「成人」ランナー“フル完走112回”ひで会長の日記

フルマラソン完走112回まで到達! ランナー生活32年、ランナーズマイスターのシン・ランニングクラブ会長マラソン日記

伝説の最強レスラー ジャンボ鶴田!

2015年05月13日 | その他


すみません、今日はマラソンネタから少し離れます。

今日は5月13日。元プロレスラー・ジャンボ鶴田さんの命日となります。
あれから15年か…、月日が経つのは早いな・・・。

私、特に80年代後半~90年代前半(マラソンを始める以前)はプロレスファンだったのですが、その中でも鶴田選手の大ファンでした。
ただし、団体としては鶴田選手や馬場選手率いる全日本だけでなく猪木選手率いる新日本も好きでしたが…。

当時は特に天龍選手との「鶴龍対決」が盛り上がっていましたね。私もまだゴールデンタイムで放送されていたテレビ中継に釘付けでした!
私生活でも高校時代は「鶴田派」の私と「天龍派」の親友(いまでもたまに飲む)とで「鶴龍」並みの人生観、価値観をぶつけ合うライバル抗争も演じていました。

さて、当時は人気面ではどうしても怪物エース・鶴田選手に挑む天龍選手や三沢選手の方が勝っていた部分もありましたが、それだけ強さが突出していた裏返しだったのだと思います。
それでも天龍選手が全日本を離脱する前後からは鶴田人気爆発!となり現在でも「伝説のレスラー」として語り継がれております。

92年に病により残念ながら第一線から離れましたが、もしあのまま第一線を張り続けられていたら…。
もちろんあと10年は「日本のエース」であり続けていたでしょうし、対藤波、対前田、対ホーガン…の「夢の対決」も実現していたかもしれません。
業界としてのプロレス界もいまとは違った形となっていたでしょうね…。

私も鶴田選手から影響を受けた部分がありました。
鶴田選手は94年から筑波大学の大学院に入学して社会人学生になったのですが、私が96年に大学(夜間部)に入学して社会人学生になったのもその影響が大きかったですね。
マラソンについても単に記録だけでなく当時の「クラブのエース」だった先輩に挑んでいた時期でしたが、そういう意識が芽生えたのも鶴田選手の「エースとしての心得」みたいなものが影響していたのだと思います。

ちなみに私が選ぶ鶴田選手の3大ベストマッチは、

1.1988年4月 仙台での対ブロディ戦
試合的には3月の武道館でブロディ選手が勝った試合の方が有名ですが、そのブロディ選手からバックドロップホールドで完璧なフォール勝ち、見事にインター選手権を奪還。
インターネット速報もない時代、テレビ中継を見て興奮しました(笑)

2.1990年2月 東京ドームでの鶴田、谷津対木村、木戸戦
新日本のドーム大会に全日本の参加が急転直下で決定して実現した団体対抗戦(生観戦)。鶴田選手唯一の対外試合ともなった。鶴田組が圧勝。
試合内容というよりも何ともいえなかった「会場の雰囲気」(何周にも渡る試合前のウェーブ、爆発的な鶴田コールなど)が非常に印象強く選出。

3.1991年4月 日本武道館での対三沢戦
チャンピオンカーニバル優勝の勢いそのままに迎えた三沢選手との三冠選手権。鶴田選手の圧勝。
この試合は当時、鶴田選手が「完全無欠のエース」「怪物」と呼ばれていたことを象徴する圧巻ぶりでした。

あれ、鶴龍対決入っていないじゃない~!(笑)
いや、鶴龍対決はどれもレベルが高い名勝負で甲乙つけられませんでした!!

久しぶりに(ビデオで)ジャンボの試合、そして「オー!」が見たくなったぞ!!(笑)
 











コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東京マラソン 優先エントリ... | トップ | 長野燃え尽き症候群2015 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

その他」カテゴリの最新記事