浄土真宗高田派の本寺専修寺に行く途中に、二宮尊徳資料館がありました。栃木県真岡市にあります。
各地の小学校の庭には、薪を背にして本を読みながら歩く金次郎の像がありましたが、近頃は撤去されたところが多くあるそうです。
幸田露伴の負薪読書図に書かれた内容が、この像の元になってるそうです。
詳しい履歴は、ほとんど学んでいませんでした。
知らない事ばかりなので、寄って正解でした。
二宮尊徳資料館
資料館に入ると、等身大の銅像があります。何と182㎝の長身でした。
実にたくましい像です。
小田原藩主の命により桜町の復興を命じられ、地元の農民だけでなく、雇った人々と共に自ら率先して開墾に当たりました。
成田山で断食をしたことを知っていましたが、ここでのことが原因であったことを知りました。
反対していた人も多かったのですが、二宮尊徳の誠意ある姿を知り、開墾が大いに進んだそうです。
ここには使用した陣笠や脇差しなど、貴重な資料が展示されています。
金次郎の本流は絶えてしまいましたが、京都に中桐家が存続しています。
中桐真里子さんは全国に出かけ、公演を行っているそうです。
真岡市二宮町は二宮尊徳の功績により名付けられました。
桜町二宮神社
二宮尊徳を偲び、隣の陣屋跡に創建されました。資料館の東脇に鳥居があります。
昭和11年に現在の地に移されました。
陣屋跡
桜町の復興のために拠点とした場所です。
神社の西側です。
蓮城寺の二宮尊徳墓
70歳で亡くなり、墓は宇都宮市今市の報徳二宮神社境内にあります。
蓮城寺の墓には、金次郎の髪の毛が埋葬されているそうです。右側の墓石です。
娘の墓もありました。
資料館の南にあります。
調べると東京都文京区本駒込の吉祥寺にもありました。
各地の小学校の庭には、薪を背にして本を読みながら歩く金次郎の像がありましたが、近頃は撤去されたところが多くあるそうです。
幸田露伴の負薪読書図に書かれた内容が、この像の元になってるそうです。
詳しい履歴は、ほとんど学んでいませんでした。
知らない事ばかりなので、寄って正解でした。
二宮尊徳資料館
資料館に入ると、等身大の銅像があります。何と182㎝の長身でした。
実にたくましい像です。
小田原藩主の命により桜町の復興を命じられ、地元の農民だけでなく、雇った人々と共に自ら率先して開墾に当たりました。
成田山で断食をしたことを知っていましたが、ここでのことが原因であったことを知りました。
反対していた人も多かったのですが、二宮尊徳の誠意ある姿を知り、開墾が大いに進んだそうです。
ここには使用した陣笠や脇差しなど、貴重な資料が展示されています。
金次郎の本流は絶えてしまいましたが、京都に中桐家が存続しています。
中桐真里子さんは全国に出かけ、公演を行っているそうです。
真岡市二宮町は二宮尊徳の功績により名付けられました。
桜町二宮神社
二宮尊徳を偲び、隣の陣屋跡に創建されました。資料館の東脇に鳥居があります。
昭和11年に現在の地に移されました。
陣屋跡
桜町の復興のために拠点とした場所です。
神社の西側です。
蓮城寺の二宮尊徳墓
70歳で亡くなり、墓は宇都宮市今市の報徳二宮神社境内にあります。
蓮城寺の墓には、金次郎の髪の毛が埋葬されているそうです。右側の墓石です。
娘の墓もありました。
資料館の南にあります。
調べると東京都文京区本駒込の吉祥寺にもありました。
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