K.H 24

好きな事を綴ります

短編小説集 GuWa

2021-09-30 06:24:00 | 小説
第什捌話 待

「あれ、もう呑んでるの」
「でも、まだビール一杯目よ」
「え、どこで」
「居酒屋よ、後輩君二人がね呑むっていうから、二人はまだなんだけど、タカハシ君が今日までの勤務だったのよ、だから一時間ばかり顔出そうと思ってね。」
「へぇ、俺との約束の時間は六時半だよね、これから迎えに行こうと思って電話したんだけど」
「うん、知ってる、ごめんなさい、職場のね、他の子達が来てくれないんだって、二人だけだからさぁ、可哀想でしょ」
 
 嫌な雰囲気の男女の携帯電話での会話である。四〇代の男女の会話。互いに気不味くなるようたことは予測していなかった。
 
「あぁ、分かったよ、じゃあ一時間後にまた電話するよ」
 
 電話を切った男性は、半年前に離婚していて、約束の日より三ヶ月前に、互いが世話になってるいる人の呑み会で知り合い、付き合いだした。
 
 その女性はその男性よりも一回多い離婚経験を持っていて二人の娘を持つシングルマザーで、その娘らの生活を充実させるべく、懸命に働く女性だった。物事をポジティブに捉え、前に進んでいた。この一〇年間は浮いた話なぞ一度もなかったが、その男性との会話が通じ合うのに仄かな期待を抱き、速攻で距離を縮めてきた。
 一方、その男性は、その女性の娘達への思いや仕事への直向きさ、そこから発する明るさと艶やかさに魅力を感じた。一目惚れといっても過言ではない状態だった。
  
 二人は出会った日に携帯電話の番号とメールアドレスを居酒屋の外の喫煙所でスムーズに交換した。翌日からは仕事での悩みや子育ての相談などをするようになった。
 その男性はそんな遣り取りで益々、胸の高鳴りを覚え、あの先輩の呑み会にその女性を誘った。
 失う物はないと開き直ったわけではなく、燃えあがる心は躊躇を消し去り、正直にその想いを添えて告白し、男女の付き合いを始めた。
 再会が踏み行えた二人は、迷うことなくその日で枕を共にした。劇的かつ恍惚に二人はひとつになったのだ。
 
「あ、もしもし、ケイちゃん、そろそろ迎えに行こうと思うけど、もう呑んでるの、今日は二人で呑みに行くんだよね」
 初めて二人で呑みにいく約束をした日のできごとだった。
「カナタさん、もう少し待ってて、一〇分前に漸く揃ったのよ、タカハシ君とコウノ君、どうしようもないんだから」
 既にできあがってるケイコは楽しそうな口調で電話を切った。
 それに反しカナタは、目の焦点がどこにも合わなくてなり、呆気に取られた。冷静になるのに一〇分くらい時間が必要だった。
 
 三〇分後、ケイコは電話に出ない。
「ごめんごめん、トイレに行ってたの、どうしよう、カナタさんもここへ来てみんなで呑む」
 二度目の電話の会話は、更に三〇分後、ケイコからだった。
「えっ、俺、知らない人達だよ、それと約束を破られた側だよ、そこに行って旨い酒なんて呑めたもんじゃないよ、とりあえず、これから迎えにいくから」
 カナタは普段より強い口調になっていた。頭のなかは大人な理性と子供な感情が混在して、独りだけの闘いが始まった。その闘いは直ぐに治った。しかし、思春期の頃に味わったようなセンチメンタルが奈落の底に突き落とそうとしている悪寒に襲われた。仕方なく、家を出てタクシーを拾った。
 
 カナタはタクシーのなかで、再び闘い始めた。この状況はなんなのか。分からない。
 〝お前は期待し過ぎているぞ、相手は仕事に追われていたんだ、長い時間、女を心の奥深くに押し退けていたんだぞ、お前が太刀打ちできるわけがない〟
 大人な理性が助太刀した。
 
「ああ、カナタさん、何呑む」
 ケイコは調子に乗った表情で、酒を止められない勢いで、頬を紅潮させていた。「いや、俺はいいよ」と、カナタはケイコの隣に腰かけた。
 
「あ、どうも、ケイコさんの彼氏さんですか、呑まないんですか、いける口にみえますが」
 二人が約束してたことを知る由もないコウノだった。
「あ、今晩はウエハラといいます、初めまして、実は今日は、二人で呑む約束をしてるんだけど」
 カナタは、子供な感情を必死に抑えつつ、声を微妙に振るわせ、タカハシとコウノに声をかけた。
「ケイコさん、大事なことはいって下さいよ、俺らが彼氏さんに迷惑かけてるみたいになってるじゃないですか」
 タカハシも酔いが回ってた。カナタには上からいわれているように感じたが、子供な感情はいなくなっていた。
「やや、いいんだいいんだ、俺、押しかけたみたいで、いいんだよ、もう帰るから、タカハシ君、お疲れ様でした、新しい職場でも頑張って下さい」
 まだ震えが止まらない声で丸く収めようとしたカナタはそそくさと席をたった。

 居酒屋から出ようとした時、店員の威勢の良い声とともにケイコの右手はカナタの袖を掴んできた。
「カナタさん、怒ってるの、一緒に呑もうよ、あの子達良い子なんだから、私、カナタさんが一緒だと二倍も三倍も楽しいんだから」
 店の外の歩道に出るまで、ケイコは言葉を止めずに、陽気に話してきた。
「今日は帰るよ、こうやって約束を破られるのは初めてだ、帰るよ、一人が楽だ、他人に期待なんか持たない方がいいみたいだ」
 カナタは袖を掴むケイコの手を払い除け、振り返りもせず立ち去った。
 だいぶ居酒屋から離れたところで何度も電話が入ってきたが、無視を決めた。
 
「おはようございます、カナタさん、私、悪いことしたみたいで」
 翌朝、ケイコからの電話だ。
「えっ、覚えてないの、昨日は約束の日だったんだよ、期待した俺が馬鹿だったよ、タカハシ君とコウノ君に聞いたらいいよ、や、彼らも覚えてないか」
 カナタは半笑いになった。
「ああ、ごめんなさい、子供達は部活に行ったからカナタさんの家に行っていい、私」
「何いってんの、俺にとってケイちゃんは非常識な人間だよ、俺だって聖人君主じゃないけど、あんなことはしないよ、だから、もう会うのはよそう、俺の常識はケイちゃんに通じないもたいだ、一緒にいれないよ」
「そんなこといわないて、私、カナタさんが好きなんだから、今後はあんなことがないようにします、すみませんでした」
 ケイコは反省しているように言葉を並べた。
「いや、信じられないよ、俺がおかしいのかなぁ、絶対に期待できないよ、もうこれからはだれにも期待を持たないことにするから、じゃあ」
 カナタは電話を切った。電源も切った。子供な感情だけが脳内を駆け巡った。
 
 数時間後、カナタは携帯電話の電源を入れ、ケイコの記録を全て削除した。
 
 終

短編小説集 GuWa

2021-09-29 20:07:00 | 小説
第什漆話 志
 
「鬼さんこちら、手の鳴る方をへ」

「もういいかい」
「まあだだよ」 
 
 鬼はいつから存在するのだろうか、古の時代から今日にいたるまで、我々の生活の中に紛れ込んでいる。しかしながら、現代では目にすることはない。嘗て、我々の先祖達は目にすることがあったのだろうか。
 
「スミヨシ、今日は鬼ごっこをして遊んでいたの」
「かくれんぼだよ、ハルヲが鬼になるのが殆どだったよ、あいつ、鈍臭いから直ぐみつかっちゃうんだよ、だから、飽きちゃうんだ、直ぐにね、だから川に行って水遊びしたよ」
「そうなのかい、でもね、雨の日やその翌日は川に近づくんじゃないよ」
「うん、いつもばあちゃんがいうから、川の流れを見て、みんなと相談して遊んだよ」
「そうかい、お利口さんだ」
 祖母のキクヨはしわくちゃな笑顔でスミヨシを褒めてやった。

「おばあちゃんは鬼ごっこ、好きだったの、僕が友達と遊んで帰ってくると、鬼ごっこしたのかってよく聞くよね」
「そうなのかい、あたしは苦手だったよ、でも、鬼にならないように逃げるのが精一杯だったねぇ、楽しいというよりは鬼にならないことでいつもホッとしてたもんだよ」
「へぇ、僕はたまに鬼になるよ、追いかけたり、探したりするのも面白いよ」
「おばあちゃんはそれが苦手だったのさ、さあ、お手手洗っておいで、おやつに蒸しパンこさえたからね」
 スミヨシは大喜びで洗面所へ駆け出した。
 
 スミヨシはおやつを食べると、いつになく眠気に襲われて、キクヨの膝枕へ避難した。キクヨはそんなスミヨシを嫌がらずに頭を撫でてやった。
 
「スミヨシ、俺に勝てるつもりかな、俺はな、好きでこんな姿になったわけじゃないんだ、何度も何度も騙されて、何度も何度も殺されかけて、いや、殺されたんだよ、俺はもう人間じゃない、鬼なんだよ、怨みを晴らしてやる、金もふんだくってやる、そして、これで皆殺しにするんだ」
 小太刀を持った鬼が突然、スミヨシの目の前に現れた。スミヨシは泣き出すどころか、日本刀を右手で握りしめ、その鬼との間合いを測っていた。
「君に勝つとか勝たないとかの問題じゃないんだ、君をここで止めなきゃならない、その結果、君を傷つけて殺してしまうかもしれない、覚悟はできてるよ」
 スミヨシは心の奥底で違和感に苛められていて、不安を抱いてたが、相手の鬼への喋り言葉や立ち居振る舞いは身体が勝手に動いて、不安な心内を微塵も見せなかった。
 
 目が覚めると、いつのまにかスミヨシは二つに折り曲げられた座布団を枕にしていた。
 
「おばあちゃん怖い夢を見ちゃったよ、麦茶頂戴」
 比較的多目に寝汗をかいたスミヨシは台所で夕食の支度を始めていたキクヨの割烹着の裾を握っていた。
「あらまぁ、あたしが枕を替えてやったらからかねぇ、ごめんよスミヨシ、今、野菜を刻むのに包丁持ってるからね、あんたは着替えておいで、麦茶、用意しててあげるからね」
 キクヨは自分のせいで悪い夢をみさせたようないい方をした。
 
「はぁ、麦茶美味しいね、ばあちゃん僕ね、鬼と戦ってる、ではなくて、戦おうとした時に目が覚めたんだけど、鬼が出てくる夢をみたんだよ、小さな刀を持った鬼がいてね、僕は大きな刀を持っていたんだよ、今考えると格好いいや、でもねとても怖かったんだけど、僕の身体は勝手に鬼と戦おうと動いててね」
 そこまで話すとキクヨは包丁を止めて振り返り優しい表情をスミヨシに見せて、再び、包丁を動かした。
「へぇ、鬼が出てくる夢だったのかい、スミヨシは勇気があるんだね、その鬼に立ち向かっただね、男の子だね」
 包丁が俎板に当たる音で自分の声が聞き取れないことを避けるように声量を上げた。
「僕は怖かったんだよ、でも勝手にね、戦う前に目が覚めたからね、何だか不思議な気分だったよ」
 
「ただいま、いつもいつもおばあちゃんありがとうございます、私は洗濯物を取り込みますね、スミヨシ、手伝ってちょうだい」
「お母さんお帰りなさい、はーい」
 母親のスミヨは着付け教室を開いていて、帰宅すると休みもせずに家事に加わった。
「お母さん、僕はタオル畳むだけで良いでしょ」
「良いわよ、助かるわ」
「お母さん、今日ねおばあちゃんがおやつに蒸しパンを作ってくれたんだよ、美味しかったぁ」
「良かったはね、おばあちゃんの蒸しパンは毎日食べても飽きないもんね」
「それでね、気持ちがスッーてするとお昼寝したんだ」
「珍しいわね」
「それでね、鬼と戦う夢を見たんだ、不思議な夢だったよ」
「あら、鬼さんには勝ったの」
「いや、夢の中の僕は戦闘体制を自然に取ってたんだけど、僕はとても怖かったんだ、だから、戦い始める前に目が覚めちゃった、不思議な気持ちで目が覚めたんだ」
「じゃあ、スミヨシはその鬼さんを痛めつけたくはなかったのかもね、あなたは優しい子だから」
「そうなの?僕は優しい子、なの?」
「そうだと思うけどお母さんは、ちゃんとご挨拶できるし、お手伝いもしてくれるし、お友達と毎日楽しく遊べるでしょ」
「それが優しいの?」
「そうよ、いつも誰にでも優しさを込めていられるからね」
 スミヨシは意識せずに毎日、自分がやってることで、優しさは無意識なものであるから、腑に落ちずにいた。
「そうだよ、あたしもそう思うよ、スミヨシはあたし達のいうことを素直に聞いてくれるからね」
 キクヨは晩ご飯の支度が一段楽ついて、スミヨシの傍に座り抱きしめた。
「おばあちゃん、擽ったいよ」
 スミヨはそれを見て幸せそうな笑顔になって、畳んだ洗濯物を箪笥に収めていった。
 
「ただいまぁ」
 玄関の引き戸の鍵が動く音と、戸が滑り開く音の次にその声は聞こえた。
「お父さん、お帰りなさい」
 キクヨが抱きしめる腕を払い除け、慌ててスミヨシは玄関へ駆け出した。
 キクヨとスミヨは互いに目を合わせて笑顔になった。

「あなたお帰りなさい、お疲れ様です」
「キクサ、お帰り、後二〇分くらいだねぇ、ご飯が炊き上がるのは、先にスミヨシとお風呂にしなさい」
 スミヨシの父親のキクサが居間に来るとスミヨ、キクヨの順に声をかけられた。
「ただいま、スミヨシ、父さんと風呂にするか」
「やったぁ、お風呂、お風呂、お父さんとお風呂」
 スミヨシは嬉しそうにキクサの手を引き、浴室へ向かった。
「あれは、キクサにも夢の話をするはずだよ」
「そうでしょうね、今日はしっかり湯船に浸かってくれるはずですね」
 キクヨとスミヨは少し声を漏らしながら一緒に笑った。
 
「スミヨシ、今日はどんな遊びをしたんだ」
 いつものことで、キクサは脱衣所で服を脱ぎながらスミヨシに問いかけた。
「今日は最初にかくれんぼをしたよ、でも、ハルヲがしょっちゅう鬼になっちゃうから、みんな飽きちゃって、ハルヲもべそかきそうになるから川に行ったんだ、楽しかったよ」
「そうか、ハルヲはかくれんぼ苦手なんだな」
 ここまで話しをすると、洗髪や洗体で二人の会話は止まった。
 
「お父さん、今日、お昼寝の時、鬼が出てくる夢を見たんだ、不思議な気持ちになったの、僕はとても怖かったんだけど、夢のなかの僕は戦う気満々なんだよね」
「鬼か、鬼と人間の違いは分かるかスミヨシ」
「鬼は頭にツノが生えてて、大っきな牙もあるかな、一目見て、人間じゃないのが分かるよ、他にあるの」
 湯船に浸かり始めて鬼の話が始まった。
「どうだろう、鬼なんて見たことないからな」
「そりゃそうだよ、絵本とか漫画とか、そんなのにしか出てこたいもん」
「そうだよな、父さんがいってるのは、目の前で見たことがあるかってことだぞ」
「あるわけないよ」
「いや、見たことはあると思うけどな」
「何いっての、お父さんだって見たことないんでしょ」
「そうだなぁ、そもそも鬼は人間が作り出したものだ、絵にしてみるとスミヨシがいったようにツノがあったり、牙があったりするんだよ、スミヨシの周りには遊んでると、鬼ができあがるだろ、かくれんぼや鬼ごっこには、必要な存在だ」
「本当だ、なら、僕も鬼になったことがあるってことだね」
「遊びの鬼だ、何で鬼なんだろうな、追っかけとか探し人っていわれ方でもいいのにな」
「本当だ、鬼って名前じゃなくてもいいのにね」
「父さんはなこう思うんだ、鬼は人間が作り出した悪者、もしくは、悪党とかを表現している、ツノがあって牙があってって、怖い動物達から思いついたんじゃないかな、だから、人間一人一人のなかに鬼がいると思うんだ、父さんのなかには父さんが想像する鬼がいて、スミヨシのなかにはスミヨシが想像する鬼がいる、つまり、人間一人一人が共通点はあっても、違う鬼の姿を想像するんだよ、鬼の絵を描くとその違いが分かると思うぞ、それとさぁ、その時々で鬼の姿は変わるんじゃないか、スミヨシの遊びのなかの鬼はきっと、ツノや牙はないけど悪役で、鬼になった人は、悪役の表情にみえないか、心の持ちようで鬼は変わるのさ」
「そっか、鬼はこの世にいないものだから、悪いものと思った時にそれを鬼にしちゃうんだね」
 
 スミヨシが、心を鬼にしても、自分自身が鬼にならないように、更には、周囲の人達を鬼にしないように生きていこうと志すようになった。その第一歩が浴室での父、キクサとの会話だった。
 
 終


気になることが...

2021-09-29 13:40:00 | ひとこと
左右どちらかの脚に怪我をして、もしくは、病を患っていて、松葉杖やロフストランド杖を使っておられる方々が、悪い方の脚と同じ側で杖を使ってます。

例えば、右脚を捻挫して松葉杖を右手で使っているってことです。
これは、テレビドラマや映画でもみかけます。

でも、これは不都合だと思います。

右脚と杖を一緒に出して、杖と怪我をした脚が一体になって身体を支えることになります。すなわち、怪我をした脚への負担はあまり変わらないということです。

ですから、右脚に体重の負担を減らすには、左手で杖を使った方がいいと思います。

左手で操作する杖と怪我をした右脚を一緒に出すと、支持基底が広がります。
要するにその支持基底の中で楽々左脚を動かせるわけです。

皆様、お気をつけて下さい。

短編小説集 GuWa

2021-09-27 04:46:00 | 小説
第什陸話 怒
 
「いつからなんだろう、怒ってた方がいいと思い始めたのは、君は覚えてるかい、僕は怒ってばかりいたよね、教えてくれないか」
 はっきり見えないが、恐らく、男性であろう、傍にいる人物にトチロウは疑問を投げかけた。
「それは、君がいちばんに分かってると思うよ、思い出したらいいじゃないか」
 トチロウが思うように、答えてくれた影のような人物はやはり男性で、自分自身と同じ歳くらいだろうと声色から推察できた。
「ありがとう、答えてくれて、そうか思い出せばいいのか、分かったよ」
 言葉をかけて無視されないかとも思っていたトチロウは返答してくれて安堵を覚えた。その影の言葉にしたがって、頭のなかの記録を探り出した。
「君にとっては、やけに素直だね、その方が楽なんだと思うよ」
「本当だ、気分は変わらないみたいだ、その上、ワクワクするかな、楽だね」
 トチロウは清々しい表情を見せた。
「そう、その調子だ」
 影はトチロウのその姿に喜び、笑みを浮かべた。
 
「ガキの頃は、これやっちゃ駄目だ、お前ができるわけがないとか、母ちゃんとか、姉ちゃん、兄ちゃん達にいわれてた気がするなぁ」
「そんなこといわれただけで怒ったのかい君は」
「いやぁ、何度も何度もそんなことをいわれるうちに僕は自信がなくなった気がする、いや、自分から何か新しいことをすることができなくなってたような、そうだ、母ちゃんと父ちゃんがいない時は、兄ちゃんに無理なことをやらされたかな、姉ちゃんは笑ってたかな、なんだか嫌な気持ちだな」
「いつもそうだったわけじゃないだろ、君は運動も勉強もできたはずだよ」
「思い出したよ、兄ちゃんや姉ちゃんに負けたくないから同級生には余計に負けたくない気持ちが強かったんだ、そうだよ、僕はとてつもない負けず嫌いで、負けないための行動は怒るのを原動力にしてたんだ、みんなを力でねじ伏せて、授業は先生の話を集中して聞いてたよ」
 トチロウは影の言葉で記憶を蘇らせてきた。
「足は速いし、勉強もできるから、目立ってたよね、でも、みんなには優しくしきれなかった、確かに弱いもの虐めはしなかったけど、君が怒り出すと誰も手がつけられなかったよね」
「うん、酷いことをしてしまった、頭に血が昇ると自分でも止められなかったんだ、歳を重ねて身体が成長していくと自分でも怖くなったよ、友達を殺すことさえできるって思ってた」
「それに気がついた時は我慢してたね、辛くはなかったかい」
「辛かったなぁ、僕はどんどん身体が強くなっていった、それに伴って僕の周りから友達は減っていったよ、中学生になると朝とか下校の時は独りぼっちだった、その方が楽だと思いながら寂しくも思ってたよ」
「そうだろうよ、独りは寂しいもので、独りでは決して生きていけないからね」
 影の促しは、トチロウの回想を活性させた。
「社会人になったばかりの頃は楽しかったような気がする、仕事を頑張れた、先輩達を追いかけて成果を出すのに夢中になれた、でも、先輩達は目の前から消えていったんだよ、その頃は何とも思わなかったけど、今は悲しくなるよ、何でだろう」
「きっとその時は目の前の目標が見えてたからだろうよ、その次の次までの目標が持てていたら、その頑張りは君が疲弊しないような行動に変えられていたんじゃないかな」
「そうだ、疲れてしまったんだ、いつのまにか僕は上に立ってて、下からも上からも押し潰されていたんだ、そして、また、怒ってしまった、怖かっただろうなぁ、僕に怒られた子達は、でも、僕だって怖くなってたよ、もう会社には行きたくなくなったよ、ん、行けなくなったんだ、そうだそうだ、数ヶ月も家から出れなくなったんだ、で、死ぬかと思ったことがあったな、手先と足先、お腹が冷えて来て顔があげられなくなって、心臓が締め付けられるような感覚になって、鼓動も激しくてとてもとても怖くなったんだ、何だったんだろう、あれは」
「君はパニック発作を起こしたのさ、頑張り過ぎたんだ、周りの人ばかりに気を遣って限界だったんだよ、教えてあげたじゃないか、副交感神経に切り替えるための深呼吸の仕方、三秒吸って一五秒吐くんだ、さぁ、やってごらんよ」
「うん、やってみるよ」
「上手にできなくなったみたいだな、また、練習すればできるようになるさ」
「息を吐くのが難しいや、できるようになってたよね、また練習するよ、それと、先生から薬を出してもらってたよね」
「ああ、君は勝手に飲むのをやめたんだよ、ナオコが薬を飲まなくていいようになりたいってことを聞いてさ、薬が必要な時は飲まなきゃね、僕が薬を渡すことはできないんだ」
 影はそれをいうと家のなかの照明を全てつけた時のようにいなくなってしまった。
 
「タカギさん、落ち着いたようだね、もう大丈夫だね、注射を打ったからそれが効いてきたようだね」
「あっ、先生、ありがとうございます、また僕は、発作を起こしたのですか」
「はい、今回は酷い発作でした、嫌なことでもあったのですか」
 今度は、トチロウの主治医のミタライが問いかけてきた。
「はい、よくは覚えてませんが怒ってしまったようです」
「きっと、また頑張り過ぎたのですね、沢山、我慢したのですね、タカギさんは優しいおひとだから」
「はい、よくは覚えていないのですがそのようです、先生、ここはどこですか、僕はその注射で眠ってしまったのですか、身体が動かしにくいです」
「ええ、病院です、もう少ししたら起き上がることができますから」
 トチロウは閉鎖病棟の病室のベッドに拘束されていた。
 
「タカギトチロウさんですね、聞こえますか、ご気分はいかがですか」
 トチロウが眠りから覚めかけて、目を半分くらい開いた時にクッションが張り巡らされた壁の一部が開いて、そこから帽子とベストを外した制服姿の警官が数人入ってきて、一人の警官が声をかけてきた。
「は、はい、だ、大丈夫です」
 そういうと、警官たちはトチロウの左右の手首と足首を縛っていた厚めのスポンジを布で覆った拘束具のベルトを外してた。そして、起き上がるのを手伝ってくれた。
「えっ、ここ病院なんですか」
 トチロウは起き上がり、ベッドの淵を両手で握りしめて座ると、天井と床、四方の壁にふかふかしてそうな真っ白いクッションが目に入り、少し目眩を起こした。そして、ベッドの頭側の壁には主治医のミタライがもたれて座り、一人の男性看護師が顔を殴られてできたような傷の手当をしていた。
「先生どうなさったのですかそのお怪我、大丈夫ですか」
 ミタライは頷くだけで、言葉を出せないでいた。
「タカギさん、聞いてもらえますか、私は警察のものです。一旦ではありますが、あなたを暴行致傷罪の容疑で緊急逮捕します、恐らく、お病気のせいで錯乱して暴力を振るったようですが、起訴はされないと思います、逮捕と告げましたが、後程取り消しとなって記録には残りませんので、だから、前科もつきません、とりあえず、刑務所の病院に移って頂いて、安全を確保して、警察病院の医師の診察を受けて、あなたに会った病院に入院して頂くことになります」
「僕は暴力を振るったのですか、発作を起こしたわけではないのですか」
 目の前の警官にそういうと、ミタライが喋り出そうとしたが、言葉にはならなかった。

「タカギさん、発作かもしれません、ミタライ先生が怪我をしてしまったので、私が警察に連絡しました、ミタライ先生は急を要するような怪我ではありませんから、病状が悪化したのかもです、ですから、しっかり治療なさって下さい」
 看護師のヨシダは、警察官がトチロウに説明している状況を見て、強ばった表情が緩んでいた。
 
 トチロウは両手を背中へ組まされて手錠をかけられた。そして、それを真っ白な布で丁寧に見えないように隠されて、警官達と病室を出ていった。

「安全を考えてのことですからね、少し辛抱なさって下さいね」
 病院の裏口から外へ出ると、警察の白に黒いラインが入ったバンの最後尾の席に二人の警官と一緒に乗り込んだ。柔らかいタオル生地の猿轡で口を強めに縛られた。トチロウの目から大粒の涙が溢れ落ちた。
 
「怒りが止まらなくなるのですか、それで、喧嘩になったりしませんか、怒りは溜めないほうがいいので、アンガーコントロールをお習いになるといいですよ、こちらから公認心理師を紹介させて頂きますので、カウンセリングを受けながら学んでいかれて下さい」
 
 トチロウは数年後、メンタルヘルスの電話相談を受けつけるミタライが開業した病院の相談員として従事していた。
 
 終

短編小説集 GuWa

2021-09-19 17:57:00 | 小説
第什伍話 囚
 
「ウイルスってさぁ、自分で繁殖できないだよ、感染の第一波とか第二波なんて表現のしかたおかしくねぇか」
「えっ、あぁ、人流が増えれば感染者は増えるに決まってるからね。その〝波〟の表現なんて、ウイルスが力をつけて襲いかかってくる感じよね、然も、ウイルス自体が襲いかかってきてるみたいに聞こえるね」
 生物学の博士課程に所属してる二人の大学院生の会話が始まった。
「そもそも、病原性を持つウイルスが出てくるのも、動物が気がつかないうちに身体に取り込んで変異してきた結果だよね、恐らく」
「私もそう思う、最初っから病原性をもった菌だってさぁ、例えば、口に入れるものに感染する場合は、食べ物に菌が住み着きやすい環境を作ってしまった人間に問題があるんだからね、私、牛刺しとレバ刺し大好きだったのに、この国は直ぐ販売停止にしちゃうから、正しく扱えばいいだけなんだけどね」
「へぇ、アズミは生肉好きだったんだ、馬のレバーなら刺身で食えるよ」
「うん、知ってるよ、美味しいよ馬のレバ刺しも、タケルもレバ刺し好きなの」
「内臓系は大好きさ」
 アズミとタケルは食の好みの話題まで話が盛り上がってきた。
「それにしても、感染症はさぁ、人間の管理次第では防げる確率が高いと思うんだ、例えば、今、地上に存在するウイルスを培養して、どんなメカニズムで増殖するか、どう変異するのか解明したらいいんだよ」
「でも、in vivo でやらないと、マウス、ラット、批判出そうだよ」
「いや、今だからそこを跳ね除けてやんないとさぁ、確かに動物愛護の誠心は大切だよ、人類が考える、分かろうとする方向性に思考のベクトルを変えないとさぁ」
「なるほどねぇ、色々と任せっきりで他力本願でいると、成長なくして進歩はあり得ない、か」
「その通り、難しくても足並み揃えてさ、確かに、理解度に個人差は生ませると思うけど、分かる人が丁寧に教える、分からない人は理解するように励む、そんな構図を作らないとね」
 タケルとアズミの真剣さはいつになく熱盛りとなった。
「そうだ、高校の同級生が○○医大の感染症学教室の医局員だった、そいつにこの話持ちかけようか」
 タケルは高揚した情動の勢いに任せてそういった。
 
「なるほどね、俺らもさぁ、そこまで考えてないわけはないんだ、問題なのは教授会で倫理的に認められるかなんだよ」
 数日後、タケルとアズミは○○医大に足を運んでた。
「そうなんですね、動物実験の規定が厳しくなっているですね」
「そうなんですよ、ips 細胞が実用化されるようになって、それを活用するのが推奨されてきて、一気に動物愛護団体との関係性をなくそうって動き出しているんだよ、うちらの界隈では何かとネックになる、揉め事になる団体だからね」
 タケルの同級生のワタルは厄介事を持ち込んで欲しくなさそうな渋い顔を見せた。
「でもさぁ、ウイルスの増殖や変異株が現れるメカニズムが解明できたらウイルスの脅威は消え失せるのは真理だろ、ワタル達には研究して欲しいなぁ、分かった、俺が検体になるよ、俺の身体を使ってくれよ」
「何いってんだよ、それこそ教授に即、脚下だよ、教授会にも事案としてもあげられないよ」
 
 数年後、タケルの死亡広告が新聞に掲載された。〝病気療養中にて急性心不全のため旅立たれました〟という、文句が添えられて。タケルは自分自身の正義感に囚われたのかもしれない。
 
 この世界からウイルスによる感染症は消滅した。人間は勿論、ペットの小鳥や犬、猫、養鶏、養豚、酪農、肉牛達が罹患することもなくなった。
 それは、新感染症予防法案、タケル法案という名の法律ができたからだ。
 
 しかし、アズミとワタルは一生を塀の中で暮らすことになってしまった。

 終
 
 あとがき
 
 コロナ禍の中、このような乱暴な物語を綴ったことで、不快に思う方もいらっしゃると思います。心よりお詫び申し上げます。

 しかしながら、現時点で唱われている感染予防対策は正しいと捉えております。また、とても重要なことは人流を抑えることと考えます。ですから、まだまだ、不必要な外出は避けた方がいいという私見を持っております。
 
 パンデミック以前の世界に戻ることはないと思いますが、〝私だけなら大丈夫〟と、考えてしまうことが少なくなればと願い、コロナ禍の終息を祈念します。