1998年の私はハーフで「サブ90」を達成し、フルでも3時間30分台まで記録を更新と「マラソンバカ」人生の中でも一番の成長期を迎えていました。
そして次なる目標はフルで「サブ3.5」の達成、そして当時最大の師匠でありライバルとなっていた「第3の師匠からの勝利」となっていました!
しかし、目標はそうは簡単には達成できないのでした・・・。
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1999年当時、私は11月のつくばマラソ . . . 本文を読む
1997年11月のつくばマラソンで劇的なサブフォーによってついに初マラソンを完走した私はいよいよ本格的にフルへと参戦していくようになりました!
一方で翌98年はハーフでもさらに記録を更新していくのでした!!
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1998年は私にとって(タイム面での記録を目指していた時代の)ランナーとして「最も成長した1年」だったのかな…、と思っています。
まさに私にとっては“猪木時代の新日本プロレ . . . 本文を読む
1997年からの私は本格的に記録への欲を出し始め、師匠越えへの世代闘争にも挑むことになりましたが…。
もう一つ、いよいよ大きな挑戦を迎えることになりました!
いまでは「フルマラソン完走100回」などとマラソンバカ満載の目標を掲げている私でも、実はランナーとしてのデビュー戦から初フルマラソンまでには5年以上を要してしまいましたが…。(ということで本「ランナー履歴書」でもやっとフルが登場です!) . . . 本文を読む
前回までは「ランナー創設期編」として1992〜96年を振り返ってきましたが…。
1997年は私にとってランナーとして転換期を迎えます。この時期はいよいよ本格的に記録への挑戦を意識した時期となり、先輩からの「師匠越え」、すなわち「世代闘争」を挑んだ時期ともなりました!
(世代闘争なんて「アントニオ猪木対長州力」のようですが…(笑))
そして・・・
いよいよフルマラソンが登場です!!
という . . . 本文を読む
1995年の東京シティハーフは右膝故障の中でなんとか完走することができたのですが…。
翌96年秋、再び右膝故障に見舞われランナー人生初の関門リタイアも経験するのでした・・・。
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1996年は私のランナー人生の中で新たな活動の場ができました。
会社内でランニングクラブを創設したのです!
私は最若手としてクラブ発足の旗振り役となり、4月にメンバー12名により正式に発足したのでした。 . . . 本文を読む
目標としてきた1995年の東京シティハーフマラソン。楽しみに練習にも気合いを入れてきたのですが…。
まさかの右膝故障によりピンチを迎えたのでした・・・。
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前週に開催された千葉マリンマラソンも膝の激痛でボロボロとなり、楽しみにしてきた東京シティハーフは大きな不安の中で迎えてしまいました。
当日は少しでも痛みを緩和するためにサポーターも着用して出場しました。
この東京シティハ . . . 本文を読む
2年連続で30kmで大撃沈したランナー創成期の私はフルマラソンへ挑戦することはなく、ハーフを主戦場としていくのですが…。
そんな中、新たな目標ができるのでした…。
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1994年は私にとって新たなランニング仲間も増えて走ることがさらに楽しくなってきた時期でした。
この時期には2人目の師匠といえる先輩が職場に転勤してきて、ランナーとしても大先輩(大学では陸上部出身)となるこの方にはト . . . 本文を読む
無謀なる30kmレースで最下位になった私は「マラソンの素質はない」と思いつつ、次なる目標として当時(90年代前半)の市民マラソンで主流種目であった20km、ハーフへと挑戦していくのでした!
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1993年当時は市民ランナー自体の人口もまだまだ少なく、フルマラソンもなかなか手が届かない(そもそも大会数も少なかった)時代であり、市民マラソン大会は20kmやハーフマラソンが花形種目であり . . . 本文を読む
8kmをボロボロになりながらのほろ苦デビュー戦であったもののようやく「ランナー」としての第一歩を歩み出した私。
この後は本格的にレースへと参加をし始めて行くのですが…。
今回からは「ランナー創成期」について何回かに分けて振り返っていきたいと思います。
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多摩川堤健康マラソン(8km)でデビュー戦を終えた私には、ある変化が起きていました!
デビュー戦では8kmという距離で半分歩く . . . 本文を読む
1991年〜92年の年末年始にかけてなんだかんだ三日坊主にはならず走り始めた私。
そんな私に初めて訪れた転換期、それが大会デビューでした!
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きっかけは1992年3月のことです。
この月、職場にマラソンを趣味にしていた先輩が転勤してきたのです。
この方は私にとって最初の「師匠」といえる方になりました。
この先輩から突如、ある紙を一枚渡されました…。
表紙の写真である「多摩川堤健 . . . 本文を読む