K.H 24

好きな事を綴ります

短編小説集 GuWa

2021-10-26 12:40:00 | 小説
第弍什伍話 刃
 
 揺れて、素早く揺れて、邪念が磨きをかけて刃へと姿を変える。
 当の本人達は気がつかないままに。これは、我々の性。そう変わってしまうのは自然の摂理なのだろう。
 
 死に向かって生きているにも拘らず、その先が分からない世界だから、目を向けないように、若しくは、不安に恐怖を覚え、心を病んでしまうばかり。
 人の不幸は蜜の味、よく言ったものだ。邪を晒している。
 
 初めて国を治めた人の末裔は自由を奪われたにも拘らず、不平不満を表さないで、我々のなかの光を顕示してくれている。我々の闇をも認識しているのにだ。
 心を和ませてくれて、明日の光を抱かしてくれて、怒りさえをも鎮めてくれている。
 
 ありがたい存在、と、誰もが認めている。
 
 特に、我々が災いを蒙った後は、真心で暖かみを与えてくれる。
 
 そんな施しを我々は感謝し、恭敬し、生きていくことの手本とするべきではないか。
 
 そんな存在に、我々は刃を振り翳した。詮索、誤認、自惚れ、言葉という、加えて、報道という刃で心傷させた。
 
 恥ずべきことと思い直せ。
 
「誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねないので、口頭で質問に答えるのは恐怖でなりません、助言を頂けたら幸いなのですが」
「はい、そういった質問には、もう答えられなくていいと思いす、お身体をお傷めかねませんね、質疑応答はお止めになさって下さい」
 眉を顰め、こぼれ落ちないように瞼のなかに涙を溜めて心療内科医はそう答えた。
 
 終


長編小説 分かれ身 ⑤

2021-10-25 03:37:00 | 小説
第伍話 予見
 
「お疲れ様です、全て今日で分かるわけではないのですが、ほぼ死因は分かりました」
 司法解剖室から博子が出て来ると、窓の外は明るくなっていて、小鳥の囀りが聞こえていた。睦美の母、紀子以外は博子が開閉した扉の音で目を覚ました。
「先生こそ、お疲れ様でした」
 紀子は真っ先に労った。
「あっ、先生、もう朝になっちゃったんですね、すみません」
 愛優嶺は眠気まなこで目を擦りながら一時の安らぎ終えた。
「では、会議室でお話ししましょうか」
 解剖室の出入り口の傍には、ふたり掛けの長椅子しかなく、そこにいちばん近いところに紀子が座り、その隣りに獏之氶、その端の下の壁とにもたれて座り込んでいた愛優嶺、壁だけにもたれた美佐江も床に座っていた。
 丁度その時、助産師の里美が私服姿で駆けつけた。
 
「司法解剖させて頂いた結果なのですが、執刀医は万木(まき)先生がさなって下さいました。それでですね、恐らく、脳出血が死因と思われます。といいますのは、脳は頭蓋(とうがい)骨内で髄液に浸っている状態で保護されております、それは脳実質は凄く柔らかい状態であるためです、頭蓋内から取り出した直後は扱いが難しいのです、一度ホルマリン固定する必要があります、ですから、脳のどの血管から出血したかは後日判明します、ですが、脳を取り出した時、明らかに小脳下部に大出血の血腫が目視できました、後頭葉下部からの出血と予測できます。その血腫が脳幹を圧迫したものと考えおります。」
 博子はホワイトボードに脳のイラストを書きながら説明した。
 
「先生、むっちゃんは、やっぱり苦しんで死んでいったんですか」
 愛優嶺は博子の話がよく分からずにいて、辛抱できなくなり思わず大きめな声を出した。
「出産は私も経験ありますが、苦しいものです、恐らく、六田さんもそのきつい思いはなさったと思います、しかしながら、脳内出血の経験がありませんので、それに対しては分かりかねます」
 博子がそう答えると、数秒間、鳥達の囀りが響いた。
 
「話を戻しますが、脳幹が血腫に圧迫されると、基本的な生命維持機能が破綻してしまいます、今のところ、予測を含めてですが、ここまでのことはお話しできます、ご了承下さい、私はまた病院へ戻ります、みなさんも一旦、ご自宅へ戻られて身体を休めて、今後のことを考えましょう、六つの新しい命は輝き出しました」
 
 博子は里美が運転してきた車で病院へ戻った。
 
「我々も一旦、戻りましょうか」
 獏之氶が促した。
「ここからだとお母さんが近いでしょ、獏さん、お母さんちもよって帰ろう、ねぇ、お母さん、乗ってってね」
 愛優嶺達も大学を後にした。
 
「産河さん、会議室では脳の話しかしなかったけど、六田さん不思議なのよ、それ以外は何の異常も見当たらないの、心房や心室には血餅がなかったの」
「珍しいですね、じゃあとても綺麗な心臓だったんですね」
「脳を切らないと分からないだろうなぁ、病理でも診てくれって伝えたんだけど」
「時間がかかるかもしれませんね、あっ、六子ちゃん達は元気でしたよ、六田さんのお母さん、どう考えてらっしゃるのですかね」
 博子と里美は今後のことを話し合ってた。
 
「信じられないというか、悲しいのは確かなんだけど、夢心地な感じで、上手くいえないな」
「紀子お母さん、やっぱり、六田家には、何か事情があるのですか、それと、この手紙、どうしましょう」
「はい、深い事情があるんです、とても長い話になるので、もう少し落ち着いてからにしましょ、それと、子供達のことなのですが、古謝さんと河井さん、養子にできないですかね、ご家族で検討して欲しいなって思ってます、私独りでは育てあげられません」
「紀子母さん、はっきりと仰いますね、でも、そうですよね、このままだと施設に入るんですかね、それが悪いとは思いませんが、どっちがいいんですかね」
 悲しみも束の間、愛優嶺達は産まれてきた六人の今後を話し合った。
 
 まだ、朝でも暑さが残っており、熱帯夜も相まってエアコンが必要な日々が当分続きそうだと誰もが思う猛暑であった。この身体的苦痛と日に日に悲しみを実感していて、この苦痛から逃れるには仕事をして、お客さんの笑顔で癒されたいと思う愛優嶺は、襟を正し、腹を括ってカフェ風定食屋を再開することにした。愛優嶺は一心不乱に職場着に身を纏い三日振りに店を開こうとしていた。
 
「獏さん、また宜しくね」
「勿論ですよ、お客様に旨い料理を食べてもらいましょうや」
 獏之氶はいつもと変わらない態度で愛優嶺に接した。
「おはようございます。今日は忙しくなりそうですよ」
 美佐江も出勤して来た。
 すると、店の電話がなり、美佐江が出てみると、紀子からだった。今日、仕事終わりに話をしないかという申し出だった。一度、三人で顔を合わせると、誰も嫌な表情ではないことを美佐江は確認し、それを了承した。
 
「こんばんは、お疲れ様です、差し入れ持って来ましたよ」
 美佐江が最後の客の会計をしていると、紀子が現れた。
「こんばんは、紀子お母さん」
 愛優嶺が笑顔で迎えると、獏之氶と美佐江も笑顔を向けた。最後の客のが店を出ると、美佐江は食器を片し、それを獏之氶が洗い出した。
「紀子お母さん、何、それ」
「赤ワインよ、今日は私、リラックスして話したいから、グラス一杯でいいんだけど、みなさんいけますよね」
「仕事終わりのワイン、いいですね」
 直ぐに美佐江が嬉しそうにした。
「紀子さん、お食事は」
 獏之氶がそう聞くと、紀子は済ませて来たと答え、つまみでチーズを出すといい、冷蔵庫を開いた。
「獏さん、ありがとう、お母さん、これぐらいのグラスでいい」
 この店にはワイグラスがなく、愛優嶺は脚のついたゴブレットタイプのグラスを出した。
 
 ひとつの四人掛けのテーブルには、赤ワインと四つのグラス、皿に盛られた五ミリ程の厚さで長方形のチェダーチーズがキラキラしていた。
 
「みなさん、疲れてると思うのですが、早速、六田家のこと、話しますね」
「お母さん、この手紙、どうしましょ」
 ずっと美佐江が睦美から預かっていた手紙を出した。
「なんとなく察しがつくので、私がタイミングをみて開けましょね」
 美佐江達三人は頷くだけだった。
「実はですね、六田家は、武家の末裔なんです、私も結婚して初めて聞いたんですけど、江戸時代の寛永一〇年に、徳川家光が六人の家臣を側近で仕えさせたのが六人衆って役職があったようで、でも、その役職は一四、五年で廃止になったみたいで、その六人のなかの四人が上の位へ昇進したかららしくて六田家の血筋の人は、昇進出来なかったみたい、で、その四人を含めて数名の人達が若年寄(わかとしより)って呼ばれるようになったみたい、その若年寄は、年齢が若いんだけど老け顔だったり、若いのに年寄りみたいな考えを持つ人達だったっていわれてて、若年寄になれなかった六田家の人は、そんな風貌だったり、老いた考え、どちらか分からないけど、周囲の武家や家臣の人達は勿論、民衆にも毛嫌いされて、一家で山奥へ逃げるように隠れ住むようになったみたい、その時に六田へ苗字も変えようです」
「へぇ、何で出世できなかったんですかね」
 少し、赤ら顔になった愛優嶺は遠慮なく聞いた。
「そこまでは分からないんだけど、徳川幕府は安泰だったでしょ、だから、そこでの出世争いが酷かったのかもしれませんね、それで、六田家の人達は、幕府に復帰できるように剣術や武術、勉強を一生懸命頑張ったみたいなの、でも、それは認められずにいたみたいだけど、六田家の人達は、何とか自分達の存在を知らしめるために、人の域を超えた能力を手に入れようと必死になったみたいです」
「凄い歴史を持ってるんですね」
 美佐江は関心した。
「後は、六田家は神武天皇、日本の初代天皇ですけど、その人の側近の一人の血筋を継いでいるっていわれてて、山に籠って鍛錬を重ねてると、その神武天皇に仕えてた時の能力が覚醒したともいわれてるの、けど、それがどんな能力なのかは謎、ただ、確かな言い伝えとして残ったのが、六田家に災いが訪れると、六田家の血筋の女性が六子を産むってことがあるの、これは、三年前に亡くなった主人、睦美の父親が残した古文書で、この部分だけ、現代文が添えられていて、〝六田家に災いが起こる時、血筋を持つ女人が六子を産み、その子らに救われるだろう〟って文章と実際に六子を産んだ人の名前と年号、年月日も綴られているの」
「えっ、本当だ、〝元禄二年七月、睦瑠子(むるこ)が六子を出産〟〝大正一三年〟ん」
「愛優嶺さん、その一四、五年後に大東和戦争が始まると思います」
 紀子が出してきた古文書の現代訳を愛優嶺が口に出して読んでると獏之氶は付け加えた。愛優嶺は驚き、信憑性を持ち始めた。美佐江は両手で口を押さえ、動きを止めた。

「美佐江さん、睦美からの手紙、見ましょうか」
 紀子の顔も薄っすらピンク色に染まってきていた。
 
 その手紙には、紀子が話した内容が簡潔にまとめられていた。
『私は、今回の出産に自信がありません。どうか美佐江さん、母が仲介に入ると思いますで、六人の子、全員が元気に産まれてくるかどうか分からないのですか、愛優嶺さんにも協力して頂いて、育ての親になって欲しいです。養育費は亡くなった父が残していますので、ご心配なさらないで下さい。お願い致します。ひとつだけ、必ず守って欲しいことがあります。それは、子供達の名前です。長女は慈由无(じゅん)、次女は迦美亜(かみあ)、三女は釈亜真(しゃあま)、四女は巫那(きねな)、そして長男は拳逸楼(けんいちろう)、次男は剣侍狼(けんじろう)と名づけて下さい』との文章も綴られていた。
「むっちゃん全て知ってたってこと、この子達、不幸な人生を送るのかしら」
 美佐江がその文章を読み上げると、愛優嶺は自分で感じたことを即座に口にしてしまい、閥が悪い表情を見せた。
「大丈夫よ、この子達が解決してくれますから」
 紀子はその前にこの子達が六田家の救世主的な説明をしたつもりで、愛優嶺にはそれが通じてないと思い、慌てて即答した。
「手紙にも書いてましたが、私が養子にして、愛優嶺さんと美佐江さんご家族で育てて頂いて、勿論、私もお手伝いします、養育費は主人の兼光の遺言で残っておりますので、ご心配なく」
 美佐江が最後まで読み終えると、全員が静まり返った。紀子以外には衝撃的な内容だったのだ。そして、紀子が三人に目配せして、兼光の名前の預金通帳と子供らそれぞれの名前が刻まれた通帳をテーブルに広げた。
「こんな大金、全部九桁よ」
 再び、愛優嶺は我を忘れた。
 
 こうして、経済的側面が心配要らないことを告げて、愛優嶺と美佐江に育ての親を引き受けてもらうことになった。

「獏さん、一緒にやらない、私一人じゃ、子育て、心細いわ」
 子供を引き取る一週間前に、愛優嶺は獏之氶へ縋った。
「えっ、でも、そうですね、私は愛優嶺さんが心配でした、分かりました、居候させて下さい」
「獏さんて若年寄よね、居候なんて、父親役をお願いします、私達二人の子供のつもりで育てていきましょ」
 獏之氶はプロポーズを受けた気分になり、顔を紅潮させて何度もお辞儀をした。
 一方、美佐江の家族は、反対する者は一人もいなかった。特に、一太と小二郎は弟や妹ができると大はしゃぎした。
 
 続

長編小説 分かれ身 ④

2021-10-21 13:42:00 | 小説
第肆話 暇乞(いとまご)い
 
「はい、河井です、はい、はい、それで、本人の具合は、はい、はい、分かりました、では、これから向かいます」
「どうだって」
 美佐江のスマートフォンに病院から連絡があった。その内容は、後二人の子を帝王切開で取り上げるとのことで、その手術は一時間では終わるということだった。しかしながら、睦美の容態はナースステーションで夜勤にあたってる看護師だったため、詳しくは把握しておらず、手術室のナースから美佐江に連絡するよう依頼が来たとのことだった。
 
「もしもし、愛優嶺です、夜分遅くにすみません、睦美は四人の子を自然分娩で産んだようなのですが残りの二人を帝王切開で取り上げるようです、それが終わるのが一時間後くらいということです、私達はこれから向かいますね」
「連絡ありがとうね、私もタクシーで向かいますよ」
 愛優嶺が睦美の母の紀子に、電話で状況を説明した。
 
「お疲れ様です河井さん、四人までは六田さん頑張ったのですが、気を失ったしまってですね、手術室で町田先生が対応なさってます、そろそろ二人の子が取り上げられるはずですので、ではまた後ほど」
 美佐江と愛優嶺がナースステーションに隣接された新生児室のカーテンで覆われた、ガラスの前で落ち着きがなく立ち竦んでいると、助産師の里美が来てくれた。
「ああ、はい」
 美佐江と愛優嶺は唖然とするばかりで、愛優嶺が一言、二言しか言葉を発せられなかった。
「どうですか」
 その後、一〇分も経たないうちに、駐車場に車を収めた獏之氶も駆けつけた。
 丁度この時に二人の子の産声が聞こえた。
「おお、この子達よね、二人っていってたもんね、やったじゃないむっちゃん、とうとうお母さんだ」
「めでたいですね」
「はあ、ほっとしたんですけど、睦美さんは無事なんでしょうかね」
 愛優嶺は両手の拳を握りしめて小さなガッツポーズをし、獏之氶は両手を前で合わせて立っており、そのポーズを笑顔で見ていた。
 美佐江だけはナースステーションのカウンターに身体をもたれて力が抜けた表情をしていた。
 すると今度は、手術室から微かに大人の叫び声が聞こえて来た。最初ははっきりと聞こえてこなかったが、最後は『六田さん戻って来るんだぞお』と、はっきりと聞こえて来た。
 愛優嶺と獏之氶は口をポカンと半開きで腕組みをし、美佐江は握り合わせた両手を額に押し当てて目を瞑っていた。
 一瞬静まりかえったが、エレベーターの到着を知らせるチャイムの音が聞こえてきて、扉が開いた。紀子が降りてきたのだった。
「こんばんは、みなさんありがとうございます」
 紀子は至って冷静である。この三人の表情や姿勢を見れば、思わむ事態を迎えているのは一目瞭然だか、それでも紀子はこんな状況であることを予想していたかのようだった。
「お疲れ様ですお母さん、私達もどうなってるんだか分からないです、最後の二人の子達は産まれたみたいなんですか、当の本人がどうなってるか分からない状態なんです」
「大丈夫ですよ、みなさん気を楽になさって、六子ちゃん達はどうなってるのかしらね、元気に産まれたとは思うけど」
 愛優嶺達は紀子の動じない心とまだ見ぬ孫へ意識が向いていることに呆気に捉えてた。
「お母さん、やっぱり、六田家には何か秘密があるの、実の娘が生きるか死ぬかの瀬戸際なのかもしれないのに」
「睦美から聞いたのですか、六田家なこと」
「いえ、聞いてないんですが、特別な家系のようなことを思ってしまう感じは、あっ、それで、封筒を預かったんです、もしもの時は開封するようにって頼まれて」
 美佐江は幾分、冷静さを取り戻していた。
「手紙にしたんですね、まだ、読まれてないですね」
 一度、紀子がその封筒を手にすると、手術室から博子と里美が出てきた。紀子はその封筒を美佐江に返した。
 
「先生、六田睦美の母親です、この度はお世話になりました、睦美が出した要望書通りに私は先生を責める気持ちは毛頭ございません、逆に、最後まで一生懸命なさって頂いてありがとうございました。」
「本当に申し訳ございませんでした、私どもの力は出し尽くしました、残念でなりません」
 博子は紀子の言葉に救われた思いを抱きながらも、悔しさを滲ませていた。
「それで、これから大学病院の法医学教室で死因を明らかにさせて頂きます、恐らく、臓器提供を勧められるはずですから、こんな夜更けなのですか、ご同行お願いしたいのですが」
「はい、分かりました、宜しくお願い致します。」
 紀子の返事を聞いて博子は医師控え室へ下がっていった。
「六田さん、河井さん達も頑張った睦美さんの最後のお別れをしてくださいますか、睦美さんは、最後まで頑張りました、どうぞこちらです」
 里美の後をついていったのは紀子独りだった。
 
「愛優嶺さん、美佐江さん、お察ししますが、行きましょう、仲間が命をかけた結果です、私達の脳裏に焼きつけてあげましょうよ」
 獏之氶は二人を諭すように優しい声をかけた。
 愛優嶺と美佐江は鉄砲水のように流れ落ちる涙をハンカチで拭きながら睦美の元へ向かった。
「ありがとうございます、この子、嬉しさも持ってたと思いますよ、私には充実した表情に見えます、六人の子達は大事にしないとですね」
 紀子の両目には、こぼれ落ちそうな涙が溜まっていた。
「六田さん、女性は凄いですね、ここまで力を使い果たせるんですから、私は睦美さんのためになることをやって行きたいです」
 獏之氶は数本の涙の筋を垂らしてた。
 愛優嶺と美佐江は、更に、流れ落ちる涙の量が増し、立っていられずにいて抱き合いながら座り込んでしまった。声だけは噛み殺して。
 
 そんな二人を俯瞰的に博子は見つめていた。どう声をかけようかと。
「お二人も法医学教室に行きますか」
 博子は、睦美の死因を直接伝えたくなった。
「美佐、むっちゃんを最後まで見届けてようよ」
「はい、はい」
 二人は鼻声のままだった。
 
 そして、睦美と遺体を運ぶ車には、博子と紀子が同乗し、獏之氶の車に愛優嶺と美佐江は乗り込み、その車と追走した。
 
 続

長編小説 分かれ身 ③

2021-10-20 04:57:00 | 小説
第参話 謎
 
 今日、仕入れた鯖が傷まないうちに、料理にしようと愛優嶺と獏之氶は、当初、予定していた味噌煮だけではなく、つみれ汁も作ることにした。また、副菜に人参シリシリを加えることになった。
 
「獏さん、大切なことを忘れてた、睦美のお母さんに連絡しないと」
 愛優嶺は、右手で人参を持ち左手てでボウルのなかにおろし金を固定して人参をおろしていた。それらをボールなかの人参の山に放り投げて、両手を洗った。
 
「お世話様です、助かります、私は明日の朝には病院に着くように向かいますね、学生の頃からうちの睦美を面倒見て下さって、本当にありがとう、古謝さんは相変わらず元気で明るくて、優しい声ね、あなたにもお会いできるのは楽しみだわ」
「とんでもない、むっちゃんは私の良きパートナーですよ、そうだお母さん、町田病院は初めてじゃないですか、駅から距離があるし、タクシー代も儘ならないし、路線バスだって通ってないから、私が車でお迎えしますよ」
 
 何年か振りに、睦美の母親、六田紀子と電話で話をした愛優嶺は懐かしいことと、紀子にとって孫にあたる子供達を見せてあげたい責任感とで、さっきの落ち込んだ心は、煙が風と共に通り過ぎ、澄んだ空気に戻るように澄み切った。
 今朝からの経緯を聞いた紀子は、想定内だったため、冷静さを崩さずに覚悟を決めた。
 
「こんにちはぁ、あゆねーねーきたよー」
 美佐江の次男、小二郎が明るい元気な声で、店に入って来た。
「おっす、小二郎、よく来たなぁ」
「獏さん、こんにちは」
 その勢いに最初に答えたのは獏之氶で、小二郎はいつも獏之氶に声をかけられると、ビクっと硬くなってしまうのだ。
「おおぅ、よく来たねぇ、美味しいご飯はもう少しだからね、待っててね」
 愛優嶺が顔を出すと小二郎の表情は緩んだ。それを見てクスクス笑いながら、長男の一太も入って来た。続いて、美佐江、美佐江の義両親も。
「小二郎、あゆねーねーの邪魔にならないようにね、それと、包丁の傍には行っちゃだめよ、危ないからね」
 ヨネは笑顔を輝かせていた。
 
「お母さん、七助、私、もう少しいてていいかしら、私に連絡が来るのよ」
「お母さん居残りなんだ、何かしでかしたのか」
 小二郎もその話を聞いていて、割り込んで来た。
「その方がいいだろう、愛優嶺さんと獏さんもそうして欲しいと思うよ、いや、睦美さんがそう思ってるかもしれないからな、俺は大丈夫だよ」
 七助は睦美の出産にあたっての美佐江がどう動いていたかを知っていて、自分の伴侶が頼られていることを誇りに思っていた。
「七助ありがとう」
 美佐江は少しだけ微笑んだ。
 
「一太、小二郎、またおいでよ、あゆねーねーはいつも美味しいのを獏さんと作っているからねぇ」
 美佐江以外の河井家の人々は定食屋を後にした。
 
「愛優嶺さん、睦美さんから手紙みたいなものを預かっていたんです」
「そう、なんだか重々しい感じね、汗流して来るから、その後に聞かせて、美佐は辛かった感じね、私はもう大丈夫だから、待っててね」
 愛優嶺は自分のペースを貫いた。
「美佐江さん落ち着いて下さいよ、愛優嶺さんは気持ちが吹っ切れたというか、睦美さんのお母様と電話で話されて、お顔つきが変わった感じがしました、覚悟を決めた感じでしたよ、お戻りになられたら、しっかりお話しさなるといいですよ」
 獏之氶は美佐江のシャボン玉が弾けそうな、どうにもならない気持ちを察して、優しい言葉をかけた。
「ありがとうございます、睦美さんの家系は色々複雑なようで、伝統、仕来たりみたいなのがあって、後の封筒を預かった時も、私に何かあった時は、なんていわれて」
「大丈夫、それだけ美佐江さんのことを信頼されていてのことだと思いますよ、考えてみて下さい、睦美さんは常日頃、信頼できる人にはご自分の思いを素直に投げかけて来たじゃないですか、私には私のスキルの限界点近くまでのことを要求なさって、その時のお言葉は、私が調理師としてのスキルを高めようって糧に思えるお言葉をかけて下さった、だから、美佐江さんが抱える限界近くのことをお願いされたのではないですか」
 獏之氶は美佐江が背負った重圧を跳ね除けて欲しい気持ちを伝えた。
「そうですね、獏さんのいう通り、私、睦美さんの出産の日まで、誰にもこのことを話さずにいれました、七助さえ黙ってましたから、これで愛優嶺と対等になれるんですね」
 美佐江の言葉に獏之氶は笑顔で答えた。
 
「ふぅ、さっぱりしたぉ」
 愛優嶺は乾いていない髪の毛を団子にまとめ、瓶ビールとそのビールのロゴが入った小さなグラスを持って美佐江が座るテーブルに着いた。
「睦美から預かる時に意味深なこといわれたんでしょ、一杯やりなが聞かせて」
 美佐江はその愛優嶺の行動に、色々察してると感じ、琥珀色に満たされたグラスを利き手ではない左手で握り、一気に呑み干した。
 
「はい、この封筒なんです、睦美さんは、自分の家系には仕来たりがあって、こうやって、多胎児を身籠る時は何かの前触れを予兆してる、だから、私に何かあった時はこの封筒を開封して、っていわれて預かったんです、それも、町田先生に安定期に入ったっていわれた時の診察の後なんです、私、驚いて何もいえずに」
「やっぱり、この店を共同経営者として、二人で作り出そうとした時に私も預かったの、この封筒、中身は分からないけど、同じ封筒よね」
 愛優嶺は少し皺のよった茶封筒を美佐江に差し出した。
「えっ、本当だ、同じ封筒ですね、どういうことですか」
 美佐江は睦美の謎が更に深まり、頭のなかが真っ白になってしまった。
「うんん、大丈夫よ、確かにむっちゃんの実家には秘事があるみたい、大学の時もねそんなこと話してた、あたしは気にならないから具体的には覚えてないんだけど、日本の歴史のなかで重要人物の末裔の家柄なんていってたと思う、誰だったかは思い出せないのよねぇ、私、大学の時は今よりもそんなことはどうでもいいって思ってたかなぁ」
「そうなんですね、私もそれが重要じゃなくて、もしもの時があったら、その後を託されたわけですよね、私ができることなのか、私がやっていいものかって、それがとても引っかかるんです」
 美佐江の言葉は角ばってきた。
「何いってんの、できることをやればいいのよ、真面目よねぇ、あんたも、だから仲間になれるって思ったんだけどね、じゃあ、この時点で睦美には何も起こってないわけだから、病院から何も連絡こないからさ、明日ね、むっちゃんのお母さんがくるの、一緒に迎えに行こう」
「えっ、睦美さんのお母さん、はい、行きます行きます、お会いしたいです」
 そんな会話している二人を獏之氶は、厨房から後片付けをしなが見ていた。とても微笑ましく感じてて、笑顔で仕事をしていた。明日は、また、自分が運転手だと思い、片すのが終えても二人には声をかけずに浴室へ向かった。
 
 続

長編小説 分かれ身 ②

2021-10-19 06:49:00 | 小説
第弍話 誕生
 
 睦美の陣痛が始まり、いよいよ新しい命が誕生しようとしていた。それも、六つもの命が。
 
「河井さん、立ち合いますか、長時間になると思いますが」
「先生、宜しくお願いします」
 病棟のデイルームで、無事な出産を待ち侘びる愛優嶺と美佐江、獏之氶のところへ産科医の博子が顔を出した。
「分かりました、この方々も職場のお仲間ですね」
「共同経営者の古謝といいます、先生宜しくお願いします」
「高松です、調理師です、睦美さんを宜しくお願いします」
 愛優嶺と獏之氶は硬い表情で挨拶した。
「はい、ご丁寧に、みなさんご自宅に戻られててもいいかと思いますよ、もしも、何かあった場合や出産が終わりましたら河井さんに連絡しますので、では」
 博子は冷静に分娩室へ向かった。
 
「えっ、なんで美佐」
 愛優嶺は美佐江と博子の親しげな会話に驚いていた。
「実は、睦美さんに付き添って何度か町田先生の診察に付き添ったことがあって、睦美さんに頼まれて」
「睦美さんの優しさですね、愛優嶺さんや私に心配させまいと、ずっと、気を遣って下さってたのですね」
 三人はそんな会話をしながら、ゆっくり一歩一歩、病棟を後にした。
 
「みなさん、お腹空いてませんか、私、作りますよ、愛優嶺さん食材がだいぶ残ってますが」
「そうたよね、明日もお店閉めないといけないもんね、もう何時、三時か、美佐んちはちびっ子はそろそろ学校終わるでしょ、七助さんは仕事、何時に終わるの」
 病院の駐車場で車に乗り込むと獏之氶が話し始めた。
「一太(いちた)と小二郎(こじろう)はもう学校終わってて、おばあちゃんちにいると思います、うちの人は今日は五時半に終わると思います」
「獏さん、今日は鯖だっけ、それは全部煮込んでさ、美佐のご両親にお土産で持って帰れるようにしよう、だからさ、美佐ちのみんなも一緒にお店に連れといで、多勢で食べたほうが楽しいしさね」
「私も賛成」
 愛優嶺は瞬時に、今日仕入れた食材で日持ちしない鯖を思い浮かべて機転を利かせた。
「はい、ありがとうございます、あの、実は睦美さんから預かっているものがありまして」
 美佐江はいいずらそうだった。
「へぇ、まだ、隠してることあんの、いやぁ、ちょっとショックだけど、仕方ないわね、むっちゃんが気を遣ったんだから、水臭いなぁ、うん、分かった、今見なくていいでしょ、美佐も気ぃ遣わないでね」
 愛優嶺は裏切られたとは思わずも、お局にされた気分になり、車中はラヂオさえつけず、冷房機の風の音だけになった。
 
 定食屋に車が近づくと、先ずは美佐江の自宅へ向かった。歩いて五分もかからない近所に位置していて、獏之氶が気を利かせ美佐江の両親の顔を見ようと考えていた。というのは、美佐江の両親は愛優嶺のことも実の娘のように接しており、愛優嶺もそれが嬉しくて仲が良かったのだ。
 
「あら、あゆちゃんも来たの、獏ちゃんまで」
 車を美佐江の自宅へ横付けすると、玄関前に水撒きしていた美佐江の義母のヨネがいた。
「お母さん、今朝、睦美さんの陣痛が始まったんです、みんなで病院へ送って行ったんですけど」
「そうなの、六子なんだって、だから時間がかかるみたいでね、お母ちゃん達も晩ご飯、食べに来て、鯖があるの、足が早いから食べてもらいたいんだけど」
 愛優嶺はいくらか明るさを取り戻し、美佐江もそれを見て安堵した。
「いいのかい、獏ちゃんがこさえてくれるの、嬉しいねぇ」
 美佐江の夫の七助はひとりっ子であるが、ヨネが三回流産した後に産まれた子で、美佐江は勿論、近所の七助と同年代の人達、その子供達にも我が子のように愛情を注ぐ深い慈愛を持つ人だった。
「はい、腕によりをかけて調理致しますので、お食べにいらして下さい」
 獏之氶の空気を変えようと考えた作戦は見事に的を得た。
 
「獏さんありがとね、あなたまで気を遣わせてしまって」
「何を仰います、睦美さんがレシピ作りだけにまわって、愛優嶺さんがその分の仕事、熟してらっしゃったじゃないですか、だから、睦美さんと美佐江さんは気をお遣いになったんだと思います、もうひと頑張りですよ」
「そうだね、獏さんも優しいね、そろそろむっちゃんが産休の間、戦力になる人探さないとね」
 定食屋に着き、愛優嶺と獏之氶はお茶を一杯飲みながら、そんな話をし、厨房へ入っていった。
 
 一方、病院の分娩室では睦美と共に、助産師の里美と産科医の博子が奮闘していた。
 本来ならば、産科医は出産直前に分娩室へ入ってくるが、睦美の多胎妊娠(たたいにんしん)はこれまでに例のないもので、一卵性で一絨毛膜六羊膜(いちじゅうもうまくろくようまく)なのである。
 要するに、一つの胎盤に六児の臍帯(さいたい)が繋がっていて、それぞれ六つの小部屋に仕切られている状態である。なので、博子は日を設けて胎児達の発育状況を勘案して帝王切開を勧めたが、睦美本人はそれを拒否し、可能な限りまで自然分娩を進めて、危険性があれば帝王切開へ切り替える分娩方法を要望した。
 
「はい、深呼吸して下さい、陣痛が来たらまた、押し出すイメージでお腹に力を入れます、はい、力を入れて、もっともっと、力んで、そうそう、その調子」
「うう、んん、うう」
 睦美は普段のような会話が出来ないでいた。しかしながら、里美の指示は忠実に聞けていた。
 それを見ていた博子は自然分娩が成功するかのように思えていて、驚いた表情で腕組みしていた。

 今朝の偽陣痛から一二時間後、ひとりの女児が産声をあげた。その三〇分後、二人目の女児、更に、一時間後、三人目の女児が娩出された。里美は博子に笑顔で目線を送り、博子も笑顔を見せた。二人は自然分娩で六児が誕生することを期待した。
 
「はあ、はあ、うう、ぎああ」
 とてつもない雄叫びのように変わった睦美の声は四人目の女児を産み落とした。同時に睦美は意識を失った。三女が娩出されて三時間が過ぎようとした時だった。
「六田さん、聞こえますか、六田さん」
 里美は大声で睦美を呼んだ。
「手術室に移るわよ、急いで徐脈になってるわ、アドレナリンとリドカインを準備してて下さい」
 博子は看護師に指示した。
 
 手術室で残りの男児二人を取り上げ、胎盤の処理と術巣を縫合し、一段楽ついた時、突然、睦美の心拍は止まった。意識をなくして三時間後のことだった。
 
「アドレナリンとリドカイン持って来て」
 博子は冷静に睦美の蘇生を始めた。
「六田さん戻って来るのよ、頑張ってよ、あなたの子供達は元気に産まれて来たのよ、戻って来るんだぞぉ」
 博子は喉が潰れる程の渾身の大声で睦美を呼び戻そうとした。
 
 続