笠間図書館で行われている「笠間の歴史絵画展2」。
「紋三郎稲荷夢に立つ」海老沢 東丘 画
笠間稲荷神社の前身は、「胡桃下稲荷」という、胡桃の木の下にあった小さなほこら。
寛保二年(1743)、藩主・井上正賢(まさかた)が夢のお告げを受け、社地を寄進し、藩の祈願所としたことが、今日の笠間稲荷の始まりだとか。
「牧野貞喜の憐民の句」高崎 興 画
牧野笠間藩三代藩主・牧野貞喜(さだはる)の句集「菊畠」に収められた
「ふりむくは 泣く子の親か 田植え笠」
に基づく絵。
天明の飢饉で荒廃した農村の復興に取り組んだ、貞喜の憐民の句。
「笠間藩校『時習館』」村田 清 画
「時習館」には、吉田松陰も訪れたことがあるとか。
「咸臨丸と小野友五郎」市毛 淳二郎 画
咸臨丸の航海長は笠間藩士の小野友五郎。
「笠間藩士法窯の想像図」木村 武夫 画
江戸時代末の文久年間(1861~63)に、八代笠間藩主・牧野貞直は、六つの窯を藩の士法窯(しほうがま)に指定して保護・奨励した。絵は、その想像図。
「小山戦争出陣の図」木村 武夫 画
明治元年(1868)4月16日、小山における旧幕府軍との戦いで、500名中12人が死亡。
「明治天皇笠間行幸」田中 嘉三 画
明治天皇は、明治33年(1900)11月15日から18日まで、笠間に行幸。
「山麓公園と鐘楼」本郷 惇 画
昭和二十年代中ごろの山麓公園の風景。
「紋三郎稲荷夢に立つ」海老沢 東丘 画
笠間稲荷神社の前身は、「胡桃下稲荷」という、胡桃の木の下にあった小さなほこら。
寛保二年(1743)、藩主・井上正賢(まさかた)が夢のお告げを受け、社地を寄進し、藩の祈願所としたことが、今日の笠間稲荷の始まりだとか。
「牧野貞喜の憐民の句」高崎 興 画
牧野笠間藩三代藩主・牧野貞喜(さだはる)の句集「菊畠」に収められた
「ふりむくは 泣く子の親か 田植え笠」
に基づく絵。
天明の飢饉で荒廃した農村の復興に取り組んだ、貞喜の憐民の句。
「笠間藩校『時習館』」村田 清 画
「時習館」には、吉田松陰も訪れたことがあるとか。
「咸臨丸と小野友五郎」市毛 淳二郎 画
咸臨丸の航海長は笠間藩士の小野友五郎。
「笠間藩士法窯の想像図」木村 武夫 画
江戸時代末の文久年間(1861~63)に、八代笠間藩主・牧野貞直は、六つの窯を藩の士法窯(しほうがま)に指定して保護・奨励した。絵は、その想像図。
「小山戦争出陣の図」木村 武夫 画
明治元年(1868)4月16日、小山における旧幕府軍との戦いで、500名中12人が死亡。
「明治天皇笠間行幸」田中 嘉三 画
明治天皇は、明治33年(1900)11月15日から18日まで、笠間に行幸。
「山麓公園と鐘楼」本郷 惇 画
昭和二十年代中ごろの山麓公園の風景。
笠間市出身でいらっしゃるのですか?
佐白山周辺には、いくつか句碑があったと思いますが、実のところ、あまり詳しくありません(笑)
千人溜駐車場から、佐志能神社に至る途中に、「殿様」の句碑があったような?
麓の佐白山ろく公園の敷地内、笠間藩下屋敷跡から旧笠間美術館に登る途中にも、何かの句碑があったように記憶します。
今度、佐白山に行った時に、気を付けて見てみたいと思います。