第弍什陸話 Psychopath
「こんにちは、ようこそ、当店の面接に来て下さってありがとうございます、キノシタです、宜しくお願い致します」
デリヘル店々長のキャスト希望者を面接する時のマニュアル通りの台詞である。
昼間、印刷会社の経理をしてるナギサは、真面目に仕事へ取り組んでいて、それに関しての評判は良いが職場での催し、例えば、歓送迎会や大口契約の納期を無事に終えた時の打ち上げ、忘年会等では目立たない存在だった。
顔立ちは良いが、他の女性社員より、化粧や服装が地味で、そういった場ではイジられることすら皆無だった。
何故、ナギサがそんな振る舞いをするのか、誰にもいえない理由があった。
小学五年生の頃に一回り以上歳上の従兄妹のハルオとその友人マサキに性的虐待を受けた。それを心の深層に閉じ込めて意識上で回想させないようにする防御反応が発動したのだ。
性被害を与えたハルオとマサキが『この事を誰かにいうと、お前自身が白い目で見られるし、俺はお前の未来を消し去ってやるかな、俺達の傍から離れられないようにしてやる』と、脅されたからだ。
その後、ナギサは必要最低限のこと以外、両親でさえ積極的に話しを交わすことがなくなった。思春期に入り大人しくなったと両親は捉えていた。
更には、その事件後、母が指導する体操教室へ通うことを徐々に減らしていき、三ヶ月後には辞めてしまった。
ナギサの体操の実力は同じ年齢の子らに比べ、抜きんでたものだった。各種大会では表彰台に立つ事が少なくなかったのだ。
しかしながら、体操を辞めるといった後に、躊躇なくナギサは、柔術の道場に通いたいと両親に訴えた。
「お母さん、いいでしょ、将来はレイナさんみたいに世界でも通用する格好いい女性になりたいの」
「何故、格闘技なの、場違いが過ぎない、続けられるかしら」
「そうだよ、ナギサが殴り合いをするなんて想像できないけど」
両親はナギサの真剣さに全否定することができないものの、体操を辞めて欲しくない気持ちが先行した。
「このまま体操を続けても世界では勝てないでしょ、だから、先ずは柔術を始めて、レスリングもやって、シュートボクシングだって興味あるし、なんていってもレイナさんが世界で活躍してるんだから」
ナギサの目は両親が困惑することさえ圧倒した。
「分かった、今は格闘に強い興味を持ってるみたいだな、やってみたらいい、それも良い経験になるさ、また、体操に戻りたいって思うことがあったら、父さんたちは喜んで受け入れるし、格闘技で素晴らしい人物になった暁には、素直に喜ぶよ、ずっとお前の味方だ、ずっと応援するさ」
父親はナギサの気持ちを受け入れた。
「母さん、ナギサは強い意志を持ってるんだ、二人で応援してやろうよ、見守ってやろうよ」
母親は焦燥感を完全に拭えなかったが、娘の意志を信じることにした。
両親とそのように真剣に話し合い、体操の道から格闘技への道へ乗り換えたのだった。しかしそれが、将来、復讐するための第一歩であることを露呈しないように凛とした姿勢を見せた。
体操で身につけた基礎体力と心に秘めた復讐心とが相まったのか、格闘技での各種大会でも表彰台に立ち続けられるようになった。
また、学校では多くの児童が運動場で球技や遊具で遊ぶ昼休みには、独り図書館に篭り小学生向けの解剖学の本や自家用車やオートバイ、飛行機等の作りを見ることができる本、花火の作り方の本等、女子児童が好まない本を読みあさっていた。
ナギサが六年生に進級する春、ハルオは大学を卒業し、遠方の会社へ就職が決まった。
「マサキ、これが俺の相棒だ、CBRさ、じゃあ、盆と正月は帰ってくるから、その時は一緒に呑もうぜ」
マサキに自分のバイクを自慢して、就職先の社員寮を目指し、二輪にまたがり出発した。
しかし、その途中、突然ガソリンタンクが爆発した。これは、ガソリンタンクとキャブレターを繋ぐパイプとエンジンのシリンダーの吸気弁側とキャブレーターを繋ぐパイプに針程の穴が無数も開けられ、バイクのエンジンをかけてスロットルを開く度に、その小さな無数の穴から少しづつガソリンが漏れ出した。動き続け熱を帯びたエンジンにまで達すると、漏れ出したガソリンに引火し、キャブレターを通して火の手が燃料タンクまで達し爆発したのだ。ナギサの計画通りに事は運んだ。益々、復讐心にも火がつき、マサキを殺めようとしたが、この街を出ていて、ナギサが追いかける術はなかった。
警察はこの爆発の仕組みを明らかにしたものの、エンジンとキャブレターを繋ぐパイプ類が整備不良によって、ガソリンが漏れる程、そのパイプ類が劣化し、引火した事故と判断した。
実際に、四〇〇シーシーの排気量があるバイクは車検が必要だ。しかし、そのバイクの車検証には、パイプ類の劣化の記録はなかった。すなわち、警察は誤った判断をしていたのだ。
ナギサが面接を受けたデリヘルの店長は単にナギサが金を稼ぎたい女性だと思い込んでいた。
「ええっと、ナギサさんは二七歳ですか、身分証明お持ちですか」
ナギサは運転免許証を財布から出し店長のキノシタへ渡した。
「確かに、確かに。日中は会社にお勤めなんですね。ダブルワーク大歓迎です。で、ご結婚は」
「未婚です」
ナギサには何の動揺もなかった
「はいはい、良いですね。見た目が大人しい献身的な人妻って感じで、それで売り出せますね、この業界、初めてですよね、いつから始めますか、とはいっても、初日は先ず、講習を受けて頂きます、勿論、女性が講師ですからね、講習を受けた日は、日当五千円差し上げますので、その後からは、あなたの頑張りで充分稼げると思いますよ」
キノシタは、ほぼマニュアル通りに話した。
「はい、では明日からでお願いします」
ナギサは余計なことはいわなかった。
翌日、ナギサは昼間の仕事を終えると、直ぐにデリヘルの事務所へ向かった。女性講師の講習を受け、それが終わると、店長室に連れられた。
「あっ、イクイナ先生お疲れさんです、ナギサさん、源氏名はスミレ、ミサキスミレにするからね、じゃあ、講習の成果を見せて下さい、私を相手にね」
講師のイクイナは素早く退室し、店長と二人きりになったナギサはこれを狙っていた。
店長のデスクの前で服を脱ぎだした。ベージュのブラジャーとショーツ姿になって、店長に笑顔を向けた。
それを見ると店長は気を良くして、椅子から立ち上がり、ナギサに近づいた。ナギサはそのままの姿で、ソファーにもたれ座り店長を誘うかのように両脚を広げ待ち構えた。
店長は両手をナギサの顔に向けて伸ばしながら中腰になって向かって来た。
ナギサの距離に入ると、素早く右手を取り、一気に三角絞めをかけて落とした。急いで店長を抱え、デスクの椅子に座らせ、傍にあるウイスキーのボトルの蓋を開け、口の中に注ぎボトルを突っ込んだ。
ウイスキーが喉に落ちていくと、同時に意識が戻った。ナギサは尽かさず口からウイスキー瓶を抜き取り、チョークスリーパーで再び失神させ、瓶を口に突っ込み、ウイスキーを喉に流し込んだ。意識は戻るも、フラフラである。体内で吸収したアルコールは一気に血流に乗って全身にいき渡った。
既に店長は動けない。ナギサは、自分のハンドバックから市販のタバコのフィルターとテキーラの小瓶を取り出した。店長のタバコにそのフィルターを嵌めて火を点け、フィルターを外し、一旦、灰皿に置いた。
ナギサは服を着て、そのタバコを店長の指で摘み、タバコ自体のフィルターに店長の唾液をつけ、机の上にある紙の書類にそのタバコを落とした。その書類が燃えやすいようにアルコール度数が高い、鞄から取り出したテキーラを染み込ませた。
その書類が燃え始めると、店長の袖からワイシャツ全体にテキーラをかけた。袖が燃え始めると、ナギサは店長室から出て行った。直ぐに火の粉は周り、店長室は煉獄と化した。
程なくして、消防車、救急車、パトカーが事務所周辺を囲んだ。店長室は真っ黒に焼け焦げ、独りの焼死体が発見された。
「アオキナギサさん、あなたはキノシタマサキさんとどんな関係ですか」
ナギサは警察の事情聴取を受けた。勿論、取調した刑事は女性だった。
「昨日、面接を受けて、今日は講習を受けました」
ナギサはそれだけの質問で帰れることになった。
キノシタマサキはナギサを虐待した従兄妹のハルオの友人、マサキだった。
ナギサは復讐を果たした。
ハルオのバイクに細工し、時間をかけてマサキをみつけ、復讐した。
しかしながら、ナギサが会社で目立たないこと、必要以上に他人に打ち解けないのは変わることはなかった。
終
第弍話 ピアノを聞く
「まだ、大丈夫かな」
影親は小さな声で、人との触れ合いが嬉しかった気持ちを安心感に替え、身体をポジティブに捉えたかった。
ピアノ演奏会の会場は三階までのエスカレーターが舞台から向かって右側にあり、それの反対側は階段になっていて、舞台の背面に屋上までのエレベーター二機に囲まれた待合わせ広場は、まだ誰も居なかった。一〇脚横並びになった大して座り心地が良さそうもない、ステンレス製の折り畳み椅子が四列あった。
影親は、四列目の右端から四番目の椅子に座り、演奏会まで後、二時間は待つ事を腕時計を見て確認すると、スマホを手に取り、Kindle を立ち上げた。日曜日に読み終えず寝落ちした重力に関する新書を読み始めた。
行動を伴う趣味は好まないものの、工業大学出であるのも相まって物理好きであった。長い空き時間が出来ると、こうやって物理学に関する読み物を読み耽るのであった。
そうしてると、開演三〇分前になっていた。
「もし、宜しければ前の席にお詰め頂けますか?」
係員が申し訳なさそうに声をかけてきた。腕時計を見て、周りを見渡し、三〇分前に気がつき、でも、このパイプ椅子には、影親を合わせて四人しかいなかった。係員の顔を覗き込むと、下手な作り笑いで、右手を舞台側に向けていた。
それを見て、これから演奏するピアニストは対して有名な人ではないのかと思い、だか、客が少人数だから、近くで聞いてあげた方がモチベーションも上がるかも知れないと考えながら立ち上がった。
「私、ピアノの演奏を生で見るなんて、高校の頃の音楽の授業以来なんですよ、どこから見たほうが楽しめる、というか、うん、楽しめますかね」
その係員に居酒屋やレストランでおすすめメニューを聞くような感覚で尋ねた。
「あっ、そうですね。私も実はピアノは、いや、音楽は専門外で、普段はヒーローショーなんで、あっ、鍵盤を叩く指が見やすいところが良いじゃないでしょうか、ピアノが上手い人は指捌きが凄いと思いますよ」
困った表情を見せ、適当に見繕ったことをいい、益々顔を歪めて係員は答えた。
「ほう、そうかも、指の動き、楽しめそうですね、分かりました。前へ移動します、ありがとうございます」
景親は大人な対応が出来たと自負した。
まだ演奏までは一五分くらいあった。スマホで時間を潰しても良かったが、ふと、ピアノそのものがどんな楽器だったのか考え始め、視線をピアノに向けた。
鍵盤を叩くとそれがピアノ線に当たって音が出る仕組みで、こんなものを作り出した人は誰なんだと思い、更によく見ると、どこにでもありそうなピアノではあるが、光沢があり普段から綺麗に手入れされてるのだろうと想像した。すっかり病院帰りであったことを忘れてた。
「あのう、もう一つ前でいかがですか、私が演奏します」
唐突に女性から声をかけられた。景親は驚いたが、とても嬉しく感じ、加えて、爽やかな香りが鼻を通り抜け、無言で笑顔を見せながら先頭の席に移動した。
その女性は、他の人達にも声をかけて回ったが、先頭の席まで詰めてくる人は影親だけだった。残念ながら、ふたり程立ち去る人がいた。
景親は気がつかなかったようだが、後ろの遠目にポツンポツンと女性客が立っていた。椅子に着く人が少な過ぎて、恥ずかしく、目立たない場所で演奏を聞きたいような雰囲気だった。
「お集まりの皆様こんにちは、それではお時間となりましたので、始めて行こうと思います、先月は夏休み期間でしたから、六年生の山田一郎君に演奏してもらいました。今日は私のピアノ教室へ五歳から高校を卒業するまで通ってくれてた、春野美音(はるのみおん)さんに演奏してもらいます、美音さんは、高校卒業後、 武佐師川(むさしかわ)音楽大学を出られて、ドイツへ留学しました。帰国したばかりです」
ふっくらしたオバちゃんの話が長く感じ、その横に立つ春野美音に見惚れていた。
髪の毛はダークブラウンに染めているのか、ポニーテールは似合っている、メガネも可愛らしい。オフホワイトのカットソーに黒でボタンを掛けてないカーデガン、黒の膝上三センチくらいのタイトスカート。飾らないシンプルな綺麗さが際立って見えた。
このオバちゃんの傍だから余計に細く見える。影親の脳はその声、オバちゃんの声である聴覚刺激を選択知覚しないでいた。久し振りに女性を見惚れていた。
演奏が始まった。椅子の座面を浅めに座り、綺麗に骨盤が立ち上がり、殿部の丸み、腰椎の前方への弯曲。美しい曲線だ。そしてピアノに向かう真っ白な太腿、程良く締まった脹ら脛。ここも美しい曲線。
鍵盤を叩く指は細長く、時にはゆったり、時には速く、でも、滑らかに、柔らかく動いている。ピアノが奏でる音を楽しんでるように見えた。
その動きに対して、肘、肩の位置は止まっている。首の真下へ優しく下りた上腕、鍵盤へ迷うことなく向かう前腕。腕全体を遠目にすると〝Love〟のLの字を連想していた。そこまで想像した自分が恥ずかしくてならなかった。
クーパー靭帯がしっかり釣り上げ、お椀のように前に膨らんだ乳房は揺れる事がない。官能的にも感じるし、母性的にも感じた。
〝なんて綺麗なんだ。〟この言葉しか浮かんでこない。誰もがそう思うだろう。恥ずかしがらないで良いんだ。影親は自分にいい聞かせた。
その美しい佇まいは、癒しを与えてくれた。語弊があるが、今までにも目にしてきた女性の曲線だが、ピアノの音色が影親の感覚を素直にしてくれたのだろうか。更には、目を閉じて音を見る事にした。これまでにそうしてみようと発想したことがなかった。流石に見えやしない。また、自分を恥じた。だか、音をこんなに楽しめてることは初めてで、嬉し涙が溢れ出ていた。
「宜しければ、これ、使って下さい。最後まで聞いて下さってありがとうございました」
演奏を終えた美音は微動だにしない影親に驚き、薄ピンクのハンカチを差し出した。
「えっ、すみません、持ってます、持ってます、感動しました、実は、北山病院の診察の帰りに寄りました、両親を数年前に癌で亡くしてて、主治医だった先生に体調が悪い時は早めに診察に来るよういわれてたのですが、半年ばかり腹痛を我慢してて、まだ癌なのかどうかは分からなくて、二週間後に検査入院が決まって、覚悟を決めたのですが、病院の玄関先でピアノ演奏会のポスターを見たら無意識にここに来てしまってて、あ、え、何言ってんだろう、すみません、でも、ピアノを弾くのを楽しんでるように見えて、とても心地良い音で、あ、ありがとうございました」
影親は、目元を自分のハンカチで拭きながら、額から滲み出る汗も拭きながら、多弁になってしまった。
「そうだったのですか、大丈夫ですか、お疲れのようですね、私が弾くピアノを心地良く聞いて下さってありがとうございます、週に一回、火曜日のこの時間に一ヶ月間は弾くことになってますので宜しければ、また、いらして下さい、では、お大事に」
美音は、影親の話しの内容、喋り方に衝撃を受けたが、懸命に冷静さを保ち、また来てくれなんて社交辞令でしかないのに、言ってしまった事を後悔し、当たり障りなく平静を装い離れていった。
影親は後悔に駆られていた。何であんなことまで言ってしまったのか、顔から火が出る思いになった。なるべく周囲の人達が自分の目に入らないようにし、また、慌てないように、ショッピングモールを後にした。
続
第玖話 自覚 ソノニ
赤と青色の光を与えられた六子達は、姉弟で力を合わせてやらなくてはならないことへの自覚が強くなってきた。しかし、その目的性を掴めないでいたため、あの日から数日後、祖母である紀子に会うことにした。
「おばあちゃん、元気、特に変わりはない」
「ありがとう、こないだ会ったばかりなのに、そう変わりませんよ、あなた達、何かあったようですね、お話、聞きますよ」
紀子の家へ上がろうとして、上がり框に一歩踏み出した慈由无が何気ない言葉をかけると、紀子は直ぐに察した。
「ばあちゃん凄いや、僕らのこと何でも分かるんだね」
「そんなことありませんよ、なんでも分かるだなんて、こないだより落ち着いてる感じがしたからね、何かあったかって思っただけですよ、ささ、中へいらっしゃい」
拳逸楼の言葉にも優しさを返した。
「実はね、三つの影と会って、二つかな、三つかな、光がね」
「私が多分、白い光を慈由无に送ったと思う」
「僕は赤い光が身体に入ってきた」
「私は青い光よ」
慈由无が系列だって話しをしようとすると、巫那、拳逸楼、迦美亜の順に話へ割り込んできた。
「それでね、白い光は悲しい影を消して、赤い光は怒りの影を、青い光は不安の影を消したの」
「ああ、人の心の弱さですかね、悲しみは前へ進みにくくなるし、逆恨みを生み出すことがありますね、怒りは何も産み出さないね、怒りに任せて行動すると、暴力的な行動になる可能性が高いから何か問題があって、単にそれに怒りをぶつけても解決しにくいですからね、不安も似た感じからし、先のことは分からないから心配が強くなって、冷静でいられなくなるから、それが積り積って悪い事態へ変わっていくことはよくあることだ思いますよ」
慈由无が光と影の関係性を説明すると、紀子は即座にそう答えた。
「そうか、心が弱くなると、悪さをするのかな」
その話を聞いて、剣侍狼はそういった。
「いや、必ずしもそうではないですよ、強い心の持ち主でも、悲しくてなったり、怒ってみたり、不安に襲われることはありますよ、そんな事態に追い詰められた時にどう捉えるかの違いで悪い方向へことが進む場合と良い方向へ修正できる場合があると思いますよ」
「なるほど」
紀子の話しに、六つの声はシンクロした。
「じゃあ私達は、悪い方向へ進ませない役割をするってことなの」
慈由无は間髪入れずに聞き返した。
「そうですねぇ、そうなんでしょうねぇ、でも、悲しい思いや怒ること、不安がることは、人が生きていくなかで必要なことでもあるの、そんな思いを抱いたことで反省するとか、自分自身を振り返ってみるとかが成長していく糧になることだってありますからね、その影達は、恐らく、それぞれが積り積った時の捉え方の現れなのかもしれませんね、だから、慈由无や拳逸楼達は常に自分の心と会話して、強くいなくてはならないと思いますよ、その心構えで影達と向き合うことを忘れないようにしなくてはなりませんね」
「はい」
再び、シンクロした。
「あなた達の意志は強く結ばれているのですね、綺麗に声が重なりますね」
紀子は目を細め、目尻を下げ、口角を上げ、幸せが溢れ出す表情になった。
六子達は声をシンクロさせて返事はしたものの、紀子の言葉を明確に理解はできていなかった。
その話のなかで腑に落ちたと思えたのは、あのような影が現れた時、見て、聞いて、話して、感じ取ることを素直にすることだと解釈したことだった。
紀子の言葉に心を浄化された六子達は家路を進んだ。秋は深まり、冬へと季節は進み出し、日が西に傾くと寒さが身体を包みだすようになった。この子達の会話のなかの吐息は時々、白い空気が混じりだしていた。
「俺は何色の光がくるのかな、なんだか楽しみだよ、釈亜真は何色が入ってくると思う」
「私、ピンクがいいかな、可愛いでしょ、慈由无は」
剣侍狼が光の色への興味を口にして、まだ、得ていない釈亜真に話を振った。
「私は何色でもいいかな、そうだなぁ、お肉が好きだから、こんがり焼けたお肉、茶色かな」
「あっ、俺の方が肉好きだし、慈由无より沢山食べられるぞ」
「でも、拳逸楼はもう赤なんだから、そういっても、もう遅いんですぅ」
慈由无と拳逸楼はおちゃらけた。
「赤い光、格好良かったぜ、俺の左手格好良かったなぁ、それにしてもさ、何故、俺の左手から赤い光が出たんだろう、拳逸楼に入ってったのにな、慈由无には誰があの光を伝えだんだろう、巫那だったっけ」
「分からない、私に光が入りこんだ感じはなかったよ、元々持ってたのかしら」
「おばあちゃんの話でなんとなく分かったように思ったけど、まだまだね、経験値が必要だね」
剣侍狼は新たな疑問を抱き出し、これまでの光のことを振り返っていた。
「影にさぁ、光を当てるのは、その色の光の持ち主じゃなくてさぁ、俺ら一人一人に役割があるんじゃないか、悲しい影、怒りの影、不安な影、今まで消した影はさぁ、自然に身体が動いたわけだろ、何か意味があるんじゃないか」
「うん、何か意味があるんだ」
拳逸楼がこれまでのことをまとめると、他の五人は声をシンクロさせ、六人の探究心は益々大きく膨らんだ。
大世帯のマンションに沿った歩道を歩いていると、大人の男性の大声が聞こえてきて、その声が止まないうちに幼な子が泣き声が聞こえた。
一〇数階建てのそのマンションは六子達を不快にさせた。そして、上を見上げると、丁度その真上の五階にあるベランダから影が見え隠れした。六子達は動き始めた。
拳逸楼が街路樹の枝に飛び乗り、三階の部屋のベランダへ飛び移り、再び街路樹の枝に移り、影が散らつく五階のベランダへ到達した。剣侍狼も同じように飛び上がっていった。
歩道にいる慈由无は拳逸楼と剣侍狼へ向けて両手を上げた。そして、慈由无の真後ろに巫那が位置し、両手を肩にあてた。次いで、巫那の右後ろに釈亜真が、左後ろに迦美亜が位置し、それぞれが巫那の肩に手をあてた。
すると、その影と優しい暖かさを感じる橙色の光が現れて、剣侍狼の身体へ吸い込まれたていった。
「どなたですか」
泣き喚く幼な子を抱き抱えていて、感情が抜けたようなぼーっとした表情の大人の男性がベランダへ出でき、影はその男性の背後に移った。
その時、慈由无の両手から黄金に輝く光が拳逸楼と剣侍狼へ放たれた。ベランダの柵に立っている二人がその光を浴びると、剣侍狼が橙色の光に包まれた左手で拳逸楼の左手を握り、拳逸楼の右の拳へ移り影に向かってストレートを放った。一瞬で影は消えた。
「あれ、癇癪起こしたかな、冷え込んできたのに、なんで俺はベランダに出たんだろう、よしよし、ハジメ、おうちに入ろうな、ごめんな」
その男性は幼な子の父親で、その子がおもちゃを散らかしたことに激怒し、そのおもちゃを投げつけたり、殴ろうとしようとしていて、我が子を虐待してしまう寸前だった。しかしながら、拳逸楼が右の拳で放った橙色の光で影を消したことで正気に戻り、両腕で優しく大切そうに抱いて部屋へ戻った。
それを見届けた拳逸楼と剣侍狼は、ゆっくりと、まるで高所からパラシュートを開いたかのように慈由无達がいる歩道へ下りたった。
「ただいま、あら、ハジメちゃん、お父さんに抱っこされて眠ってるの、良かったね」
「遊び疲れたみたいだよ、ほら、こんなに散らかしてさぁ、後でハジメと一緒に片すよ」
「そうね、親子三人でお片づけしましょ」
剣侍狼達は、幼な子の母親が帰宅し、日常的な会話も耳にすることができて安堵した。。
「俺の光、橙色だ、予想外だったけど、あの父親が優しくなれてよかったな」
「それにしても、俺たち、あんな高い所に上がっていって、安全に下りてくるなんて、また、新しいことが発見できたな」
「そうだな、無意識だったけど、下りてくる時は気持ち良かったぁ」
〝剣侍狼よ、あの影は豹変の影だ、思い通りにいかないと、鬼や悪魔のように人間を変えてしまう影だ、いろんな念から派生して集まり拡がった影だ、拳逸楼と共に消してやるんだぞ〟
剣侍狼と拳逸楼が影を消したことに喜んでいると、どこからともなく声が聞こえた。
「あっ、待って、私の手から出た光はなんだったの、教えて」
その声が止んだにも拘らず、慈由无は、黄金の光に対する疑問を投げかけた。答えてはくれなかった。
「慈由无、大丈夫よ」
巫那と釈亜真、迦美亜の声がシンクロした。
「うん、そうだね、経験値上がれば分かってくるよね」
慈由无は仕方のないことと思いつつ、ポジティブな気持ち切り替えようとしていた。
数日後、市民図書館の帰りに公園で大人の男性二人が影に包まれていた。
「あれ、今までの影と違う感じがするね」
真っ先に釈亜真が気づいた。
「そうね」
慈由无がひと言そういうと、六人の身体が動き出した。
慈由无は影からいちばん近い位置に立ち、この真後ろに釈亜真が立ち、両手を慈由无の肩においた。釈亜真の右側に剣侍狼が位置して左手を肩に添えた。左側には拳逸楼が右手を左肩に添えた。そして、剣侍狼の後ろには巫那が、拳逸楼の後ろには迦美亜がつき、二人それぞれ両肩に両手をあてた。
この二人の男性は魂が抜けたような無表情で目から影が沸き立ち、慈由无に顔を向けて動かないでいた。
〝さぁ、釈亜真、この影を消してくれ〟
どこからともなく声が聞こえてきて、稲妻のように天から紫色の光が釈亜真の身体にふり注いだ。
その瞬間、慈由无の両目から紫色の閃光が発せられた。この閃光はその男性達の目元に向かい、沸き出てくる影を消していった。どんどんその影が消えていくと、男性達を包んだ影も小さくなり身体へ吸収され、四つの目から絞り出されるように沸き出て消えた。
〝釈亜真よ、この影は騙しな影だ、この者達は人を騙し至福を得ようとしていたんだ、よく気がついてくれた、ありがとう〟
再びどこからともなく声が聞こえてきた。
「オガワ君、これ以上は隠し通せないぞ」
「潮時ですかねヤスダ先生、腹を括らないといけませんね」
「近いうちに検察の家宅捜索が入るだろう、我々は一巻の終わりだよ」
影に包まれていた二人の男性、オガワとヤスダは重苦しい雰囲気を醸し出し、黒塗りの車に乗って公園を後にした。
「あの人達、観念したんだね、人を騙してたんだ、正義じゃないよね騙して自分達だけ良い思いをするのは、騙すって、弱い心よね」
二人の男性の会話を耳にした釈亜真は空しい思いでボソッとそんなことを呟いた。
翌日、テレビのニュースや新聞、インターネットでは、衆議院議員のヤスダシンスケとその秘書であるオガワムネヤが不正献金受給の疑いで逮捕されたことが報道された。
「だいぶ勉強になる経験ができたみたいですね、拳逸楼が赤、剣侍狼が橙で、巫那が白、迦美亜は青、そして、釈亜真が紫、慈由无は黄金、金色ね」
六子を引き取ることになってから、愛優嶺と美佐江の家族は大晦日に愛優嶺の店に集まり、年越しすることが慣例になっていた。
この年は率先して六子らは祖母の紀子を家まで迎えにいき、駅へ向かう道途中で紀子に影との遭遇の話、六人それぞれに宿した光の色等を拳逸楼が伝えた。その後の紀子の言葉だった。
「でもね、おばあちゃん、私の光はどんな目的で使うか、まだ分からないの、このままお正月を迎えて良いのかなって感じなの」
慈由无は紀子と手を繋ぎ、少しだけ不安気な表情を浮かべた。
「大丈夫ですよ、これから分かるやうになりますよ、年が開けて春には中学生でしょ、また、色んな経験をしますよ、ゆっくりで良いんじゃないかしら、焦らないで下さいよ」
優しく暖かさも感じる紀子の言葉に慈由无は幾らか不安や焦りが鎮まった。
「おばあちゃん、凄いね」
六人は、また、言葉をシンクロさせた。
続