「成人」ランナー“フル完走112回”ひで会長の日記

フルマラソン完走112回まで到達! ランナー生活32年、ランナーズマイスターのシン・ランニングクラブ会長マラソン日記

私の草創期 最終回 ランナーとして認められるまで

2012年06月01日 | マラソン(ミニシリーズ、過去の記事)
一昨日はクラブ期待のスーパールーキーについて述べましたが、そうそう自分の草創期はどうだったの?、前回30kmでの洗礼編から更新されていないということで久々に続き(最終回)を書いてみたいと思います。

私にも当然の事ながら初ハーフマラソンというものがありました。30kmの洗礼から4ヶ月後、1993年(!)5月のことです。
場所は厚木基地です。当時は「まほろば国際マラソン」という大会が開催されていたのです。ちなみにこの大会も私にとっては思い出の大会のひとつであり、98年大会ではハーフの自己ベスト(1時間27分)を出しております。基地内だけありコースが平坦で広々しており走り易かったのですね。

私はこのちょっと前には神奈川マラソンに出場して当時は主流の20kmを歩かず完走。しばらくはハーフ、20kmを中心に走ろうと思っていたところでした。

このまほろば国際の出場者は1000名くらいであり、現在ではせいぜい中規模大会といった感じですが当時としてはかなり大きい大会でした。なお、大会名は国際マラソンとはなっていますが別にエリート大会だった訳ではありません(笑)

さて、レースの方は1時間43分台で完走しました。なお、このタイムは当然グロスタイムです。当時、ネット計測など技術もありませんでした(笑)つまり何分ロスしようが関係なし、気にもしない時代でした。

思い存分走り切り、ハーフは距離的にも一番楽しい種目だと思いましたね。そして、ハーフ第2戦は同年10月、浦安ハーフ(当時は10月開催)で1時間45分、12月の小川和紙(第1回大会)にで1時間41分で完走。そして翌94年2月の熊谷さくらマラソンで初サブ100を達成したのでした。

何はさておき、私もこうして本格的にハーフを中心にレースを走るようになり、ランナーとして本腰を入れて走るようになったといえます。周りの先輩ランナーからもいよいよ「ランナー」として認められるようになったのでした…。

以上、クラブが創設される2年前の私の草創期時代でした。
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