ドラえもん最強考察とポケモン最強考察のどちらを買った方がいいでしょうか?
komasaram
『ドラえもん最強考察』はファンが勝手に作った本で、小学館・藤子プロ監修でないので内容を鵜呑みにしない方がいいです。
「のら犬イチの国」で約3億年前にのび太が「建国の祖」として石像になった件に関して、『ドラえもん最強考察』では「その1万年後にのび太とドラえもんがのら犬『イチ』の子孫に出会う」とありますが、実際は「1000年後」です。
また、のび左エ門が文政9年に「宝」を埋めたことについて、この『ドラえもん最強考察』で
「1827年」としていますが、文政9年は1826年なので1年間違い。
さらにのび太のパパ・のび助の誕生年については「地下鉄をつくっちゃえ」を基準にして、1974年で36歳であることを理由にこの本で「1937年生まれ」としていますが、1974から36を引くと1938年生まれにはるはずで、やはり1年ずれています。
またこの本では、のび太のママ・玉子の誕生年についてはなぜか「地下鉄」より11年も後の1985年ごろの「恐竜の足あと発見」を基準にして、85年で38歳だから1947年生まれにしています。しかし、のび太の両親が10歳差というのは他ののび助と玉子の過去編「プロポーズ作戦」「のび太が消えちゃう」等を見る限り考えにくいことです。
例えばこの本でなく作品から推定しますと、例えば原作「ママのダイヤを盗み出せ」では1949年当時、7歳くらいの玉子が『黄金バット』の紙芝居を見ており、もし1947年生まれだと当時2歳になってしまいます。
あとこの本でのび太の生年月日について初出が「プロポーズ作戦」としていますが、本当は「ぼくの生まれた日」なので、ここも間違い。
「ぼくの生まれた日」は1972年の雑誌掲載当時、のび太を「昭和37年(1962年)8月7日生まれ」としており、1974年に出たてんコミ2巻掲載時に「昭和39年(1964年)8月7日生まれ」に変更されました。『ドラえもん最強考察』ではこれに関する説明で「ぼくの生まれた日」とすべきところが誤って「プロポーズ作戦」になってあるわけです。
それから原作が1971年掲載の「プロポーズ作戦」でのび太の両親の結婚は1959年(1971年から12年前)、この話に限って言うとのび太は1961年生まれ(1971年から10年前)と思われますが、『ドラえもん最強考察』では「プロポーズ作戦」でののび助と玉子の結婚を1962年としており、これでは劇中で「12回目の結婚記念日」と言われているのと矛盾します。
128ページで「宇宙開拓史」のガルタイト鉱業のギラーミンという殺し屋について「大長編ではのび太との1対1によるガンファイトでのび太に撃たれているが、劇場版でのギラーマンは、のび太と仲良しになったコーヤコーヤ星の開拓者の少年、ロップルによって射殺されている」とあります。
しかし2009年の劇場版「新・のび太の宇宙開拓史」ギラーマンがのび太と1対1で対決していたと思います。
それから表紙にも本編にもある「ドラえもんはシュールな漫画だった」という文句がどうも呆れますね。「シュール」は「超現実的」という意味。ドラえもんはSF漫画なのだから非現実的なのは当然。
184ページでは、1973年の日テレ版のアニメ(富田耕生・野沢雅子がドラえもんの声)について「フジテレビ系列『マジンガーZ』などとブッキングしていたこともあり、視聴率は苦戦」とありますが「ブッキング」は「予約」のことでこれでは意味不明。
日テレ版に言及しながら大山ドラえもんの声優陣を「初代」としているのも矛盾しています。
『ドラえもん最強考察』の著者の一人「ううせいじん」という人のホームページのようです。
↓
鬱色時代
こんなブログ記事も見つけました。
↓
『ドラえもん最強考察』に気をつけろ
回答日時:2011/7/18 15:52:09
編集日時:2011/7/18 16:15:41
編集日時:2011/7/18 16:25:10
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komasaram
『ドラえもん最強考察』はファンが勝手に作った本で、小学館・藤子プロ監修でないので内容を鵜呑みにしない方がいいです。
「のら犬イチの国」で約3億年前にのび太が「建国の祖」として石像になった件に関して、『ドラえもん最強考察』では「その1万年後にのび太とドラえもんがのら犬『イチ』の子孫に出会う」とありますが、実際は「1000年後」です。
また、のび左エ門が文政9年に「宝」を埋めたことについて、この『ドラえもん最強考察』で
「1827年」としていますが、文政9年は1826年なので1年間違い。
さらにのび太のパパ・のび助の誕生年については「地下鉄をつくっちゃえ」を基準にして、1974年で36歳であることを理由にこの本で「1937年生まれ」としていますが、1974から36を引くと1938年生まれにはるはずで、やはり1年ずれています。
またこの本では、のび太のママ・玉子の誕生年についてはなぜか「地下鉄」より11年も後の1985年ごろの「恐竜の足あと発見」を基準にして、85年で38歳だから1947年生まれにしています。しかし、のび太の両親が10歳差というのは他ののび助と玉子の過去編「プロポーズ作戦」「のび太が消えちゃう」等を見る限り考えにくいことです。
例えばこの本でなく作品から推定しますと、例えば原作「ママのダイヤを盗み出せ」では1949年当時、7歳くらいの玉子が『黄金バット』の紙芝居を見ており、もし1947年生まれだと当時2歳になってしまいます。
あとこの本でのび太の生年月日について初出が「プロポーズ作戦」としていますが、本当は「ぼくの生まれた日」なので、ここも間違い。
「ぼくの生まれた日」は1972年の雑誌掲載当時、のび太を「昭和37年(1962年)8月7日生まれ」としており、1974年に出たてんコミ2巻掲載時に「昭和39年(1964年)8月7日生まれ」に変更されました。『ドラえもん最強考察』ではこれに関する説明で「ぼくの生まれた日」とすべきところが誤って「プロポーズ作戦」になってあるわけです。
それから原作が1971年掲載の「プロポーズ作戦」でのび太の両親の結婚は1959年(1971年から12年前)、この話に限って言うとのび太は1961年生まれ(1971年から10年前)と思われますが、『ドラえもん最強考察』では「プロポーズ作戦」でののび助と玉子の結婚を1962年としており、これでは劇中で「12回目の結婚記念日」と言われているのと矛盾します。
128ページで「宇宙開拓史」のガルタイト鉱業のギラーミンという殺し屋について「大長編ではのび太との1対1によるガンファイトでのび太に撃たれているが、劇場版でのギラーマンは、のび太と仲良しになったコーヤコーヤ星の開拓者の少年、ロップルによって射殺されている」とあります。
しかし2009年の劇場版「新・のび太の宇宙開拓史」ギラーマンがのび太と1対1で対決していたと思います。
それから表紙にも本編にもある「ドラえもんはシュールな漫画だった」という文句がどうも呆れますね。「シュール」は「超現実的」という意味。ドラえもんはSF漫画なのだから非現実的なのは当然。
184ページでは、1973年の日テレ版のアニメ(富田耕生・野沢雅子がドラえもんの声)について「フジテレビ系列『マジンガーZ』などとブッキングしていたこともあり、視聴率は苦戦」とありますが「ブッキング」は「予約」のことでこれでは意味不明。
日テレ版に言及しながら大山ドラえもんの声優陣を「初代」としているのも矛盾しています。
『ドラえもん最強考察』の著者の一人「ううせいじん」という人のホームページのようです。
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こんなブログ記事も見つけました。
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『ドラえもん最強考察』に気をつけろ
回答日時:2011/7/18 15:52:09
編集日時:2011/7/18 16:15:41
編集日時:2011/7/18 16:25:10
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