2年連続で30kmで大撃沈したランナー創成期の私はフルマラソンへ挑戦することはなく、ハーフを主戦場としていくのですが…。
そんな中、新たな目標ができるのでした…。
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1994年は私にとって新たなランニング仲間も増えて走ることがさらに楽しくなってきた時期でした。
この時期には2人目の師匠といえる先輩が職場に転勤してきて、ランナーとしても大先輩(大学では陸上部出身)となるこの方にはトレーニング方法やフォームの改善、さらにはランナーとしての心得みたいなものまで教わりました。
同年9月にはこの先輩や同期と一緒に初めて「全日本市民駅伝」という立川の昭和記念公園を走る駅伝大会にも出場し、私もようやく本格的にランナーらしくなってきた時期となりました。
そんな中、ハーフを主戦場としていた私に新たな目標ができました。
それは「東京シティハーフマラソン」。現在の東京マラソンの実質的な前身大会であり、ハーフで東京都民限定とはいえ当時としては画期的な大都市市民レースだったのです。世界のトップランナーも多数出場し、テレビ全国生中継もある当時の「ハーフ日本最高峰」ともいえる大会でした!
私もハーフをすでに10回近く完走しており、この東京シティハーフマラソンに憧れるようになった訳です!!
そして2度目の抽選応募で初当選!
俄然、練習にも力が入っていきました!!
その練習成果もあり同年12月の小川和紙マラソン(ハーフ)では一気に1時間31分まで記録も更新!
この勢いで東京シティハーフでは
「一気に90分切りを目指すぞ!!」
と気合いも入っていたのですが・・・
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小川和紙から2日後の昼休み練習中、なんと突如右膝が激痛に襲われ全く走れなくなってしまったのです。
どうやらアップダウンが多い小川和紙のコースを勢い任せでガンガン飛ばして走ったことで膝を故障してしまったようです…。
階段昇降すらままならず、まさかこのまま走れなくなってしまうのではないか???とすごく不安になってしまいました・・・。
当時はインターネットも普及してなく(情報源はランナーズ誌に限られる時代)病名も分からなかったのですが…。
実は現在では「チョーケイ」とか「初心者病」と呼ばれるほど一般的に知られており、走り始めて2〜3年くらいの初心者の方の多くが一度は経験する「腸脛靭帯炎損傷」だったのでした。
翌95年に入っても症状が全く良くならず、東京シティハーフの1週間前に強行出場した千葉マリンマラソン(ハーフ)も痛みで半分は歩くという散々な結果となってしまいタイムも1時間50分以上かかってしまったことで、制限時間が1時間57分だった本番に向けて不安は一気に高まってしまうのでした…。
(続く)
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