食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回想旅行記、コンヤ』

2014年03月29日 17時26分57秒 | 旅行

 

コンヤでの観光は事前調査の結果からも期待できるものではなさそうだった。メヴラーナ博物館は旋回舞踏で有名なメヴラーナ教

団の創始者に関するものが展示され、私には眉唾のイスラム教の預言者ムハンマドの髭が保管されている小箱が展示してある。

宗教に関するものを信じる、信じないは自身の選択で信じないことは冒涜ではない。

確かに箱はあったが中身は見ていないから何があるのか知らないし、仮に何かを見たとしても、それがムハンマドの髭と説明されて

も・・・。

博物館で見学をしてからは、只管(ひたすら)にパムッカレを目指して約400kmの長距離ドライブをする。途中のトイレ休憩で立ち寄った

ドライブインには土地ならではものが販売されているから、そんなものを目敏(めざと)く見つけた人が短時間休憩を有効に使える。

トルコは農産物が豊富で特に果樹類の加工品は種類も多いし値段は安く感じた。ここで立ち寄ったドライブインには日本ではお目に

かかれないザクロのジュースが売られていた。大きなザクロを専用の機械に挟み、押しつぶして果汁を搾り出す。赤ワインのような色

の果汁は見た目と違って割とあっさりした味だった。日本でザクロのシーズンは秋だと思ったのだが、ここでは3月なのに未だ旬のよう

だ。ドライブインまでの道中に落葉樹の果樹園らしきものは沢山見られたが、いずれの木々も既に裸で新芽をこれから出そうとしてい

た。それなのに、ここには大量のザクロがジュース用として、どこかもっと暖かい所から来たものなのか、長期保存されたものなのかが

確保されていて新鮮な生ジュースを提供している。こうしたドライブインは有料トイレ、コンビニ、土産物屋、カフェをコンパクトにしたような

所で、トルコのように駄々広い国をバスで移動するにはなくてはならないものだ。

特にトルコの移動手段はバスしかないと言い切れるほど公共交通はないから、観光客にとっては大袈裟に言えば命綱のようなもの

でもある。

                                ザクロジュース

                       店員の前にある機械で搾り出す


『回想旅行記、カッパドキア~コンヤ』

2014年03月28日 18時01分50秒 | 旅行

 昼食は洞窟を利用したレストランで内部は意外と広く、100人近くは収容できる。内陸部を代表するような魚料理、鱒のソテーがメイン。

日本で鱒を食べるケースは滝の近くにあるそうめん流しと同居している釣り掘りで仕方なく釣れた『鱒の塩焼き』くらい。

ここの料理は多分、オリーブオイルでソテーしたものにほんの少々、塩を振っただけのものだから、塩鱒でもない何とも締まりの悪い味

付け。おまけに熱々ではないから、ここで食べるのは初めてなのに食傷気味となり魚の姿は出された時と余り変わっていかない。

テーブルに座っていると何やら大きなタンクを担いだ人がテーブルを回っていた。背中に担いだタンクのワインをお辞儀するようにして

グラスに注いでいた。ご当地のエフェスビールまたはワインを注文するのだから、ここではこの兄さんの売るワインを頂いてみようと注文

する。呑んでみれば何てことのない赤ワイン。物珍しさ溢れる洞窟レストランで昼食を摂り私たちに全く不要と思われる、トルコ絨毯の

製造、販売所に連行される。魚釣りと同じで最初にまき餌を蒔き、誘いをかけて一気に釣り上げる。絨毯を見せる前にジャスミンティ

ー、チャイを振る舞う。

やがて、口先だけで生きているようなセールストークに長けたイケメンの店員が説明を始める。絨毯の上に座らせて足ざわり、手触りを

実感させてここの商品が偽物ではなく、純正のトルコ絨毯であることを納得させようとしている。ウン百万円のものを次々と無造作に

広げて、之でもかと言うスタイルだ。若い男の人が玄関マット用にと数万円のものを購入していたが、私たちはお茶を飲んだけれど心

は微動だにしなかった。

コンヤに迎う途中、昔キャラバン隊が立寄宿としていたスルタンハンに寄ったが、時間の関係で外側からの見物のみだった。キャラ

バン隊に興味を持っているのでもないし、歴史的な興味をそそるものは全くない場所だから、こんな所に寄ることもないのに・・・・と独り

言。コンヤの近くに来るとすっかり陽が落ち時間的にはラッシュアワー。カッパドキアを出てから道中は畑ばかりで大きな工場はおろ

か、小さな集落さえ疎らなものだったのに、急に車が湧き出しコンヤ市内に吸い込まれていった。何処から来たのだろうかと不思議

な光景だった。ラッシュと言っても身動きが取れないようなものではなく、日本ならば地方都市の軽いラッシュ程度だが、それまでの道

中からは全く予想は出来なかった。

 


『回想旅行記、カッパドキアⅡ』

2014年03月27日 18時51分17秒 | 旅行

ベリーダンスに同行のナヨナヨ男子たちは、熱気球のカッパドキアツアーにも参加すると言っていた。添乗員の熱気球ツアーの説

明によると、早朝に出発し天候具合を見て飛び立つか否か決める。風向きによって降下場所は定まらないので地上と無線で連絡

を取りながら降り場所が決まり、自動車で迎いに行くから時間はアバウト。着陸時にゴロゴロと転ぶようなこともあるので注意を要す

る。歳をとってから高所恐怖症になってしまったから、金を払ってまで恐怖を味わうことはないし、仮にタダの事だとしても不参加は決

定の熱気球ツアー。しかも値段は結構いいもので1万円ちょっと、お金以上に身の危険を回避。

幸か不幸か当日は風が強く、ツアーは中止になった。若い人たちばかりのツアーだから『ツアー中止になったので返金します』の声

に中止になったことを残念がるよりも、お金が返されることを大変喜んでいた。

カッパドキアは地上にある奇岩、地下に都市空間と視点の全く違う性質を持つ観光地。しかも地下都市は正確には判らないが200

から400くらいあると推定され、其々が連結され収容人口は100万人以上にも及ぶ。地下都市の駐車場着いても何があるのか全く

分からない、それは見どころが地下にあるから仕方のない事。地下に潜り込んだ理由は迫害から身を守るためのものだから、地上

からおいそれと分かるようでは地下都市の意味はないから尤もな事。

入口までは変哲ものない土産物屋が両サイドに並び、髭を生やした無骨そうな男たちがしきりと客引きをしている。トルコはイスラム教

の国だから女性が人前で物売りや接客をするのは、ごく稀なケースでしかないようだ。添乗員の旗について入口に来るとここだけは

現代的なエントランスになっている。

地下は何層にもなっており私たちが訪れた所は1万人以上の人が暮らしていたその一角。住居だから人の暮らしに必要なものは全

て整っている。地下というハンディーの克服のための安全・安心対策も練られている。換気の問題は死活問題、トイレなど衛生面は

快適さの確保、外から攻められた時の防護対策など小さな国と同じ事柄が地下には詰まっている。

背に腹は代えられない事情でこんな環境下での暮らしを思うと、単に大変だったとなんて言葉では済まない苦労が偲ばれる。ただこ

の辺りの冬は厳しいが地下の温度は一種の暖房効果により和らげられるから地上よりも省エネの生活に適している。

小柄な私たちでも狭い通路の上り下りは窮屈なのに、大柄の人にはもっと不便さを感じていたろう。狭くすることで動きを封じる、不便

さの代わりに敵が攻めて来た時、相手を仕留めやすくすることを得ている。

こんな中で暮らしていると足腰が丈夫になるし、太っていると通路を通れなくなるから確実にダイエットできるのではと思った。1時間ほ

どの洞窟歩きで結構クタクタになり外に出て澄んだ冷たい空気が美味しく感じた。土産物屋はお守りの大安売り合戦をしている。

原料は粗末なプラスチックに安価な飾り紐だから原価は知れている。だが、お守りナザール・ボンジュウは恭しく売らねばと言っていて

も売れないから、ここでは30個で1,000円とか違う店では50個で1,000円なんて投げ売りのような乱売。

 

 

 


『回想旅行記、カッパドキアⅠ』

2014年03月26日 17時24分00秒 | 旅行

突然、削られ丸くなった岩が見え始めカッパドキアの中心地に近づいてきたことを予感させ、暫くすると添乗員が下車の準備を促す。

到着しバスを降りるとそこは高台になっていて、眼下には写真で見た奇岩群が全視野を埋め尽くしていた。そして岩の中ほどには窓

なのか戸なのか知らないが四角の穴が開いていて、今でも人が使っている岩屋のように見えた。

ここの谷には色々な国から観光に来ている人も多く、其々がお気に入りの場所で写真をとることに夢中になっていた。私もパノラマ

機能を利用してギョレメ国立公園の谷を撮影。岩の軟らかい所が浸食され硬い部分だけが残された結果が現代に見る、奇妙な光

景、元々は柔らかい地層の上に硬い地層があっただけなのに、歴史という芸術家が時間を使い作り出した芸術作品だ。グランドキ

ャニオンは壮大な荒削りの作品とすれば、ここは何の意図を以て削られた作品と言えよう。

すぐ横のお土産屋に入ってみるが写真、きのこ岩、ラクダ岩など奇岩をモチーフにした粘土細工、目玉のお守りナザール・ボンジュ

ウが所狭しと置かれている。トルコアイスの店は客が増え俄然やる気を出し所作はオーバーになり、喜んだ客が飛びつく。妻もその一

人に加わり、延びる延びるクネクネ・アイスを手にしてご満悦。

このスポットは所謂、絶景ポイントでカッパドキアの代表的な場所の一つでもある。写真タイムを終え奇岩が近くで見える場所に移動し、

ここで少しだけの写真タイムをとり本日の団体行動は終了となりホテルで食事を摂る。食後、私たちはベリーダンスのショーを見ること

にしていたので、その会場に連れて行ってもらう。OPツアーで出かけたのは私たち夫婦とナヨナヨした男子2人の計4人、ショーを観

ながらワンドリンクのサービス付きのはずだった。ところが、テーブルに720mlのラクという40℃くらいの酒がついていて、これがワンドリ

ンクらしい。ほんの少しだけ口をつけたが、強くてとても飲める代物ではなく、私はワインを別注する。ショーが始まりトルコ美人が民族

衣装を着て国威発揚のような勇ましい踊りを踊ったり、例のクネクネ・ダンスで盛り上がって来た。私たちの後のテーブルにいたグル

ープは踊りの途中でラクを飲み干していた。私たちのテーブルでは飲まないからそれを渡すと、ニコニコしてThank youを連発してい

た。

 

 


『回想旅行記、ハットゥシャス遺跡』

2014年03月25日 17時35分53秒 | 旅行

早朝の起床、荷造り、朝食、あわただしくホテルを出る。250km先の世界遺産のハットゥシャシュ遺跡を目指す。

この日は遺跡を観てから更に200kmのカッパドキアに移動する。ホテルを出る時、未だ朝霧に包まれていて50m先

は真っ白状態にある。

太陽は上がっている時間なのに放射冷却の関係か、残雪の上に遅い霜がたっぷりと注がれたそんな感じだ。暫く走

ると集合住宅が何棟も建っている。道すがら個人住宅も建っているが疎らで日本のように密集していない。

アンカラからハットゥシャシュまでの道のりには、ここぞ異国の風景が連なる。ちょっとした町並みを外れると畑

地が延々と続き、小高い場所には小岩がゴロゴロしていた。全体的に平地の連続で水平線の彼方に高い山らしいも

のがかすんで見えるくらいで高い構造物は殆どない。変化が少ないから面白くはない。ちょっと寝ては目を覚ます、

やはり同じような光景を繰り返しハットゥシャシュ遺跡に到着。遺跡は少し小高い丘のような場所でバスが上がる

度に雪の量が増えていった。白い雪に被われた遺跡は写真で見るよりも素敵な光景だ。雪はあるが岩に掘られた像

などは、きちんと見ることができた。同行していた女子大生の誰かが遺跡の上に小さな雪だるまを飾っていたもの

が妙に可愛げで、カメラや携帯を向ける人が多かった。

一面の雪で全体が真っ白になっているから、雪が無ければ他の遺跡物をみる事ができるのか、いずれにしても雪で

被われた遺跡を見な機会はないだろうから貴重な体験をした。

BC2500年ころから史上初めて鉄器を使ったヒッタイト人が作った王国の遺跡、日本の歴史とは比較できないほど古

く、そんな時わが大和民族の祖先はなん何処でどんな暮らしをしていたのだろうかと思いを馳せる。トルコの歴史

に残る史跡は時間的な事、規模の大きさから常にその疑問と隣り合わせだった。

遺跡を見学してから奇岩で有名なカッパドキアにバスを走らせる。2時間に1度の割でトイレ休憩、ドライブインのよ

うな店に立ち寄る。ドライブイン直のトイレは無料、時々あるのが別棟になっている有料トイレは50円くら

い、有料でも日本の公衆トイレの方が綺麗。見るものはなく、用意していた地図と睨めっこをして方向と大体の市

を知ることに夢中になっていた。

 


『回想旅行記、トルコ着』

2014年03月24日 18時13分06秒 | 旅行

昼食をとり再び機上の人となりトルコに向かう。離陸して直ぐに人工の町であることをみる事ができる。海岸線は

埋め立てられ護岸工事されているから全てが直線的で、日本のように自然の線になっていない。そして、ここにも

砂しかない。昨晩は機内で寝付かれない中、多分少しはネタのであろう。今朝は早くから結果的には退屈な市内観

光、昼飯を食べゆっくりと機内で過ごせば自然と睡魔が襲ってくる。今、しっかりと寝てしまうと今晩の睡眠に影

響がでるから、適度にと寝ない方向で頑張ってTVの録画を観たりし手時間を過ごす。

夕方近くなり窓の下を覗くと山々を白く染める雪のような光景が続いていた。離陸してからサウジアラビア、イラ

ク、シリアの砂漠地帯上空を飛び、アジアとヨーロッパのつなぎ目になる山岳地帯に到達したようだ。

アンカラ空港と言うが正式にはエセンボア空港に到着したのは、もうすぐ陽が暮れる夕刻でホテルに向かう僅かな

間に真っ暗な夜模様になった。

松江から梅田まで道中、一番高いところ蒜山近辺は未だ雪が残っていた。ホテルに到着後、直ぐに夕食の時間とな

りホテル内のレストランで初めてのトルコ料理を食べる。バイキング形式でジャガイモ、ラムや牛の細切れなどの

煮込み、ハム・ソーセージ系、スープ類、サラダなど種類は豊富だが、どんな味の料理か判らないので少しずつ取

って味見しながら食べる。

食事のお供は水からワインまで有料。トルコの物価は高いと聞いていたがワインはグラス、現地のエフェスビール

で15TL 、750円くらいしていたから日本より高かった。以後、食事の度に示される値段はこれと似たり寄ったり

の高値安定だった。好みは其々だから、決めつけることはできないが、トルコ料理は全般的に日本人の口に合うと

思う。食事をそこそこに風呂に入り、翌日からのバスによる長距離移動に備える。

この旅、毎日ホテルを変わるから荷物のご開帳を最小限にして、忘れ物の防止に努めることも一つの課題だった。

 

                   トルコ近くの機内から

                  エセンボア空港到着


『回想旅行記、ドーハ市内観光』

2014年03月23日 18時31分31秒 | 旅行

これから時間的には早いが日本がワールドカップに行きそびれた『ドーハの悲劇』の会場となったサッカー場を皮切りの市内観光に

出かける。サッカー観戦は好きで、ドーハの悲劇は出張中ホテルのTVで観ていたから、様子はよく覚えているものの、その会場とな

った所を見てみたいとは思わなかった。同行の学生たちはドーハの悲劇のことをよく知らなかったが、ゴールポストの前で走り回ったり

て悲劇の再現を試みていた。

アウェーでイラクとの試合となれば観客は多いはずはなかろう。だから会場も国際試合をするにしては貧弱なものだった。

カタールの面積は秋田県と同等の小さい国、しかし石油資源に恵まれその財力は計り知れず、オイルマネーは砂漠を都市に変えて

も尚、だぶつくと言われている。市内と言えども人家の周辺にしか緑はないし舗装を外れると砂、つまり砂漠である。家の周りには必

ず高い壁があり防砂の役目もしていると思う。国が潤うから税金は免税、水より石油の方が高い経済的には嬉しい、悲しい現実が

ある。近年のオイルマネーは金融や貿易のハブの役目も創り出し、ユニークな形状のビルに世界各国から銀行や証券会社などが

出先拠点として入っている。

サッカー場を見てから次に行ったのがラクダ市場、ラクダは家畜でもないしレースに出るのは数が限られているだろうと思っていたら食

用になっているそうだ。肉質はそんなに悪くないし、ダイエットにも向いているらしい。突然、ギャーギャーともグェーグェーとも聞いた事

ない動物の鳴き声が聞こえ出し、その方を見るとラクダがクレーンに吊り下げられトラックの荷台に乗せられようとしていた。

『これから出荷されるところです』とガイドの説明。牛でも豚でも場に向かうのは分かるらしく悲しそうな声でなくと言うが、まさにそれ

と同じ光景だった。ラクダが沢山いる市場に来たとてラクダ以外に見るものはないから、着いて直に飽きてしまい行く所もないからウロ

ウロと時間を潰す。

そして街中を通り観光客がよく行くスーク(市場)を訪れる。中東の雰囲気がそのまま出ている市場で、初めてその空気を吸う私にはス

ッと入れるものではなく、一種の警戒心が湧いていた。治安や犯罪チックな臭いがしているのではないが、異文化の真っただ中に放

り込まれて戸惑っているのだ。慣れてくるに従い店屋の土産になりそうなものを品定めするが、白い衣装、頭に被る中東独特の帽子

姿の店員は愛想なし、物を売ろうと言う姿勢もゼロ。手頃なものを少しだけ買って市場の中を1周したら集合時間になり、次の見学

はアラブ種の馬調教場。こうなると全く興味はなく、ただ早く時間よ過ぎろの世界になる。

ドーハはハブ空港で沢山の飛行機が行き来している。しかしトランジットの関係で時間があっても、これといった観光場所はなさそう。

砂漠の国だから人工の観光場所以外は砂を見るしかない。時間を潰すなら何Kmもあるショッピングモールに行き涼しい所でショッピ

グでもするしかなさそうだった。時間になり空港に戻ると添乗員がミールクーポンを配ってくれた。トランジットの関係で航空会社が昼

食用にサービスしてくれたものだ。空港内のレストランで沢山の種類の本場のカレーが準備されていてチキン以外の物を頼んだ。オリ

ジナルにブレンドされたスパイスからなる味は日本のカレーとは違い、カレー粉の味というよりハーブカレーに近い味がした。

 


『回想旅行記、空の難行』

2014年03月21日 18時02分07秒 | 旅行

長蛇の列の後尾に並び受付をすませるまで約30分、ドーハでトランジットするチケット2枚を渡され、各自でカタール航空の受付、

出国手続きを済ませ北ウィングの出発ロビーに再集合の手筈となった。時刻はもう夜中に近い。自宅では床につき羊を勘定する体

制になっているはず。出国手続きを済ませて登場ゲートへは無人のモノレールが運航されており、乗れば目的地に連れて行ってくれ

る。ドジを踏んで乗り過ごしても元の場所に戻り、再度連れて行ってくれるから安心してドジってもいい。

説明を受けた通りの手順で搭乗口に向かうが、途中にあると思われる店舗やDFSは全てシャッターを下ろしていて、夜は人気のない

街並みをあるいているような感じだ。搭乗ゲートで小1時間待ちドーハまでの辛抱タイムが始まる。人間の食サイクルは朝昼晩と3

食、夕食後は遅くとも6時間もすれば睡眠に入るから腹が減る心配は不要。ところが、今回のように夜中の出発となれば睡眠まで

に未だ時間がかかるから夜食の必要性を心配する人、夜遅く食べて寝るのはよくないと言う人、私のように旅だから少しアルコール

があればいい人、様々だ。

妻との会話で『いつものパターンだと夜中でも夜食が出そうだ』

『こんな夜中だから要らない』

『ワインかビールはあるかな?』

搭乗後、水平飛行に入るとワゴンがやって来て夜中にしてはディープそうなメニューの食事が配膳され始めた。私たちはふたりとも『No

thank you , wine or beer please』と言い慣れたフレーズをCAに伝える。周囲の人たちの胃袋は凄い。クリームソースのチキン料理を美

味しそうに食べている。夜食も飛行運賃の中に含まれているだろうから、要らない人は割引をしてくれてもよさそうなものと思う。また、出

される食事はブラ製の食器は使い捨てなのだろうか、封を開けなかった料理、ミルク、砂糖、水、プリンなどは吉兆のように使い回し

するのだろうか。

私たち夫婦は飛行機の食事の何から何まで完食することはない。特に私に至っては半分も食べればいい方だから。

こんなことを考えると飛行機の食事は無駄が多いと思う。運賃は高くそれなりのサービス提供は必要で、用意されるものだから経費

的な面からは無駄な原価とはいえないかもしれないが、貧乏性の私の思うところである。

私は用意してきた7インチのワンセグTVのビデオ録画番組を観ながらワインをチビリ、チビリ、妻は疲れたのか必死で寝ようと奮戦して

いる。離陸が真夜中、周りの人たちも寝ている人が目立ち、私は酔いが回り寝る体制になってきた。夜間飛行の間は寝たような、ゴ

ー音の中で夢ばかりを見ていたような不思議な感覚で何度も寝返りをしながらしている内、周りが騒がしくなって目を覚ます。

今回は空の5つ星カタール航空を利用、昨晩の夜食につづき早朝の食事も結構手の混んだものが出された。尤も冷凍したものを

大量チンしたものだろうが出される種類も味もよろしい。

外がうっすらと白くなり中継地のドーハに到着した。この空港の滑走路はターミナルからバスで20分以上もかかる所にあり、飛行機

が到着するとバスが迎えに来る。手荷物には色分けされたタグが付けられトランジットは黄色、ドーハが最終地の人は青色となって

いる。バスに乗り青色ゲート、黄色ゲートを通るので、行き先によってそこで降りる。私たちはここからアンカラ空港を目指すので黄色

のゲートで下車する。30人もいるグループがバラバラになり再度集合するのに時間がかかる。朝の行事。洗面やトイレを済ませるの

も、市内観光のために入国手続きをするのにも30人となれば、1人々のロスが蓄積され大きなロスになるから、皆の協力は旅の質の良否

を左右する。幸いにも今回の旅行で非協力的な人や、自分勝手の行動をとり迷惑をかける人はいなかった。

 

                                    機内から見え始めた朝日

                     ドーハ着


『回想旅行記、受付デスクにて』

2014年03月20日 17時36分58秒 | 旅行

当時、為替は円高が進み、このままでは輸出企業の利益は全て為替差損で消え去ってしまう状況が続いていたから、円を持つな

ら外貨に換えておくのに有利だった。日本が固定為替相場の時は\360/1US$だったものがプラザ合意から変動相場に変わり、輸

出増加とともに円高は加速していき、最終的には120円くらいで安定していた。

為替の世界は事ある度にドルの変動と連動していた。自国通貨とドルの間で変動していたものが安定的な通貨、円に目を付けドル

の代わりに円を持つことに変わってしまい、日本の経済状況とは関係ない事情で大きく変動する事態を招いてしまった。

関空の両替所は\87/1US$を示しており、円の実力は過大評価されまさにcrazyな相場だ。この際、丁度いい機会と外貨を買ってお

こうと少しまとまった額のドル買いを計画していたので、両替所に向い奮発とばかりの交換。円を売ってドルを買う、どちらもお金だから

消費した事ではないのに何故か気分は、無駄遣いをしたように思う。

今回の旅行で必要な通貨はトルコリラ、ユーロだがここではトルコリラを換金できなかった。実はドルを買うかユーロを買うか迷ってい

たが結果はドルにした。この時、ユーロは100円前半で為替差益も狙うならドルよりも有利とみていたからだ。ドルに対するレートが安く

なったとしても100円見当で頭打ちになると考えられるのに対し、ユーロは140円前後まで戻るのに時間がかからないと考えられるか

らだ。しかし、トルコ旅行以後にヨーロッパへの旅はイメージできず、ドルなら使える国が多そうだという理由でドル替えにした。(後述、

その後はフランス、スイス、ドイツ、スロベニア、クロアチアとヨーロッパの旅が続く)財布は取り敢えず外貨である$と自国通貨\で膨

らましてツアー集合カウンターに行くと、そこは若者たちの集会所のような光景。大学生たちが春休みや卒業の旅行に出かけるため

だ。私たちの応募したツアーは近畿地方では大学生の卒業旅行に格好のものとなったようで、そのグループに年寄り夫婦が紛れ込

んだ形になった。それも女子のグループが多く、30人くらいのツアーの中に若い男子は7~8人、この男女構成は単に数字上だけに

納まらない『肉食系女子』と『草食系男子』の図柄を見事に表すことを道中で知る。


『回想旅行記、トルコ編』

2014年03月19日 17時33分37秒 | 旅行

台湾編を以て終了にする予定にしていたが、これに続くトルコ編はブログでかいつまんだ形のものだったので、も

うひと踏ん張りして追加することにした。内容に多少のダブりは出てくると思うが、サラリと流して頂きたい。

『いざ、トルコに出発』

いよいよ、明日からトルコ旅行に出かける。以前は韓国に行くのも、『さあ、外国だ』とかなり気負って出かけも

のだが、少しだけ慣れてきたのと、今回は添乗員付きということで、緊張感はゼロ。

いつもなら、MRTやBTSなどの乗り物のチケットやカードの使い方、路線図などを綿密に調査するのに、お任せ旅

行だと気合ゼロに近い。だから、事前調査の時に盛り上がり出発2日前くらいがピークになるが、それもなし。

興味のある自然観光が多く組み込まれているから楽しみなことには違いない。ネットで調べたところによると、今

回の旅行にも付いている所謂、ショッピングはかなり悪質だとのこと。どうせ、トルコ石や絨毯など全く興味はな

いから、騙されることはないし、『君子、危うきに近寄らず』でいこうと思っている。昼からは関空へ移動、夜中

にカタールのドーハに向けて出発の予定。

ツアーは松江から関空までのバス料金、後泊が代金に組み込まれていて、お得感はするがどうせ本来のツアー代金

に上乗せしたものだろうから、実際に得はしていないと考えられる。また普通の旅行コースだとイスタンブールか

ら南下して東回り、アンカラから帰国がポピュラーなのだが、全くの逆回りをしていく。

2つのコースによるメリット、デメリットがどのようなものかは分からないから、どちらでも構わなかった。

ツアー募集は山陰版のものだから松江駅を出る時に同じツアーに参加する人がいるかもしれないと、探りを入れて

みたが梅田行のバスに乗り込んだ客に海外旅行風の姿は見当たらず、どうも私たち2人の参加らしい。

梅田まで4.5時間の道中、SA/PAでトイレ休憩を挟み退屈な時間と思われたが、蒜山高原付近には未だ雪の残る景

色有り、分水嶺を越えると山陽特有の柔らかな日差しの中を進み退屈さを忘れさせてくれた。

梅田到着が5時、直ぐに関空行に乗り換え6時頃には到着した。集合時間は午後10時だから時間は十分にあり過

ぎ、大きな荷物を持ち歩くのは大変、億劫な状況だから大型トランクが収まるコインロッカーを探し出し、身軽に

なった所で日本での最後の晩餐に向かう。和食となれば代表的なもの寿司がよかろうと松竹梅の中から松を選び、

赤だしも追加する。私は調子よく熱燗を1本注文し本の口濡らし程度のアルコール補給をする。関空の中はフリー

wifiがあると知っていたので、持って来たタブレットでヤフーのサイトを呼び出してみた。確かにwifiは関空の

フリーアクセスポイントを把握し接続しようとしているが、中々つながらない。やっとつながっても画面の1行ず

つをゆっくりとしたペースで読み取るから、全画面を受診するまで15分以上かかった。つまり、フリーは使い物

にならないことが分かっただけの収穫。有料と思われるアクセスポイントは強い電波で、いくつかのものを認識し

ていたから、そうしたものを利用すればもっとサクサクに違いはなかろう。


『回想旅行記、蛇レストラン』

2014年03月18日 17時37分08秒 | 旅行

士林夜市は結構面白かったので、名前は忘れたがガイド本に載っていた夜市に出かけることにした。行く予定にし

ていなかったので事前調査なしだったから、タクシーを利用することにした。出来る限り公共交通を使って見たか

ったから、初めてのクシー利用だったがホテルから乗ったのでボーイさんが予め行き先を聞いていたので運転手に

伝えてくれた。台北では観光客も多いからタクシーの運転手さんは英語が大丈夫ではないかと思われるが、タクシ

ーの利用はこの夜市の帰りに利用しただけだったから試す機会はなかった。

運転手はボーイの指示通り夜市のアーケードの近くまで連れて行ってくれた。時間帯は少し早いようだが沢山の人

が集まり始めている。店屋も雑多の如くという形容の通り一貫性のないものが犇(ひし)めきあっていた。土産物と

か自分の欲しいものを探す訳ではないから、本当のブラリショッピング。こうして歩いていても、店先を覗きこん

でも強引な客引きがないから、ゆっくりと安心して楽しむ事ができる。

少し外れた所に来ると『蛇』なる文字が書かれた看板。店の中は未だ暗く開店していないような状態で商品たるも

のは何も確認できなかった。日が暮れてくると人でも多くなり、まるで祭りの縁日のように込み合い始めた。台北

の人たちは毎晩のように夜市に出て、こんな風にブラリショップを楽しんでいるのだろうか。

通りを幾つかクロスして進んで行ったら、タクシーを降りたアーケードの所に戻って来た。アーケード街にはきち

んとした店構えが並んでおり、先ほどのような喧騒とは大違いの雰囲気だ。そんな店並の中で再び『蛇』の看板が

ありどうも食堂ので、明々と店内にはテーブルと椅子がある。店先にはガラス作りの大型水槽のようなものが置か

れており、金網越しに生きた蛇がジッとしていた。恐る恐る、店内の様子を見るに客はいない、店員と思われる人

が退屈そうに客待ちをしている。店内には別の水槽のようなものが置かれて、遠目から種類の違う蛇のようだった。

余り奇異な目で見ていて客と間違われて連れ込まれると怖いから、へっぴり腰でのこと。

話によると蛇の首を落とし生血をカップに採り何かの酒で薄めて飲む、蛇には肉は殆ど無いので本体はスープに使

うらしい。別の店では干した蛇が売られていた。

                 *** 台湾編おわり ***


『回想旅行記、台北の夜市』

2014年03月17日 18時20分24秒 | 旅行

 

そしてどうして行って見たいのは夜市の屋台。台北には沢山の夜市が開かれており、ホテルの近くにも小さい規模

のものがあった。どうせ行くのなら有名な所が良いだろうと士林夜市に出かけることにした。

ホテルから地下鉄駅まで徒歩で15分、この辺りは明るいし治安はいいから早い時間帯なら夜道でも平気だった。

途中で地下鉄を乗り換えて士林を目指す途中に、豪華なホテルが高台に見えた。最初はこのホテルに泊まろうかと

検討してみたが、自分たちで動くには地理的に不便で、タクシー頼みにならざるを得ないと思い諦めた。ただ質の

高いホテルで未練はあったが・・・

士林駅に着くと陽が落ちたばかりの時間帯だから、屋台も出店も『さあ、今晩も頑張るぞ』とこれからモード。昔

懐かしい射的ゲームやおもちゃのような店が軒先を連ねて、まるで日本の夜祭りの雰囲気。

大きな平屋の建屋の中に屋台村が出来ており、様々なジャンルの料理店が所狭しと軒を連ね、小さなカウンターに

椅子が主流、狭い店内や通路に小さなテーブルと椅子を置いている。

ガイドブックにはイタリア料理店、フランス料理店などと書いてあるが、名物店と言えども所詮は屋台だから店構

えは到って質素なもの。またガイド本に共通するのは大袈裟に紹介するから過度な期待をしてしまい現地で幻滅す

るパターンだ。

私の感覚では話半分としておけば大きなダメージを避けられる。これまたガイド本やネットで知った『カキの玉子

とじ』は美味しいの情報に、これは是非とも食べてみたいと幾つもある店を見て歩く。同じような料理を提供する

店が並んでいるから、はっきり言って選びようがなく余り混雑していない所に座った。多くの店のメニューに『臭

豆腐』というものがあり文字からすると腐った豆腐、確かに店の前ですごい臭いがしていた。流石にこいつを頼も

うと言う気はしなかった。台湾の人がこうした日本の屋台で納豆を前にした時のような感じなのだろう。

さて、注文したカキの玉子とじは期待していたのと逆で味が甘く、脳が拒否反応を起こす。だからこの料理は外れ

だったが他の料理は屋台らしい味で、しかも値段は驚くほど安い。台北での感じ、食べ物は非常に安く暮らし易そ

う。

                                        士林夜市の入口付近


『回想旅行記、地下鉄観光』

2014年03月16日 17時23分54秒 | 旅行

主だった市内観光はツアーに付属していたのでガイド付きで回り、自分で行って見たいところは地下鉄を乗り継ぎ

出かけてみた。田舎暮らしの私たちは自家用車ばかりで日常的に公共交通を使う機会は殆ど無い。世の中の交通シ

ステムは便利になり切符1枚を買うのにも慣れない者には厄介なことだ。窓口なら口で言えば済むが新しいシステ

ムは省力化を目的とするから無人化が根底にあり切符を買うのに一苦労する。私にとって地下鉄やMRTの切符を

買い、目的地に行くのは国内でも外国でも同じだから、事前に利用方法をリサーチしておく。台湾の地下鉄は漢字

表記でもあるからイメージ的に楽な感じがした。

自前の市内観光でしかも地下鉄利用となればツアーのように効率よくは回れない上、途中で道に迷ったりするので

効率は悪い。

その代り人々の暮らしぶりや営みをつぶさに見ることが出来るので、治安のいい所ではお勧めする。目的の駅に到

着するとガイドブックの地図を元に、徒歩移動を基本とする。切手収集は何度も挫折しながら再開を繰り返し郵政

民営化で止めてしまった。

民営化前から切手そのものが雑な図案、粗製乱売を憂いていたが、民営化はそれを決定的にし、発行される切手に

何の魅力も感じなくなってしまった。それでもガイドブックなどで切手博物館を見つけると、昔の血が騒ぐので、

ついつい出かけたくなる。シンガポールにも切手博物館があり珍しい切手を売っていた。日本に占領されていた時

の日本切手で当時、日本で販売されていた切手のシンガポール版。この地、台湾にも博物館があり観光ルートの一

つに加えた。

変わった所ではミニチュア博物館には世界の建物、有名なものの模型が精巧に作られていておとぎの国のようだっ

た。何処にでもある植物園は日本より更に南の国だから、見慣れない植物や野生のリスなどを見ることもできる。

こうした観光は無駄に歩くことも多いから疲れは伴うが、時間の余裕があればツアーでバタバタ移動する煩わしさ

はなく、マイペースの旅になる。

台北の場合、市内の観光地なら大抵の場所を地下鉄、タクシーを使って安く簡単に行くことが出来るし通常の場所

なら、治安の心配がないから何よりだ。

                                    総統府にも楽に行くことができた


『回想旅行記、台湾の信仰心』

2014年03月15日 17時46分09秒 | 旅行

台湾人は占いが大好きで人生と共にあるとまで言われている。また信仰心も強く平日でも寺やxx宮(廟)などへのお

参りも欠かさずされるらしく、そんな場所はどこも混雑している。お供え物を捧げる台には蓮の花、献花用の花束、

線香、供物などが次々と持ち込まれ、線香に至っては香の途絶える間はない。

そうした場所の近くには線香、花、供物などのお参りグッズを売る行商人がおり、私たちもそうした所の叔母さん

から買って寺院に持ち込む。供物としてお供えするものは何でもいいらしく、近くのスーパーやコンビニで買った

ものを一旦お供えすれば持ち帰ってもいいとされている。だから供えるものは自分の好きなスナック菓子を買って

いく人も多いそうだ。行天宮に行くと近くにある占い横丁に行くことを勧められる。私たちは占いに全く興味がな

いので出かけることはなかったが、日本語で占いをしてくれる店もある。

学問の神様を祀っている廟で見学していると、100人を越える中学生くらいの学生がやって来た。中央の広場に正

座ではないが座って先生の指示を待っていた。ガイドの説明では受験生はこうして学校単位で合格祈願にやって来

るのだと言う。信仰深い事、占いとお国柄を表しており、学問も神頼みをする。公立か私立か知らないが、日本で

こんな行事があったなら、嘴鋭いモンスターたちが黙っていないのだろう。

  ホテルの近くにあったxx宮

                        お供え物が沢山

                 合格祈願の学生たち


『回想旅行記、台北のお食事Ⅱ』

2014年03月14日 17時44分21秒 | 旅行

やがてみすぼらしい杭州小籠湯包の看板を見つけ勇んで店内に入り、まずはセルフでビールを取り出し何はともあ

れ乾杯。小籠包、油揚げの味噌汁風のスープ、炒飯を頼み遅まきながら念願の食事が始まる。時間は昼を過ぎて一

段落した頃だったから店内はガラガラに近く、店の奥のガラス張りの中では職人の作る小籠包が見られるはずなのに

職人も昼食なのか誰もいない。

小籠包は噛みつくと中から熱いスープが出てくるから食べる時に気を付けないと・・・と知っていても忠実に守ら

ないスープがビューっと飛び散り火傷することもあるくらい熱い。上海の不味い小籠包のことは忘れて暖かい肉汁

を堪能する。美味。

台北101は高層ビル、この展望台からの夜景は素晴らしいとガイドブックで紹介していた。OPツアーは九份に行こ

うか別のものにしようか迷っていた時、食事つき台北101夜景のツアーが目についた。台北101へは地下鉄または

タクシーを使っても簡単に行くことは出来る場所にあり、単独のOPツアーなら行く気はなかったが世界中に勿論、

日本にも支店のある鼎泰豊(ディン・タイ・フォン)での食事付きだったから夜景は兎も角、食に釣られてしまった。

ガイドブックはオーバーなことを書いていると思ったが、鼎泰豊は予約なしでは随分待たされたり並ばされたりす

るので難しいとあった。ならばツアーにしてしまえば予約云々など面倒なことは解消する。

結論から言うと、私の思った通りオーバーで私たちが店には行った時から出る時まで空席は沢山あったし、店に行

列などなかった。特別な日でない限り混み合う時間さえ避ければ大丈夫ではないかと思う。食事のメニューは2種

類の小籠包、野菜炒め、スープなどが出された。小籠包は本当に美味しかった。大衆料理店、杭州小籠湯包のもの

も美味しかったが鼎泰豊は脂の使い方が上手いと思った。具に隠し味のように使われていた脂が旨さを引き出して

いた。味の事を筆に託すほどの才を持ち合わせていない故、想像されたし。

日本でも台湾でも何処かの国でも鼎泰豊を見つけたら是非、ご賞味を。

  

              杭州小籠湯包の店内と小籠包

 

                鼎泰豊の小籠包(料理の写真はあまり撮らないのに何故か・・・)    


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