まだ、書けそうもない
中2小学校六年生の時に、仲の良い友達と定期的に50円づつ積み立てをしました。五人くらいでやったと思います。
二千円くらいたまると、その仲間で釣りに行きました。そうやって、お互いのお小遣いを少しづつ貯めて、ある程度の金額になったら、いつもとちがう遊びをしました。勿論、平等に。
こんな遊びをしたい友達は他にもいました。でも、無理して50円を持ってきそうな子には、あえて誘いませんでした。
すると、その子は三つ歳上の中2に、〝あいつはみんなから金を集めて遊んでる〟って嘘をつきました。
ある日、その中2の連中とでくわして、私は呼ばれました。相手は私をしってますが、私は、その人たちを全く知りません。
4、5人だった中2は、あれよあれよと増えていきました。わたしを羽交い締めにして、お腹にパンチをしてきました。お腹に力を入れると全く痛くありません。中2のやつが拳を痛そうにしました。私へは、素手では効かないと悟り、ハイカットのスニーカーを中2達は脱ぎ始め、わたしの背中を殴りました。皮膚が破れ出血するまでスニカーの靴底で殴り続けました。
中2は13人だったようです。もっといたと思いますが。
家に帰ると、一番上の兄の前で倒れました。目の前が真っ暗になりました。
いつの間にか救急病院でベッドに寝てました。
校長先生も来ました。
警察沙汰にならないように両親はお願いされてました。
人が怖いです。育ちが悪いので、余計にヒトがこわいです。
男三人兄弟の三男で、親からの手伝いは自ずと私に下ってきました。
〝歳上には反抗するな〟といわれ、育ちました。
中学を卒業するまで、わたしの門限は決められていました。兄たちからも、その時間以降は外に出ないように、親のようにいわれてました。
それと、両親が夜に出かけると、母親は晩ご飯を作って出かけましたが、二人の兄に晩ご飯を装うのは私でした。
「おい、ご飯入れろ」と、言われてました。すぐ上の兄は、中学からタバコをしてたので、タバコを買いに行かされてました。
高校生になると、私が格闘技の部活に入り、筋骨隆々になると、すぐ上のの兄は、怖がり、何も言わなくなりました。
一度、喧嘩して、襟首を持って殴ろうとしましたが、長男に止められました。その後からすぐ上の兄は何も言わなくなりました。
二人の兄を殴って仕舞えばよかったと後悔しました。
そんな、末っ子は兄たちに逆らえないのが当たり前と思っていましたが、それは間違ってるというのは大人になって分かりました。
わたしには、長女と長男がいます。当たり前にそれぞれ個性があります。
二人を比較しないように接しました。
しかし、私の母親は、比較しないといいながら、〝お姉ちゃんは勉強頑張るのにね〟と言いました。わたしは、母親に、〝何、比較してるんだ〟って言いました。自己中な親です。
長女は高校を推薦で合格しました。勉強が好きのようでした。といくうか、〝分からないことを分かる〟喜びを教えました。国立大学へ進学しました。
長男は、野球が大好きでした。小学校から野球チームに入りました。おデブちゃんだったので持久走が苦手でした。監督さんに〝体力がないから頑張れ〟といわれたあそうで、〝おまえは、体重が重いんだから、軽い子に比べると遅くなるのは当たり前だ〟といって、自分が得意なことを聞きました。バッティングでした。毎日素振りを帰宅してもやってました。大学は野球推薦で入学しました。
私は、長女と長男に負けたと思い、それを素直に二人へ告げました。そしたら、彼等が疑問に思うことを気兼ねなく私に聞いてくるようになりました。
私は育ちが悪かったのですが、彼等は私よりは良い育ちを送れたかなって思います。
良かったです。
寒緋桜
自然はあまり変わってませんが
生活は変わってしまいましたねぇ
最近は、プリウスを見ると、プリウスが悪い訳ではないのですが、嫌だなぁって思ってしまいます。
偏見を持ってました。これは止めよ。