日経の今朝刊(1/4)に『足りない時代』の連載として、『「旧素材」に思わぬ重要』という記事が出ていた。
新しい技術や装置の伸張、今回の記事では電気自動車EVの伸びが鉄筋メーカーへ影響を及ぼしており、有機ELの新規展開では、日本から消え去った旧来型フラッシュメモリNORも足りないとの事である。
正月早々ここ数年の日本を占う重要な課題での報道と感心しているが、今後さらに細かい問題点、課題事項と今後のあるべき姿が明確になってくる事を期待している。
このブログでも新たな技術の伸張の中で必要となる素材については、『風や桶や』位の技術背景で物事を考える必要があるのではと、金の推移記事を元に書いた事があり、もう一つは、新たな材料を取り入れた時、たとえばLi-B展開でのリチュウムやコバルトなど、世界では採掘できる場所が限られており、地球的規模で素材の取り扱いを考える必要があるのではとも書いたが、今、なぜ『旧素材』の需要でこのような事が起きるのであろうか。
いくつかの原因が考えられるが、最も大きい要因として、今、日本は『創造力』の衰退し、技術への『思い』が少なくなったのではと思う所がある。
『創造力』については、これもこのブログでよく書いてきた事であるが、『ドラエえもん』『鉄腕アトム』などの漫画で、『こんなもの』があったら』。便利になるよ。楽になるよ・・と思いめぐらし、新しい世界を切り開き、夢を実現させる思いと行動をする事かと思う。昨今の日本の技術開発を見ていると、この思いはどうであろうか。
ハイブリッド車ではトヨタ、ホンダが技術開発で競争をする中で、世界的にはガラパゴス化だったかもしれないが、素晴らしい技術を生み出し、新たな車を展開させ、これこそ技術者が夢を追いかけた『創造力』の賜物と言えるが、ヨーロッパでの電気自動車(EV) 化の号砲と共に、日本の各自動車メーカーも横での協力や先行メーカーへの迎合などで一気に追いつこうとする気配となり、この『想像力』という点で本当に大丈夫なのだろうか。中国などが先行する、単なる部品の組み合わせでの車となってしまう可能性があるのでは。
このように夢を追い求めない技術開発だと、全体や周りをみる事が出来ない事となり、いざ生産開始という事になると、部品が出来ない。十分に供給が追いつかない。さらには、もう部品は作っていなかった。・・などの事態が起こる事も想定され、せめて原理原則に基づいた源流への調査を進める事が、創造力の一つの大きな役割なのかもしれない。
『これどうなってんの』、『この部品の役目は』『変わるものは』と常に考え、代替策を考えるのも『創造性』かと考える。今の若い技術者は組み合わせる技術は優れているが、一つ部品が欠けた時に、代替策を考えだすひらめきを持つ事も必要かとも思う。
これの思いが『創造力』であり、今若い人たちへこの考え方が伝承できず、少し推定し始めているのが気になるところである。この考えがきっちりできれば、自ら考えだし、危機への備えが出来、真のBCPとなり、強い企業となれるかとも考える。
話は少し横へそれるが、つい最近NHKの『町工場の娘』という番組をやっており、日経オンラインでも原作者が紹介されているが、今の若い技術者の方が「ゲージ」という言葉も知らないという事にも驚いた。
前カラムで書いた『原理原則に基づいた源流への調査』という点で、『旧素材』もそうであるが『旧技術』も不足しており、これらも新しい電子機器の伸張の妨げになっている可能性もあるのでは。
昔大阪の八尾の鉄工場の方と話をした事があるが、液晶テレビを裏から止めるねじは『あの重さを支えるににどんだけ苦労して作ったんか知っとるか』、『頭の大きさ、ねじの長さ、タッピングでの打ち込みやすさなどちゃんと設計されたものをわいらが精度よく作ったから薄型テレビがでけたんや』と自慢されていたが、まさしくこの技術が無くなってしまうと、軽薄短小の電子機器は出来ないかもしれない。ましてやこのベースとなるゲージがなくなると厳しくなる。今は精度良く削れる機器はあるが、どうなのだろうか・・
二点目の技術への『思い』につては、今までの
この日経記事に書かれていた『旧来型フラッシュメモリNOR』の不足については、昨年の5月6月頃に価格高騰の記事が出ており、EVや自動運転、さらにはAIロボットのメモリなどでの伸張かと見ていたが、これだけの危機となっているとは。
日本から半導体の生産がどんどん出て行ってしまい、昨年ゴタゴタした東芝のメモリー事業売却の話もあったが、スピードが早く価格競争も厳しい産業としては日本はもう復活できないかとも思え、お家騒動をしている中で韓国では新規に大型工場建設が始まり、またまた置いてきぼりを食う可能性も出てきている。
+++ 未完のまま