文部省は、昭和40年代頃まで、日教組との角逐が行われてきたのですが、文部省は、段々と日教組と妥協するようになりました。その変化の最も大きな表れとして、昭和52年の学習指導要領改訂があります。昭和43年告示の小学校学習指導要領には、社会科の目標として次のようなことが掲げられていました。大事な部分は赤色で示しました。以下同じ。
「家庭の役割,社会および国家のはたらきなどそれぞれの特質を具体的な社会機能と結びつけて正しく理解させ,家庭,社会および国家に対する愛情を育てるとともに,自他の人格の尊重が民主的な社会生活の基本であることを自覚させる。」
「われわれの生活や日本の文化,伝統などはすべて歴史的に形成されてきたものであることを理解させ,わが国の歴史や伝統に対する理解と愛情を深め,正しい国民的自覚をもって国家や社会の発展に尽くそうとする態度を育てる。」
とても立派な記述でした。また、この他にも、内容の取扱いなどで「天皇については,日本国憲法に定める天皇の国事に関する行為など児童に理解しやすい具体的な事項を取り上げて指導し,歴史に関する学習との関連も図りながら,天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすることが必要である。」や「わが国の歴史を通じてみられる皇室と国民との関係について考えさせたり,貴重な文化財の尊重,保護が国民全体のたいせつな歴史的責任であることを自覚させたりするよう配慮する必要がある。」これも立派な記述でした。
しかしながら、昭和52年の改訂でこうした部分が後方もなく、全部削除されました。当然、文言の変化などは時代に合わせて行われてきましたが、文部省が昭和33年以降一貫してきた「正しい国民的自覚をもって国家や社会の発展に尽くそうとする態度」も削除されました。この頃既に文部省は精神に骨抜きになっていたことが伺えます。
改訂後の目標は、「社会生活に基礎的理解を図り,我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て,民主的,平和的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。」となり、「平和的な国家・社会の形成者」という皇室・歴史・伝統・家庭に基づかない当時の教育基本法との関連まで図られ、大きく後退しました。なんとか「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て」という文言は残りましたが、「国家や社会の発展に尽す」のような分かりやすい文言はなくなり、検定でほとんど有効に働きませんでした。
その結果、教科書は加速度的に偏向の度合いを強め、当時の少年非行の急増を誘発しました。教育基本法は、改正されましたが、学習指導要領でこうした文言は一切復活しておらず、教科書の偏向は一向に正常化しません。偏向教科書で教育を受けた世代が社会の中心となっている以上、文部科学省を立て直し、早期に学習指導要領を改訂することが必要です。
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