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小説 イクサヌキズアト-10

2022-05-05 23:57:00 | 小説
第参話 イクサノヒビ

弍.合否
 
「うん、受験勉強しないといけないから」
 
 悲しげに、且つ、ばつが悪そうな空気をヒロシは漂わせた。
 
「そうなんだ、残念だ、また一緒に全国大会目指したかったのにな、しゃうがないや、ヒロシ勉強頑張れよ」
 
 小学校五年生の終業式の三日前に、同じ野球チームだったヒロシとマコトはどちらかが、転校してしまうような雰囲気になった。
 
「どうしたのよ、あんたたち、暗い顔して」
 
 二人を見かねて、ヒロシとクラスになったことがあるアンジュが光を照らしてきた。
 
「ヒロシが野球辞めないといけなくなったからさ」
 
 マコトは普段アンジュと会話することは少ないが真っ先に口を開いた。
 
「あっ、そうなんだ、それは残念ね、でも、ヒロシ中学受験するんでしょ、それなら勉強だけに絞らないとね、私も受験するのよ」
「ああ、知ってるよ、俺、アンジュと同じ塾通うんだ、春講座からだけどね」
「じゃあ、頑張ろうよ、野球ができなくなるのは一年間だけでしょ、中学でも高校でも野球できるじゃん、そうそう、大学でも」
 
 アンジュはヒロシに前を向くように促した。
 
「そうだな、ヒロシ、これからの人生、長ぇんだ、人生、前向いていかなきゃ」
 
 アンジュは知らなかったが、ヒロシは父親に無理矢理、野球を辞めさせられて、将来は医師になるようにいわれて、已む無く重い腰を上げて受験に臨むことになっていた。
 だから、まだ心の中に納得できない闇を抱えて、それを知っているマコトと暗くなっていたのだ。
 
「あんたたち二人で野球するってことは当分できないと思うけど、ずっと続けていたら、いつかはできるようになるわよ」
 
 マコトはアンジュの言葉に感銘を受けたが、ヒロシはそれでも、モヤモヤを消し去ることはできないでいた。
 
 誰もが時の流れを操れるわけがなく、終業式は終わった。
 ヒロシとアンジュは翌日から塾通いが始まり、マコトは野球の練習に没頭し、ヒロシが傍にいない寂しさをかき消していた。
 
 四月を迎え、ヒロシたちは六年生になった。マコトとアンジュが同じクラスになったが、ヒロシだけ別だった。
 そんな環境の変化で、益々、マコトは野球に時間を費やした。授業中、右手が空くとソフトテニスのボールを握り、休み時間はずっと握ってた。
 
「マコト、熱心ね、ボール割っちゃわない」
 
 ある日の昼休み、アンジュに声をかけられた。
 
「ああ、ピッチャーだからな」
「エース、頑張りなよ」
 
 マコトとアンジュは仲が悪いわけではないが、ヒロシとの件があった以来、会話が長続きしないようになった。アンジュは塾が一緒になったことで、ヒロシの近況を知り、あの時暗くなっていた二人の理由を想像して、かけた言葉を少しだけ後悔していたのだ。
 マコトはアンジュが若干、遠慮がちに話しかけてくることで、ヒロシから聞いたのだろうと思い、アンジュに対しての自分へぎこちなさを感じていて、極力、簡潔に話を済まそうとしていた。
 
「マコト、あんた親とか、誰かのいいなりになるのって嫌いなんでしょ」
「ああ、大嫌いだ、何だよ急に」
「放課後、運動場見てて、マコトたちの練習を見てて、準備運動終わったら、ほぼ一人で練習してる感じだったからさ、それと弟がね、マコトさんは自分に厳しいっていってたの」
「えっ、アンジュの弟、野球してないのに、うん、ピッチャーは試合中孤独だからな」
 
 アンジュはマコトに、最近、塾でヒロシが辛そうにしていることを伝えたかったが、上手く話しを広げることができなかった。
 
「アンジュだって、私立いきたいって自分で決めたんだろ、いつも急いで帰るじゃん、塾に間に合うようにしてるんだろ、嫌な顔、してない気がすんぜ」
「うん、私はお医者さんになりたいから」
「おっ、頑張れよ」
 
 アンジュはヒロシのことを伝えることを止めた。マコトはヒロシとの今ではなく、未来を見据えていると感じたからだ。
 
 時は過ぎ、三人がハタチを迎えた年だった。
 アンジュは一流国立大学の医学科にストレートで入学。
 マコトは地方の一流といわれるまでには、もう少し実績が欲しい私立大学の野球での特待生で入学していた。
 地元の成人式には二人とも参加できなかった。というか、参加する気になれず参加しなかったというのが正しい。
 
 アンジュは列の前にいるマコトの後ろ姿をみつけた。でも、声をかけるなんてできない雰囲気と場だった。
 アンジュよりも先にマコトは、涙を堪えて尚香した。祭壇から離れていく時にアンジュと目があった。しかし、弔問客の中に小学校の頃の野球チームのメンバーは一人、二人くらいしか目に入らなかった。それがとても悲しく感じていた。深く考えずにアンジュを待った。
 
「お前しかいなかったんじゃない、チームの奴らいなかったよな」
「うん、いなかったと思う」
 
 アンジュとマコトはヒロシの葬儀を執り行っている寺の出口の傍で、久し振りに会う喜びとヒロシが他界してしまった悲しみとの相反する気持ちを整理しきれないで、特に、マコトはチームのメンバーが殆どいなかったことへのやりきれない悲しみも相まって涙を鼻からも流してハンカチで拭っていた。
 そんな姿をアンジュは受け入れていて、表情を変えず目線を逸すこともしなかった。ただ、一本のハイライトには火をつけた。
 
「悲しいね」
 
 しっかり吸い込んだ煙を反対側の空へ噴き出した。
 
 その煙の薫りに気がついたマコトは幾らか冷静さを取り戻した。
 
「色々と思うことがあってさ、アンジュ、煙草吸うんだな」
「医者目指してるのにね、免許取ったら止めよかな、あっ、待ってくれてたんでしょ、お茶しない?、それとも一旦帰ってから出かけようか?」
 
 二人はそれぞれの実家へ戻った。
 
「小学校振りだけど、なんか変わらないね」
「ああ、見た目はお互い変わったと思うけど、あの頃の匂いは残ってる感じだ、いや、俺はね何か懐かしいことを思い出すと、何か匂いが目の奥で漂ってくるんだ」
「面白いね、もしかしたら、嗅球と視交叉、海馬は比較的近い位置にあるからね、あっ、ごめん、脳の解剖学。」
 
 お互いの実家から歩いていける距離のワインバーで二人は呑むことになり、これが会話の始まりだった。
 
「ヒロシは最後、どんな気持ちだったのかな」
 
 一杯のワインを呑み干した頃に、この日の本題に入った。
 
「泥酔で階段から落ちていったんでしょ、痛い感覚はなかったかもよ、酔った気持ち悪さが優ってて」
 
 アンジュの二本目のハイライトは半分くらいまで短くなっていた。
 
「頑張ってたんだろうな、受験勉強、羽目を外してしまったのか、あいつの人生、あいつの人生だもんな」
「うん、私の中でヒロシの人生は戦って、戦って、戦いぬいた人生だったと思うわ」
「えっ、戦ってた、アンジュはそう思うんだ、俺は耐え抜いていたと思ってたよ、そうか、耐えるってのはヒロシにとっての手段か、そうか戦う手段だ」
「うん、そうとしか考えられない、まだ二浪目なんだもん、そろそろ合格できてもおかしくないと思う、運が悪かったのよ、薄っぺらい人生じゃ決してなかったはず」
 
 二人のワインのボトルは底が見え始めてて、アンジュは五本目のハイライトに火をつけていた。
 
「受験戦争と親父さんのプレッシャーとに戦ってたんだな、あいつは負けを認めずに、勝つまで戦うつもりだったんだろうな」
「でも、犠牲になっちゃった、もし違ってたら謝るけど、マコトは野球で乗り越えたけど、私やヒロシは勉強で挑戦してた、しんどいのよ、自分との戦いだから孤独との戦い」
「確かに、好きなことに夢中になって、ゲロ吐くほど練習したけど、良い球投げれるようになったし、それを打たれてもまた課題ができて、それに挑んで、勝ち負けはあまり拘らなかったな、アンジュたちの気持ち、分からないかもな」
「やっぱり素直ね、マコトは、だから乗り越えられたのね、大人たちはさ、勝手に受験戦争って言葉を作った、戦争を経験している人もいたからね、とても迷惑よ、ただただ己との戦いで、ろくに勉強を教えないで、学ぶ喜びを教えないで、受験で儲けてやろうって大人もいて、だから、ヒロシは自分と向き合って戦ってたはずなのに、気を抜いてしまった時間があったんだろうね」
 
 結局二人は、ワインを二本呑み干し、ヒロシの思い出話を続けて店を出た。
 ヒロシは自分自身や親父さんの存在に負けたのではなく、受験戦争に潰されたと結果づけた。
「ねぇ、マコト、朝まで一緒にいてよ」
 
 アンジュは街灯の光の影でマコトに急に抱きつき、耳元でそう言った。
 
 続


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