食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『夢追人、境水道の鱸Ⅱ』

2013年05月28日 17時49分51秒 | 趣味

紛れもなく私のそれだ。この時ばかりは釣れた人の特権でお祭騒ぎ(糸が絡んで

無茶苦茶になること)を避けたかったら、周囲の人は糸を巻き取らなければならな

い。隣と絡み合い電気浮木が一緒にこちらに来る。これは大物だぞ、引きが違うと

心の中で呟きながら、足はその喜びの大きさからガタガタと震える。

巻けど横に斜めに走り回りそこらの糸を絡め続けた。竿は大きな弧を描き糸はパン

パンに張りリールを巻く手に力が入る。釣場では近くの人が大物を釣ったら網です

くい上けるという誰が決めた訳でもない仁義があり、網を持ち右だ左だと指図する。

が魚は思う方向には来ない。凡そ十五分はかかったのだろうか、やっとの思いで網

に入り岸に上がった。優に五十センチは超える大物だ。周囲の人に礼を言い魚の

始末と次の仕掛けづくりをする。

この時は沢山の他人の糸、電気浮木を一緒に釣り上げた。ちゃんと自分の仕掛け

を巻き上げておかないから、こういうことになるのだ.・・・仕方がない。これくらいの物

になると尾の近くに切れ目を入れて血抜きをするか眉間を一突きにして即死させ鮮

度を保つ。実測してみたら五十八センチあり未だ鱸とは呼んでもらえない大きさだ

ったがとても嬉しく帰り道が随分と短く感じた。

每夜毎夜の境水道通いは結構な釣果をあげた。一晚でセイゴを十数本は確実に釣

り上げ、妻の仕事は近所の人に配り歩くことがえた。翌日の仕事に差し支えのない

時を見計らつて帰路に着く、午前零時がその時間だ。道程は往復で百キロ位ある

が魚が釣れればこんなこと一つも苦痛だとは思わなかった。海の荒れた日は大物が

出やすい、今日は相当荒れているが行っても釣りになるかどうかと不安ながら出かけ

てみることにした。人が釣ってしまったら・・・と狭い了見と貧乏人根性、丸出しが本

当のところである。風は強く、時おり雨が混じって海は、といえば怒涛の如く流れて

いる。撟脚のすぐ側にしか投げる場所がない。数人の釣り人がそこをめがけて投げ

ている。浮木は大きな波間で見え隠れしとても釣りをする状態ではなさそうだなーと

思った瞬間、ズシンと手応えがあった。

浮木は全く当てにならないし釣れたのかな?とリ—ルを巻けば紛れもなく応信がある。

波に乗り上げると魚が宙に浮き、リールを卷くと急に軽くなリ次の瞬間はガツンと引っ

張られる。こんな光景が三度も訪れた。

何れも五十センチクラスのものばかりだった。この日ばかりはトロ箱を調達し廻り道を

して家に帰った。これはお婆ちゃんが未だ元気だった頃の古い話だが立町と角盤町

により一匹ずつ配り自慢方々の寄り道である。

こんな大漁は後にも先にも巡り合いがない。小物(三十センチクラス)は煮付け、塩焼

きよし。また、刺身、洗いが美味しい。松江では宍道湖で捕れたこのクラスのものを

針で小穴を開けそこに塩を塗し湿らせた和紙に巻いて焼く、奉書焼が名物である。爐

の奉書焼は級料理で料亭でしかお目にかかれない。


『夢追人』

2013年05月27日 18時20分16秒 | 趣味

境水道の鱸 Ⅰ

子供の頃、境港には親戚があり、ある夏に海水浴に連れて行って貰った思い出が

ある。海水浴といえば中海か同じく親戚の川と相場が決まっていたから、本場の海、

境港は今風に言えばトレンディーな海水浴場だった。砂浜で足が届くか届かない

所で下を見ると、砂地に穴が開いており、そこを足で掘ると指先に固い感触がある。

指で挟み貝を採る。

海水スレスレで立っているから、時々、波が寄せると口の中にドバっと入って、その

塩辛いこと。潜って採れば沢山採れただろうが皆、首を立てるようにして貝を掘り、

足の指で採っていた。桜の花が終わりつつじに席を譲ると、もう直ぐ大根島のボタン

が満開になり、境水道のセイゴ、鱸が宍道湖を目指して旅を始める。それは大凡、

梅雨前まで続く。

鱸は出生魚で三十㌢以下をセイゴ、五十㌢クラスをアンザシ(関東ではフッコ)、七十

㌢以上にならないとスズキとは呼んで貰えないが、ここでは総称としてセイゴ、スズキ

と呼ぶ。魚にはその地方特有の名前があり地元の人はローカルネーム、岡山や広島

から来た人は標準的な名前を使うので、遠路の人と直ぐに分かる。

スズキは潮の流れが勝負である。一般的に魚と潮の関係は密接だと言われるが、こ

れほど顕著に現れる魚は珍しい。特に、境水道は中海、宍道湖の出入口になってお

り、満潮、干潮の時は急流の川のように流れ釣りにならない。私は夜釣りを好んだ。出

勤の際、予め車の中に釣り道具一式を準備しておき、退社すればそのまま境水道に

出勤する。潮との関係は後になって知ったことで、それまでは暇さえあれば足繁く通っ

た。境大橋下の岸壁が改築される前、そこは好漁場だった。岸から十五メーターほど

沖合は急に深くなっており、潮目が微妙に変化するポイントがあった。日暮れまでは

浮をつけずブッコミという方法で釣り錘十五号、ハリス五号、針は勿論のことスズキ針

を使う。針から一メ―ター辺りの所に錘をつけ餌が流れに乗り易くしてやると、餌に動

きがついて魚の食欲を増すというものだ。餌は朝鮮ゴカイ(青虫)を四〜五匹を房が

にする、餌を惜しんではいけない、できるだけ元気のいい奴を奮発する。潮の速い時

は直ぐに下流に流されてしまうが深みと浅瀬のポイントの辺りで錘が錨の役目を果たし

止まる。

調子がいいと潮が速い時でも食いつくがやはり潮にははっきりとしている。ググッと手

えを感じたら慌ててはいけない。これからが詰めの肝心な時なのだ。

それから十でも二十でも勘定してから強く合わせればいい。大体は三十〜四十セン

チ位の大きさで占められる。魚は流れに逆らい、時には沿って縦横に糸を走らせ、岸

辺近くで姿を見ることができる。三十センチ程度のものはそのままゴボウ抜きにして吊

りあげる。ブッ込みはあまり好きな方法ではないが日暮れ後の本番に備える余興であ

る。それでも本番前に三〜四本は釣れていた。辺りが暗くなると仕掛けを夜釣り用に

替える。電気浮木を針から一ヒロの所につけて錘は嚙みつぶしの小さなものを使い遠投

する。潮の流れが速いとブッ込み以上の速さで下流に流されてしまう

ので、潮の止まるのを待ち続ける。満潮、干潮は新聞の載っているものから、一時間く

らい後にくる。その変わり目にはあれほど速く流れていた潮が見事に止まり、自然の力

は偉大なものだと思う。潮が緩やかになると絶好期の到来で、遠くに並ぶ精霊流しの

灯りのような電気浮木があちこちで沈み始める。セイゴが食い始めたのである。たくさん

の電気浮木の中にある自分のものだけに目をやっておく、突然に光の残像を残しなが

ら浮木が水中を駆けめぐる。完璧に針を飲込みしっかりと掛かっているが再度、思い切

りよく合わせておく。ブッ込みと違い水面近くにいるので、ここでセイゴの得意芸を披

露してくれる。セイゴのエラは鋭利な刃物のように鋭く針を外す時に手を切ることがし

ばしばある。水面にジャンプしそのエラで糸を切ろうとするのである。

”エラ洗い”と言われる仕草だ。

五月の連休前のある日、いつものように橋の下で鱸を狙っていた。連休前というので続

々とお客さんが集まり 一メーターに一人の間隔になり、狭い場所に四十人ほどがひし

めいた。口コミでこの好場が知れ渡ったのだろう。視界には無数の電気浮木が並び、その

間をめがけて容量よく投げなければ他人の浮木の横、糸の上に投げてしまうとその人が

を巻き上げるまでそこでじっとしていなければならない。一つの浮木が勢いよく吸い込

まれた。


『夢追人』

2013年05月26日 17時06分10秒 | 趣味

渓流の雄 岩魚(イワナ)

奥出雲は鳥取県と峰分けする船通山、私の住む場所から車で二時間ほど、南に行

った所である。途中『たたら』(玉鋼を作る鋼炉で日本刀の材料となっていた)でその

名を馳せた横田町があり、更にその近くには松本清張の推理小説『砂の器』の舞台

となった算盤の産地、亀嵩町(かめだけ)がある。

船通山は雪深い。下界が春の息吹を感じても未だ、笹の下には残雪が残る。雪も去

り、下手くそな鶯がホーケキョと鳴く頃、渓流釣りは解禁になる。川で魚を釣るくらい、

細かいことなど言うなと言いたくなるが自然を守る掟は厳しい。誰に、この川の権利が

あるの。この川は日本人誰ものはず、勝手に漁業権なんか作って、もぉ!

イワナは敏感な魚だ。川の中を見ていると餌となるものが流れて来ると,棲家としてい

る岩の下から素早いスピードで飛び出し、黒い糸を引くように見える。

敏感な割には貪欲なため、エサを追う姿は周囲のことに無頓着のようだ。

こいつを釣り上げるため、四時に起きて船通山まで来たのだ。途中には立派な熊笹が

生い茂り、端午の節句の頃には、これを生計の足しにする人もいる。

逸る心を抑え竿を出す。渓流釣りの竿は川辺の雑木が邪魔になるので短い方がいい。

本当は魚に警戒心を与えない長い竿が理想であるが木に糸が絡みどうもならないの

で、小さい川では向かない。餌は、その川にいる自然のものが最適だ。川虫、幼虫,蝶、

青蛙が好物とみえる。しかし私たちは好物を取り揃えて釣りに出掛けることはできない

ら、ミミズ、それも縞ミミズがいい。上流からサッと流れに載せる。これを何度も繰り返

す、やがて黒い綫が走る。警戒してか、餌が気に入らないのか当たりはなく下流で糸を

張る。その内、思わぬ方向に走る、遂に食いついた。周りの雑木を気にしながら手繰り

寄せると二十センチ程のイワナを手にすることができた。更に、上流に移動して行くと川

幅が僅か五十センチもない所で糸を垂れてみた。

水は山々がこの冬に受けた雪を溶かし、そのまま流しているように冷たい。五分と手を

けていられないほどで、この水を手ですくい飲んでみると、何物にも代えがたい自然

の味を感じることが出来る。水はこんなに美味しいものなのかとも思う。上流にいくほど

川幅は狭くなるから、そこに棲むイワナの食するものも限られてくる。つまり下流になる

ほど色々な餌が流されてくるが、上流では、それが下流より少ない。

餌をつけ狭い川の中に糸を流すと、すぐ目の下にイワナが姿を現した。餌のミミズには

見向きもしないで、流れの調子とりにつけている板鉛ばかりに興味を示しつついてい

る。ミミズを口先に持ってきても興味を示さない。

その時、小さな蝶が飛んできて木に留まったので、そいつを採り餌にしてみたところ、そ

れまで鉛にばかり行っていたイワナが蝶に食らいついた。言うまでもなく、それからはそ

こらにいる虫を餌に大漁を重ねた。釣った魚の腹を開けてみると、先述の餌を食べてい

た。それからは、昆虫採集後にイワナ釣りとなり、子供用の補虫網を持参することになる。

イワナは身体の割に口が大きいので、釣針は渓流用の五号、ハリスは一号以下の細い

ものを使い、餌が軽く流される程度の錘を針から三十センチほど上につける。流れの強

弱によって分量を変えるので板鉛を切り貼りして調整する。

私の場合、三間の振出竿をばらして一間程度にしたものを使用していた。

山奥に入るので、イバラや棘で直ぐに破れてしまうのを防ぐ厚手の作業ズボン、滑り防

止、マムシから身を守るためスパイク付きの長靴を履いていた。

イワナは川魚でありながら川魚特有の臭いはなく、ヤマメや鮎と比べても臭いは全くと言

てもいい程だ。軽く塩を振り炭火で焼き頂く、その風味は絶品である。下唇がシャクレ

た尺物を求め歩いたが一度も出会うことはなかった。ここではイワナと紹介したが、当地

ではコギという。違いがどこにあり、どんな亜種かは知らないが、獰猛な魚で川を渡る蛇さ

えも餌にすることや、水面を飛ぶ蜻蛉を水中から飛び跳ねて捕まえるダイナミックな渓流

の王者である。


『夢追人』

2013年05月25日 18時16分44秒 | 趣味

第一章      魚の四季

 魚釣りは面白い。人によってはこれ程、退屈なものはないという。そんなはずはな

い。この私が魚釣りの面白い世界に案内しましょう。

魚釣りに行きました。

ぜんぜん釣れないので場所をあちらこちらと変えて、エサも何度も変え辛抱しました

が全く釣れませんでした。

よくも、まぁ人はこんな退屈なことに時間を割いているのでしょう。

私が苦痛と感じるのは、何もしないでジッとしていることで、仮に誰かが『あなたが一

日中、家の中でジッとしていたら一万円上げましょう』と言ったとしても『ホイホイ』と引

き受ける気にはならない。でも魚釣りの時は、この私でもジッとして他の誰よりもジッと

している。日本には、はっきりとした四季、春夏秋冬がありその折々を旬とする魚が待

っている。魚釣りはその四季の到来を告げるもの。

長いレンジで楽しむことが一つの秘訣だと思う。

 

 『春』

桜と鯎(ウグイ)

山陰の厳しい冬が過ぎると野山は一斉に芽吹き、蕗の薹が土の中から顔を覗かせ、

猫柳が水面につかんばかりに背伸びする。梅の花が終わり、古来から日本人が親し

み続けてきた桜の開花をみる。パッと咲いて、パッと散る。その潔いこと。

能義郡広瀬町は富田城、山中鹿之助がお家再興を願い『我に七難八苦を与え給え』

と明言を残した月山(がっさん)の裾を流れる飯梨川には桜の花が咲く頃にウグイが産

卵のため遡上する。ウグイはコイ科の淡水魚でこの時期はお化粧をしたように、とても

綺麗な色をしている。小骨が多く料理するのは少々、厄介な魚。が、刺身,洗いにして

食べると美味なもの。群れになって遡上するので川の中はウグイが、そこここに数知れ

ず流れに逆らう。岸辺から釣るのではなく引掛け針で掛けて釣り上げる。大きさは30㌢

ほどのものが次々と釣れる。暇さえあれば飽きてしまう程釣れる。

竿は二間から三間程度のもので糸は釣るのではないから太くても構わない。

ここで私たちは大漁を試みた。刺し網を使えば捕れるかもしれない。

流れくるゴミや小物が網にかからないから、目の粗いものがいいと、この方面に長けた

人の選択。遠くには月山の桜につけられたボンボリが見える。ウグイが通りそうな川筋

見定めて十メーターほどの網を張る。あとはウグイが網にかかるのを待つだけである。待

こと大凡、三十分あちこちで網が小さく揺れる。ウグイがかり暴れている。未だ水の冷

い川に入り網を手繰り寄せると腹の辺りを赤く染めたウグイが銀輪を輝かせている。

その数、三十~四十匹はいるだろう。

刺し網は強く張ってしまうと魚が跳ね返り捕ることは出来ない。流れの加減を見ながら

たりと張るのがいい。掛ったウグイを網からはずのは、もつれた毛糸をほぐすのに

よく似ており、厄介な作業に加えてウグイは暴れるから、更に厄介なことになる。網はテ

グスと同じだから細く、無理をすると直ぐに切れてしまうので、イラつくことはご法度で、

細心注意を要する。

ウグイだけを外して一工程が終わるのではなく、流れと共にやって来る小枝やゴミも始末

して、要する時間は約一時間半といったところ。

子供が日暮れを忘れるように夢中になって網を掛ける。この時期の夜は結構冷える。お

けに川仕事だ。木切れを集めて焚火で暖をとる。

誰ともなく『一杯欲しいな』の一言。

運転手を残して俄かに即席の小料理屋が開店する。勿論、今宵の肴はウグイの刺身、

れり尽くせりの調理人はちゃんと山葵も調達している。ウグイの腹を開けるとオスは白

子、メスはおびただしい程の卵を見せる。手慣れた手つきで洗いもどきも出される。焚火

の周りには捕りたてのウグイを肴に、今なお成長過程に居る男たちが酒に目を細めて

いた。


『夢追人の掲載』

2013年05月24日 17時44分06秒 | 趣味

私が四十歳頃に、自分の趣味のことを綴ったものに名前をつけようと思い、どうせ

なら自分で作った言葉にしようと考えに考えたつもりだったのが、夢を追い続ける

人を意味する『夢追人』この言葉は私の自作なのか否かを疑う余地はなく、当然自

作として思い込んできたが、最近になってどうも怪しいのではと思うようになった。

タイトルはさて置き、その冊子はワープロで作成したものだから、紙に印刷したもの

が一冊残っているだけで、このまま廃れさせるのは勿体ないと一念発起しワードで

作り直しを始めた。魚釣り、狩猟、アマチュア無線を纏めたもので全て実録ものだ。

当時から自然と接することが好きだったから、今ハンドルネームにしている『自然爺』

の礎となるものは成長過程、真っただ中といった頃のものだ。一日、一ページのペ

ースで再入力しているものを、日々の活動と共にブログで紹介することにした。時間

の都合のつく方は、ご覧頂きたい。

 

はじめに

 『趣味は何ですか』と問われ『無趣味です』と答える人でも、本当は何か趣味を持っ

ているが人様に『これこれで・・・』と説明するのはおこがましいからだろう。

この四十年間、生きてきた吾輩は趣味として、何一つ極めたものは無いが、興味を持

ったものには、その時その時でかなりのパワーを費やしてきた。『芸のためなら女房も

泣かす・・』と歌にあるような厳しさがないから其々の趣味が中途半端だったのだろう。

でも、それはそれで良いではないか。趣味の範疇はとても広い。外にあっては自然界

のこと、家にあっては工作に関することで、手芸のようなものやICを使った電子機器の

工作と、言ってしまえば興さえ湧けば何でもいい。流れは、やはり父のそれと似ている

かもしれないと思い始めた。確たる根拠がある訳ではない。私の最近のルーツをみる

限り『芸のためなら・・・』のスタイルは祖父にあるようで、どうもしっくりこない。祖母は

『芸のためなら・・・』と粋がる人に尽くさせられっ放しだっただけのようだし、母は『そげ

なことばっかいして、ほんに』と理解を示すタイプではない。消去法で正当に判断して

みると私の分析は正しいと思う。

さて、私たち大人が子供たちにどんな夢を与えてあげることが出来るのだろうか。生活

場所によって自然と接する機会の多少はあるにしても、子供に自然を感じさせることの

要性すら考えなくなっているのでは益々、子供に夢を与えることはできなくなる。ハイ

ク技術の粋を集めた遊びは子供を熱中させ虜にしてしまい確かに子供を喜ばすこと

できるが、この子供たちが大きくなった時に、それを幼き日の夢として語れるだろうか。

こんなこと、老婆心かもしれないと思う。

昔の幼子たちよ、思い返してごらん。

自然の思い出は何にも優る。

よき玩具であり、感性を育てる教師であったと思えるはずだ。

子供たちよ、父母にせがみなさい。

自然は何処にあるの、見ることは出来ないの?・・・・と。

今でも、鼻の周りを黒くした子どものように、何か目新しいものは無いか眼をぎらつかせ

を追い続ける中年の生き様がここにある。


『山小屋の電気』

2012年11月26日 18時34分50秒 | 趣味

山小屋に電気はないからエンジン式発電機を使用している。ここに入山した頃に一番

近い電柱まで300mくらいも離れていたが、住宅や小さな作業場ができ、今では100m強

くらいになった。しかも、残りのルートは電柱を建てるのに山際の木を切ったり、民地の

借用許可を貰うにしてもノープロブレムの土地ばかりだから、申請すれば簡単に電気を

引くことができる。

電気があれば何をするにしても便利なことに間違いはない。しかし、山小屋ライフを考

た時に、便利さや快適さを追求するためのものではないから、何となく馴染まないな

気がした。主たる利用は電動工具だが木工細工の場合、材料の加工時に集中し常時

なくてはならないものではない。あれば格段に便利だが、なければなくても不便極まるも

のでもない。

電気容量は電気カンナと集塵機の組み合わせで、約3KVAあれば足りる計算だから、こ

の規模のものならホームセンターでも簡単に調達できた。雨降りや降雪時には暗くなり

明は欲しいから、小電力でいい時も大きな発電機を動かさないで済むように550Wの

ものを準備した。山小屋ならば照明はランタンと相場は決まっている。貰い物のドイツ製

のものとコールマンの2つを準備していた。

使用頻度が極端に低いと圧縮空気を送り込むポンプのパッキンが駄目になること、細か

作業をするにはチラチラが気になり実用的ではないことから、今では埃を被った飾り物

になっている。木工作業で製材からする場合にはパワーを必要とし、余裕のある容量のつ

もりだったが唸りを上げながら、時には『ウーン』とトーンダウンすることもある。それでも、こ

の設備があれば通常の木工細工には十分だ。10年以上酷使してきたから大型のものはメ

カ的な異音がしている。また小型は、いつの頃からか不明だが出力制御不能で定格100V

のはずが150Vになっていた。これに気づいたのはギターアンプを買って山で格好良くエレ

キギターの練習を始めようとした時、家では出ていた音が無音。家に持ち帰り再度テストす

ると異常なし、安物のアンプなのに異常電圧の検知とカット機能を有していた。

ここで出力を測定し異常が判明した。小型発電機では照明と小型機器ばかり使用してい

が電圧が少々高くても長時間運動でないから動作に支障はなかった。この一件で外付

けHD故障の原因が異常電圧だったことも判明。山小屋でラップトップと外付けHDで作業

した時期があった。以後いつの間にかHDはOSから認知されなくなり故障原因は分からず、

心当たりもないまま、分解して廃棄した。ラップトップの動作可能電圧は100V~240Vのた

め許容範囲内、しかしHDは100V、そのため1Gの1/3も使わない内に絶命となった。

商用の電気ならこんな馬鹿げた話はまずありえない。

仮に電気を引いた場合には、井戸水、照明、工具などの常時使用が可能になる代わりに基

本料金1500円ほどの毎月出費が必要になる。金額的には大きなものではないが、発電機よ

りは随分高いランニングコストにつく。便利さの魅力に摺り寄ったり、自然派を気取る人にな

ったり。

自然爺の活動ホームページ  http://www.megaegg.ne.jp/~yakumo/

がん・ガン・癌スーパーリンク    http://www.gan3.com


『Windows8の感想』

2012年11月21日 17時57分59秒 | 趣味

個人的にWin8の評価は○だ。新しいOSは使い始めた時は、目新しさからそんなに不

満は湧いてこないし、折角お金をかけたのに期待外れでガッカリと思いたくない心理も

働くから、少々不満でも『概ね評価できる』とせざるを得ない。これは最悪だったVISTA

の時でさえ、そうだった。また、OSをセットアップした直後は、システムの負荷となるような

レジストリーやディスクの断片化は生じていないから、実際に早いのだろう。それなのに、

徐々に不満は募り遂に、再セットアップを決心したり、PC高速化ソフト、メモリー増設など

手を尽くしてみるも決定的な効果を得られないまま、我慢を強いられる。

人の要求は留まるところを知らないから、これからも同じことを繰り返すのが定めだろうか。

今回のアップで困ったことに、あるWEBサイトがWin8をサポートしていないのだ。そうとは

らず、いつものように操作してみると、完全なフリーズではないがログアウトするするしか

抜け出す方法はない。問い合わせてみると『利用条件にも記載してますが不具合がある

ためWindows8には対応していません』の回答。

この関係でラップトップをWin8からWin7に戻さねば大変な不便を強いられるから仕方なし

ダウングレードした。Win7に戻したラップトップの立ち上げはとても遅い。立ち上がった後

は、立ち上げ時ほど大きな差は感じないが、やはりWin8の処理は速い。私のラップトップに

限ったものではなく、他社のPCでも同様だろうと推察している。

本当の評価は私のような感覚的なものではなく、合理的で論理的な評価をされるべきだろう

が、一般ユーザーは私のような評価に近いと思う。

機能面にXXの新技術を採用しており前OSを・・・・などと説明されて納得するのではなく、実

際に使用して体感し納得できるか否かなのである。さて、Windows8を使い始め、通常の操作

は段々と慣れてきたが、新しい機能とか技術で開発された部分のことを何一つ知らない。

ダウンロード版の購入はマニュアルや解説資料のカケラもないから、完全に見様見真似の世

界からスタートになる。

元来、製品のマニュアルはメーカーが分かり易いものを提供すべきなのに、Windowsのマニュ

アルはないのに等しいほど貧素なものだ。下地のない人があのマニュアルらしきものを見て理

解できるとは思えない。だから、私も仕方なしに本屋さんで『解説Windows8』などと銘打ったマ

ニュアル本を買う羽目になる。


『猟銃のことⅡ』

2012年11月05日 18時00分11秒 | 趣味

仮免許を貰い銃砲店に銃を買いに行く。こうした店の個人客は限られているから、誰

れの紹介と言えば、店の人も心得た応対をしてくれる。銃を持てば、この店で実包(銃

弾)のお世話にもなるが、当時でさえも若い人の銃の所持は減っていたから、久々のビギ

ナーだったかも。仮免で銃を持ち、次は実技試験を受けるために使う実包購入許可書を

警察に申請すると2週間後くらいに許可がおり、それを持って銃砲店に行き実包を購

する。1箱25発入りのものが種類にもよるが1000円ちょっとだったと思う。

実技試験は、銃の取り扱いの講習を受け、射場で25枚の皿撃ちを練習した後に、実技試

験として再度25枚の皿を撃つ。最初の25枚つまり練習の時は4枚しか当たらなかった。散

弾銃で7.5号弾を使用していたが、中には小さい弾が数百個も入っているから、その辺を撃

てば当たるはずなのに、ちっとも当たらないものだ。

実技試験では5枚命中させ、合格点3枚を辛うじてくクリアし本免のゲットとなった。

ところで、鉄砲を撃つ時、銃床を頬に密着させておかないと発射の瞬間に銃全体が上方向

に持ち上げられるので、頬を強打する。頬付けが甘いと、右の頬が腫れたり、打ち身みたい

になることがある。私が受験した時、年配の人がおられ教官から『xxさん、銃を持って人の方

に向けないで』と何度も注意されていたのに、注意力散漫のこのお方は遂に『xxさんお帰り

下さい』と実技に行く前に不合格になってしまった。結構、厳しいなと思った次第。

試験で購入した実包を使い果たしたという報告書を警察に届け出て実包の処理が終了す

る。この銃を担いで野山を駆け回り、時には腰まである雪の中をラッセルしながら、イノシシ

を追い回したこともあったし、鴨に向けて撃ち3発で3羽獲ったこともある。

そして、色々なことがあり銃を止める決心をした。廃銃するにも警察への届け出が必要にな

り、購入した銃砲店で銃身を切断、引金などがある機関部を破壊してもらい完了する。勿論

のこと廃銃処理にも費用がかかり自己負担。

趣味としては面白いが一から十まで法律に縛られており、趣味と軽々に言えないような感じだ

った。11/2、今年初の炭窯入れの日、午後の作業に行く途中、銃を担いで歩いている人を見

かけたら、猟をしていた時の師匠だった。『どうした?』

『すぐ、その上に居たイノシシに逃げられた』

『頑張ってね』

こんなことがあり、猟銃のことを思い出し綴った次第


『猟銃のことⅠ』

2012年11月04日 18時07分33秒 | 趣味

狩猟に興味のある人はほんの一部と思われるが、これには法律で許可された期間に野

山で、許可された鳥獣のみを罠または銃で捕獲することができる。日本人は銃に対する

抵抗感、所持することに極度の違和感いや嫌悪感みたいなものが強いのではなかろうか。

アメリカでは自己防衛するための権利としての所持に賛否の論議はあるが、選挙に影響

力ある全米ライフル協会の顔色伺いで大統領選挙戦でも議題に取り上げない。

私も35~6歳から42歳まで銃を所持し狩猟をしていた。当時は11月15日から翌年2月15日

までの3か月間だったが、今は11月1日からの3か月間に変わっている。経験豊富な近所

友人から勧められて銃を持つことにしたが、当初はすごく抵抗を感じ本当に持ってもい

いのだろうか、持たないほうがいいのではないか・・・・・・考えた。

結局は所持することに決めたのだが銃刀法による適性検査、医師の診断書、ペーパー試

験,により仮免許が下り銃の一時的所持が許され、実射による試験で合格すれば本免許

交付となる。医師の診断書はアルコール依存症、精神疾患の有無、ドラッグなどに該当

しないことを証明するものであり、医者はこの紙を持ってきた人が初めてその病院に来た人

でも診察せざるを得ない。門前払いも可能ではと思うが私の場合は

『これを書けと言われても、私は貴方のことを知らないし・・・・・』

『尤もです。えーと・・・私はxxの父親で、娘がよくこの病院でお世話になっており・・・』

『ああ、xxちゃんのお父さんですか。仕方がないですね』こんな感じで診断書を書いて貰っ

た。そして狩猟をするには狩猟法の定めるところの狩猟免許を取得し、猟期前に登録税を

払い一年間の許可を貰うが猟期は3か月間しかない。残りの期間は有害鳥獣駆除があった

場合に行動ができるようになっているし、射撃を楽しむこともできる。

銃は鍵付きのロッカーに入れ鎖でつなぎ保管する。そのロッカーはロッカーごと盗難に遭わ

ないよう壁または床にボルト止めしておき銃弾は一緒に保管しない。

銃弾も同様の小型ロッカーの中に保管し、銃のロッカーとは別の場所に固定設置しなけれ

ばならない。弾は原則として狩猟期間(含む有害鳥獣期間)と射撃用に許可された期間以外

は所持できないことになっている。

ごく稀にニュースで猟銃の暴発事故が報じられるが、法律上から言えばありえないものだ。

弾は発射する直前に装てんすることになっているし、仮にでも免許のない人に持たせるなど

はあってはならないことだから。

銃の仮免許がおりたら実技試験のために銃を購入する。購入しない場合には試験場から提

供されるらしい。銃を購入すれば試験に絶対にパスするという意思表示でもあり、自己暗示

にもなり後戻りはできない。メーカーは忘れたがイタリア製、当時の値段で15万円くらいの猟と

射撃兼用のものだった。自動銃で3発の弾を込めることができ、撃つとパン・パン・パンという感

じだ。


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