『ところで、雄もいたのに逃げてしまった、それを追跡してみよう。その前に腹だけ
開けとこうか』
猪は捕れたらできるだけ早く腹を開けて内臓を取りだし、冷たい川につけておくと
肉質が落ちないし臭みは減りおいしさを増す。猪は2人で持ち上げることはできな
い重さで、片足ずつ引っ張り雪の上を滑らせるようにして山から出し川まで運んだ。
小さい川だから水量はなく猪の身体が水につかる場所を探し、腹を開けていると
郵便配達の人が私たちを覗き込み『ほー、獲れたね』と声かけ暫く見てから立ち去
った。逃げた雄は銀山川を渡り要害山に入っていた。起きた場所から地図を見な
がらリーダーが方向を予測した。猪猟の経験者はリーダーと私だけしか居ないから
大見切り、しかも地図を見ながらのものだ。山の高さ、形状などからして奥の方で
はなく里に向かった可能性が高いのではないかという。
制限時間は迫っており普段するような緻密な見切りをしている余裕はゼロだったか
ら、非常に大雑把な見切りというか、予測というか、これしか方法が残されていなか
った。
銀山の町並みは江戸時代の面影を残したまま、ひっそりとしていた。代官所跡にあ
る資料館を通り国道9号線の方に向かう。そのトンネルの上をチェックすると紛れも
なくここを通過した跡があった。その先を見るために車を走らせる。そこで私たちは
無数にいる野生の猿に出会った。道路を歩くやつ、畑の野菜を頂戴しているやつ、
子供が母親の腹にぶら下がり、こちらのことなど一向に気に留めていない。
暫く行く籠を背負ったおばさんに出会い『猿が一杯いましたよ』と言うと『ああ、出ま
したか』と当然のような顔をしている。『何だ、いつものことか』。
後で話を聞いたところ、きちんと鍵をしておかないと自分で戸を開けたり、冷蔵庫を
開けて中のものを食べるようになったりしているそうだ。
ここでもリーダーが独りで簡単な見切りをしてしまった。私は先程のトンネルの上で待
つことになり戻って奥へはここしかない道で銃に弾を込めた。あっけない幕切れでほ
んの15分ほどしたら『終わったよ』と連絡がある。音は聞こえないし、ただここに座って
いただけのことだった。
リーダーが山に入ると猪は未だ逃げる途中だったらしく、どうしたことか追う猟師と逃げ
る猪が鉢合わせしたのだ。こんな馬鹿げた話は聞いたことはないというような事が実際
に起こってしまった。自分の居る方に歩いて来たので鉄砲を擊ったところ不発でカチッ
と撃鉄が弾を叩く音がした。猪はそれにも驚かずじっとしていたので再度、レバーを引
き直し撃ったと言う。この猪も先程、同様に丸々と太っており甲乙つけがたい獲物だっ
た。格してこの日の猟は3人で2頭と近年、稀に見る大猟となった。
リーダーの見立てだと、この辺りは八雲より暖かい方だし餌が豊富なようで、猪の栄養
状態はよく、いい肉質をしているそうだ。