第弍話 残り香
参.剥がれない瘡蓋
雄二ががじゅまる幼稚園で、母、兄と共に不発弾の爆発事故に遭遇して数ヶ月が経ち、その怖さを忘れかけた頃だった。
父親の電気屋のテレビを店にある椅子に座って見ていた。
その椅子は雄二のお気に入りだった。一般的な大人でも座面が広い円盤状のタイプで雄二はその上に余裕で胡座をかくことができた。そして傍に、瓶のファンタグレープが置けるスペースがあった。でも、「倒して瓶が破れるから辞めときなさい」と、母親によくいわれていたが、辞められないお気に入りの一時だった。
ある日、そんな時を楽しんでいると、配達で外出することが多い父親が客と一緒に店に入ってきて、製品の説明をし始めた。その客は、父親から色々と説明を受けることに楽しそうに耳を傾け、時折、質問を交え、別の話題に脱線したりと、幼い雄二でも嬉しくなるような光景が流れていた。
すると、店の出入り口は六枚の硝子戸の引き戸になっていて、父親たちの背後のずっと奥の引き戸が静かにゆっくり動き出した。雄二より歳上と誰もが分かる、白人の少年が人差し指を上向きに唇に当てて、半身になって入ってきた。
雄二が位置する場所から見えないところへ向かった白人の少年は、一、二分も経たないうちに静かにたち去った。
怖くなった、何故か不発弾の事故の時の匂いを思い出し、テレビのニュースで見た、軍人が交通事故を起こし、すぐには逮捕されなかった話題や中学生の女子が強姦された事件等、軍人の悪質な犯罪の報道を思い出して、益々、恐怖感ばかりが膨らんでいった。
それと、目の前に父親がいるのだが、このことを雄二は話すことができなかった。怖くて、怖くて固まるばかりだった。
ある日の警察署では、署長に噛みつく、一人の刑事課長がいた。
「署長、こんなに証拠を集めたのに、身柄を受け渡さないっていってるんですか」
「参ったよ、地位協定だというんだ、私もお手上げだ」
一旦、警察署に女子中学生を強姦した二等兵二人を拘束したが、MP(Military Police)が早々にその二人を迎えにきたのだった。
「署長、私はどんな処分を受けて構わないので、MPへ掛け合ってきます」
戦勝国と敗戦国との間に結ばれた地位協定というダイヤモンドより硬い壁は、刑事課長の瀬川亀吉《せがわかめよし》にとって歯痒く、呪いたいほどの鉄壁になっていた。
「瀬川君、私も同じ気持ちなんだが」
部屋を出ていく瀬川に対して、それくらいの言葉をかけることしかできない署長だった。
〝治外法権、地位協定、戦時中は地上戦を強いられて、各国軍人から迫害され、古えの時代には王国処分を受けた。一生、我々琉球王国々民は意見を尊重されないのか、マズローがいう自己超越の欲を満たせないのであろうか〟
瀬川はMPへ向かう、車を運転しながらそう考えていた。
一方、雄二はあの白人少年のことが頭から離れないでいたが、店の椅子に丸くなって眠り込んでしまった。
〝雄二、この国は戦争に敗れ、この地は戦勝国の統治下になったんだ、逆らえないんだよ、あの国には、祖国は何もしてやくれないんだ〟
雄二は夢を見て、その言葉で目が覚めた。はっとした。〝どうにもならないんだ〟と、感じていた。
それ以来、雄二はその国の人たちを目にすると、恐怖心を抱くようになった。そして、祖国本土の人々に対しても、違和感を感じてならなかった。
また、瀬川刑事課長は、あの壁を崩すどころか、頂さえ触れることなく定年を迎えた。
署内の自分の机の荷物を片していた時、意固地になり過ぎて、軍司令官らと会うことすらできずにいて、政府にも相手にされず、自分自身の悲壮ささえ抱けずに無駄な時間を費やしたように思い、無念でならなかったようだ。
「瀬川さん、ご苦労様でした。私は力不足ですが、あなたの思いは常に心に秘めて、諦めずにいますので、ゆっくり休んで、第二の人生を楽しんで下さい」
刑事課の部屋から出てきた瀬川に署長はそう伝えると笑顔を見せて見送った。
署長は瀬川の後ろ姿がやけに小さく見えていた。
「ここがブームになってさ、芸能界やプロスポーツ界とかで活躍する同郷者が増えてよ、サミットの開催地に選ばれるとかで盛り上がったんだけど、世界の大手企業が運営するテーマパークが進出するだとかデマ紛いの話題が上がったり、基地は最低でも県外、なんて俺らを喜ばせてよ、知事と会った翌日には、軍は動かせないって謝る総理大臣が出てきたりとか、なんだか馬鹿にされてる感じだよな、俺たちに敗戦の代償を負わせ続けるためのプロパガンダを送ってたように思うよ」
「んん、それは考え過ぎかもしれんが、そう捉えてしまう気持ちは分からないでもないな、あとさ、全ての県民が基地の存在を反対してるわけじゃないのに、賛成する人たちを報道するマスコミも殆どないしな、俺ら琉球王国々民は、世界中から治外法権を被ってるのだろうかな」
雄二と昌幸が三〇代を迎えようとしている頃のボランティアをした日の夜に設ける、サシ呑みの場での愚痴だった。
二人は遺骨を拾う度に感じる、やり切れない、言語化できない虚しさを、呑みの場で愚痴に置き換え、発散することが習慣化していた。
確かに世界大戦が終わり、敗戦国であるこの国は、平和に復興しているように見えている。
しかし、社会制度に組み込まれた瘡蓋は、剥がせないものになっているのかもしれない。
傷ついた皮膚が時間をかけて張りを戻すように、蟠りのない真の戦後はいつ訪れるのだろうかと、瀬川や雄二たちも、時折、頭を過る、尽きることのない、頭の中の幽霊と化していた。気がつかないうちに。
続
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