「成人」ランナー“フル完走112回”ひで会長の日記

フルマラソン完走112回まで到達! ランナー生活32年、ランナーズマイスターのシン・ランニングクラブ会長マラソン日記

私のランナー履歴書 15 「クラブ主軸・安定期編(2) 新たなパートナーとのレース出場時代、“勝田遠征”も定例化!」

2018年09月15日 | 私のランナー履歴書


2000年にクラブのエース兼運営代表という主軸の立場となった私は2001年には制限時間4時間の大田原へ初挑戦しましたが、2002年には私が初めて指導してきたクラブの仲間が初マラソンにデビューし、その後は新たなパートナーとして常に共にレース出場するようになっていきました。





2002年になるとクラブにとって、そして私にとってもまた新たな時代を迎えていきます。
2000年にランニングを始め(レースにも同年に10kmでデビュー)、クラブに加わった新たなメンバーが初フルマラソンに挑戦したのです。この新メンバーは私が指導した初めてのメンバーにもなりました。ちなみに私よりも年上の方です(笑)

この方の初フルは私と同じく11月のつくばマラソンです。
4時間20分台で完走!

ちなみにこの方(故障が原因で現在は残念ながらランニングからは離れてしまった)にとっては結果的にこれが自己ベストタイムに…。

以降、私はこの方がパートナーとなり一緒に(フル、ハーフを問わず)レースへ出場していくようになります。

特に毎年2月の勝田マラソン(当時は2月に開催されていました)には水戸に前泊しての出場。
前日の偕楽園観光からの“あんこう鍋前夜祭”は良かったですね〜。あ、行きの常磐線からすでに缶ビールが投入されていたのは言うまでもありません!(笑)
(結果的にこの当時の勝田遠征は現在の私の「旅フル(フルマラソンと旅行を兼ねる)」路線の基礎となっているのかと思います…)

この頃の私はフルマラソンを3時間30〜40分台(たまに不調な時やアクシデントにより4時間越えもありましたが…)、ハーフは1時間30分台と良くも悪くも記録は安定していましたね…。(なので実はこの「ランニング履歴書」に書くネタも少ない時期なのですよ・・・(苦笑))

フルマラソンはつくば、勝田、荒川市民(現板橋City)の3本を基本として、プラスアルファでかすみがうらが入るか・・・?のようなパターンが定着していた時代でした。
(2003〜04年のシーズンはインフルエンザによりつくばをDNS、勝田もエントリーできず荒川、かすみがうらの2本だけでしたが…)

ハーフだと秋はタートル、手賀沼または成田POP、冬から春は千葉マリン、浦安ハーフあたりがフルマラソン前の調整レースとして定着化していました。





さて、この頃はクラブにとっても私とパートナーの“2頭体制”と呼ばれ、レースでも主軸となるのですが(というかほとんど2人しか出ていなかった!(笑) 少なくともフルに出場していたのは2人だけに…)、もう一つの“活動の軸”ができた時期でもありました。
徹夜富士登山に始まった登山活動でした・・・
(続く)


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