バイクも仕事も走ります。

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ちまちました人にならないために 10

2022-06-15 21:45:27 | ひとりごと
東京での転所を半ば諦め、転所先を大阪で探すことにした。

果たして拾ってくれるところはあるのか。

年齢も高くなってきたので、不安がある。

勉強も進んでいない。

朝日新聞の土日の求人に募集がよくでるので、実家に、土日の朝日新聞買ってくれるように頼んだが、なかなか、話が通じない。

半月ほど経過してやっと理解してもらって、朝日新聞を郵送してくれて、募集のあったsところに応募した。

大阪の事務所に2つ試験を受けた。

一方は比較的小規模。他方は大手。当時は、いろんな雑誌に求人も出ていた。

あと数所履歴書送ったが、履歴書送り返された。

試験受けたところはいずれも合格。

大手のほうは、試験のあと、その日のうちに飛行機に乗って東京へ。

実家に居ない間に合否通知があったらいけないので、自分のほうから電話をかけて聞いた。

あまりそういう人いないだろうが、不在だったし。

合格だった。

バイオ・化学が得意な事務所だったので、ようやく自分の専門分野に取り組める。試験勉強もより能率的になるだろう。

東京に戻ったのは、見切りで和歌山に帰ってくるため荷物等はそのままだった。本格的に荷造りして和歌山に帰る。

憂鬱な気持ちはなく、移り先が決まっての、東京撤退だったので、意気揚々としたものだった。

数日で荷物をまとめて和歌山に帰ってきた。

帰ったら、なにやら、大学の研究室から、ポスドクのMさんの、なにやらの祝賀会やると、の通知の葉書があった。当日だった。

大阪の大手の事務所に移ったので、特に、恥ずかしくないかな、ということと、懐かしくて、電話で当日連絡した。

電話でK先生が受けてくれた。歓迎されるみたいだったので、急遽参加。

すでに博士卒から3年経過の同級のKさんもいて、懐かしい顔合わせだった。

同じく、Mさんのグループに属していたBさんもいた。

Bさんのことはすっかり記憶から薄れていたが、顔を合わせると、やっぱり、気まずい思いもある。

Kさんに、Bさんを紹介される、という変な挨拶。覚えているけど・・・話はしたくな関係にはあったので、変な間がある。

Bさんも会社をやめて、薬局関係に行くとかなんとか。自分の未来には関係ないことなんで、こちらからさらに聞くことはなかった。

そんなこんながあった後、5月ころから、大阪の事務所に勤務。

3ヶ月弱の失業期間となった。

失業手当、若干もらう。

お金もなかったので、しばらく、和歌山から通勤。

バイクで、阪和線の駅に行って、そこから京橋まで。

紀州路快速は当時からあって、直で京橋まで行けたので、楽だった。早朝出発だったこともあって、余裕で座れてたし。

事務所の初日。

全体ミーティングがあった。

所長はいない。

変なミーティングやな。

自分の所属先は告げられていない。

5月の入所やというのに、新入りが大勢いる。

皆の前にずらっと並んで、ひとりずつ紹介される。

●●君です。化学グループのRさんのところに所属になります。

等と順番に紹介されている。

自分の番になった。

近藤君です。電子情報グループの所属になります。

耳を疑った。嘘や・・・

鏡はなかったが、変な顔してたと思う。

真偽を問うべき所長もいない。

初日から辞めるわけにもいかんし。

初日から2、3件渡された。電気会社

知らない会社ではなく、誰でも知ってる会社の案件。

内容が面白かったので、頑張ってやろう、かなと、切り替える。

次の日 所長が来た。

英語の成績が悪かったので、電子情報の国内グループに回したとのこと。ただ、電子グループに所属したままで化学関係もやっていい、とのこと。

めっちゃ恵まれている環境に感謝である。

ただ、二刀流はさすがにしんどかろうと思ったので、しばらくは、国内出願専門で行くことにした。こちらの師匠に当たる上司の作る文が秀逸だったので、まずは、この人のレベルを目指すことにした。

グループ内に新人に近い人が多いが、皆、そこそこ年齢に行っている人たち。みんな、英語、あかんかったんやな、、などと想像した。





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