例の病気が一段落して、世の中は日常をすっかり取り戻した、と言っていいと思う。
病気の騒動が故に、天から降ってわいたような、あの突然の2年間、人生において初めてと言っても過言ではない、フリー(辞職した時間に追われない自由)な期間をどう過ごして今日に至ったのかと思ってみる。
その期間、鳥の観察の趣味を得たことは、とりわけ大きな収穫だったと思っている。
仕事を辞めた2年間、毎日のように双眼鏡とカメラ片手に出かけた裏の公園で、どれだけたくさんの鳥たちと出会った事か。
さて、
日常が戻ってきてみると、最近、気持ちが何やら忙しない。
フリーな2年間、毎日家にいたころと違って、仕事や何やらで今は週に5日は、昼間は家にいない。
出かけるとなると、朝も鳥を見るどころではない。
”鳥をみる”と言う心の余裕が以前ほどに無くなってしまった毎日。休みの日もあるので、時間がないわけではないのに、心に余裕がないわけだ。
寒い朝が続くようになればなおさらで、公園に出かけるどころか、裏のえさ場に鳥の餌を入れに行くのも、億劫になる。
そんな今朝は、朝から晴天で、寒さは結構なものだけど、裏庭に出てカメラを久しぶりに手にしてみた。
寒さに丸まる嘆きバト。
秋口から冬場をこの辺りで過ごすユキヒメドリ。
あまり歓迎しないオキナインコ達。えさ場は荒らすは、うるさいは。
キツツキは冬場の鳥と言ったイメージ。1年中いるけどね。
この目つき。
ハウスフィンチも定住組。
彼も定住組。
苦心の末の餌場は、大きな鳥よけの為のネットで囲って。カラスやインコやハトが食べ尽くすのを防ぐのが目的です。
日々の暮らしに追われる毎日ではあっても、暇と言える時間はあるもので、そんな時間は、作ろうと思えば作れるものである。
貧乏でもいくらでも暇はある。
貧乏暇なしと言う時の、この貧乏と言う言葉の意味には、生活の質と言うか、気持ちの上での余裕と言うか、そんなものに構っておれない、心の貧しさの例えがあるのかもしれないな……などと、自分の暮らしを振り返って思ってみたり、そんな土曜日の朝。