランを具体化するには、当然、経費が必要です。
そこで、学会会員や本企画にご理解のある方々のお力をお借りして連休前の今月中に50万円、
来月5月中に50万円を調達したいものです。
例えば一案ですが一口5万円の協賛金募集か出資募集。目標は20口。
その契約書類と現時点での一枚ものの企画意図、企画書も準備しております。
関心をお持ちの方は、以下までご連絡頂ければ、折り返し添付でお送りします。
minato1@d3.dion.ne.jp
携帯番号 090-9332-6387

皆さまのご協力を切にお願いする次第です。

会員(映像製作担当)
港 健二郎
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