食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回想旅行記、お食事Ⅰ』

2014年03月13日 17時49分23秒 | 旅行

 

台湾で有名な料理は小籠包にフカヒレなどを使った海鮮料理とガイドブックにあった。今回のツアーは大半が食事

なしのものだから、宿泊ホテル周辺や行く先々に手頃な店がないか調べておく必要があり、ネットを駆使して調査

しまくった。ホテルの近くでは欣葉という1977年開業の老舗で、台北101の中に支店があると紹介され、ネット

でメニューをみる事ができた。左程高い値段ではなくバリエーションに富んだ料理が食べられそうだった。

欣葉はホテルの直ぐ傍にあり外観は高級老舗レストランというものではなく、日本にある普通の中華料理店と変わ

りない。それというのも台湾の夜は夜市に出される屋台で賑わうから、そちらでという人も多いと思われる。私た

ちが出かけた時は昼過ぎだったのに込み合うほどのこともなく、ゆっくりとトコブシをはじめとする魚介料理を楽

しんだ。味付けは私たちの口に合っており高価そうな食材の割に値段は手頃だった。中華料理の本場、上海で何回

か提供され頂いたが正直言って旨くはなかった。見た目には美味しそうに見えるが味付けに違いがあるのか又、食

べたいとは思わなかった。その点、台湾の味付けは私の口に合っていた。

また別の日に出かけた近くのレストランは出来あがった料理を自分で選びテーブルに持ち込む、麺類などは別に注

文するシステムだった。

こうした庶民が行くレストランで、日本語、英語は通じるのか心配しながら入ってみたが、欣葉は日本語メニュー

があり、他の店でも言葉にしなければならないことはなかったので、言葉については問題はなかった。また、レス

トラン以外でも同様だったことを付け加えておく。

上海でトランジットの際に連れていかれた中華料理店では謳い文句の『小籠包』は冷たい、不味い、少ないの3拍

子でガイドが何度も説明するような代物ではなかったから、台湾でまともな小籠包を食べてみたかった。

自力での行動は地下鉄を使ってウロウロする。団体観光で出かけた

蒋介石記念館近くの小籠包がお勧めの杭州小籠湯包を目指して歩いてみる。地図上では記念館のすぐ傍のように書

いてあるが、蒋介石記念館は広いからグルーッと回ると相当な距離になる。小籠包を求めて只管に歩く。

                 ホテルの傍にある中華レストラン欣葉

 


『回想旅行記、ショップに連行』

2014年03月12日 18時11分37秒 | 旅行

美術鑑賞が終わりましたら・・・・皆様がお望み、お望みなしに関わらずお連れするのが無理矢理ショッピングの

時間です。まずは、台湾のお茶屋さん。上海でもレクチャーを受けた後に、健康茶と言うものはどれほどの違いが

あり、私たちにもその違いが分かるものか否か、騙されたと思い買ってみた。日本でも3,000円もするようなお茶

は抹茶以外に買ったことはないのに、上海でも台北でも万もするお茶を勧められる。

北部の標高1,500m以上の所で栽培する高級なウーロン茶を試飲させてくれる。一番茶は飲まずに出がらしのよう

に捨ててしまい、二番茶から飲むのは上海と同じだった。そんなに高級なお茶なら出がらしと同じ扱いを受けてい

る一番茶で十分に満足するのに。

高級なものも普通のものも大きな差を見つけられないから、私たちはド凡人ということになるのか。今回も物見遊

山には違いないが、大震災で多額の寄付を頂いたお礼の旅だから、お茶の味云々ではなく、少し高めのウーロン茶

をお買い上げする。帰国後、度々にウーロン茶が振る舞われるのかと思っていたが、出されたのか今も大切に保存

してあるのか私には不明。上海で買ったお茶も台北のウーロン茶も古くなれば古いほど、高級になっていくものら

しいから、慌てて飲まなくてもいいと言えば納得。

上海のお茶屋でも述べたと思うが、台北の人もこんな高級なお茶をガブガブと飲んでいるとは思えないのだが・・・・

続いてのお土産店は何でもありなのだが、日本人にお土産として喜ばれるのがカラスミ、ボラの卵巣を塩漬けにし

た後、塩抜きをして乾燥させたもの。うに、このわた、を合わせて日本の3代珍味というそうだ。日本でも高級品

とされ値段はピンキリながら馬鹿値がつく。台湾はカラスミの生産が盛んなのか台湾土産と言うとカラスミや漢方

のようなものが有名で、専門店が軒を連ねる商店もある。

私たちはカラスミにどれだけの執着はないが好きな人には堪えられないものだそうだが、私には少し生臭いように

感じるが、珍味という事で食事会の一品として買って帰ることにした。一寸したものは5~6,000円からで本心を

言うと、味に比較すれば勿体ない気がする。同じ投資をするなら日本で何か旨いものを買った方が・・・・なんて

無粋なことも頭を過るが・・・・お礼の旅と言い聞かせる。

後日、漢方、カラスミなどの専門店が並ぶ所を訪ねてみたが、元より乗り気ではない品々、店の中に足を踏み入れ

しつこい店員に捕まったら大変と、店先をチラ見する程度で歩いてみた。収穫は勿論のことゼロ。お茶にカラスミ

と取り敢えずメインになりそうな土産は揃ったから、あとは小物、つまり孫たちへのバラマキ品を探せばいいだけ

になった。


『回想旅行記、台北市内観光』

2014年03月11日 17時06分03秒 | 旅行

 故宮博物館に展示されている美術品、古文書などは日本軍が中国侵略の際、日本軍から守るために一時疎開させ

たものを、戦後に国共内戦が勃発した際、蒋介石が厳選した所蔵品を台湾に運んだ。その結果、元からの所蔵品は

北京と台北の博物館で展示されることになった。有名なものとして天然の翡翠に彫刻を加えた翠玉白菜、肉形石を

目玉のように紹介されるが、私には特に印象深いものとは思わなかった。もし、これが有名なものだと説明を受けてい

なかったら素通りしたかもしれない否、間違いなくそうだったろう。

 それよりも糸のような何層にもなった象牙細工や拡大鏡で見なければ作品を確認できないなど、職人の手による芸術

作品には唸らされた。

 私たちのようなツアー客に与えられた鑑賞時間は2時間ほど、主だった作品をつまみ食いのように鑑賞するのだか

ら、博物館の展示を楽しみにしていた人には物足りないものだったに違いない。大半のツアーに共通していると思うが

時間の制約があるから、こうした場所での滞在は少なく、じっくり鑑賞したければ自由行動のとれるツアーに参加して、

自分でゆっくりと鑑賞するしかない。

 私たちのような興味の薄い人間でも博物館のお土産を物色する間もなく、集合時間になってしまった。

 私たちは滞在中、行こうと思えば幾らでも行く時間はあったが、改めて鑑賞する気持ちはなかったし、地下鉄士林駅

からタクシー又はバスに乗って移動とあり、何となく後押しさせなかった。士林は夜市が有名で私たちも地下鉄で出か

けた場所だから、様子は分かっていた。

もう一つの定番は蒋介石記念館、現地の人たちは尊敬のする師でもあり父でもある蒋介石を偲ぶ場所になっている。

私のような年代の人は名前はもとより台湾の歴史の中でどのような役割を果たした人かよく知っているから、記念館を

訪れる意義を感じるが、若い人たちにはただの歴史館のようなものに映るに違いない。

綺麗に整備された敷地内でゆっくりと散策しながら時を過ごすもよし、記念館の中にある売店で土産を調達するもよし。


『回想旅行記、台湾編』

2014年03月10日 17時35分48秒 | 旅行

『震災支援のお礼』

台湾と日本は昔から深いつながりがありながら、一つの中国を選択した時、台湾を中国と認めなかった。しかし、

その後も政治的にも人的にも中国より信頼感をもって交流が続けられている。時には領土問題で台湾の活動家たち

が反日を掲げて尖閣列島に出かけようとしたりして、物議をもたらすこともある。

台湾も日本同様に地震大国である。過去に台湾の地震の時にいち早く援助を申し出て活動したことものあり、又そ

の逆もある。3.11の大震災を受けて、その被害が未曾有のものだったから台湾の人たちの同情を集めた。その義援

金の額が半端なものではなく日本全国からのものが2,000億円に達した時、台湾からの義援金は200億円にも及び

心温まる思いと頭が下がる思いをした。

日本の方が圧倒的に強い国力を持っているのに、どうしてこんなにも援助してやろう言う気持ちになられたのか、

正直なところ不思議でもあった。勿論のことだが、海外からの義援金の中では、小国でありながら断トツの一番だ

ったことは言うまでもない。

義を見てせざるは勇無きなり、日本ではそう言うではないか。私たちが直接、台湾にお返しをする事など出来ない

から、私たちが訪問して間接的にお礼をしようと思った。

台湾のことは殆ど知らないから台北を中心にした観光にすべくガイドブックとネットで情報収集。結局、市内の主

だった観光地を回るだけで、あとは全て自由行動のツアーを選び参加することにした。郊外の九分に行ってみたか

ったが他のスケジュールとの都合がつかず、今回の旅では外さざるを得なかった。

事前にグーグルマップのストリートビューでホテルや近くの行き先を事前ツアーすることができたから、実際に現

地行って見たら何度も訪れていたような感覚になった。

以後の旅でも必ずストリートビューで地下鉄の駅を探してみたり、行き先周辺の雰囲気を確認することになり、大

変役に立つ旅のツールとして利用している。

私たちが震災のお礼で旅をしている事など現地の人が知るはずはないが、逆に日本で震災が起こった後なのに観光

している不謹慎な奴と思われないか、ちょっびりではあるが心配していた。


『回想旅行記、ニューハーフショー』

2014年03月09日 17時49分48秒 | 旅行

タイはニューハーフに寛容な国で身体にメスを入れて性転換することにも同様のようでニューハーフ先進国。しか

し街の中を歩いているだけだと所謂オカマに出会うことなどないから、ニューハーフに寛容な国でありそうなこと

すら理解出来なかった。

しかし、夜の街にネオンが輝き始めると何処から集まってくるのか知らないが歓楽街や、夜のエンターテイメント

には欠かせない存在だ。私が事前に調べたところではマンボとカリプソという店が有名らしく、OPツアー会社で

食事とチケットに送迎を付けて準備しているので、それを利用するのも一つの手。

夕方、ホテルまで迎えに来てくれ他のホテルを回って客を集めるかと思っていたら、それもそのはず例の暴動騒ぎ

で観光客の戻りはさっぱりで、ガイドも別のアルバイトをしないと食えなくなるほど暇続きだとぼやいていた。騒

ぎ前の観光客の状態がどのようだったのか知らないから、比較はできないが確かに日本人や外国人を観光地で見か

けることは少ない。だから逆に言えば客が少ないからサービスが良くなるのではなかろうか。

私たちが向かった先はマンボ、この店の隣にある宮廷料理レストランでタイ古典舞踊を観ながら宮廷料理を頂く。

踊りはカンボジアのアプサラダンスとよく似ていて、私たちからすれば言葉も分からないから区別はつけられない。

先述のように周囲を見回してみても日本人は見当たらないし、外国人も少なく席はガラガラ状態、つまりマンボの

ニューハーフショーの客も大半はここからスライドするから、入りは悪いことが想定された。

食事はタイ名物のトムヤンクンが出され。術後に味覚変化が起こっていたから唐辛子の辛さはめっきりとヘナチョ

コになっており、普通なら丁度いい辛さだろうが、私には刺激が強すぎた。タイ料理は近隣諸国に比べると辛さは

マイルドだと言われるが、術後の私には唐辛子入りだとマイルドとは思えなかった。

食後、隣にある劇場入りする。予想通り座席の中央部分に客が集中して左右の席はガラガラ状態で日本、日本人は

私たち夫婦だけのようだった。やがて妖艶な美女たちが繰り出すショーが始まった。

この劇場で有名な女優さんは松田聖子の物真似、口パクながら容姿を似せておりメイクもばっちりで、そこらの女

性よりも清楚に見える。もう一人はジャンボで怪物のようなお嬢さん、コミカルな動きをして観客から大きな笑い

をとっている。顔立ちや仕草は元々、その気があっただろうが豊満な胸に整形し、すらりと伸びた長い脚で芸も全

く女性の振る舞い。

ショーの途中でステージから一人の女性が降りてきて、男性を物色している様子、するといきなり私の腕を掴んで

ステージの方に引っ張っていき遂に上げられてしまった。

何があるのか、どうすればいいのか戸惑っていると、椅子が用意してあり座れとのことだったのでその通りにする

と、今度は目隠しをされた。その後のことは何があったのか分からなかったが観客の笑い声が上がっていた。妻の

話だとジャンボが砲弾のようなおっぱいを私の顔に押し当てていたと言うことだった。話を聞いても全く心当たり

のないような感じだった。

ニューハーフとかオカマとか私には縁のない物と思っていたのに、実際にこうした所で観劇すると本当に面白いも

ので、小一時間のショーはあっという間に終わってしまった。帰り際に観客と一緒に写真を撮ることができ、多少

のチップを出す必要があると聞いていたが、おつりをくれと言う訳にはいかないから大きな札しかないと、大きな

チップになる。

  【 タイ編おわり】

 

      名物コメディアン?                       舞台に上げられいじられる

 


『回想旅行記、チャオプラヤー川クルーズ』

2014年03月08日 17時40分20秒 | 旅行

 川沿いには沢山の有名施設があり陸から見る風景は市内観光で観ている。それを川側から眺められる、それも夜景

の中を食事しながら眺めるのだからリッチな気分になる。

ホテルで待っているとガイドがやって来て、クルーズに参加する他の人をピックアップするためホテルに寄ってか

ら船着き場に向かう。政変騒動の余波を受け、こうしたツアー客も激減しており、この日ガイドが担当した日本人

は私たちを含めて4人だけだった。

有名な観光地に出かけても、以前はもっと大きなグループの日本人や個人客で溢れていたろうに、余りで会わない

から私たちは異国情緒を味わうのにはいい条件だった。

船着き場に着くが出航まで十分な時間があったので、近くにあった小さな土産物屋のような所に出たりは入ったり

して暇つぶしをしている内に、大雨が降り出し、身動きがとれなくなり暇つぶしの延長はこの建屋内だけに限定さ

れてしまう。早い話が軟禁状態のようなもの。

南の雨はザーッと降り直ぐに止むから少しだけ涼しさを運んでくれる。時間が来た時には小降りで出航には何の支

障もなくなっていた。クルーズの客は欧米からの人で、この船は日本人にとって完全にaway状態だった。船に乗

り込み1つのテーブルに妻と座り周りを見回すが、待合所の様子と同じで、私たちから見れば外人さんばかり。

こうしたディナークルーズは大衆観光客向けのものだから、決してゴージャスな料理は準備されず定番のバイキン

グ料理が殆んどだ。

中華料理なのかタイ料理なのか区別のつかない炒め物、スープ風のもの、種類は多く出ているものの、お客が一巡

する頃にはハイエナが餌を漁った跡のような寂しい状態になってしまう。

だが、クルーズも食事時間も長いからお客の胃袋を満足させるために、適当な時間を見計らって料理の追加が成さ

れるから、割り勘勝ち出来る人には見逃してはならない。私たち日本人は食事をしながら話をする習慣はないから、

このような場面では外の景色を眺めて時折『きれいな景色』と呟く程度のもの。

それに比べると外人さんはペチャクチャと話が盛り上がり、そんな所にライトアップされた綺麗な景色でも目に入

れば『Excellent』などと更に盛り上がる。黙々と食事をする日本人夫婦をそんな外人ばかりが囲み、船は静かに

聖なるチャオプラヤー川を遡上して行く。

昼間に見た寺院は光で浮かび上がらされて、別の光景を見ているように綺麗だった。

 


『回想旅行記、繁華街と公園』

2014年03月07日 17時26分42秒 | 旅行

Tanidadori谷田通り、日本語でかけばこうなる。実際に日本人が作ったビルがあることからこう呼ばれるように

なった。この近辺は繁華街だから人通りも多く、夜になればまた形の違う姿が見られるのではないかと思われる。

残念ながら私たちの泊まったホテルから夜にわざわざ出かけることもないと、夜の姿を見ることはなかった。

現地の日本人も沢山利用しているようで、日本語で書かれた和食の店が沢山開いている。ラーメン屋は定番、変わ

ったところで『吉野家』と同じ店構えだから誰もがそう連想して足を向け何か少し変と看板をマジマジ見ると『吉

牛屋』?または『吉牛』と偽物だ。

どこにもこうしたものがある。タイに来るためトランジットは上海だったが、有名観光地の豫園でカーネルサンダ

ーおじさんが立っているからKFCかと思ったらKCFのような感じの店名で叔父さんをよく見ると少し変えてあ

った。

ここに来れば和食にありつけることが分かっていたから、ここで食事を摂り近くのルンピニ公園に行く予定で出か

けて来た。人混み溢れる通りを物色しているとラーメン屋を見つけたので、そこに入ってみる。店の中は如何にも

日本を意識したような造り、だからラーメン屋というよりうどんか蕎麦屋のようなのに、現地人の従業員がたどた

どしい日本語で注文を取りに来た。

最近の海外にあるラーメン屋は国内と変わらないほどの味を出しており、食べてみて大失敗のケースは今のところ

ない。この店も然り、ホテル近くでも同様だった。

ラーメンを食べ腹ごなしに、ここからMRTで隣の駅にあるルンピニ公園で散歩することにする。タイの午後だか

ら暑さは増してくるが緑のある公園は涼しいとはいかないが、風らしきものも吹いており、木陰にいると過ごし易

い。ザックリとした地図をうる覚えに園内を歩いていると大きな波紋と共に1m弱のトカゲが泳いでいる。

公園にこんな大きなトカゲがいるとは驚き、だが更に足を進めると草むらからノシノシとゆっくり出て来て池の方

に向かう奴もいる。

ここでは珍しくない光景だった。園内には数知れず大小のトカゲが自由気ままな暮らしをしている。

木陰で昼寝などしていたら側にトカゲが来ていたなんてこともありそうな雰囲気。周囲は開発され近代国家の様相

を持つ、緑の一角は野生動物の塒(ねぐら)でもある。

昼間は人が多くない、この公園は夜になると夜市が開催され賑やかさを演出する。私たちはタイ最終日、出発時刻

まで時間があったので夕食がてら夜市に出かけてみた。昼間は閉めていた小さな店が一斉に店を開け、周辺では屋

台が開き食の万国博のように多くの料理が客を待っていた。和食系は見当たらず焼きそばに似たものを買い、タイ

最後の晩餐を開催した後、市場を歩いているとテンポのいいピアノ曲が流れていた。タイの人が作曲したものらし

いが本当のところは分からない。タイの音楽といえばムエタイの時に流されるメロディーを想像してしまうが、チ

ャオプラヤー川を連想させるのに引き寄せられ買うことにした。1枚1000円と日本語でお嬢さんが言う。

値切ることなどに対しすっかり素直になっている爺は、買う意思を伝えると、ニッコリとしてもう1枚サービスで

くれるという。よし、よしこれでよし。

                ナイトバザールの外観、中に店が犇めいている

                       何でも揃う店構え


『回想旅行記、サイアム・ニラミット』

2014年03月06日 17時08分49秒 | 旅行

 

タイ・カルチャー・センター駅までMRTに乗り、そこからはタクシーで行ってみた。駅から劇場までシャトルバ

スはあるらしいが、ショー終了時に送迎はないとガイドブックにあったから、その場所を探す必要はなかった。

ここはタイの歴史文化を紹介する場所でもあるから、地方の生活様式や文化などを展示した施設があり、劇を観る

のとは別にこれらの施設を見学したり体験するだけでも面白い。

劇場には開演前にならないと入れないから、広場や庭園を散策していると、広場にある水場近くに象さんが現れて

丸太棒を使った芸を披露してくれた。園内にはサイアム・ニラミットグッズ、スナック菓子を売る店やレストラン

もあった。私たちはここで約1時間過ごしたと思うが、開演を知らせる放送があり劇場に入った。

劇場は想像を遙かに越える広さで、今でも距離感を表現できないほどだ。タイの歴史絵巻を演じるが、舞台に登場

する人数は多い時で100人近くは居るのではないかと思う。出演者は人間だけではなく、大きいものは象が同時に

数頭も舞台に出てくる。

壮大な演出に度胆を抜かれっぱなしになり、食い入るようにして観ているから、劇の中に引き込まれてしまう。舞

台演出に詳しい人なら分かるであろうが、雨降りのシーンで本当に雨が降っているように見え、舞台の上に川がで

き水が流れていた。人が水の中を歩くと水しぶきが上がるし、どう見ても本当の水に見える、しかし舞台から下へ

は流れ落ちない。摩訶不思議、どう見ても演出とは合点がいかない。

百聞は一見に如かず、この一言に尽きる。

劇が終わり不思議を調べるべく妻と二人で舞台に行ってみた。勿論、濡れているはずはないし何の変哲もない舞台

があるだけだった。

さて、帰りはタクシーなどいないだろうから、他の人について徒歩で駅まで歩く覚悟をして出ると、何とシャトル

バスが待っていた。

躊躇することなく乗り込み駅まで戻ると、あとはゆっくりと地下鉄に乗りホテルに戻るだけ。駅からホテルまでの

道は人通りが多く、色々な店が開いており賑やかなところだった。タイだからタイ式マッサージの店が多く、若い

女性が観光客らしき人を見かけると盛んに客引きをしている。私たちは夫婦二人連れだから余り声を掛けられるこ

とはなかった。ここでも日本人を見ると万国共通の『社長さん』

変に相槌を打ったり返事をするとしつこく付きまとわれるから、無視し続けることが一番いい手。今回もその手を

使い無事にホテル着。

                  タイランド・カルチャー・センターの演目


『回想旅行記、パワースポット、エラワン』

2014年03月05日 17時52分35秒 | 旅行

グランドハイアット・エラワン・ホテル前にあるヒンズー教祠で願い事が叶うパワースポットとして多くの人が訪

れる。ホテルの工事中に事故が多発し感性の遅れに困り果てた発注主は星占いに占ってもらった。占星師はヒンズ

ー教神のブラフマー(宇宙の創造を司る)を祀る祠を設けるよう勧められたので、そうしたら以降は工事が順調に

進んだ。その後、願いが叶う神様として口コミで知れ渡り、病気平癒、家内安全などの願いをする人が絶えないパ

ワースポットになった。

願いが叶ったら神様に踊りを奉納する習慣があり、舞踊団が待機している。ここで寄付されたお金は病院の医療施

設の購入に当てられている。私たちは以上のような情報を持っていたので、ホテルからMRTに乗りエラワンまでや

ってきた。信仰心の厚いタイの人たち、沢山の人が祭壇に線香や花を手向けている。奥の方では鳴り物入りで舞踊

団が踊りを奉納していた。若いお嬢さんが綺麗な民族服のような姿で、アスプラ・ダンスにも似たゆっくりとした

動きで踊る。調べによると踊り子の人数で値段が変わり、一番高いもので700バーツくらいではなかったと思う。

私たちも受付で必要事項を記入、ローマ字の名前の他に漢字で家内安全と記載した。私は病気をして暫く治療に専

念していたが、こうして旅行に出かけれられるまでに回復した事への感謝、これからも家庭の平穏を一番望んでい

るから神様に踊りの奉納をお願いした。順番がくると名前を呼ばれ、前列にある座布団の席に座り奉納舞いを待つ。

やがて、音楽とともにお経のように何か言っているが、さっぱり意味不明ながら私たちの名前だけは聞き取れた。

奉納の舞いのお客は次から次へとあり、音楽が途切れることはない。

繁華街の真ん中にある不思議なパワースポット。

 


『回想旅行記、フカヒレスープ』

2014年03月04日 18時00分10秒 | 旅行

 東南アジアの国々には必ずチャイナタウンが存在する。中国とは陸続きだから移動して住むことに大して抵抗は

いようで、自国での将来に希望が持てないのか、野心家が多いのかは別にして異国で生業を営む人が多い。

中心地サイアムに出かけた際、昼食を摂るためガイドブックで調べていた店を探していると沢山の中国語で書かれ

た看板が目に付いた。目的の店は簡単に見つかり中に入ると、昼の時間を過ぎていたのでガランとしていた。

フカヒレスープが美味しいとされていたので試しに頼んでみた。出されたものを頂いてみると、味が濃くフカヒレの味

はないのに等しく、食感を楽しむための料理のようだった。第1回目のフカヒレは『うーん、よく分からん』の評価。

後日、チャイナタウンのある所にMRT/BTSを乗り継いで出かけてみる。何処のチャイナタウンも目立つのは金の

売店が林立しており、明るい照明とキンキラキンの商品だから直ぐに分かる。

幾つかあるフカヒレ専門店の中から選んだのは店先に並べられているフカヒレを選んで調理してもらうシステム

の店。フカヒレには値段が付けられており、私たちが選んだのは2000BHTの中くらいの大きさ、換算すると6,000

円くらいになるものだった。これのスープとチャーハン1人前を注文して待つことが長い。それもそのはず、人気

があるらしく客の足が途絶えないので直ぐに座ることが出来ない様子、また注文待ちの客もいる様子。

少し長いようだったので聞いてみるが『OK』と言うだけでらちはあかない。その内、鉄鍋のようなものに入れら

たフカヒレスープが到着した。温度はかなり高そうで未だ煮立っている。とろみの付いたスープを取り分けて、

冷ましながら味を確かめる。先日食べたものと似たように味は濃く、ガイドブックの紹介にあるような至福の味と

は言い難い。味は個人差があり過ぎるから致し方のないこと、納得済みである。

日本ならスープとチャーハンを頼めばほぼ同時に出てくるのが当たり前、ところがここはタイ否、中国?だからス

ープ鍋の底が見えそうになってから、やって来た。チャーハンは掛け値なしに美味しい味と炒め具合、残り少な

とフカヒレスープとのコラボを楽しむ。タイは本当にフカヒレ料理が有名なのかどうか知らない、買ったガイドブ

ックにそうあっただけのこと。


『回想旅行記、水上市場』

2014年03月03日 17時44分37秒 | 旅行

ダムヌン サドゥアック水上マーケットはバンコクから80kmほど離れた所にあり、以前は何処でも見られた光景

らしいが、廃れてきたことから保存の意味合いもあり観光客向けに整備された。

だから早朝は現地の人たち向けの市場であり、以降は観光客相手と住み分けされているようだ。

運河の中に造られた水上市場へはバンコクから車で対岸まで自動車で行き、そこからエンジンボートで市場入口ま

で乗せて貰う。市場に着くと、今度は手漕ぎのボートに乗り換え水路の両側にある店屋を通りながらゆっくりと進

む。店屋は水上に突き出たようなもので土産物を中心にした品揃えがされている。そうした店が軒先を並べて何軒

もあり、店先をゆっくりと進むが所謂、品定めも何か良さそうなものはないか物色も船頭任せになる。

ガイドも欲しいものがあったら合図してくれとは言わないから、多分自発的に言わないとそのまま進行して行きそ

うだった。地方の土産物屋だから小さい民芸品のようなものが多く、値段はそんなに高いと思わなかった。一番奥

の方に行くと逆戻りし反対側の店先を進む。やがて、とある店先で船は停止した。どうも、この店と提携していて

カモを連れてきたという筋書きのようだ。どうせ、こんなことだろうと思っていたから、カモになり土産になりそ

うなものを探し出し、値切りもせずに支払う。

出発地点には大きなスーパーのような土産店が鎮座しており、周辺は沢山の小舟が生活用品、食料品などを売って

いた。朝一番はこのような船で溢れていたのではないだろうか。中には屋台よろしく簡単な料理を作り船上から売

っている。横にはフルーツ船が香り高きドリアンを売っている。現代はこうした地方都市でも車の普及やスーパー

により物の調達は簡単かつ便利になり、水上で売らなければならない事情は薄れているだろうから、観光客なくし

ては成り立たないと思われる。

 


『回想旅行記、アユタヤ遺跡』

2014年03月02日 17時00分15秒 | 旅行

日本にとってアユタヤと言う地名は企業が進出し工業団地になっていることで有名だ。2011年10月に工業団地を

防護していた堤防の決壊により、各工場は操業停止に追い込まれ東日本大震災による経済的なダメージの傷口を更

に広げてしまうことになった。

この地は昔から日本とのつながりが深く山田長政が深くかかわっていた日本人街の跡地が観光コースに組み込ま

れる。私たちのコースは車窓観光ということで通り過ぎる際に、手短な説明を受けるだけのものだった。ガイドブ

ックで得た知識からして、車を降りて徒歩で史跡を見て歩くほどの物ではないと思わせた。

アユタヤ遺跡は世界遺産に認定されており、歴代の王様が夏を過ごしたバーン・パイン離宮、アユタヤで一番有名

な涅槃仏のあるワット・ロカヤスタ、高さ72メートルの仏塔があるワット・ヤイ・チャイ・モンコン、アユタヤを代

表する王室の守護寺院でもあるワット・プラ・シー・サンペットが代表的である。

遺跡や現存する寺院などはアンコールワットを見てきた者にとっては大きな驚きには成りえないが、歴史・文化的

な面に興味を持てば別の見方ができるだろう。

私たちはアユタヤ遺跡について特別な興味を持って訪れたものではなかったから、紹介される所を淡々と見物させ

てもらった。

  

 

 

                             象の背中に乗せてくれる

 


『回想旅行記、王宮周辺の様子』

2014年03月01日 18時03分10秒 | 旅行

バンコク市内を流れるチャオプラヤー川周辺には王宮、有名な寺院があり観光の中心地でもある。タイは発展途

上国のイメージが強く、都会的な面は余り見られないかと思っていたら、中心地は公共交通のMRT/BTSが整備

されつつあるし高層ビルも沢山建てられている。こうしたエリアのタイは発展途上国のかけらもなく、立派な近代国

と呼べる風でもある。MRTに乗るにしてもセーブ可能のプリペイドカードを使えば改札は自動、電車に乗れば学

生や子供たちも携帯と睨めっこのスタイルは日本の風景と全く同じ。

ツアーは最低のコースを回るものを選び、自分たちで行ける所は出来る限り自力で、遠方はネットで探したOPツア

ーを予約しておいた。一般的な旅行で組み込まれる王宮周辺の行き先は

ワット・アルン(暁の寺)朝日を浴びた景観の美しさから別名「暁の寺」を持つ、メインとなる巨大な仏塔には、色とり

どりのガラスや中国陶器の小片がはめこまれ、太陽に反射して、キラキラと輝いている。

ワット・ポー(涅槃仏寺院)バンコク最古の寺院にしてタイ・マッサージの総本山。本堂にある長さ46m・高さ15mの巨

大な黄金の涅槃仏像が有名。足裏に仏教の世界観を示した螺鈿細工が描かれている。

王宮現王朝の祖・ラマ1世により建設され、歴代国王の住居となっていた王宮。現国王ラマ9世は、チットラーダ宮殿

に居を移したものの、重要な行事は今もなお、こちらで行われている。

ワット・プラケオ(エメラルド寺院)王宮の敷地内に建立された王室の守護寺院ワット・プラケオはタイで最も格式の高

い寺院と言われている。守護神であるエメラルド色に輝く小さな仏像を本尊として祀っている。

タイにある寺院では線香や造花のようなものを飾るのと別に、金箔を仏像に貼りつける。勿論、金箔はお金を払っての

ことになるが、見ていた感じでは身体の悪い所を治してもらう為、仏像のその場所に貼るようだった。参拝客の多い仏

像は金箔が何重にも貼られている。信仰心の強い国民だから、多くの店には祭壇か仏壇か分からないが灯りをともし

供え物が飾られているのをよく見かけた。


『回想旅行記、タイ編』

2014年02月28日 18時03分42秒 | 旅行

 

『政情不安』

前年の10月に癌の手術を受け自宅療養していた。冬の盛りになると開胸手術による影響であばら骨が疼き、朝風呂、

温泉施設通いによる養生に精を出しまるで小原庄助さん状態。幸い術後の調子もいいし、どうせなら暖かい東南アジ

ア、それも行ったことのない国に出かけるかと俄か思い付きをした。

今から申し込み3月初めになれば今よりパワーは回復していると予想して、旅行会社に聞いてみた。この頃からタイで

は現職首相と追いやられた前首相派が対立し赤シャツと黄シャツに分かれて騒動を起こし異常事態を報じられ始め

ていた。外務省の海外渡航情報を気にしながら旅行会社の手配を見守っていたら、米子、韓国、タイのルートの内、

韓国~タイの飛行機が取れず希望の日程は困難との返事が来た。

それでは可能な日程を調べて貰うと、韓国・中国の経済好調を受けて旅行客が増え、当面は無理で関空など他の

飛行場からの便を紹介された。米子以外から行くことは考えていなかったからタイ行きは、取り敢えず諦めることにし

た。すると政情不安は段々と悪くなり終いに渡航の中止勧告となり旅行会社もツアーの中止になってしまった。現地

では中心繁華街にある日系のデパートに放火、一部が炎上、二色のシャツが対峙なんてニュースも流され観光気分

はゼロの様相。騒ぎが収まり岡山から出るツアーに参加したのが暖かくなり始めた6月になってからのことだった。

現地の生活は対立の後遺症もなく、赤も黄色もなくなり元の微笑みの国に戻っていたが、一部炎上のデパートは黒

く焦げた跡が残り営業は縮小していたように見えた。その他に騒動の跡らしいものは何もない。

通常のタイ旅行なら5日というのが一般的だろうが、暖かい所で養生することが主目的だから2日延泊した。ガイドに

案内してもらう以外は自分たちで散策するには十分な時間があり、とてもゆっくりとした行動がとれる。

連続5泊する旅だからホテル選びは慎重に調べた。繁華街近くにあるル・メリディアンは便利でゴージャスな割には

値段も手ごろで大分、このホテルに傾いたが口コミの中に気にかかることがあり残念ながら諦め、繁華街から離れた

静かなホテルにした。口コミの大半は無視してもいいもので占められており、賛否の要因となる事柄は殆どないが指

摘されていた事はあり得ると思い、しかも私の嫌いな事だったから意見を参考にさせて貰った。


『回想旅行記、水上劇』

2014年02月27日 17時44分54秒 | 旅行

クチ・トンネルに行く時、迎えに来た車は何とベンツだった。超一流のグレードではなく、スタンダードクラスだと思

うが、ベンツはベンツ。こんな車でベトコンが暗躍したジャングル地帯もビンビンと走破する。その帰りにガイドが水

上劇の鑑賞を勧めてくれた。

ベトナムに行くと決めてからホーチミン周辺の興味ある場所や観光について調べた時に水上劇もあった。その時、

あまり興味を引くことはなかったから候補としては没にしていた。

ガイドの説明だと言葉が分からなくても十分楽しむことは出来るし、観て帰らないと損をするとまで熱のこもった勧

誘をする。今日、一日共に行動して誠実な人柄だったから嘘を言うことなかろうと、信用して水上劇に行くことにし

た。調べて貰うと帰国の日の夜しか切符は取れないが、ホテルの集合時刻に間に合うということで、詳細を聞くと夕

方に食事と組み合わせるコースが便利というから、それを申し込んだ。

食事はベトナム料理で特別変わったものではなかったが、アオザイを着た美しいお嬢さんが給仕をしてくれた。

アオザイはベトナムの民族衣装ではあるが街中で着ている女性を見ることはなく、レストランや観光施設など限

れた所でしか会えない。

水上劇は竹竿の先に結ばれている糸に人形をつなぎ、それを水上で操る人形劇。水面を滑らせたり、沈め気味

して水しぶきを立たせたりして動きにアクセントをつけている。その動きは実に見事で、竹竿と人形が一体にな

っているようで、間に糸があるとは思えない。

物語の荒筋は貰ったパンフレットに日本語でも簡単に説明されていたが、それを読まなくても何となく筋は分か

りそうだった。時には、わざと激しい動きをして前にいる観客に向けて水しぶきを飛ばし、観客が出す声に呼応

て、また大げさに動き観客の笑いをとる。約2時間の水上劇は本当に面白くガイドのいう事を聞いてよかった。

劇が終わりスタッフが登場、ここでも若い人たちばかりで伝統芸を継承しているようだ。ホテルに帰り荷物を受け取

り迎えに来たガイドと共にメコン川に別れを告げた。

 


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