おっぱいとわたし 2016.12.3右乳癌告知 HER2(3+)ホルモン陰性浸潤径1.5cmステージ1

告知時、37歳独身 卵子凍結済
時々糖質制限、栄養療法ネタあり😸

入院6日目:6月12日 大胸筋のドレーンも抜ける

2017年06月16日 19時12分08秒 | 入院
朝も洗面台で頭を洗う。
病室でもカツラをつけている方を見かけるが
私はひらきなおって、人が少ない時間帯にハゲをさらしてあたまを洗う。

たまに患者さんに見られちゃうけど、洗える方がすっきりしてきもちいいもの。

体重が1週間で1キロ増加。。。

カロリー計算された食事と規則正しい生活なのになぜっ。

形成で残りのドレーン(大胸筋)も抜いてもらう。
今日の先生は、前回より上手なのか?抜くとき痛くなかった。

形成外科より:1カ月はリハビリしないほうがいいといわれる
乳腺外科H先生:「ドレーン抜けるの早いね!傷は形成の先生しか見れないから、傷見てもらってOKでたら退院できるよ」

ドレーン抜けてスッキリ♡調子に乗って歩きすぎたら、傷が痛んだ。

ガーゼが濡れた感じがしたらナースさんに報告するとのこと(実際に塗れることはなかった)
口内炎が気になっていたところ、歯科検診がある。衛生士さんに相談するも、退院が近く、自宅にくすりがあるので、そのままようすみ。

尿導カテーテルを抜いた後、数日少しの出血が気になっていた。
すぐに報告すべきだったが、そういうものかなとおもい言わなかった。
今日ナースさんに言ったら、通常出血しないものだとか。。
ほんの少しのことなので、これも様子見。段々下着につかなくなる。


ロキソニン1日2回。

実は、前日から隣のベッドに重症悪阻で緊急入院した22歳の妊婦さんが入院。
結果的に、お互いいろんな話ができるまでに仲良くなったのだが
それがわかったとき、私は自分の心の態勢を整えるため
しばらく病室から離れて、努力をしなければならなかった。
心が傷つかないように、自分自身に言い聞かせる努力。
それは、心身ともに不安定な術後の私にとって、とても懸命に行わなければならなった。

そして後日、新規入院のお向かいのベッドの方は乳癌再発で緩和ケアを受ける方。

隣の妊婦さんは昼夜問わず吐いているし、事情もあり、この方のお母さんはあまり周囲を気にしない方。。。(私の病名を知っているのですが、麻央さん大変ねとさらっと言われる)

緩和ケアを受けられる方は、すぐに部屋移動をされました。

この配置はもう少し配慮がほしかった。。

妊婦さんは妊婦さんで病室を固めてほしいし
乳癌手術を終えたばかりの私にとって、再発緩和ケアを受けられる方のお話は
身につまされる思いである。

誰も悪くないし
仕方ないし
被害者ではないけれど

どうにかしようとすれば
どうにかできたと思うのである。。。。

入院5日目:6月11日ブレストバンドをつける

2017年06月16日 18時55分23秒 | 入院
昨夜、眠れず。

起床後、自主的に歩く。
昨日より身体が楽だ。うれしい。

起床前に今後の仕事の候補を考える。

人の役に立てて、自分にもできそうな仕事

・声をかけていただいている米ぬか店で働く
・ワコールで働く
・カツラ関係の仕事
・病院受け付け
・ヘルパーの資格をとる

なんの取り柄もなく、元気なのが取り柄だったけど、それも今はないから、本当に今後どうしよう。やりがいのある仕事がしたい。

今日も形成受診。
先生がブレストバンドをつけてくれる。
きつめにまかないとダメなんだって。

きつくて、しんどいなー。
健康な胸がつぶれそうで心配。

でも、エキスパンダーが上に上がらないように抑えるため、これは必要なもの。


同室の方が、それぞれ術後回復してきたため(私も含め!)

女性同士、お話の花が咲く。

40代保育士さん
60代のお母さん
30代の私

とても気があって、それぞれの人生の深いところまで語り合う。
楽しかったし、誰も何もなくして生きている人はいないとわかる。

もうひと山、登りきってあと少し 
もう少し
頑張ろう。

よく頑張った。

追記:シャワー洗面台に頭を突っ込んで洗っていたら、面会に来た60代位の女性にじっと見られていた。
患者さんに見られるのは気にならないけど、面会者に見られるのは、嫌なものだ。

健康な人が、高みに登ったところから、のぞいているような、嫌悪感がある。
もしかしたら、これは、自分も健康だったとき(健康だと信じてた時)無自覚に
こういった視線を送っていたのかもしれない。
例えば
電車の中や学校やいろんなところで・・・。

もっと今より若く、健康で、世界に不幸や病気があることが
別世界だったころ。

自分の周りは、笑顔と面白いこと、可能性や興味深い経験にあふれていたあの頃。

世界の主人公は、自分ただ一人だとしんじてうたがわなかったあのころ。

いまでも私は私の人生の主人公だ。

でも、それは、みんなそうなのだ。

みんなが主人公なのだ。

自分以外はわき役のような、尊大な感覚は
若く美しいあの頃の時代、皆一通り経験するものだろう。

そして、ありがとうと言われる立場から
ありがとうと言い続ける立場になったときの、ふがいなさよ。

健康のありがたみよ。

シンプルに身体と心をもっといたわろうと思う。

すべての経験が、私の血肉となり栄養分になって
隅々まで行き渡りますように。


入院4日目:脇のドレーンが抜ける

2017年06月16日 18時33分39秒 | 入院
6月10日

主治医はリハビリを推奨。
形成チームはエキスパンダーが動くからNGと。
形成の先生が傷をみて、脇のドレーンを抜く。
ドレーンが2個から1個に減って、少しうれしい。
抜いた当日は、すこし、痛い・・・。

この日もロキソニンを1日3回。
別にロキソニンを飲まなくても、過ごせるレベルなのだけど
飲んだほうが、気分が楽なので、飲む。

まだリハビリはしないことにする。

私の病棟は婦人病棟なので、同室の方は私以外は婦人科の病気の人。
悪性の人もいれば、良性の人もいる。
良性の人は、着たかと思えば、すぐ退院で、その後も新しい方が入院してベッドが空くことはない。病気の人がいかに多いか・・・。

その日入院した方は、悪性か良性か境界とのこと。
局所麻酔で、円錐状にレーザーで切り取る手術だとか。
でも、早くわかってよかったねと、同室の人それぞれがいうが
ご本人は、いろいろ不安なのだろう
「でも、どうなるかわからない」
「病院の説明が不足して、パジャマの枚数が足りない」
「何日入院かはっきり言ってくれないから、嫁としての立場が~」
とか、いろいろまくしたてていた

術後間もない時期だったので、あまり内容は覚えてない。
タダ、子供が来て、大声で(術後だったからそう感じた)騒いでたのがきつかった。

よろよろとあるく練習をして帰ってきた私に挨拶をしてくださったのだが
ずっと立った状態で、彼女の病気発見の経緯と病院や義実家の文句を聞かされて閉口した・・

こちとら、術後なんだぜ。早く見つかったのがうらやましいぜ。家族がいてうらやましいぜ。
なんだか、悲劇のヒロインぶるなや。。。
と内心思うが、苦笑いの笑顔を、顔に貼りつかせたまま、うなづくしかできない。

理髪店を営んでいると聞いて、やや驚いた。。。。接客業なんだね。。。としか思えない。

こんないじけた気持ちになるのは、私が今しんどいからかしら。。。

女の嫉妬ってこういう感情なのかもしれないなぁ。私、人生はつの嫉妬を感じる。

1泊2日で退院した彼女から、「ママ友用に用意したメモなんだけど」と連絡先のメモやら
娘の情報や店の情報を書いたメモを渡された。

きっと妊婦さんがいる病棟に入院するつもりだったのだろう。

渡されたけど、きっと私は連絡を取らないだろう。

ママ友用かぁ・・・。最後まで気が付かない人だなぁ。と感じるのみであった。



15時半ごろ
両親とあねの家族がお見舞いに来る。姪が手紙を書いてきてくれた。

16時半
オペ後、初めての下半身シャワー。
おへそに血が固まってついてた。
手術したんだなぁ。
エキスパンダーの右胸と対面(まだガーゼで覆われている)
あらら意外と平ら。。。
まだ注水していなかから(これも人による。同日オペの方はすでに60ml入れてる。私は傷が開かないように、水を入れるのは6月15日は初めてとなる。この日60ml入れた)

意外と冷静に見ることができた。

この先の人生どうしようとはおもった。
あぁ結婚したい。
仕事どうしようかなぁという類の思案である。

眠剤を飲んで休むが、眠れなかった。

入院3日目:6月9日

2017年06月16日 18時27分30秒 | 入院
術後翌朝・・・。

痛みや同室の人のいびきで眠れなかったが、もう離床のOK指示がでる。
H先生より「2,3日でだいぶ楽になるからね」と。

形成の先生が、来て下さる。本当は自分から形成病棟の外来に出向くスタイルなのだが
まだ離床できてなかったので、先生が往診?に来た。

その後、放射線の先生がレントゲンを撮りに来た。(ベッドに寝たまま・・・)

この日の朝食から退院まで、食事はいつも完食!!!
すごいものである。。。。

ナースさんに付き添われて、歩く練習。
よろよろ、よぼよぼ・・・身体が歩き方を忘れている。
身体の動かし方を忘れている。
こわごわ・・・そっと。

その後身体を拭いてもらい、洗髪してもらう。
あぁうれしい。

微熱が出る。
ロキソニンは1日3回程度。
眠剤を飲んで寝る。

入院2日目:手術日 6月8日

2017年06月16日 17時56分54秒 | 入院
私は朝9時のその日一番のオペです。

右胸全摘&エキスパンダー挿入
リンパは触らず(センチネルリンパ生検済みなので)
オペ時間は2時間もかからなかったです。


朝、乳腺外科チームが来て挨拶。
教授が「こんさん。乳腺外科の教授の○○です」とあいさつ。
元上司のU名誉教授が、私のことを電話で教授に頼んでくれているから、
きっといろんな意味を込めて、この挨拶をしてくださったように感じた。
(あくまで、感じただけ)

白い巨塔みたいな教授御一行様は今回限りで、その後は主治医や若手Drが
合間を見て、最低一人1回は顔を出す。という感じだった。
まぁ全員集まっても5人くらいの小さい医局。。。いわゆる教授回診みたいな感じではありませぬ(笑)

朝一の体温:35.2度。不眠だと体温さがるなぁ。
血圧:上が133と人生で初めて見る高値。身体も正直に緊張しているのだ。

いろいろ準備が整い、8時半には家族も来て、付き添いのNsさんと共にオペ室へ歩いて向かう。

私は6番の部屋。

直前・・・帝王切開で生まれた赤ちゃんの産声が!感動や~~~。

6番の部屋では、研修医や乳腺外科H先生が出迎えてくれる。
そして遅れて主治医が到着。
麻酔の針、痛いって聞いてたけど、痛かった。

はぁでも、麻酔がなかったら、私はこんな大手術に耐えれん。。。。

花岡 青州に感謝せなあかん。感謝してもしきれんな・・・。

全部、わるいものOP室においていってやる~と考えているうちに
麻酔が効いてくる・・・・・。









なにか、夢を見ていたと記憶しています。

遠くで誰かが呼ぶ声がする。


目を覚ますと、目の前に男の人

(あ、麻酔科の先生なんだな・・・)

言われるままに、深呼吸。。。

後ろに主治医「きちっと挿入できたからね」(エキスパンダーの位置のことだな)

自分の頭方向にH先生「今11時。2時間もかからなかったよ」

※予定3、4時間の手術だったから早い。


「い・・・痛い」

麻酔が覚めた直後から痛いのは、想定外だった。

H先生の付き添いで病棟に戻る。

H先生がNSさんに「13時にスイカで水分」と指示しているのが聞こえる。(

(スイカ、楽しみ~)と思った。
※だが実際はスイカもらえず、持参のお茶を飲まされて、がっかり。。。。

ベッドを移動する振動で気持ち悪くなる。

「先生、気持ち悪い~」

確か、H先生が「プリンぺランと沈痛注射」の指示を出したと思う(違うかもしれん)

ただただ、じっとする・・・。
夜、少し発熱。
同室のひとの寝息といびきと、向かいのベッドの人が使用する、エコノミー症候群予防のマッサージ機のおとで眠れなかった。


手術の痛みはどうだった?

キリキリとした痛みはありますが、じっとしていれば我慢できる程度です。
鎮痛剤(ロキソニン)で十分対応できる痛みでした。

翌日から離床であるきはじめます。

術後2日もすれば、だいぶ身体はラクになります。
身体ってすごい!

マンモトーム生検の夜のほうが、よっぽどつらかった~~~(>_<)
ズキンズキンという痛みがあったから。
私は、脈打つ痛みに弱いらしい。

手術の痛みは、それがなかったので、思ったよりも随分楽でした。


夕食の時間
お粥と、普通のおかずが出たけど
右側の手術だったため、腕が痛くてお粥を10割食べて、体力消耗。
おかずは2割程度。。。お腹すいてたんだけどな。。。

両親が様子を見に来てくれたが、大きな声で話す母親と
直立不動で見ている父親に、内心いらつく(感謝できない私って(笑))

母がいきなり術側の身体を触るので、内心怒りで煮えくりかえる。

そういえば。痛くて声が出なかったな。今となっては忘れてたけど。
声が出ないからナースコールを押すのもあきらめて
ナースさんが見回りに来た時に、手を振って合図をだし
お茶を飲ませてもらったり、薬を飲ませてもらったり、氷枕をだしてもらったり
そんな感じでした。

あぁナースさんってすごい仕事だよ。白衣の天使ってほんとだよ。

術後の身体は何がどうなってた?

・点滴が付けられ
・尿道カテーテルがつけられ
・おむつをはかせられ
・ドレーンが2個ついてました

よく聞く、弾性ストッキングあるいは、足にマッサージ機をつけることもなく
私は足に何かをつけて拘束されるのが苦手だったので、覚悟してたのに
フリーだったので、助かった!

※同日入院、同日オペした人に聞いたら、その人は弾性ストッキングを購入し、はいていたそうです。血液検査の結果で先生が指示を出していると、後から看護師さんに聞きました。