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水戸黄門を今後どう復活させるか(2時間スペシャルなど)

2011-07-22 13:54:00 | ドラマ、時代劇、歴史
質問&回答ページ

komasaram

今後、「水戸黄門」も含めて時代劇はネット配信や衛星放送で新作を出すなど、今の視聴形態に合わせた形で配信する必要があると思います。「水戸黄門」を「年寄りが見る物」と決め付けている向きがありますが、「水戸黄門」は40年続いた番組で、今の70歳は40年前は30歳ですし、今の30歳も30年後には60歳になります。だから時代劇を存続させるには今の若者にも見てもらわないとダメでしょう。

ただ中学時代に時代劇を見ていた時、作品が自分の親世代をターゲットにしているか、自分たちの世代をターゲットにしているかは見ていてわかりましたし、親世代向けの時代劇の方も「大人の世界をのぞいている」という気分で面白かった物です。
例えば「新必殺仕置人」「必殺仕事人」はオヤジ向けでしたが「新必殺仕事人」は明らかに若者向けになったと、見ていて気が付いたものです。

だから今後、放送する媒体は最先端のネットなどを使いながらも内容は「大人」向けでもいいと思います。

特に子供は大人が子供にこびているのをすぐ見抜きます。大人が子供に受けようと思って流行のアニメ等のネタを出しても、子供にとってはもうそれが古かったりする場合があります。
今の大河ドラマは作り手が女性向け、子供向けに作って、受けを狙っているのが見え見えですが、それが必ずしも若い視聴者に受けるとは限らないわけです。

回答日時:2011/7/22 06:58:10
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質問&回答ページ

komasaram

1987年当時、テレビの必殺シリーズが「必殺剣劇人」を最後に、テレビのレギュラーの1時間番組としては一度終了し、毎年、年末年始や春、秋の時間スペシャルとして放映されるようになったことがあります。

「水戸黄門」も今後はスペシャル版で残るでしょう。
「暴れん坊将軍」や「大岡越前」と異なり、「水戸黄門」は主役俳優の交代が効くので、「仕掛人藤枝梅安」のようにキャスティングを代えて何年かの周期で放送されるかも知れません。

数年前、TBSはレコード大賞は12月31日から30日に移したので、大晦日か新年に2時間SPでやるかも知れません。

もともと「水戸黄門漫遊記」は講談で、それが映画(活動写真)になり、テレビ(電気紙芝居)に移ったわけで、半世紀経過して映画で時代劇が残っています。
2時間スペシャルもテレビで見る映画と思えばいいでしょう。
月形龍之介の時代に戻ったと思えばいいわけです。

とにかくテレビの1時間番組の連続時代劇は、視聴者が関心を持たなくなったので、今後、時代劇は季節ごとの長時間スぺシャルか映画で残るでしょう。
視聴率が下がった以上、「水戸黄門」終了は視聴者自身が選んだ結果と言えますから、観なくなった人は文句を言えないはずです。

なお、前の回答にあるように「水戸黄門」では東野英治郎、西村晃主演の時代まではたまに前後2回の続き物がありましたが、お年寄りがそれを嫌がり、原則毎週1話完結にして、それで2時間必要な場合は2時間スペシャルにして、その代わり、夕方の再放送ではその2時間スペシャルを前後に分けるようになっています。再放送なら前後編になっても翌日か、せいぜい金曜の次の月曜だから3日待てば見られるわけです。

ただ「水戸黄門」が年寄りだけをターゲットにしている以上、今後は継続しないでしょう。パソコンや携帯電話などでも見られるよう、今のIT社会に対応する形でないと無理です。

回答日時:2011/7/23 05:39:54
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TEACUP BLOG検索 水戸黄門+スペシャル

時代劇が衰退した理由

2011-07-22 13:51:00 | ドラマ、時代劇、歴史
質問&回答ページ

komasaram

7月28日号の「週刊文春」を買ったら里見浩太朗のインタビュー記事がありました。
雑誌の聞き手の分析は「時代劇は制作費がかさむとされ、視聴率や不景気にはかなわなかった」としています。
一方、里見浩太朗自身はバラエティ番組がテレビの主流になったことを視聴率低下の理由だと考えているようです。タレントやお笑い芸人がテレビの中で楽しんでいるのを視聴者が見て同じ立場で笑ったり怒ったりする。またスタッフもハプニングで視聴者を引き付けようとして内容をエスカレートさせる。一方ドラマはテレビの前でどっしり構えて見る物で、よほど心に響く物がないと視聴者はテレビの世界に入っていかないという分析です。

確かに最近のテレビは時事ニュースや歴史の教養の番組でもやたらスタジオにお笑いの人を呼んで、その人たちの表情を映して数字を集めようとしている傾向があり、やたらカメラが切り替わり、中継やビデオの映像でもスタジオのタレントの表情が小窓みたいな画面に映って、見ていて気が散ります。

また「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」など時代劇がたくさんあった時代は黄金時代であっても、里見浩太朗によると視聴率がよかったから粗製乱造となり、その後、視聴者の目も肥えてきてどんどん淘汰され、残ったものが「水戸黄門」だったということのようです。

里見浩太朗によると時代劇で映画が主流だったころは、テレビは紙芝居のような物としてさげすまれていたそうです。
一方、日本の時代劇は、映画になると海外でも評価されるようになっており、その意味では映画時代劇の時代が戻ってきて、時代劇を見せる「電気紙芝居」としてのテレビは半世紀たって役目を終えつつあるということでしょうか。
映画はまさしく「どっしり構えて見る物」ですから。

今後、「水戸黄門」「遠山の金さん」のような時代劇は、かつて月形龍之介や片岡千恵蔵が演じたように映画の時代に戻るのかも知れません。

テレビの「大岡越前」「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」の場合、それぞれ加藤剛、松平健、松方弘樹が長く演じて「卒業」した後、適役がいなくなってしまったのでしょう。北大路欣也の「越前」も、松平健の「金さん」も俳優のイメージが強すぎてすぐに終わってしまいました。

また、将軍やその親戚が他の藩の内政に口出ししたり、奉行自身が自分で街を歩いて捜査するなど、名君でも名奉行でもないと思う人が増えたのでしょう。幕府にも奉行所にもろくな人材がいないからこういうことになるという見方もできます。

もっと人間ドラマを主体にした時代劇が増えて新たなファンを獲得すればいいのですが、70年代、80年代のチャンバラ時代劇や「奉行や徳川家が身分を隠して庶民と触れあう時代劇」を見慣れた人たちがまだ視聴率を左右していて、そういう人たちは「水戸黄門」でも細かいキャスト変更だけで拒絶反応を示して、地上波や衛星放送の再放送に流れているのでしょう。

回答日時:2011/7/22 06:37:32
編集日時:2011/7/22 06:56:27
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テレビで時代劇はなぜなくなっていったんでしょうか?

komasaram

時代劇を年寄りだけの物だと思っているのが誤解の元です。
1970年代、80年代、90年代は時代劇が各局でそろっていましたが、あの時は若者も時代劇を見ていたのです。
早い人は小学校高学年か中学生くらいから時代劇を見始めていました。
1980年代の仕事人ブームのときは中学生も必殺シリーズの再放送と本放送を見ていました。

水戸黄門の映画は月形龍之介時代にはたくさん作られていましたがテレビの東野英治郎の水戸黄門の映画化は1本だけ。
それが必殺シリーズはテレビ時代劇の映画化としては初めてシリーズ化されました。さらに主題歌やBGMを集めたレコードが出たのも必殺シリーズの特徴でしょう。
当時、時代劇関係者は水戸黄門を時代劇の代表と考えていたのでこれを予想できませんでした。
必殺シリーズのファンには、10代、20代のアニメ・特撮ファンが大量に入っていたのです。

その必殺で育った三田村邦彦、村上弘明が他の時代劇、さらに大河ドラマにも抜擢されていったわけです。

また水戸黄門でも西村晃の時代にお銀、飛猿が加わると東映の戦隊ヒーローに近くなって、結構、若者にも受けたと思います。
時代劇が年寄りだけの娯楽になったら未来は期待できません。

水戸黄門という番組がなくなるということで嘆く人も「お年寄りが可哀相」などと言うのは所詮は部外者、傍観者の無責任な感想で、自分が観たいなら「終わってほしくない」と直接言えばいいのです。

産経電子版によるとTBS広報部は「テレビ業界全体に言えることですが、家族で楽しまなくなったり、衛星放送が登場したりと、テレビの視聴形態が大きく変わり、そうした時代の趨勢に合わせた番組の提供が求められている」と分析していますが、そういう変化を生んだのは自分たちテレビマン自身のはずで、これまた傍観者的ですね。
若返り、秘話披露も…「水戸黄門」低迷 時代の変化“紋所”の威光陰り
2011.7.17 14:56 (3/3ページ)


また時代劇のウソを指摘する人が前から本を出していて、水戸黄門は関東からほとんど出ていない、副将軍ではなかったということも知れ渡っており、忍び旅なのに毎回印籠を出すのはおかしい、立ち回りの前に印籠を出さないのはなぜかといった疑問を持つ人がどんどん増えて、前からの熱心なファンは変わらぬ単純さを求める反面、時々見るだけの人たちは水戸黄門のパターンに飽きて去ってゆき、さらに新たなファンを獲得できなくなっていると思いますね。

製作費の問題で言うと、テレビが唯一の映像の娯楽だったときは視聴率も高かったでしょうが、パソコンやDVDやビデオが普及するとそれも無理になり、視聴率中心の番組作り、スポンサー頼みの体制といった旧態依然としたテレビのあり方が無理になっているのです。
今後、TBSもネット配信や衛星放送で新作を出して視聴率が良くても悪くても収益が入るようなシステムを考えるべきでしょうね。
また大型時代劇は映画で観ることになるでしょう。すると結局、東野英治郎より前の月形龍之介の時代に戻ることになります。

編集日時:2011/7/19 14:11:35
回答日時:2011/7/19 14:07:11


>戦前の歴史教科書(いわゆる皇国史観)の復刻版はありますか?

2011-07-22 13:46:00 | ドラマ、時代劇、歴史
質問&回答ページ

komasaram

1935年(昭和10年)の尋常小学国史なら上巻と下巻を1冊にまとめて復刻版が1974年にノーベル書房から出たことがあります。

戦前の修身や歴史の教科書が文庫で復刻出版されていたように思うのですが,どこの出版社からどういうタイトル出ているかご存知の方は教えてください。

回答日時:2011/7/13 19:19:13

もしNHK大河ドラマで史実通りの「水戸黄門」をやったら

2011-07-22 05:38:00 | ドラマ、時代劇、歴史
質問&回答ページ

komasaram

余り「史実」通りだと若年期の光圀はドラマの主人公にふさわしくない行状が多々あったようなので「光圀の青少年時代から描き、移動先は関東からほとんど出ないで、舞台はもっぱら水戸と江戸」ということにして、あとは脚色していいでしょう。
大河ではすでに「元禄太平記」で森繁久彌が光圀を演じたようで、また「八代将軍吉宗」では長門裕之が光圀を演じ、「葵 徳川三代」では中村梅雀が演じたようです。
家光が1623年に将軍になり、5年後の1628年に光圀誕生でここから話が始まります。先代将軍徳川秀忠は1632年没で、光圀が数え年5歳の時に亡くなっています。その後、光圀の成長期は春日局、柳生十兵衛、家光の晩年に重なるのでこれらの人物もいろいろな役者さんに演じてもらうのがいいでしょう。

徳川光圀の生きた時代の年表と年齢

水戸(徳川)光圀は島原の乱の時に大体10歳くらい。家光が50歳手前(数え年48歳くらい)で死んだ時に光圀は20代初めくらい。家綱の時代の明暦の大火の直後で光圀は30歳くらい。犬公方・綱吉が35歳くらいで将軍になった時、光圀は大体50歳くらいでした。

それから光圀の訪れた場所ですが、Wiki新編鎌倉志によると、光圀は寛永17年(1640年)や同19年(1642年)、慶安2年(1649年)、寛文3年(1663年)などの少年期から青年期にかけて父頼房に伴われての日光東照宮参詣などを兼ねて鎌倉や熱海へ立ち寄っているそうで、藩主になって以降も光圀は鎌倉を巡遊しているようです。

「トリビアの泉」で紹介された光圀のその他の訪問先を挙げますと、水戸と江戸は当然として、北は勿来関(なこそのせき)=今の福島県いわき市までが訪問先の北限で、あとは筑波山、銚子、藤代、板久(たぶん潮来)で、「トリビア」では水戸黄門の最大の遠出は「鎌倉」となっていますが、本当は前述の熱海になりそうです。これだけでも十分にドラマはできます。

あと、光圀隠居の前年、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅をしています。芭蕉もTBS「水戸黄門」で2回登場しています。大河でも登場してもらうと面白いかも。
光圀隠居後になると、藤井紋太夫刺殺事件がTBS「水戸黄門」で2回は描かれているので、大河でもやるべきでしょう。また、後の8代将軍徳川吉宗(源六、頼方、新之助)が14歳くらいの時に紀伊藩江戸屋敷で5代将軍綱吉に謁見しており、大石慎三郎「大岡越前守忠相」によるとこの切っ掛けを与えたのが老中大久保忠朝で、大河「八代将軍吉宗」では鶴姫(演じたのは斉藤由貴)の役割にされていたようですが、「光圀」を大河で描くなら光圀が若き吉宗を綱吉に合わせる脚色がいいでしょう。TBSの「水戸黄門」では光圀が近畿を訪れて若き吉宗に合う話がありますが、大河の光圀は熱海から西へは行っていないということでいいでしょう。

佐々介三郎と安積覚兵衛も登場させるのはいいとして、松之草村小八兵衛も登場したら面白いと思います。松之草村小八兵衛は光圀に仕えた忍者で、茨城県で勝手に弥七のモデルと決めつけているようで、TBS「水戸黄門」の公式設定ではないようです。「風車の弥七」「うっかり八兵衛」「ちゃっかり八兵衛」はTBS「水戸黄門」のオリジナルキャラクターです。だから小八兵衛の出る幕がなかったのでしょう。他局でこちらの小八兵衛を描くのもいいでしょう。

民放で娯楽時代劇としてやるなら、今では無理かも知れませんが一度「青年水戸黄門」として家光から家綱の時代に20代~30代の光圀が江戸や水戸で素浪人に化けて暮らし、クライマックスでは葵の紋の服で悪人たちの前に現れてチャンバラ…という松平長七郎のような番組を作ってもよかったと思います。それをやらなかったテレビ局の頭の固さが問題です。

少年光圀役は加藤清史郎か濱田龍臣、もっとも大河でやるなら2014年以降になり、彼らは中学生以上になっていますから、もっと小さい時代は別の子役に任せて、バトンタッチした後になりますかね。

回答日時:2011/7/22 05:36:48
編集日時:2011/7/22 13:37:10
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大河ドラマで何故水戸黄門はやらないんですかね?

komasaram2010

水戸藩2代目藩主徳川光圀であれば、江戸時代初期を扱った時代劇で登場したことがあります。

1975年の「元禄太平記」で森繁久彌が光圀を演じたことがあるようです。
1995年の「八代将軍吉宗」では長門裕之が光圀を演じています。
2000年の「葵徳川三代」で中村梅雀が光圀を演じています。

テレ朝「暴れん坊将軍」に対しNHK大河「八代将軍吉宗」があったように、テレビ局がその気になれば徳川光圀を主人公にした話はできます。

ただ史実の光圀は関東からほとんど出ておらず、行った場所も水戸と江戸を往復したほかは東照宮のある日光、そのほか南は鎌倉、西は熱海などがせいぜいで、移動も徒歩でなく駕籠や馬を使ったようです。
光圀が主人公で、かつ、このような本当の光圀の姿を描いた時代劇を観てみたいものです。

だから大河ドラマで光圀を描く場合、諸国漫遊なし、印籠提示なし、それからよく言われる「副将軍」などという役職も正式には存在しなかったようなので、これも排除することとなります。

TBSの「水戸黄門」の場合、石坂浩二版で少し史実に近づけたとされていますが、関東から出た諸国漫遊は相変わらずで、疾風のお娟のような架空のキャラクターも出てきて、丁度、光圀・助・格・弥七の布陣だった東野英治郎版の第1部と大して変わらない気がします。それでも石坂版は批判されて叩かれています。

だから水戸黄門を史実通りに描くと視聴者が受け入れるかが問題です。
時代劇について「史実通りでない」と言いながら史実に近づけると「つまらない」と言う身勝手な視聴者。

私個人は「水戸黄門」をもっとリニューアルして、諸国漫遊も印籠もなしにして、水戸と江戸を舞台に、子供時代の光圀を描く話を作るべきだと思います。
大河で「水戸黄門」をやると、3代将軍家光の治世から話が始まり、光圀は家光の時代に少年時代を送り、家綱の時代に藩主となり、隠居するまでの水戸や江戸での生活が描かれることとなります。
要するに諸国漫遊や印籠や「副将軍」のような余計なものを排除した史実通りの「水戸黄門」になるわけで、そういうのもぜひ観てみたいものです。
ただNHKがそういう冒険をするかどうか問題ですね。
何より固定化されたフィクションの「水戸黄門」を期待する視聴者が最大の敵です。
関東を舞台にして少年時代の光圀を描いた全く違う話ではだめですか?

「遠山の金さん」に関してはNHKは大河以外のNHK時代劇で「オトコマエ!」を放送、柴田恭兵が遠山景元を演じています。

時代劇に関して「史実と違う」という批判が多いのですが、では時代劇を史実通りのものだけにしたらどうでしょうか?

1・西田敏行主演のNHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」はどう評価できますか?
2・もしNHK大河ドラマで「水戸光圀」「遠山景元(金四郎)」をやったら人気は出ると思いますか?


石坂浩二の水戸黄門はなぜ評判が悪かったのですか?

印篭も出さず漫遊もしない、主に関東にとどまっている水戸黄門のドラマができたら受けるでしょうか?

マンネリすぎる「水戸黄門」に改革案

回答日時:2010/10/5 17:12:41
編集日時:2010/10/5 23:50:42
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>「水戸黄門」放送終了をどう思いますか?
「水戸黄門」でこういうお話があってもいいのではないでしょうか?
「水戸黄門」の舞台を関東だけにしたらどうか

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時代劇が史実と違うという批判について
1.NHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」の評価、2.もしも大河で遠山金四郎を扱ったら
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徳川光圀の生きた時代の年表と年齢

2011-07-22 01:06:00 | ドラマ、時代劇、歴史
1623年 家光が3代将軍に(1604~)
1626年 江(崇源院、家光の母)没(1573~)

1628年/光圀1歳 光圀誕生(3代将軍家光は25歳)
1629年/光圀2歳
1630年/光圀3歳
1631年/光圀4歳
1632年/光圀5歳 徳川秀忠没(1578または9~)
1633年/光圀6歳
1634年/光圀7歳 光圀が家光に謁見
1635年/光圀8歳
1636年/光圀9歳 光圀元服
1637年/光圀10歳 島原の乱、天草四郎没(1621年?~)
1638年/光圀11歳
1639年/光圀12歳
1640年/光圀13歳※ 佐々介三郎誕生
1641年/光圀14歳
1642年/光圀15歳※
1643年/光圀16歳 春日局没(1579~)
1644年/光圀17歳
1645年/光圀18歳
1646年/光圀19歳 綱吉誕生
1647年/光圀20歳
1648年/光圀21歳
1649年/光圀22歳※
1650年/光圀23歳 綱條誕生、柳生十兵衛没
1651年/光圀24歳 家光没、由比正雪の乱
1652年/光圀25歳 松平頼常誕生(1673年から讃岐高松藩主)
1653年/光圀26歳
1654年/光圀27歳
1655年/光圀28歳
1656年/光圀29歳 安積覚兵衛誕生
1657年/光圀30歳 明暦の大火
1658年/光圀31歳 柳沢吉保誕生
1659年/光圀32歳 大石内蔵助誕生
1660年/光圀33歳 伊達騒動
1661年/光圀34歳 徳川頼房没、光圀が2代目水戸藩主に
1662年/光圀35歳
1663年/光圀36歳※
1664年/光圀37歳
1665年/光圀38歳
1666年/光圀39歳
1667年/光圀40歳 浅野内匠頭誕生
1668年/光圀41歳
1669年/光圀42歳
1670年/光圀43歳
1671年/光圀44歳 綱條が光圀の養子に
1672年/光圀45歳
1673年/光圀46歳 光圀が鎌倉を巡遊(Wiki新編鎌倉志
1674年/光圀47歳
1675年/光圀48歳
1676年/光圀49歳
1677年/光圀50歳 大岡忠相誕生
1678年/光圀51歳
1679年/光圀52歳 越後騒動
1680年/光圀53歳 綱吉が5代将軍に
1681年/光圀54歳 越後騒動終結
1682年/光圀55歳
1683年/光圀56歳
1684年/光圀57歳 のちの8代将軍吉宗誕生
1685年/光圀58歳 新編鎌倉志編纂
1686年/光圀59歳
1687年/光圀60歳 魚鳥類食料禁止(おそらく生類憐みの令第1号)
1688年/光圀61歳
1689年/光圀62歳
1690年/光圀63歳 光圀隠居し権中納言に、綱條が藩主に
1691年/光圀64歳
1692年/光圀65歳
1693年/光圀66歳
1694年/光圀67歳 光圀が藤井紋太夫を刺殺(陽暦では1695年)
1695年/光圀68歳 松平頼重没
1696年/光圀69歳
1697年/光圀70歳
1698年/光圀71歳 佐々介三郎没、紀伊光貞隠居
1699年/光圀72歳
1700年/光圀73歳 水戸光圀没(陽暦では1701年)
1701年/光圀没後 松の廊下刃傷

Wiki徳川光圀>年譜

※→光圀は寛永17年(1640年)や同19年(1642年)、慶安2年(1649年)、寛文3年(1663年)など世子時代の少年期から青年期にかけて父頼房に伴われての日光東照宮参詣などを兼ねて鎌倉や熱海へ立ち寄る(Wiki新編鎌倉志)。

知恵袋
1・西田敏行主演のNHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」はどう評価できますか?
2・もしNHK大河ドラマで「水戸光圀」「遠山景元(金四郎)」をやったら人気は出ると思いますか?

「水戸黄門」と「忠臣蔵」の「同世代」は。。。?
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