今日善太君と鈴太郎と三人で創る村の強力な支援者である戸部みちこさんのお宅に震災前に預けていた荷物を取りに行って来ました。老莱子の家の建築のため一時預かっていただいていたのですが、震災のあとのゴタゴタのため取りに行くのが伸び伸びになり今日になってしまったのです。
戸部さんは創る村のために多賀城駅前にほほえみハウスという小さなホールを作ってくださり、そこで毎月知人を集めて創る村の演奏会を開いてくださるほどのありがたい支援者で、創る村のメンバーにとってもとても勉強の場になっていました。
その戸部さんが震災直後に神経科の病院に入院されたと聞き、皆大変心配していました。なかなか本人と連絡が取れず、戸部さんの友人に聞いたところ、何でも創る村と連絡が取れず心配で心配で気がおかしくなって入院したというのです。退院後何度かお話する機会はあったのですが、今日初めて入院に至る経緯を聞くことができました。
その話によると、戸部さんの知人が津波で流された赤ちゃんを助けたという話を聞き、早速避難所になっている多賀城市民会館に駆けつけ赤ちゃんのために何ができるか考えたところ、市民会館からほど近い実家の井戸水が使えたことからその水をくみ上げお風呂を沸かして赤ちゃんにいれてあげようというプランを考えました。それで仲間を募ったのですがなかなか見つからず、そこはボランティアの塊のような戸部さんですからひとりでやっちゃえと、ひとりで井戸水くみから風呂沸かしから赤ちゃんの親子の送迎から避難所を出た後の行先の心配までしたそうです。そうして食事や睡眠も殆ど取らずに一週間支援に駆けずり回っていたところ、もうろうとする意識の中で松島の海を背景に飴屋先生と善太 君と渡辺さんが現れ、その後に飴屋先生からもらった「心」の色紙が思い浮かんで「ああ、やっぱりこういう時だからこそ心が大事なんだ。」と思って「その色紙をどこか良く見えるところに掛けておいて!」と叫んで倒れたそうです。本当に戸部さんには頭が下がります。
そんな戸部さんは今、お義母様とおととい脳梗塞から退院したばかりのお父様の介護で忙しい毎日だそうですが、来年は夢だった老莱子の家でのハンドマッサージのボランティアに是非行きたいとおっしゃってくださいました。私たちも戸部さんに来ていただける日を楽しみに待っています。
舟山 淳一