創る村から ~耕の会~

創る村から ~耕の会~ 己を耕し、世を耕す
21世紀平成の志士となるべく、日々修行と葛藤のスタッフブログ

12月28日

2011年12月28日 | 日記

 

 今日善太君と鈴太郎と三人で創る村の強力な支援者である戸部みちこさんのお宅に震災前に預けていた荷物を取りに行って来ました。老莱子の家の建築のため一時預かっていただいていたのですが、震災のあとのゴタゴタのため取りに行くのが伸び伸びになり今日になってしまったのです。
 戸部さんは創る村のために多賀城駅前にほほえみハウスという小さなホールを作ってくださり、そこで毎月知人を集めて創る村の演奏会を開いてくださるほどのありがたい支援者で、創る村のメンバーにとってもとても勉強の場になっていました。
 その戸部さんが震災直後に神経科の病院に入院されたと聞き、皆大変心配していました。なかなか本人と連絡が取れず、戸部さんの友人に聞いたところ、何でも創る村と連絡が取れず心配で心配で気がおかしくなって入院したというのです。退院後何度かお話する機会はあったのですが、今日初めて入院に至る経緯を聞くことができました。
 その話によると、戸部さんの知人が津波で流された赤ちゃんを助けたという話を聞き、早速避難所になっている多賀城市民会館に駆けつけ赤ちゃんのために何ができるか考えたところ、市民会館からほど近い実家の井戸水が使えたことからその水をくみ上げお風呂を沸かして赤ちゃんにいれてあげようというプランを考えました。それで仲間を募ったのですがなかなか見つからず、そこはボランティアの塊のような戸部さんですからひとりでやっちゃえと、ひとりで井戸水くみから風呂沸かしから赤ちゃんの親子の送迎から避難所を出た後の行先の心配までしたそうです。そうして食事や睡眠も殆ど取らずに一週間支援に駆けずり回っていたところ、もうろうとする意識の中で松島の海を背景に飴屋先生と善太 君と渡辺さんが現れ、その後に飴屋先生からもらった「心」の色紙が思い浮かんで「ああ、やっぱりこういう時だからこそ心が大事なんだ。」と思って「その色紙をどこか良く見えるところに掛けておいて!」と叫んで倒れたそうです。本当に戸部さんには頭が下がります。
 そんな戸部さんは今、お義母様とおととい脳梗塞から退院したばかりのお父様の介護で忙しい毎日だそうですが、来年は夢だった老莱子の家でのハンドマッサージのボランティアに是非行きたいとおっしゃってくださいました。私たちも戸部さんに来ていただける日を楽しみに待っています。

舟山 淳一


本日のブログ担当より

2011年12月28日 | 日記


ライフサポートとの打ち合わせのため、昨夜0時過ぎに創る村に来られた、老莱子の家の園長であられるリーカンドロ先生は、朝飴屋先生と朝食をとられ、8時には創る村を出発されました。25日のコンサートの後フィンランドからの来客や、創る村に来られたお客様にイタリアン料理を作って下さるため、24日にはまた来て下さいます。

ディサービスアートステージでは、本日11月から利用されている佐藤元一さん92歳に加えて、千葉志げ子さん96歳が初めていらっしゃいました。今月は今までディを利用されたことがなかったので、今月はご本人さえ良ければ、毎日利用されることになります。ただ今日は、初めていらしたことに加え、きれいなお店に連れて来られたと、お金がないし帰りたいと言われ、無理させられないと、副園長の戸澤の判断で早めに自宅にお連れしました。
明日金曜日は、週一回来られているご近所の平塚さんに加え、志げ子さんと元一さんもお連れし、ディサービスでもちょっとしたクリスマス会を催すことになっています。

 

創る村では今、コンサートに向けて、まず飴屋先生からベルカント唱法のレッスンを受けています。
サンタクロースのミュージカルを行う男性4人と、昨日から李生子も加わって、老莱子の一階の床に寝転がり、毎晩夕食前に始まりまず。今晩は、ベルカント唱法に1番苦心している善太君が、昨日より良くなったと、飴屋先生に誉められてました。昨日などは、他の3人も先生から、自分ができるようになるだけじゃなく、人に教えられるようにならなきゃダメだ、と言われただけでなく、精神がなっていないと喝を入れられ、4人で話し合いをしていました。
本日は25日のコンサートで創る村として披露する-早くおいでよサンタクロース- のミュージカルの練習とバンド演奏の練習をして終わりました。

 

 

by chiharu