おっぱいとわたし 2016.12.3右乳癌告知 HER2(3+)ホルモン陰性浸潤径1.5cmステージ1

告知時、37歳独身 卵子凍結済
時々糖質制限、栄養療法ネタあり😸

告知を受けて、卵子凍結の決意①

2017年05月18日 15時34分16秒 | 卵子凍結
少しずつ、少しずつになると思いますが、今日から卵子凍結への道のりについて
記事にまとめていこうと思います。

私がまだ闘病中なため、思い出しつつ時系列で、
まとまりもつかない部分も大いにあるかと思いますが
参考にしていただければ、と思います。

2016年12月3日に乳癌の告知を受けた私。

抗がん剤を使用する方針も決まりました。

医師から、抗がん剤で不妊になることについて、特に説明はなかったと思います。

が、私がたまたま医療系の職場で働いていた経緯もあり、
知識が全くないわけではなかったことから、「卵子凍結したい」という希望を
最初に伝えました。

この決断が正しかったか、私にはわかりません。

・治療が遅れること

※現実に、乳頭分泌液があった時点11月25日のしこり1.3mmが、抗がん剤投与開始時(1月25日)には1.5mm(少々隆起し石灰化もあり)と成っていました。
⇒なぜ2か月も期間があいたかというと、年末年始で凍結室のLABOの年1回の点検日にあたったため、12月後半は採卵ができない期間があったためでした。

あ、採卵により、抗がん剤投与が送れる人は、投与開始前にしこりの大きさをエコーで調べてもらった方がいいと思います!

私は、主治医にお願いして事前にエコーしてもらいました。
病院や主治医によると思いますが、
わざわざお願いしなかったら、多分やっていなかったと思います。

主治医も私に言われて「そうねぇ。2か月たってるし、やっとくかぁ」という感じでしたので。

この時点では、大したことないと私も主治医も思っていましたが、
最初のAC療法が効果を得られず、4回のうち2回の投与で終了。
ドセタキセルに変更する際には、腫瘍マーカーが倍増します。



・抗がん剤をするからだで、妊娠を望むことはいいこと?
・そもそもパートナーがいない
・年齢(37歳)の問題で、健康でも妊娠のラストチャンス。病気の治療でホルモン治療をするのならば、5年は服用⇒妊娠を望むなら、2年は服用して、いったんお休みして妊活するようにお話している。と主治医。

母親は治療が遅れることを懸念して、卵子凍結に反対でした。

「あんたが、長生きできるかわからないのに、子供を産まれても困る(母が、子育て代行したくない、できない)」

と言われました。

姉は「したいのであれば、やっておいた方がいい」

と言ってくれました。

どうして卵子凍結したかったのか?

「したいと思ったから」

そうとしか、当時の気持ちは説明できません。

ただ、普通に暮らしていて、結婚して、あぁ子供に恵まれないなぁ。というのと

いきなり「びょうきです 、不妊になります、 胸も全摘する予定です」

と言われて

何もかも、病気にいきなり奪われるなんて、到底受け入れられない!

そう思ったことを思い出します。

「卵子凍結したかった」

ただ、もう突き動かされるような想いでした。

結果的にいうと、

私は、卵巣予備能が低くて、既に不妊体質であり

排卵促進剤を打ちまくっても、2回の採卵で
「3個」の卵子を凍結。

思い通りにはいかないのが、不妊治療なんだと思いました。

3個の卵子に奇跡が起きるのか????
わかりませんが(その前に結婚したいですし)
ただ、

その時がきたら

抗がん剤を受ける前に、卵子凍結した、というのは

価値あることだと思っています。

人生、何があるかわからない

結婚したい人が現れて

その人の子供を授かりたい

そう心から望んだときに

凍結しておいてよかったと思うと思います。

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